家出
それが表情にも表れていたのだろう、マティが溜め息をつきながら言った。
「シエルが君に話さなかった理由は、君が怒るのではないかと心配していたこともある。」
怒るのは当たり前ではないだろうか?いつもあの人はそう。私に対しては優しくて、何でも言うことを聞いてくれるような振りをして肝心なところは話さない。それでいて結局自分の思い通りに持っていく。
「もうすぐ、シエルが帰ってくる。一度二人で話し合った方が良いのではないかな。」
マティが優しく、でも威厳を漂わせる口調で言った。
「話し合う?」
なんて?実は3歳の時から貴方の奥さんだった時の記憶がありますって?!そんなこと、言えるわけ無い!
さっきまでの怒りはあっという間に冷めて、背筋が冷えていくのが分かる。
「わたしはざっと話したから、あとは二人で話し合っておくれ。」
私が答えないのに呆れたのか、そう言うとマティはまた黒猫の姿に戻ってしまった。
「マティ、ずるいわ!都合が悪くなったからって猫に戻るなんて。」
そう文句を言ったが、マティはにゃーんと鳴いて部屋から出て行ってしまった。
どうしよう、シエルと話し合う?
なんで今まで黙っていたのかということになってしまう。
結局私がどうしたかというと、シエルがお城から帰ってくる頃を見計らって家出することにした。
つまり、情けない話だけど、考えても分からなくなって逃げだしたのである。
どこへ?私が行ける場所なんて限られている。乳母の所か王妃様の居るお城か...。
きっと乳母の所に行ってもすぐにシエルが迎えに来てしまう。気は進まなかったけど仕方なくシエルと入れ違いでお城に家出することにした。
きっと、王妃様なら匿ってくれると思ったからだ。
マティが猫に戻ると同時に、アデリーナ様とパトリックが目を覚ました。アデリーナ様はハルと一緒にここまで来たことは覚えていたけど、何の用事なのかは全く覚えていなかった。
まだはっきりしない頭を抱えたアデリーナ様をひとりで帰すのは心配なのでパトリックが送っていくことになり、屋敷内の他の人達も眠りから覚めてちょっとした騒ぎになっていた。
その隙に屋敷の裏までこっそり抜け出した私は、自分の馬を厩舎から連れ出すと誰もいない裏門からそっと抜け出した。
いつもは、ハインツの居る表門から馬車で行く王宮も、実は馬車が通るのにはちょっと狭い裏門から出るとあっけないほど近い。ただし、王宮の通用口から入ればだけど。
屋敷を振り返ると、マティが猫の姿で窓からこちらを眺めているのが小さく見えた。
まるで、責められているように思えて目を反らすと王宮の通用口まで馬を走らせた。
城に勤めている人達が使う通用口と言えども、もちろん門番の兵士はいる。名乗って王妃様へ取り次いで欲しいと伝えると、当然驚いた顔をされる。でも、追い返されることはなかった。
おそらく王宮に出入りしている私の顔を見たことがあったのか、身なりから信じてもらえたのかは分からないけど、しばらく待つと通してもらうことができ、馬も預かってもらう。ふと見ると顔見知りの王妃様付きの侍女が迎えに来てくれていた。
「すいません、通用口から入るなんて非常識なことをして。」
王妃様付きの侍女に謝る。きっと、皆に迷惑を掛けてしまったに違いない。
「いいえ、とんでもない。ですが、王妃様は心配されていましたよ。」
助けを求めておいて訳を話せないとは言うのはずいぶん酷いことだと言うのは自分でも充分に分かっている。分かっているけど……。
「リリアナ、黙りなの?」
王妃様の私室につながる客間に案内されて温かいお茶を出して頂くと、当然王妃様は家出の理由を聞いてきた。
「すいません。」
「私は謝って欲しいわけじゃないのよ。どうして、家出をしてきたのか訳を話して欲しいの。そうしないとあなたの力になることもできないでしょ?」
王妃様の言うことは当然だし、怒らずに聞いてくれる王妃様の優しさは痛いほど伝わってきた。でも、内容が内容だけに話すのはためらわれる。
「すいません。」仕方なくもう一度謝る。
王妃様がため息をつくのが聞こえた。
「もう、本当に変なところで強情な子なんだから...。あなたのお父様はあなたがここに来ていることを分かっているの?」
「たぶん、屋敷の誰かから聞くと思います。」
本当はマティからだけど、猫からとも精霊王からとも言う訳にもいかずそう答える。
「そう。じゃあ、直ぐに迎えが来るわね。」
王妃様の言葉通りシエルが面会を求めていると連絡が入ったのは、それからさほど時間が経っていない時だった。
「とりあえず、貴方は隣の私の私室で待っていてちょうだい。鍵も掛かるしこちらの話も聞こえるでしょうから。」
「はい、ありがとうございます。」
よほど、私がしょんぼりして見えたのか王妃様がくすりと笑うと子供にするように私の頭をポンポンと軽く叩いて言った。
「何とかなるわよ。」
もう一度ありがとうございますと頭を下げる。
王妃様専用の居間から続く私室に隠れて内側から鍵をかける。最も、シエルが本気で入ってこようと思えばこんな鍵は簡単に魔法で開けられてしまうけど、気分的に少し安心できた。
隣の部屋にシエルが案内されてくる音が聞こえる。
鍵を掛けた扉に張り付いて聞き耳を立てる。
「リリアナはどこだ?!」
バタンと扉が開く音と共にシエルの声が聞こえた。
相変わらず王妃様に対して遠慮がなくて、扉のこちら側でヒヤヒヤしてしまう。
「ずいぶん無作法だこと。それが、女性の部屋に入ってくる態度かしら。」
王妃様がいつもの調子で皮肉を返す。
「ふん、女性?!年齢不詳の化け物だろう。いつまで若い振りをしているつもりだ。」
「まあ!年齢不詳の代表のあなたには言われたくないわ!少なくとも私は実年齢より少し若く見えるだけよ。自分の子供たちよりは早く死ぬと思うわ!」
やっぱり、王妃様も若く見える血筋らしい。
「だいたい、そんなだからリリアナに逃げられるのよ!」
王妃様!火に油を注がないで~!
でも、それに対してシエルの答えはなく、代わりに聞こえてきたのは「とにかく、リリアナと話をさせてくれ。」という呟き声だった。
「どうかしら、リリアナは今は話したくないようだけど。」
「リリアナ?聞こえているんだろう?」
どうやら隣の部屋に居るのはばれているらしい。
返事の無い私に向かってシエルは構わず話しかける。
「一度、二人で話したいんだ。」
「…。」
はいともいいえ、ともいえず、気まずくて返事などできるはずもなかった。
「とりあえず今日は帰って、リリアナに考える時間をあげたら?少なくとも、ここにいれば危ないことは何も無いでしょう?」王妃様が取りなすように言うのが聞こえる。
「…わかった。今日は帰ろう。」
「リリアナ。昼間はいつものように仕事で城に居る。わたしと話す気になったらいつでも良いので来て欲しい。」
少し間があって私の返事を待っているのが分かったが、返事がないのが分かると王妃様にリリアナを頼むと言うのが聞こえて扉が閉まる音がした。
その夜はたくさんある王宮の客間のひとつに泊めてもらい、慣れないベッドで眠れない夜を過ごした。