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第三話 「母は強し」

 第零話のおごり云々のくだりのところで、相手が『ヤツ』から足立くんに変更されています。

 日付は変わらず三月十四日。時刻は午後十時三十四分。

 

 俺は現状の説明を求めるために、スマホの電話帳からある名前を選び出し、お電話を差し上げていた。


 早く出てくれ頼むからお願いしますよ寒いんだからあ・・・。


 何度かコール音が響いた末に、やっとこさ、目的の人物の声が聞こえた。


「よお、こんな時間になんのようだバカ息子」


「おいこら説明しやがれ悪魔」


「そうかわかった、明日から仕送りはなしだ。精々飢えに苦しめ」


「ちょっと待ってえ!?」

 

 さすがは悪魔、やることがえげつない・・・!


 末松書店は、仕事がほぼない分それ相応のお給料しかいただけない。いやあれで給料もらえてる時点でどうかしてる気はするんだけれども。

 ともあれ稼いでいるお金が少ない現状、新たなバイトに手を出す気がさらさら無い俺にとって、仕送りなしと言うことはすなわち死刑宣告と同義である。


 この鬼!悪魔!魔女!山姥!


 思いつく限りの罵倒の言葉を、感情にまかせて吐き散らかしたいのはやまやまだが、なんとかせき止める。言ったらそこで俺の大学生活は終幕だ。

 

「ち、違うよマイマザー!あ、熊って言ったんだよ!あ、熊って!今要がみてるテレビに熊が映っててさあ!」


 電話しているバルコニーからは角度的にテレビの内容はわからないが、我が物顔でソファーにふんぞり返っている、無表情が標準装備の要の口元が緩んでいる。そこから推測するに、画面には何かしらの動物が映し出されている可能性が高い。


 我ながら惚れ惚れする言い分だ。


 いくら狡猾な悪魔だろうとこれならば誤魔化せるはず。


「そうか」


「うわあ、すげえどうでもよさそう・・・」

  

 誤魔化す云々以前に相手にしてもらえませんでしたね。

 今日は風が無くてよかった。あったらもう今頃俺の心は冷たい反応と冷たい風が融合した猛吹雪に晒され、カチコチに凍って砕け散る一歩手前だったろう。


「ところで童貞、一つ賭けをしようじゃないか」


「なに急に!?」


 なんなの!?童貞だからなんだって言うの!?凍りかけていた心が今度はメラメラと燃え上がって来ましたよ!?やんのかゴラぁ!?急激な温度変化でどっちにしろ砕け散りそう!


「要がみているテレビに映っている物を的確に言い当てられたら私の勝ち、外せばお前の勝ち。どうだ?」


 ・・・いやあの、どうって言われましても。

 

「話が急すぎてついていけないんですけど・・・」

 

 ていうか前提として熊と言う可能性は排除されているんですかそうですか。

 息子をもう少し信頼してもいいじゃない・・・。


 そもそも賭けったって、何を賭けるおつもりなんでしょうか?俺はそんな大層なものの持ち合わせはないぞ。


「私が勝てば、当分の間、要と一緒にそこで暮らしてもらう。反論も妥協案も一切受け付けない。お前が勝てば、何か一つ、欲しいものをくれてやる」


「ごめん、聞き取れなかったからもう一度言ってくれません?」

 

 ・・・どうやら耳がイカれちまったらしい。

  

 要と二人暮らしとか言う幻聴が聞こえてくるんだもん。こりゃ相当やばいな。早い内に耳鼻科行かなきゃ。ついでに精神科にも行っとこう。お薬くださーい。


 よし、今度こそ一句一語も聞き逃さないぞ。

 さあばっち来い!


「二度は言わん。お前に聞こえたものが全てだ」


 ・・・冗談だろおい。


 要と一緒に住めって?俺がなんのために一人暮らしを始めたと思ってるんだ?


 こんなバカみたいな賭けに乗るわけないだろう。断固拒否する!


「ああ、何か勘違いしているかも知れないから言っておくが、お前に賭けを拒む権利は無い」


 悪魔があぁ!?

 ざっけんなよ理不尽とかいう次元じゃねえぞそれでも母親かこんにゃろう!?



