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パウンドケーキ  作者: 青山えむ
10/12

第10話 走る

 最後の検査項目、レントゲン撮影は検診バスの中で行う。

 会社の敷地内にバスが待機しているので一旦玄関を通り外に出る。

 桜がほんの少しだけピンクになっている。どす黒いピンクだ。


「健康診断で引っかかると昇級なしって噂があるぞ」

 僕の後ろに並んでいた河内が言う。

 先日室長に連れて行かれてから、河内はおとなしくなった。まじか、漫画を描き続けるためにも昇級はしたい。資料も本もたくさん欲しい。


「俺は今年の昇級は諦めた。榎本、お前が出世して俺に良い肩書きをつけてくれ」

 河内はため息をつきながら半ば本気で言っていた。

 


 健康診断が終わり、休憩所で軽い朝ごはんを食べる。同じテーブルにはなぜか河内がいる。

 僕がおにぎりを食べ終わり、缶コーヒーを飲んでいる時に河内が言う。


「漫画、本当は俺も読んでいる。この間は腹が立って変なことを言ってしまった、本当にすまなかった」

 河内は反省しているようだった。こんなに神妙な表情をしている河内は初めて見た。僕と河内は仲直りをした。

 

 何気なく廊下を見ると、月岡さんがいた。知らない男性社員と話している。いつも通りの笑顔だった。月岡さんが他の男と話しているのを見るのが嫌だと思った。あれ……この気持ちは……。



 休みの日、姉ちゃんと一緒に、姉ちゃん行きつけのカフェに来た。

 高校生が学校帰りに寄り道をする商業施設の裏道にひっそりとあるカフェだった。隠れ家的な感じがさらに人気を呼んでいるらしい。

 独創的な総菜が並ぶ体に優しいメニューが売りのカフェだ。健康診断で少しでも良い数値を出したいので(もう遅いが)連れて来てもらった。ごはんメニューは一択で【本日のごはん】と書いてある。

 

 白米とスープ、木の皿に総菜が十種類近く並んでいる。

 味噌汁に近いスープには白菜やきのこ、海藻などが入っていた。

 おかずのメインは長芋のステーキだった。他にはオムレツや梅の味がする漬物、豆のサラダやエノキを出汁で煮たとろとろしたおいしい総菜ばかりだった。

 白米もおいしい、ご飯だけでもいくらでも食べられそうだった。僕も姉ちゃんも「おいしい」とばかり言って食べていた。


「なんか気合い入ってるね」

 食後の黒豆茶を飲んでいると、姉ちゃんに話しかけられる。健康的なごはんで健康的な体を手に入れたいと言い、今日は連れてきてもらった。健康診断で引っかかると昇級が危ういという噂も話してある。


「収入が少ないと漫画を諦める時が来るかもしれないし、そういうの嫌だなって思って。せっかく勤めているんだから給料は上がったほうがいいし、できることはやってみようって」


「肩書きがついたら拘束時間も長くなるんじゃない?」

 お金だけじゃない、休日も大事にしている姉ちゃんらしい発言だった。


「上のポジションに行けたらそれは経験になる。漫画に絶対に役立つと思う」

「どこまでも漫画中心だね、ま精一杯やりなさいよ」

 姉ちゃんはローズヒップティーを飲みながら言った。和食にローズヒップティー、合うのかな? と思ったけれども言わなかった。


「ん?」

 姉ちゃんが僕を見ている。やばい、心の声が漏れていたか? 僕は少し焦った。


「双葉、知ってる子?」

 姉ちゃんは僕の後ろを見て言う。振り向くと月岡さんが立っている、驚きの表情で。


「あ……」

 月岡さんは僕と一瞬目が合い、そのままダッシュで店を出て行った。

 え、なんで? 答えを求めるように姉ちゃんの顔を見る。姉ちゃんは何も言わずにローズヒップティーを飲んでいる。姉ちゃんは多分、答えが分かっている。僕はよく分かっていないけれども、追いかけたほうがいいと本能的に感じた。


「姉ちゃんごめん! 僕追いかけるから」

「はいよ、いいねぇ青春、双葉は充分主人公だよ」


 ここのカフェは入り口がガラス張りなので月岡さんが走って行った方向はすぐに分かった。ベージュのトレンチコートがひらひらと舞っている。月岡さんが着ていたコートだ。


「待って」


 商業施設の裏通りを走る。飲食店や個人経営の店がいくつか並んでいる。通りのまん中には桜の木が植えてある。その下には木製の椅子が置かれている。座って木陰で涼んでいる人がいる。走る僕を、涼んでいる人が見る。恥ずかしかったけれどもそれどころではない。

 そこを通り過ぎると小さい広場がある。そこにも木製の椅子や、小さいステージがある。駅が近いのであのステージでは時々イベントをやっている。今日はよく晴れている。散歩をしている人や椅子で休んでいる人がいる。あの人たちと僕には同じ時間が流れていない気がした。走ると少し汗ばむ。ごはんを食べたばっかりだったので少しお腹が痛くなってきた。


 僕は少しは鍛えているのですぐに追いついた。月岡さんの腕をつかむ。月岡さんは走り慣れていないのか息が荒い。広場の端、ちょうど木陰だったので涼しかった。


「あ……ごめん。痛かった?」

 少し冷静になった僕は月岡さんの腕を離す。月岡さんは首を横に振る。

 どうしよう、とっさに追いかけてきたけれど何から話したらいいんだろう。

 あのカフェよく行くの? いやそんなにのんきな空気じゃないよな……。



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