旅立ち
王妃様主催の夜会があった翌々日、楽しみにしていた旅に予定通り出発することになった。
早朝、まだ人気の無い時間。
普段使っている凝った装飾が施された公爵家の2頭立て馬車ではなく、屋根の無い小型馬車が用意されていた。人目を引かないような、質素な荷馬車を今回の旅のために庭師のジェラトーニが準備していた。
ジェラトーニは、公爵邸の広い庭を任されている庭師の息子で、いつもは父親と一緒に働いている。ただ、父親がまだまだ現役なので息子であるジェラトーニ本人は何かと屋敷内の雑用に駆り出されていることが多い。侍女達からは頼られているというか何でも屋的に使われているような気がする。最近は家令のパトリックからも色々頼まれ事をされているらしく、今回も馬車の手配を指示されたようだ。
その一見質素な馬車は実は高機能で、素材はかなり貴重で硬質な木材により堅牢にできていた。私とシエルが座る馭者台には、長旅でも疲れないように座り心地の良いクッションが置かれていて、旅の荷物が積まれた後ろの荷台には麻布で幌が掛けられていた。
「お嬢様、町娘風のお姿も素敵です!」
見送りに出て来てくれたマリーとサンドラがにこにこ顔で自分たちが作り上げた作品=私を堪能している。
「もう、二人ともさっきも同じこと言っていたわよ。でも、いつもよりスカートの丈が短いから動きやすくて楽ね。商人の娘に見えるかしら?」
シンプルな無地の布地で作られた丈も少し短めのスカートに歩きやすいブーツ。いつもと違う格好で気分も上がっていた私もウキウキした気分でマリーとサンドラに笑いかけた。
「...。」「...。」
え、何その沈黙は?
「う~ん、確かにパトリックさんの考えた設定ですとお嬢様は商人の娘なんですけど。」
マリーが今まで胸元で握りしめていた手を、おもむろに組んで私の事を上から下まで眺める。小柄でコロコロ表情の変わるマリーが、今は眉間に皺を寄せて真剣に私の姿を見て考えている様は可愛らしい。
「そうですねぇ。マダムローズモンドの作られた服装も確かに合っていると思うのですけど。」
マリーより背の高いサンドラがその隣で上品に頬に手を当て思案顔で眺める。
な、なに。さっきまで褒めていたじゃないの。どこか変なの?1
「上に載っているお顔が役柄には当てはまりませんねぇ。」
「そうですねぇ。そんなお美しいお顔の町娘はいないと思います。お肌も、髪の毛も艶々ですし。」
え~、お肌と髪の毛は二人の日頃のお手入れの賜物じゃないの。特にサンドラは私の髪の艶を出すことに情熱を燃やしている。まるで私が悪いみたいな言い方をされてもどうかと思うわ。
「はははっ。確かにこんなお綺麗な町娘はいらっしゃらないでしょうなぁ。」
近くで話を聞いていた門番兼護衛のハインツまでがさもおかしそうに笑っている。元々、軍部に居たのを、シエルにスカウトされお給料に釣られて転職してきたハインツはちょっとくたびれた見た目と違って凄腕の剣士だ。いつもなら護衛や御者として私について来るハインツも、今回はお留守番。きっと、彼の事だから仕事が楽になると喜んでいるに違いない。
「ハインツったら、大魔法使い様が留守にするからってちょっと浮かれているんじゃない?」
大笑いをされた腹いせにちょっとチクリと嫌みを言ってみた。
だいたい、シエルが留守にしている間こそ、屋敷の皆をきちんと守ってもらわないとね。
「はははっ。お嬢様そんなことないですよぉ。ち~とばかりのんびりできるかなぁなんて思っているだけですから!だいたい、こんな王都のど真ん中で危ないことなんてそうそうないですよ。お隣は王宮ですから。」
確かにこの屋敷は王都のど真ん中、王宮のお隣と言っても間違いではない位置にある。でも、先日だって王宮で色々あって、王宮の庭園がボロボロに...。とそこまで考えて庭園がボロボロになった原因は主に大魔法使い様の暴走だったことを思い出して考えるのを止めた。
「なるほど、ハインツは暇を取りたいのか。それは気づかなかった。」
いつのまにか、宮廷役人風の服装をしたシエルが準備を終えて私たちが話しているところへとやってきていた。
「だ、旦那様!いや~、暇を取りたいなんて言ってませんて!ちょっとばかり羽を伸ばせえるかな~って思っただけで。」
いやいや、それを雇い主に言っては駄目でしょう、ハインツ。
「そうか?雇用条件に不満があれば言っても良いのだそ?暇を取って、王家所有の北の鉱山で数年護衛でもやって来るか?確か国王が人材を探していたぞ。」
案の定シエルが冷たく言い放つ。北の鉱山とは犯罪を犯した人が強制労働に送られるほど過酷な寒さで有名。それは休暇じゃなくて左遷?解雇?じゃないかしら。
「不満なんてとんでもない!給料も待遇も十分満足していますって!」
ハインツがヘラヘラと少しひきつった笑いをしながら門番小屋へと戻って行った。ハインツは住み込みで働いている他の使用人と同じように、邸宅の方にも自分の部屋を持っているのだけど、ほとんど門番小屋で寝泊まりしている。
シエルが私の恰好をじっと見る。
「な、何?どこか変?」
「確かに、リリアナは町娘というには顔立ちが整い過ぎているかもしれないな。」
シエル?お前が言うかと、ここにいる全員が思ったに違いないわ。
「旦那様、リリアナ様、いってらっしゃいませ。」
パトリックをはじめとして家人が総出で見送ってくれる。
「行ってきます!お土産、楽しみにしていてね!」
「はいっ!」
マリーとサンドラの元気な返事が聞こえて思わず笑ってしまう。
ハインツが門を開けて馬車が通るのを見送ってくれた。
こうして早朝の朝靄の中をシエルと私は二人だけでそっと旅だったのだった。