 待て待て、後ろ向きになるな。まだ悲嘆に暮れるには早い。


 

 この勝負、圧倒的に有利なのは俺だ。

 相手は言い当てるべき物が有機物か無機物かすらわからない状況。選択肢は星の数ほどある。おまけに全くの偶然だが、あ、熊と言うのも良いブラフになっている。


 この条件で負けることの方が難しい。


 だがしかし、相手は悪名高き悪魔だ。警戒するに越したことはない。


「・・・二つ聞く。一つ目、今あなたの側にテレビはありますか?」


 同じ番組をみているなんてことになったら単なる出来レースだ。不公平極まりない。

 この勝負には俺の人生がかかっていると言っても過言では無いのだ。慎重に事を進めるに限る。


「いいや、ないな。なんなら重要(しげとし)に聞いてもらっても構わん」


 質問自体を拒否されないか心配だったが、よかった、どうやら許してくれるらしい。


 母が父の名前を出すときは、絶対に嘘をついていない証拠だ。

 だから本当に、近くには無いのだろう。

  

 なれば次は、勝ちを拾った後のことだ。

 欲しいものを一つというのは、とてもじゃないが曖昧模糊すぎる。

 何をどこまで叶えていただけるのか、把握しておかなければ。


「わかった、じゃあもう一つ。・・・俺が勝った場合、新しく部屋を用意してもらう事は出来ますか?」

 

「ふむ・・・いいだろう」


 よおし、いつになくすんなり許可が下りたのが気になるところだが、これで残るは勝つだけだ。


 この様子だと、母の中でも要の中でも、ここに住むことは確定事項なんだろう。

 俺は要に出て行けなんて、口が裂けても言えない。だから要と離れる為には、ここ以外のどこかに移り住むしかない。しかし大学に通うのに、実家からだとちと距離がある。新たな住処を手に入れる以外、平穏な日々を取り戻す術はないのだ。最悪苦学生生活を送る覚悟だったが、どうやらそれは避けられそうだ。


 親のすねかじり最高!


「質問は終わりか?それなら早速始めよう」


「っしゃこいやオラあぁ!」


 と意気込んでみたものの、これ俺やることなくね?要に確認取るくらいか?


「では断言する。画面に映っているのは・・・」


 映っているのは・・・?


 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・。


 え、何この間は・・・?


 そんな正解したらお金が貰える番組とかじゃないんだから早くして!?

 無駄に緊張するんだけど!?


 たっぷり一分。

 間を開けた母が出した回答は、俺には聞き慣れない無いものだった。



「プレーリードッグ」



 ・・・ぷ、ぷれ、なんだって?

 なにそれ、ドッグてついてるから犬かな?気になるな。後で検索検索。


 しっかしこれは・・・。


 ふふ。

 ふふふ。 

 

 勝った!

 

「さ、とっとと要に確認するといい」


「ほほう?余裕ですねえお母様?」


「うるせえ早くしやがれ」


 ほほほ、俺には見える。怒りの感情に混じった焦燥の念が!

 他にも無難な答えなんぞごまんとあるだろうに、まさかプレーリードッグなどというドマイナーな選択をするとはなあ! 

 残念だったな母よ。今回こそは俺の勝ちだ!


 意気揚々とバルコニーの窓を開け、ふにゃふにゃした顔の要に声をかける。


 ・・・ちっくしょうめたくそ可愛いなおい!


「か、かなめー?いまテレビになに映ってるー?」


「ん・・・?なんで・・・?」


 疑うように目を細めてこちらを睨んでくる要は可愛い。ほんと可愛い。何よりも可愛い。

 肩口で切り揃えられた黒紅色の髪が可愛い。いつも眠たげな睫毛の長い目が可愛い。すっとした上品な鼻筋が可愛い。ほんの少しふっくらとした桜色の唇が可愛い。風呂上がりの湿った髪が可愛い。モコモコのパジャマ姿が可愛い。小ぶりな胸も可愛い。健康的ですらっとした足も可愛い。



 そうか、天使はここにいたんだ。



 ・・・まずい、要を直視すると思考が可愛いに汚染されてしまう。こんな状態で会話なんぞ成り立たんぞ。二言目には確実に可愛いって言う。これじゃキャッチボールではなく投球練習だ。因みにボールは危険が無い発泡スチロールで出来たハート型のやつ。あ、絶対ミッドに届かないわこれ・・・。


「い、いや、ずいぶんと嬉しそうにみてたから何が映ってるのかなあって」


 要を極力視線に捉えないようにしてなんとか答えた。


「え・・・」


 自分が笑顔を浮かべている自覚が無かったのか、顔をこね始める要の姿が横目で確認できる。

 そんなことしても君の表情筋は発達しないとは思うのだけど。幼稚園の頃から笑顔をこらえる事だけは苦手だものね。他は何をやらせても直ぐにコツを掴んで、誰よりも上手くなるのに笑顔だけは抑えられないもんね。

 そんなところも凄くかわ・・・しまった凝視してしまった!?


