悪と悪 40
「……え」
山城が小さな目を丸くして、そして、直ぐに潤ませた。
「それって、」
俺は頷く。
もう認めるしかなかった。
「両想いってこと、……ですか?」
彼女が、赤い蛇のハイエースに拉致られて追いかけた時も、
「山城と同じくらいの気持ちかはわからないけど」
射撃され、海に落ちた彼女を追いかけるように飛び込んだ時も、
「好きじゃなきゃ、あんなに必死にならない」
それは、きっと、今に始まったことじゃない。
俺はどの時代でも、“あなた”を想っていた。
――
一回目の、″肉体の死″を経験した西暦973年、春。
時は平安中期。
貴族が実権を握っていた世の中であったが、地方武士が少しずつ力を持ち始めて不安定な時代へと移り行く頃で、その不穏の象徴なのか鬼や妖怪という存在が出没し始める。
俺は、当時の受領(貴族)が上京する際に、旅立に吉となる方角と日時を占い、先方に伝える仕事もしていた。
しかし、道中に盗賊以外に悪霊や鬼と遭遇する危険もあることから、旅のお供をすることもあった。
長旅になりえることから、大量の食糧、着替えも積んでようやく出発したのは夜霧も出始めた時間であった。
長者の妻、娘、侍女、狩衣姿の長者、警護の武士、小袖姿の興副が練り歩く一行の後を馬に乗り付いていた。
夜も更け、近くの寺院に立ち寄ろうとした際、何やら不穏な気配を感じた。
それは怨霊や鬼といった怪なるものではなかった。
我々と同じ人間、すなわち、武装した農民、そして貴族に恨みを持つ武士の集団だった。
赴任貴族の最高位だった受領が京へ向かうと知った者達が、夜の道中を狙い襲ってきたのだった。
この時、貴族の為にしか働かなかった陰陽師も反感の的となっており、俺は馬ごと襲われ、あっけなく天命が尽きる。
様々な呪詛返しを試みていたが、滋岡川仁による呪いを跳ね返すことができなかった。
惨殺されていく貴族の悲鳴に混じり、どこからか、優しい声が聞こえて俺を包む。
「こぞの春逢へ君に恋ひにて 桜を思ふと よいも寝なくに」
愛しい彼女の声だった。
聞こえるはずがないのに、巫女である彼女はこの時をどこからか見守ってくれていたのだろうか?
俺は、最期に声を振り絞ってもう一度あの歌を返した。
群青色の夜空に浮かぶ神々しいまでの月。
“あらざらむ 願はくは君のそばにて春死なむ望月もちづきの頃”
丁度、十八歳になる年の、満月の夜だった。
――
「それって、本当に前世の記憶なんですか?」
山城が目を潤ませたまま俺の話を聞いていた。
「うん、なんでかな。今頃、最期の瞬間まで記憶が戻ってきた」
ずっと、曖昧だった肉体の死の瞬間。
「でも、橋本先輩にかけられた呪いは滋岡さんが解いてくれたんですよね?」
「そう、だから不安そうな目するなって」
凍えて、歯もガチガチになりながら、まるで小動物のように俺を見つめる。
澄んだ黒い瞳。
なんだか無性に可愛く思えて、つい、冷えた手を彼女の背中に回し、ギュッと抱きしめた。
コートの生地越しながらその柔らかさが伝わる。
「……は…し…」
俺の名前を呼ぼうとした唇にぶつけるようなキスをした。
さっき食べたスイーツのせいなのか、甘い香りがする。
体温と一緒に震えがこっちにまで伝わって可哀そうになるほどで、それでも離すこともせずに唇を合わせたまま、ずっと抱きしめていた。
「雪……」
ようやく離した唇から、掠れた声が漏れた。
「え……? あぁ、ほんとだ……」
夜空を見上げたら、白い粉雪が落ちてきて、それが二人の髪や肩を青白く光らせる。
どうりで寒いはずだ。
キスの余韻もそこそこに、バスが止まったら帰れなくなるという彼女を急いでバス停まで送った。
別れ際、寒いのに山城がバスの窓を開けて顔を覗かせた。
「肝心な事言ってませんでした! 先輩、お誕生日、おめでとうございます!」
白い息を吐きながら、改めてお祝いの言葉をくれた。
「うん……ありがと」
口を開けたら雪が入ってきて冷たい。
早く閉めろよ、と手で合図したら、頷いて閉めて手を振っていた。
【また来年もお祝いしましょうね】
バスを見送っていた俺のスマホに彼女からメッセージが届いていた。
“来年も” ――
それを見たら何故か急に瞼が熱くなってきて、堪えきれず俯く。
――来年も、あるんだな、俺……。
熱い雫が頬を伝って落ちて、雪を溶かし制服に丸い染みを作っていた。




