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パウンドケーキ  作者: 青山えむ
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第1話 朝の日常

 パウンドケーキが食べたい。とあるパウンドケーキが。



「あるパウンドケーキにはまっています。とてもおいしいです」


 僕の尊敬する漫画家、神宮司創爽(そうそう)先生のコメントがきっかけだった。神宮寺先生が連載している週刊まんが雑誌の最終ページに載る近況報告。加えてSNSでは詳しく感想を述べて、メーカー名も公表している。

 そのパウンドケーキは少ししっとりしていてふわふわの生地。大きいフルーツが入っていて厚くて食べ応えがある。個包装四個入りでひと袋五百円。

 このクオリティでこの値段はコスパ神と称賛している。常温保存が可能でオンラインでもスーパーでも買えると書いてある。

 

 月曜日発売のこのまんが雑誌を朝、出勤前にコンビニで買うのが僕の習慣になっている。

 通勤ラッシュを避けるために少し早めに家を出るのだが、平日朝七時のコンビニはすでにラッシュだった。三月、朝は特に寒いのにみんな早起きだなぁと思う。

 この時間帯に来る人はおおよそ買うものが決まっている。その日のお昼ごはんだったり朝ごはんだったり煙草だったり。

 僕もそのなかの一人だった。本売り場で一番高く平積みされたまんが雑誌の上から二番目を手に取る。表紙が新しいことを確認してすぐにレジに並ぶ。


 毎週月曜日にまんが雑誌一冊だけをコンビニで買う。たまに僕と同じ雑誌と缶コーヒーを持っている人を見ると、その人は僕より少しだけ人生を「満喫」しているんじゃないかと思ってしまう。缶コーヒーが一本が添えてあるだけで人生の満喫度が変わってしまう気がする。そこには、コーヒーをたしなむ余裕があるから。時間の余裕、味わう余裕、金銭的な余裕。いや案外本人は眠気覚ましに買っているだけかもしれないし、そこまで考えていないのかもしれない。


 レジから少し離れた場所に床にテープが貼ってある。二つあるレジのまん中に位置する通路に、こちらでお待ちくださいの目印。

 一人ずつ会計を済ませ、次は僕の番だというその時だった。ゆっくりと歩いてきたお年寄りが、前の客が会計を終えたばかりのレジに向かった。店員は一瞬困った顔をして僕を見たが、僕はどうぞと手で合図をした。ここでもめるのも面倒だし、一人くらいならこのままスルーしたほうが早いと思った。


 けれどもそう思ったのは僕だけだったらしい。後ろに並んでいた客が「チッ」と舌打ちをした。

 そうか、一人分待ち時間が増えたことになるからか。もっと後ろに並んでいる人には何が起こったか分からないので何も変化はないが、変化を知っている人には影響が出ている。


 この舌打ちの対象が僕かお年寄りか両方か分からないけれども僕は少し申し訳ない気持ちになった。同時に「並んでいるから順番ですよ」とお年寄りに言った場合、耳が遠い人だったらもっと時間がかかるかもしれない。そう思った僕の判断はまぁ妥当だと思って忘れよう。

 舌打ちした人がもし、同じまんが雑誌を持っている人だったらショックなので後ろは一切ふり返らなかった。


 車の助手席にまんが雑誌を置いて会社へ向かう。会社の駐車場でまんが雑誌のページを開きお目当ての漫画と最終ページのコメントだけを読む。それが僕の月曜日の朝のルーティンだった。他の漫画は帰ってから読む。


 まだ時間があるのでSNSを開く。僕のアカウント名はカタカナでフタバ。本名が双葉だから。

 神宮司先生のSNSを見るとパウンドケーキについて語っている。

 月曜朝のSNSは、先ほど買ったまんが雑誌のネタバレが溢れている。みんな最新話について早く語りたいのだろう。

 SNSでは早くもパウンドケーキがトレンドに上がっていた。神宮寺先生の漫画はかなり人気がある。アニメ化もされていて今冬には映画化が発表されたばかりだった。そんな注目の漫画家が好きなお菓子を公表したらファンはざわつくだろう。

 SNSでファンたちは早くもパウンドケーキ注文した報告をしていた。一応オンラインサイトとメーカーサイトをのぞいてみるとまだ品切れの表示はなかった。僕は安心して仕事へ向かう。


 駐車場から歩いて会社の敷地内へ入る。道路の脇には雪が少し残っている。この時間はまだ寒い。冬のアウターがまだ必須だった。

 警備員にあいさつをする。僕は小さい声だけれども警備員のおじさんは元気な声であいさつをしてくれる。僕はあいさつは、すればいいと思っているけれどもこのおじさんは「元気に」を付加する。この時点で僕よりこのおじさんのほうが色々な面で優れていると思う。きっとおじさんが休憩時間に飲むドリンクはおいしいんだろうなと想像する。


 社員証に内蔵されているセキュリティカードをかざして会社内へ入る。社内ですれ違う社員に「おはようございます」と言う。みんな同じ言葉を言う。みんなまだ頭が半分眠っているような顔をしている。僕もそう見えるだろう。けれども大好きな漫画の最新話を読んだ僕の心はとても熱くなっている。心だけ。もしかしてすれ違う人のなかに、僕以上に熱い心を持っている人がいるかもしれない。でもすれ違うだけじゃ分からないし、わざわざ話しかけて確かめる必要もない。今日もいつもと同じ風景が流れる。




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