「か、要さん?ジャムおじさんの真似もいいんだけど、映っていたものがなんなのか早く教えてくれると嬉しいかなあ?それでお兄ちゃんのアレが色々アレしちゃう可能性があるからさ?ね?」


「相変わらずバカだねアニキ」



 ・・・アニキ、かあ。


 結構、心に刺さる物があるなあ・・・。

 もうお兄ちゃんとは呼んでくれないかあ・・・。


 そりゃあ彼氏が出来れば心情の一つや二つ、あっさり変わるかあ。いつまでも兄離れしないわけにもいかないもんなあ。


 ・・・いや、なに落ち込んでるんだ。歓迎すべき事柄だろうに。



 とにかく今大事なのは賭けの結果だ。どうせ勝ちなんだ、要とはまた暫く顔を合わせることもない。


 

 元気そうな姿を確認できただけよかったじゃないか。


 まあとりあえず一週間くらいなら、まだいい兄でいられるはずだ。

 母のことだ、その間に新しい部屋も見つかるだろうし。

 久しぶりに兄妹水入らずの時間が持てるんだ。ここ一年で積もった話でも語り合おうじゃないか。悩みがあるなら相談にだって乗ろう。


 そうだ、それが普通の兄妹ってもんだろ。


「一年でバカが治ったら苦労しねえよー。ほら早く!あんさーぷりーず!」


「えぇ、何そのテンション・・・。まあいっか。私が嬉しそうにしていたっていうのはよくわからないけど」


 あ、それ認めないのね。可愛い。


「今みてたのは」


 さあ帰ってこい俺の平穏よ。そして願わくば永遠に揺るがないでいてくれ。


「プレーリードッグだよ」


 ・・・。

 

 ・・・・・・ウソお?


 ・・・・・・・・・ウソだあ? 


 ・・・・・・・・・・・・そんなことあるう?





 普通に負けた・・・。


 



 少しの間呆然としていたが、忌々しき勝者がしびれを切らすと何をしてくるかわかったものではないので、渋々無残な結果を伝えるために、再びバルコニーへと重い足を動かす。



「あれ?電話終わってなかったの?」


「・・・・・・うん、ちょっとお兄ちゃんのアレがアレみたいだから」


 可愛らしく小首を傾げる要に目線が吸引されるのをプラスチックの意思で押さえつける。動揺した状態で、背を向けたままバルコニーの窓を閉めるのは、至極難易度が高いことを知った。




 どうして、こうなった・・・。



---

 一時間前。


 思わぬ想い人の襲来により、一時的な思考停止に陥った俺を再起動させたのもやはり、心配そうにこちらを見下ろしている想い人であった。


「アニキ、一旦立って。起立!」


「え、は、はいっ!」


 アニキという呼び方に一瞬戸惑ってしまったが、愛する妹様の命令に逆らえる俺ではなく即座に直立の姿勢を取った。俺と頭一つほど差があった身長は一年前とそんなには変わってないように思える。いや、俺も数センチ伸びていたから気がつかないだけかな?


「どれどれ」


「ん?・・・ちょ!?」


 気をつけをしている俺にそそくさと近づいてきた要は、俺の側頭部に手を伸ばしてきた。

 えっ、なんかふわっとかほりが!凄いええかほりがあぁ!!ちょ、やばいやばい待って近いからお嬢さんオオカミの前に無防備で近づいてくるなんて何考えてんのよお!?

 

「んー、だいじょぶそう?」

 

 首をこてんと傾げつつ撫でないでそれは反則お願い静まって我が両腕っ!!


 抱きしめたくなる衝動を、舌をかみちぎる勢いで噛んで耐える。


 うん大丈夫だから!もうほんと頭の痛みとかとうに消えて無くなったから!どっち勝っていうと今は舌がめっちゃ痛いかな!ってマジで痛たくねこれ!?頼む早く離れてくれ妹よお!!


