護衛ハインツの実力
マダムの店は意外にも大通りから一本入った細い道に面していた。
大通りは、馬車も馬も通る大きな道の両側に歩行者が歩ける歩道が設けられている。
大小様々な商店が軒を連ねていて、そぞろ歩きをするにはとても楽しい。
そこから、一本路地を入ったマダムの店の前に数人の男たちが立っていた。しかも、マダム本人と言い合いになっているようだ。
「どうしたのかしら?」
「お嬢様はちょっとこれ持って、そのまま待っていてください。」
前に居るハインツが馬を降りると私に手綱を渡して、馬に乗ったまま待つように言われた。
どうも、お世辞にも感じのいい男たちではなく、マダムを取り囲むようにわめいているのがここまで聞こえてくる。
「だからさあ、気に入った注文しか受けないってのはどうかと思うんだよ。」
「そうそう、それに受けた注文の順番は守らねえと。金はもらっているんだしさぁ。」
「だから、お金の問題じゃないって言ってるでしょう?私は、自分が作りたいものを作るんだ!」
マダムが男たちに囲まれているにもかかわらず気丈に言い返している。
でも、さすがにこの状況でその言い方は不味いのでは!
「なんだと?婆ぁ!!」
案の定、男の一人が大声をあげて激高するとマダムの肩を掴み壁に強く押し付ける。
「ハインツ!」
たまらず私が叫ぶのほぼ同時にハインツが動いた。
マダムの肩を掴んでいた男の腕を素早く後ろから掴んで捻り上げる。
全く背後は気にしていなかった男たちが慌てて振り返る。
「痛ててて、、。」
腕を掴まれた男が悲鳴をあげたけど、ハインツはかまわずそのまま思いっきり後ろに引き倒しつつ一歩後ろに下がる。
ハインツに引き倒された男が石畳みの路地に背中から転がるのと同時に、他の二人の男たちが腰に差していた剣を抜いた。
「あらら、こんな所で剣を抜いたら不味いでしょ。」
ハインツがそれを見て言った。
確かに、こんな街中で安易に剣を抜いたことが街を警備している警備兵に見つかったら捕まって罰せられても文句は言えない。
まして、ハインツは仮にも公爵家の使用人だ。
「うるせえ!」
先ほどハインツに引き倒された男も痛そうに起き上がると一歩遅れて剣を抜いた。
「う~ん。口で言っても引かないかねぇ。」
ハインツが頭をポリポリと掻いて困ったように呟いた。
「お嬢様、これはしようがないですよね?」
「は、はい。お願いします。マダム中へ入っていてください!」
マダムは馬上の私に頷くと店の扉を開けてさっと中へ逃げ込んだ。
男達もさすがに中に逃げ込んだマダムを追うものはいなく、いきなり現れたハインツを警戒して距離を取りつつ睨みつけている。
「あの、でも、できれば血が出ないようにしてもらえるとなお良いです。」
あまり流血沙汰になっても困ってしまう。でも、相手は3人で剣を抜いているしそれは難しいかもしれない。
案の定ハインツから言われてしまう。
「え~。それはなかなか難しい注文じゃないですかねぇ。」
そうですよね。やっぱり。
「分かりました。では、ハインツが怪我をしない方法でお願いします。」
「え?俺がですか?」
だって、血が流れるのは嫌ですけど、身内の血が流れるのはもっと嫌ですから!
