第2話 休日
帰宅して早速パウンドケーキを注文しようとネットを開いてがく然とした。全てのサイトで「注文不可」の文字。SNSを開くと「注文できた」が少しで「売り切れだった」コメントが多かった。
僕は後悔した。朝にオンラインサイトを開いた時に注文しておくべきだった。昼休みでもよかったんだ。僕が想像している以上に神宮司先生のファンはたくさんいて影響力が大きかった。
神宮寺先生の影響力を低く見積もっていたことにもショックを受けた。申し訳ございませんでしたという気持ちと自戒の念を込めて、パウンドケーキは一旦諦めた。多分メーカー側も至急増産するだろうしいつかは買えるだろうと自分に言い聞かせた。僕はまんが雑誌を開いて他の漫画を読み始めた。
雑誌を読み終わり、気持ちを切り替えて僕は漫画の続きを描いた。
高校三年生の夏休みに「最後の高校生活に何かをしたい」と思ったのがきっかけで漫画を描き始めた。
子どもの頃から絵を描くのは好きだったし上手だと言われてきた。漫画を読むのも大好きだったから「何か」は漫画だとすぐに決まった。漫画の描き方という本を中古で買い、好きな漫画を模写することから始まった。
高校卒業後は就職すると決めていた僕は、夏休みにはたくさんの時間があった。
初めて描き上げた一作はとても汚い原稿になった。手の脂やインクがにじんだ線。指紋。とても出版社に応募できる状態ではなかった。
反省点を踏まえて、冬休みにはきれいな原稿を心がけた。
ペンの動きがぎこちないのが分かるけれども、にじまないことを優先した。手の脂がつかないように気をつけて描いた。
完成した原稿は、夏休みのものとは比べ物にならないほどきれいだった。僕は少し自信を持って出版社へ送った。僕が毎週読んでいるまんが雑誌では随時原稿を募集していた。毎年開催している漫画賞には上期と下期の締め切りがあり、送った時点で自動的に間に合うほうに応募される仕組みだった。ちょうど下期の締め切り間近だった。
高校卒業する頃に結果が発表された。誌面に僕の名前はなかった。
あれから五年間、会社員をしながらずっと漫画を描いている。
平日に少しずつ作業をする。ストーリーを考えてキャラクターを作る。ネームを作り下書きをする。三~四カ月かけて一作が完成する。完成するたびに賞に応募する。この繰り返しだった。毎回落選をしている。なんのために漫画を描いているのか分からなくなっていた。
二年前に一度だけ、結果発表ページに名前だけ載ったことがある。あと一歩で賞、と書いていた。信じられないという気持ちと「描いててよかった」という気持ちだった。その頃ちょうど神宮司先生の連載が始まった。このまんが雑誌にしては重めのテーマだったけれどもキャラクターの魅力が引き立つ作品だった。一年ほどしたらアニメ化が決まりヒット作と呼ばれるようになった。神宮寺先生に近づきたい、新しい目標ができた。
休日は映画を観ることが増えた。漫画のネタ探しを含めて外出することも増えた。今まで興味がなかった店でも、漫画の題材・資料のために立ち寄ることが増えた。女性服が売っている店をじろじろと見るわけにはいかないので、一瞬で記憶することに努力している。時々は友達とお酒を飲みに行くこともある。飲み屋街の喧騒も漫画に活かせると思えば貴重に感じていた。
土曜日、休日の朝はドリッパーでコーヒーを淹れることにしている。フィルターをセットして粉にお湯をかけるお手軽タイプだけれども粉は専門店で豆を挽いてもらったものを使う。手入れが楽だから。インスタントとは香りが全然違う。朝の愉しみがあるので早起きをする。漫画に割く時間が増えるので三文のとくだ。
お気に入りのマグカップで香りのよいコーヒーを飲む。
パソコンでSNSをチェックする。神宮寺先生のパウンドケーキを近所のスーパーでゲットしたというコメントを発見。そうだ、スーパーでも売っていると書いていたな。忘れていた。開店時間になったら行ってみよう。僕は厚手のパーカにブルゾンをはおって出かけた。
この辺で一番早い時間に開店するスーパーで例のパウンドケーキを発見した。すぐに手に取り確認をする。メーカー名一致。個包装四個入り価格は五百円で情報通り。ラスト一個だった。ありがとう神様、ありがとう田舎。いやラスト一個ということは、僕の他にも神宮司先生のファンがこの近くに住んでいるのかもしれない。
しかし一週間近くもよく残っていたな。普段はどれくらい売れるんだろう、なんてことを考えながら賞味期限をチェックした。五月一日。あと二ヶ月近くある。
目当ての商品を買えて安堵し、僕は喫茶店へ向かう。朝ごはんを食べていなかったので喫茶店のモーニングでも食べようと思った。