 何分にも何時間にも感じる、拷問ともご褒美とも取れる妹のなでなで攻撃が終わる頃には俺の精神は疲弊しきっていた。

 実際には五分と経っていないはずなのに、なんて破壊力なんだ・・・。妹、恐るべし・・・。

 戦々恐々とほんのり満足げな妹を眺めていると、何かを思い出したのか、一歩下がって微かに破顔した。


 俺には、要の周りに、桜の花びらが舞っているように見えた。


「久しぶり、アニキ」


 また、しばらくその場から動けなくなってしまったのは言うまでも無い。



 それから、ここではなんだととりあえず部屋の中に入り、彼女に何故ここにいるのか尋ねたのだが、アニキの顔が見たくなって、とかなんとか冗談ばかりで要領を得ず。

 思わず踊り出してしまいそうになったのは内緒だ。

 仕方ないので、出かけようとしていた目的を聞くと、なんでも歯ブラシを忘れたからコンビニまで買いに行こうとしていたらしい。

 こんな時間に一人で出歩こうとするなど言語道断!

 買い置きの歯ブラシがあることを教えると、本来入ろうとしていたというお風呂に直行。

 時折聞こえるシャワーの音にそわそわそわそわしながらも、テレビをつけて近所迷惑にならない程度に音量を上げて対処。


 そして風呂上がりの要は・・・。


 あれはやばかった。とにかくやばかった。


 キャミソールにホットパンツ姿で出て来るとは夢にも思わなかった。


 直ちに脳内メモリーに永久保存版として確保したが、近づくことはあまりにも危険だと判断し、バルコニーへ待避。


 母からこうなった経緯だけでも聞けないかと思い、電話を掛けた次第である。 


 そして、今に至る。 



 おかしいなあ、この一時間の内容が濃密すぎる・・・。




---



 ゆっくりと。ゆっくりとした動きでなんとか、右手に持っていたスマホをなんとか耳に当てる。


 なかなか口を開くことが出来ない。開いてしまえば始まってしまう。

 

 変わり続ける、日常が。

 


 ・・・いつも滅茶苦茶な癖に、こんな時だけ何も言わず俺を待っているこの母は、いったいどこまでわかっているのだろうか。


 妹に対して不純な感情を抱いている兄の所へ、張本人を送りつけるなど狂気の沙汰だ。


 やはり知らないのか?


 そりゃあ、誰にも言ってないんだから知らないのは当然のはずなんだが。


 この人に限っては、知らないなんてあり得ないとも思う。

 

 「・・・・・・ふう」


 深呼吸を一つして、心の準備を整え、やっとの思いで喉を震わせた。


「・・・・・・お聞きの通り、です」


「だろうな」


 ひどく淡泊な返答だった。こうなることをわかっていたのだろう。何を当たり前な事を言っているんだという感じだ。




 母、橘心大(みひろ)は超人である。


 父と籍を入れるまでは一流モデルとして世界を股に掛け、その後はデザイナー業に転職。日本のアイドルや女優に留まらず、ハリウッド映画の衣裳までもを手掛ける世界的なファッションデザイナーだ。


 言語は少なくとも五カ国語を話し、受注、生産、売り上げの決算、衣服に関する一切を一人でこなす。 

 尚且つ仕事は正確無比、母の作った服はちょっとやそっとでは破損しない。

 オーダーメイドを発注されるも、それが気に入らない相手であれば、例えハリウッド女優ですらも『イヤだ』と、一刀のもとに切り捨てる剛胆さも、人気を博す一因らしい。


 そんな母は、育児でも完璧だった。

 

 本来万人が休業を余儀なくされ産後のタイミングでも、天性の器用さで仕事と両立をやってのけ。俺がまだ手が離せない年齢の時、一ヶ月間の米国での仕事が入った際も、僅か三日で帰国。それ以降要が生まれて、小学校に上がるまでは海外での仕事は頑なに受けなかったという。



 そんな人の息子として生を受け十九年。


 手のひらの上から降りることが出来た例しがない気がする。

 常に予定調和の範疇。一泡吹かせてやろうと画策してみても、結局何等通用しない。常時涼しい顔。俺の前でそれが崩れるのは罵倒するときのみ。

 なにそれ質が悪い・・・。


「さて、これでお前は何も言えなくなった訳だが」


 今度こそ言葉が思い浮かばずにいると、母はそれを見透かした様に話を続け始めた。


「何一つ説明しないのはフェアじゃあないからな。いくつかヒントをやろう」


「はっ?」


 え、ヒントくれるの?

