屋根の上
お隣の家の屋根に変なやつがいるようになったのです。
確か前の冬からです。冬の私の居場所といえば、おうちの中で一番日の当たる窓辺なのですが、そこからはお隣の屋根が近いのでよく見えるのですよ。
やつは人の形をしていましたが、どうもその辺の人とは違う感じがしていました。というのも、屋根に上った人というのは、せわしくも屋根を叩いたり剥がしたり、別な板をわざわざ持ち込んで載せてはまた叩いたり、動き回った挙句に疲れた様子で降りてゆくものですが、そいつは屋根の端っこに座り込んだまま、じっとしているんです。
はじめのうちは私、ようやく人も屋根でのんびりすることを覚えたか、わざわざ得意でもない屋根登りなどして動き回って危なっかしく降りることの馬鹿馬鹿しさにようやく気付いたかと思っていたのです。
でも。
やつは人ではありませんでした。
その佇まいは、人というより、あの卑しきカラスどもに似ていました。
それに、屋根の下に住まう人々を見下ろす様子はたまに現れるアオダイショウのように薄気味が悪かったのです。
姿形は人とそっくりなんですけどね。
でも全身真っ黒な服で、真っ黒なマントを頭から被っているんです。顔は全く見えません。
そいつを始めて見た日、お隣の家のお父さんが帰ってきたらしいです。人目をはばかるように早朝、車でやって来ると家族に支えられて家の中に入って行ったとか。
うちの人たちが言うには、遠くで働いていたお父さんが、病気になって帰って来たのだとか。ビョウインとやらにはもう行っても手遅れなんだって。
それから5日ほどすると、お父さんは亡くなりました。
それからさらに何日か経ちましたが、屋根の上のあいつは変わらず、お隣の人々の様子を見ているみたいでした。
ある日、お隣さんちが騒がしくなりました。まだ小さなお嬢さんが車に轢かれたらしいのです。
お嬢さんはそれきり帰りませんでした。
新年が来ました。
あいつは変わらずお隣の屋根にいました。
お隣の家がボロボロに見えるようになっていたことに、私はこの頃気が付きました。うちより大きくて立派な建物のはずだったのに。仲間に言うと、皆そうだねと頷きました。人が住んでいるように見えないね、とか、家の人が外に出ているのを見なくなったね、カセイフのミネタさんが私たちにおやつをくれることもなくなったね、なんてことも話しました 。
人には、屋根の上にいるあいつのことは見えていないらしいことも聞きました。そういえばうちの人たちも、あいつについて話しているのを聞いたことがありません。私たちにはあんなにはっきり見えているのに。
それからさらに時が経ち、外が少しずつ暖かくなってきました。
お隣に人の出入りがあり、少し賑やかでした。
私を抱っこしたお母さんと、行ってみたんです。
お隣さんは引っ越しをしていました。
大きなおうちなのに荷物は少なく、お隣のお母さんは殆どのカザイを売り払うのだと言っていました。オカネがないそうです。
私にはよく分からない話なので、ひとりで庭に行ってみました。
庭からは、カセイフのミネタさんが家の中でゴミの袋に色々なものを入れているのが見えました。
ゴミの袋はうちでも使っているから分かります。外に出しておくと、大きな車の人が来て、車に積んでいなくなるんです。さっきの話はこのことだったのかもしれません。
私は開いたガラス戸から、中に入ってみました。
その時、カセイフのミネタさんが、人形を手にしました。私にはその人形がとても悪いものに見え、カセイフのミネタさんに襲いかかろうという風に思えたのです。
私は駆け寄り、人形に飛びつきました。
カセイフのミネタさんが驚いて人形を落としました。
大きな音がしました。見ると、人形は首のところでふたつに割れていました。
怒られる、と私は思いました。でも違いました。カセイフのミネタさんは驚いた様子ながらも、私を撫で、
「あんたもこの人形が嫌いなの? 私も」
そう話しかけてきて、続けました。「旦那さんが現地で買ったからって飾っていたけど、どうも気色悪かったんだよ。いつも見られているみたいだし、可愛げもなくて。それにこれが家に来てから、旦那さんもお嬢さんもあんなことになって‥。丁度いいや、壊れたからって捨てちゃおう」
カセイフのミネタさんは、本当に嫌そうに人形をつまみ上げ、ゴミ袋に放り込みました。
「そうだ、これで最後になるけど、煮干しをあげるよ」
そう言い、カセイフのミネタさんが奥に消えると、私はゴミ袋の中を覗き込みました。気になったのです。
すると中に、あいつがいたのです、屋根の上にいつもいるあいつです。
首が取れたあいつは、私を睨み付けてきました。私は迷わずやつの頭に爪を立て、噛み付いてやりました。
ギャーという叫び声がし、あいつの姿はさっきの人形になっていました。
「あらら。よほどこの人形が気に入らなかったのかい?」
カセイフのミネタさんが戻って来ると、言いました。「袋がボロボロだよ。でもなんか、私までスッキリした気分になったね」
割れた人形からはもう、悪い感じはしません。
私は煮干しを食べ、庭に出ました。
お母さんが私を呼ぶ声が聞こえたので、行ってまた抱っこされました。
お隣の家はリフォームして人手に渡るはずでした。
でも数日後にやって来た知らない人たちが、前に見たより綺麗だからリフォームは要らないと言っていた‥と、仲間から聞きました。
もしかしたら、お隣さんがまた住むようになるかもしれない。私はそう思っています。屋根の上のあいつがいなくなってから、そんな気がしているのです。
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