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日常の文学シリーズ

I am lonely.

日常の文学シリーズ③

 「Connection successful」

 流暢な英語の発音がイヤホンから聞こえた。見ていた動画の音声が一瞬とぎれ、スマートフォンの映像が一瞬止まる。その後、スピーカーから流れていた音声が止まり、耳にはめたゴムを通して耳に音声が流れ始めた。

どこぞの大企業が携帯電話からイヤホンジャックをなくしてしまってからというもの、すっかりワイヤレスイヤホンを使うようになった。最初こそ自社の新商品を買わせたい企業の策略に違和感を覚えたり、イヤホンにまで充電をしなければならないことにわずらわしさを感じたりしたが、使い慣れてくると邪魔くさいコードのストレスなく音楽が聴け、通話ができる便利さにどっぷりつかってしまった。逆にワイヤレスイヤホンのバッテリーが切れて、久々にコードのあるイヤホンを使うと、その可動範囲の短さや、コードが何かにあたってノイズが聞こえることに苛立ちを感じる始末であった。

 ワイヤレスイヤホンでいつまでも慣れない点がある。マイクや音量調節のボタンがついている部分から発される青色の光の点滅である。電源が入ったワイヤレスイヤホンは、音源の機体との接続が確認されると、つながったことを伝える英語が聞こえた後、青い光が点滅し始める。点滅は一定のペースで行われ、心臓の鼓動を思わせる。音楽を聴きながら暗い中を歩いていたり、暗いトイレの中に入ったりすると、青い光が目の前をちらつくことがある。何の光かと驚くと、自分の首にかけているイヤホンから発されているなんてことがよくあった。青い光が暗い画面に反射して驚いたこともある。最近では目がその青い光の点滅に慣れてしまい、イヤホンをつけていない時でさえ視界のどこかに青い点滅が見えるような気がしてしまうこともあった。

 ワイヤレスになったおかげでスマートフォンの置忘れも減った。スマートフォンとワイヤレスイヤホンがつながったまま、一定以上距離が離れると、イヤホンはデータを受け取ることができずに接続が切れてしまう。すると急に音声が途切れるので、自分がどこかに携帯を置いてきたことがわかる。

 コードレスになったことでイヤホンの着け心地は格段に向上した。一日中イヤホンをつけていることも珍しくなくなった。外を出歩くときはもちろん、眠るときにすら何か音を流しているようになった。むしろ風呂などイヤホンを外さなければならない時に、言い知れぬ寂しさを感じるほどであった。流している音は音楽でも動画でも、誰かのラジオの声でもなんでもよかった。何かを聞いていないと不安になっている自分がいた。

 最近では携帯の充電も、コードに接続するのではなく、かざすことで充電ができる充電器も発売されている。そのうち残り一つとなった充電用の穴も携帯電話から失われるかもしれない。つながることへの物質的なわずらわしさは徹底的に排除され、すべては目に見えない電波のやり取りに代わって、つながりやすさはどんどん向上していく。そんな時代なのかもしれない。

 イヤホンの電源を入れて電車に乗った。偶然席が空いていたので座る。ポケットから携帯を取り出して、数分前にも確認したはずのSNSをもう一度確認した。その後、動画再生アプリから適当な動画を再生する。見たい動画があるわけではなかったし、選んだ動画は何度も見たことがあるものだった。ユーチューバーが知人の誰かにドッキリを仕掛けるくだらない動画だ。なぜこんなものを見るのかという問いに、僕は明確な答えを出せない。ただ、誰かが話しているのを聞いていたかった。世界が無音になっていることが、脈絡のないノイズにのまれることが嫌だった。実は世界が自分には無関心であることに気づかないようにしていたのかもしれない。

 ふと今日のゼミの発表で使う資料をちゃんと持ってきたか不安になったので、確認するためにカバンをまさぐる。携帯はポケットにしまった。その時もイヤホンからは楽しげな笑い声が聞こえている。何度も見た動画なのでセリフも大体覚えてしまっている。コメント欄に書かれた印象的なコメントだって思い出せる。にもかかわらずまた再生してしまっているのはなぜだろうか。見たことがない動画を見ることに対して、なぜか抵抗があるのは何なのだろうか。画面をタップするだけで、少しスクロールするだけで、新しい世界が広がっているかもしれないのに。もっと自分の好みに合った動画や、新しい知識が得られるかもしれないのに。初見の動画よりも一度見たことがある動画を選んでしまうのはなぜだろう。新しい情報に触れることへの億劫さがあったのかもしれない。同じ投稿者であっても新しい動画や楽曲を視聴することで、その投稿者へのイメージが崩れてしまうことを恐れているのかもしれない。

 カバンの中にファイルに入った資料の束を見つけ安心する。この後の授業での発表に備えて一度目を通す。資料を読みながら何度か頭の中でしゃべるセリフを思い浮かべる。電車が止まったのでふと目を上げると降りる駅についていた。急いでカバンをもって、電車から降りる。扉が閉まって電車が走り出した瞬間、イヤホンからの音が途切れた。電波が悪いのだろうかと、ポケットをまさぐる。携帯がない。電車の中に落としてきてしまったらしい。

 振り向くと電車はもう遠くにあった。もう遅かった。とりにいかなくては。どうすればいいんだろう。さすがに緊急停止ボタンを押すのはまずいか。とりあえず駅員に相談しないと。…そんな現実的な心配をする。その一方で、イヤホンから音が流れなくなったことで、聞こえるようになった様々なノイズに驚いた。音の大きさだけで言えば先ほどまでイヤホン内に流れていた音の方が圧倒的に大きかったはずだ。だが、ホーム内にあふれる様々な小さい音が、とても大きく耳障りなものに聞こえた。サラリーマンの革靴のこすれる音、駅の構内放送、上司と部下に見える二人の会話、電話越しに話す女の人、無秩序に脈絡なく響き渡る様々な雑音は、ただの耳栓となったイヤホンのゴム越しでもうるさく感じられた。多くの人々の声や音が僕を無視して貫通していくのを感じて、自分がどうしようもなく一人であることを実感させられた。

 イヤホンを見ると、ライトの点滅パターンが変わっていた。いつもの青い一定の点滅ではなく、赤と青の光が交互にチカチカと光っていた。何が起きているのか理解できず、必死に接続できる機体を探している。その必死な様子は、唐突に孤独に放り込まれ、どうしていいかわからずに焦っているようであり、怯えているようでもあり、すなわち今の僕そのものだった。

 耳についたイヤホンはしばらく点滅をつづけたが、結局どこにも接続できなかった。

「Power off」と無機質で寂しげな声でつぶやいた後、電源が切れた。

僕もこのまま動かなくなるまで、つながる相手を探し続けるのだろうか。


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