 てっきり母は今回、要の味方だとばかり考えていたから、予想外の反応だった。

 

 母はそうだな、と短く前置きすると本題を語り出した。

 

「まあぶっちゃけると、お前が一人暮らしの相談を持ちかけてきた次の日には、要がそこに住むことは決まっていた」


「はっ!?」


「ついでに言っちまうと、言い出しっぺは要だ。私達は関与していない」


「はあっ!?」


 あかん驚きで、はっしか言えてない。


 ここに住むって、要が言い出したって?


 それは、どういうことなんだ・・・?



 高校三年の夏、世間がお盆休みに入った八月の第二日曜日。


 

 要に彼氏が出来た日だ。



 同時に俺が志望校を今の大学に変更し、受かろうが受かるまいが一人暮らしをしようと決意した日。


 両親に相談したのはその翌日。ということは、その更に翌日には要は俺と同じ部屋に住むつもりでいたと?


 理解が追いつかない。


 要はどうして一人暮らしのことを知っていた?

 それよりもなによりも、せっかく想いが報われたのにわざわざ彼氏と離れたこの場所に住む利点はなんだ?あ、実は相手はこの当りに住んでいるとか?それなら筋は通るか?


 んー?


 てか凄いな要。中学二年の時点でここに住むって決めていたってことは、早い段階で進路が決まってたのか。さすが要。俺とはひと味もふた味も違う。


 ・・・・・・あ、閃いた。

 

 高校か!


 二人そろってこの近くの高校を受験したと仮定したらどうだろう。仲睦まじく、支え合い、助け合いながら切磋琢磨し、見事共に合格を果たしたのだ。そして、晴れて今春から高校一年生になるのに合わせて、ここに越してきたと考えれば全て丸く収まるじゃないか。


 なるほどなあそういうことかあくそったれ彼氏めえぇ・・・。


 ・・・いや待てよそれも変だな?


 なら一人暮らしでよくないか?自分で言うのもなんだが、要は俺なんかよりずっと両親から信頼されている。一人暮らしをさせて欲しいと頼めば多少反対されようとも、危ないから俺と一緒に住みなさいなんて事にはならずに了承されるはずだ。

 俺と一緒に住む方が遙かに危険。

  

 だいたいあの頃の要は、俺のこと避けてなかったか?


 俺も塾やらなんやらで忙しかったり、精神的なショックで顔を合わせ辛くて、話す機会は減ってしまったけど。それでも家にいるうちはいいお兄ちゃんでいようと、要の前では自然体で居たつもりだ。そしたら要の方が急に素っ気なくなったものだから、気分が更に深く沈んだことをはっきりと覚えている。

 

 彼氏が出来たことで、他の男との間に明確な壁を作ることにしたんだと思い込んでいたが。

 そんな時期に、俺との同棲を提案したのか?


 ダメだ、わからない・・・。

 

「あとこれは命令だ。四月八日の予定は開けておけ」


「・・・・・・はい?」

 

 思考の海に沈んでいた意識が思い切りサルベージされた。

 なんだって?四月八日?


「・・・なんかあるん?」

 

 警戒するに越したことは無い。

 思い返せば母がこういう言い方をするときは大概災厄の前兆だ。




 あれはそう、要が俺をバカと罵り始めた小学六年の秋のこと。


 歯科検診というものがあった。

 各小学校に歯科医の皆さんが遠路遙々いらっしゃって、大量のわんぱく児童の歯を片っ端からのぞき込んでいくという苦行だ。

 彼等の献身の末、不運にもミュータンス菌に蝕まれた歯を発見されてしまった場合、てめえ今すぐ歯医者行けやコラしばくぞ、という趣旨が記された紙、通称赤紙が配られる。


 俺にはピンクにしか見えなかった。


 そして誠に遺憾ながら、当時の俺は初めて赤紙をいただいてしまったのだ。


 焦った。得体の知れない不安に駆られた俺は、尋常では無いくらい焦った。

 焦りすぎて帰り道がわからなくなり、図書室で宿題を終えて後からやって来た要に、下校路のど真ん中で『ここここはどこわたしはだれ』などとほざく情けなさ。

 挙げ句何を血迷ったか、母に隠すという蛮行を犯したのだ。

 

 要に手を引かれて玄関を超えた先に待っていたのは、偶然にもその日は家で仕事をしていた母であった。出来上がったのは、無言無表情で手を差し出してくる母に対し、こちらも無言ではあるが、冷や汗がナイアガラの滝で必死に『え、なんのこと?』という意味を込めた引きつった笑みを浮かべる俺の構図。