「まあ、優先順位としては身内が怪我をすることの方が嫌ですので。」
「ははははっ...。面白いことを言いますねうちのお嬢様は。」
ハインツが笑いながら答える。
そうでしょうか?普通だと思いますけど...。
「じゃあ、まあできるだけご要望にお応えいたしますよ。」
そういうと、今まで腰の鞘に差したままだった自分の剣を素早く抜くと一番手前で剣を構えていた男の後頭部に柄の部分を打ち付けた、と思う。
というのは、馬上から見ていたから、男の頭に柄を打ち付けたのは良く見えたけど、あまりの速さに剣を抜くところは私には全く見えなかったからだ。だいたい、向かい合って剣を抜いている相手の後頭部を打ち付けるなんて、どれだけ素早く動いたらできるのかしら。
男が地面に顔面から昏倒する前に次の男の剣が上に弾かれて今度はお腹を抱えてうずくまった。
ハインツの剣の柄が二人目の男のお腹に食い込んでいるが見えた。
一番後ろで、剣を構えていた最初に引き倒された男が真っ青になって震えると、叫びながら脱兎のごとく路地を逆方向に逃げ出した。
「あらら、仲間を置いて行っていいのかね。」
ハインツは倒れて意識のない二人を路地の端に寄せて、着ていた上着を脱がすと器用にそれで腕を縛り上げた。
「お嬢様もう、馬から降りて大丈夫ですよ。」
自分の馬を引き取ると私に声を掛けてくれる。
マダムの店の入口から恐る恐る若い娘が顔を覗かせる。ハインツが警備兵を呼んできてくれというと大きくうなずいて大通りに向って走っていった。
「ハインツ、凄腕だというのは本当だったのね!」
シエルが自ら我が家の警備に誘うほどの腕前だとは聞いていたけど、実際に戦っているところは初めて見た。
「え~、疑っていたんですか?傷つくなぁ~。」
全く傷ついていない様子で答えるので笑ってしまった。
「だって、あなたが訓練しているところも見たことがなかったのですもの。でも、血を流さないでくれてありがとう。」
「どういたしまして。じゃあ、警備兵が来たらこいつらを引き渡して、その後馬を裏に繋いでくるので、お嬢様は店に入って下さい。」
そう言って、私の馬の手綱も受け取ってくれたので、マダムの店に入ることにする。
「お嬢様!」
扉を開けて店に入るとマダムが心配そうに待っていた。
「こんにちは、マダム。大丈夫でした?」
さっき見た時、男に肩を掴まれていたので怪我はなかったのか心配だったのだ。
「はい、ありがとうございます!私は大丈夫です。お陰で助かりました!」
「あの人たちは?誰なんですか?」
「それが、良く分からなくて。たぶん、私が注文をお断りした誰かから頼まれたんじゃないかと。もしくは、お待たせしている注文か...。」
ということは貴族のご令嬢か奥様が?
「マダムの人気があり過ぎて、注文をお断りすることが多いからそれを気に入らないご令嬢が寄こしたんですよきっと!」
先ほど、警備兵を呼びに行ってくれた娘が戻ってきて憤慨するように言った。
「でも、私は商売人じゃなくてデザイナーとしてやっていきたいんですよ。だから、自分がやりたい仕事を優先したいんです!」
マダムが熱く語る。
「私はドルトン侯爵の令嬢が怪しいと思うんです。」
「こらっ!証拠もないのに滅多なことを言うもんじゃないよ!いいから、お茶を入れて来ておくれ。」
ドルトン侯爵?聞いたばかりの名前が出てギクッとする。
「すいません、お嬢様。とても仕事ができていい弟子なんですけど、私のことを心配してくれてつい口を滑らしただけなんで。全くの想像でしかありませんから。」
マダムがすまなさそうに謝ってきた。
「いいえ。警備兵が取り調べてくれたら犯人の身元も分かると思いますから。」
「はい、そうですね。それより、そちらのお屋敷のマリーとサンドラには色々と若い世代の意見を頂いてありがとうございます。うちの弟子たちとも話が盛り上がって楽しそうでしたし、私も色々なひらめきが出てきて。お嬢様をイメージしてお作りしたドレスが10着ほど2階に用意してありますのでありますのでぜひ見てください!」
10着?!そんなに?
結局10着全部着せられて、今回は昼間のお茶会に使えるようなそれほど華美ではないドレスをその中から半分に絞ってお願いした。
疲れたわ...。マダムはとてもいい方だけどなにぶん芸術家気質な方だから、一着試着するたびに、そのドレスのコンセプトを熱く説明してくださるからなかなか先に進まない。マリーは手直しをすればと言っていたけど、直すところはほんの少しでどちらかというとマダムの話の方が長かったわ。
やっと終わって1階に降りた時には、ハインツが椅子に座ってうたた寝をしていた。
物騒なこともあり暗くなる前に帰りましょうと起きたハインツに言われ、文房具店にはまた今度行くことにして店を後にした。