  

 しばし続いた静かなる闘いに終止符を打ったのは、母が放った『明日の放課後は開けておけ』の一言。


 次の日、帰宅するやいなや問答無用で車に叩き込まれ、歯医者に連行された。


 あの身体の一部を削られる音と感覚は、今でも深く深く俺の脳に刻み込まれている。


 それからの俺は、治療して下さった歯医者さんに教えてもらった歯磨きの仕方を徹底した。二度とあの感覚を味わわない為に。恐怖を味わわない為に。


 その甲斐あってか俺の歯はいつも健康。虫歯なんてもはや幻さ。


 いやほんとに歯磨き大事。もし虫歯になっちゃっても放置とか絶対ダメ。速やかに歯医者行こう。初期の状態ならドリル痛くないから。先延ばしにしたらその分痛みと後悔が募るから。


 気づいたら、歯医者へ行こう、今すぐに。




 とまあ、このように母が事前に予定の確認をするときはいいことが・・・・・・あるね?あんるえ?これいいことじゃん。母上様超ファインプレーじゃん。


 おかしいな、そうなると今回もいいことが起こるはずなんだが。


 嫌な予感しかしないのは何故だ・・・?


「要に聞きゃあ多分わかるだろうよ」


 ・・・要関連かよ。


 うっわ聞きたくねえ・・・。どうすんのこれで彼氏君が実家に来るからお前も同席しろとかだったら。俺血反吐吐いて意識不明の重体になるよきっと?再起不能だよ?三途の川喜んで渡っちゃうよ?


「お前がアホくせえこと考えてんのは手に取るようにわかるが、いつものことだから見逃してやろう」


 ・・・いくら超人ミヒロでも独身術なんて眉唾ものを体得しているはずないだろう。


 え、ないよね?大丈夫だよね?不安だ調べよう。 


 やーいばーかあーほおたんこなすとしまー。今年でよんじゅーー


「殺すぞ?」


「すいませんでした」


 やべえマジだ・・・。

 うっそ人類っていつの間にかそこまで進化してたのすごい憧れる是非とも伝授していただきたく!


「・・・ったく、どこをどう間違ってこんなアホに育ってしまったのか」


「えへへえそれほどでもお」


「埋めるぞ?」


「なんでっ!?」


「キモいから」


「横暴!?」


 実の息子になんて物騒なことを。 

 待遇改善を要求する!じゃないとストライキ起こすぞストライキ!息子なんてやめちゃうもんねえ!やめて自由を手にするんだ!自由ばんざーい!

 ・・・あ、ダメだ大歓迎されそう。学費払わなくてすむし、仕送りもしなくてすむし、バカの処分も出来るしで、母からすれば一石三鳥。ストライキやめよう。自由もいらん。社畜ばんざーい!




「大切」


「っ!」



 前触れなどなく卒然と。


 たったそれだけ。

 

 ただ名前を呼ばれただけ。


 それだけで、背けようとしていた目を現実に引き戻され、気がつけば背筋を伸ばしている。


 無論、これは俺だけではなく万人に共通する事象だ。

   

 誰もがこの人に憧れる。誰もがこの人に魅入られる。

 


 カリスマ。


 

 橘心大を橘心大たらしめる最大にして最強の所以。



「お前次第だ」



 ・・・・・・どういう意味だ。


 どういう意味なんだ、それは。


 俺次第、だと・・・?

 

 

 ・・・どうしろってんだよ。

 


 これ以上、どうしろってんだよ!

  

 叶うことなら、結ばれたかった。許されることなら、側にいたかった。


 でもこの感情は異状だ。異質だ。忌避すべきものだ。

 

 だから俺はあの日、離別を選んだ。

 動機は・・・逃げるためのものだったが、俺の意思で選んだんだ!


 ・・・それじゃあ、ダメだってのか。


 逃げるなと、向き合えと、けじめをつけろと。


 あなたは、そう言うのか・・・。


「私からは以上だ」


 答えてくれる程、甘くはないことは知っている。


「八日、忘れるなよ」


 その言葉を最後に、電話は途切れた。



「・・・・・・わっかんねえよ、母さん」



 心から漏れ出た音は、三月の夜空に溶けていった。

 

 身体はとうに冷え切ってしまっていた。 




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