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第二話 「襲来」

 おやっさんこと、末松昌三(すえまつしょうぞう)が営む末松書店は、歴史あるこじんまりとした本屋だ。確か今年で創業九十三年、おやっさんでちょうど五代目。

 なんでも末松ひいひいじいちゃんが趣味で本を集めていたのがきっかけらしい。それが徐々に収まりがつかなくなり、見かねた末松ひいひいばあちゃんが、『売ればいいんじゃね?』ってなったことが始まりだとか。


 なんともまあ、そんなかるーく始まった事業が一世紀も続くことになるなんて世の中わからないものだ。


 ただ、由緒正しきお店だからといって、千客万来かと言われると首をかしげざるを得ないが。


 日の売り上げは多くて数十冊。少ないときは片手の指数本分で事足りる。これが最近始まった出来事ではなく、開業当初からずっとだと言うのだから驚きしかない。


 当然、如何にして経営を成り立たせているのか疑問になり、おやっさんに聞いてみたことがあった。 

 

 なにか怪しげなカラクリでもあるのでは、という不安にかられた俺は、ひじょーーに心苦しい気持ちを抑えつつ、怒鳴り声を上げ、胸倉を掴み上げてまで問いただした。


 多少粘るかと思いきや、ホシは思ったよりもあっけなく吐いた。

 

 まず四十七にはみえない若さと、優しさを具現化したような顔を、苦しげに真っ赤に染めて助けを乞う彼が言うには、この書店は副業であって、本業はまた別にあるらしい。


 なるほど、確かに副業であるならば利益を求める必要もあまりないかと納得しかけたが、今度は利益が雀の涙ほどもないこの本屋を、維持できるほどの本業とはこれ如何にと思い始めた。


 しかしこちらは余程言いたくなかったのか、ホシは怒鳴り声にも胸倉ぐいっ、にも耐えて見せた。一時間ほど繰り返しても口を割らなかったので、伝家の宝刀、カツ丼を作ってみたのだがこれにも動じず。

 とても美味しそうに平らげてしまっただけだった。


 上手く作れていたようで何よりである。


 以降、様々な形でアプローチを繰り返しているが、未だ決定的な証言を得るには至っていない。



 さて、そんな末松書店は今日も今日とて閑古鳥がぴーちくぱーちくむせび鳴きまくっていた。

 

 もう暇。ほんと暇。すっごく暇。

 暇という漢字を分解してロボットに出来ないかとか考えちゃうくらい暇。


 オシャレな音楽が流れている訳でも無く、店奥から響く夕飯の準備の音と、俺の腹が奏でる地鳴りを連想させる爆音以外は一切聞こえない。


 あ、そういえば今日は起きてから何も食べてないんだった。


 もはや必要性の感じないレジカウンターに座り始めてから、かれこれ一時間が経過。その間、お客様の姿は陰も形もない。

 そればかりか本日の客数はなんと、午前中に六人、午後俺が来るまでに三人、計九人。末松書店は午後十時まで営業している仕事熱心なお店なのだが、あと二時間で何人いらっしゃるのやら、大変気になるところである。


 「おつかれさま大切くん。ご飯できたけど今日は食べていくかい?」


 そろそろ三体目のロボットが完成するという段階で、おやっさんの声がかかった。


 夜からのシフトの時は大抵夕飯のお誘いを受ける。

 店の奥にある長いのれんの先は茶の間になっていて、普段はそこで休憩をとったり、ご飯を食べたりするのだ。


「あ、じゃあお言葉に甘えて・・・」


「そりゃよかった、店番はいいから上がっておいで」


 もちろん断る理由も無いので、ありがたくお受けしておく。家に帰ってから何か作るのも面倒だし、なによりも、おやっさんの作る料理はとても美味しい。

 

 靴を脱いでのれんをくぐると、味噌汁の香りが鼻をくすぐった。中央のちゃぶ台に用意された今日のメニューは、白米に焼き鮭、ワカメと豆腐の味噌汁に、ほうれん草のおひたしと、これでもかというくらいの和食づくし。

 マジ和食最高。てか日本食最高。日本食は世界でもトップレベルだと思うんだ。やっぱりしょっぱいという文化があると無いとでは雲泥の差があるよね。修学旅行で唯一修学した儀である。


「さ、食べようか」


「はい、いただきます」


 唐突だが、俺は三角食べが出来ない男である。不器用なのかなんなのか、味噌汁が出て来ると、最初に全て飲み干してから、白米や他のおかずに手をつけ始めるのだ。

 今日もそれを矯正するつもりなどなく、味噌汁からかっ込む。

 程良く効いた出汁とワカメの香りが絶妙な味わいを醸し出している。そこへ豆腐の食感も合わさって。


「うんまっ!?」


「そうかい?大切くんはなんでも美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるよ」


 嘘偽り無い賞賛に、おやっさんは嬉しそうに頷いている。


 イケメン、家庭的、大人の包容力、おまけに実はお金持ち疑惑を含めてとことん隙の無い構成要素である。俺が女だったら五秒待たずして骨抜きにされる自信があるね。いや逆にこれに惚れない女性がいるなら是非とも意見を聞かせていただきたい。


 味噌汁を飲み干し、鮭を咀嚼しつつぼーっと考えていると、おやっさんはでもと続けて、


「大切くんが作ってくれたカツ丼も美味しかったけどね?」


「その節は大変失礼なことをいたしましたごめんなさいどうかご容赦をこの身に出来ることならばなんでもいたしますのでクビだけは、クビだけわあ!!」 


 持てる力の全てをもって土下座した。


 本来ならばあの日、即辞めさせられていてもおかしくない行いだったはずなのだが、そこはこの優しさの化身とでも言うべきおやっさん。

 地べたに這いつくばって頭を擦りつける無様な俺を『んー、そうだなあ。あ、じゃあそのうちお願いを一つ、聞いてもらおうかなあ』という慈悲深いお言葉で許して下さったのだ。


 なんという慈愛の心。何かしらの女神が乗り移っている可能性すらある。


「あっはっは、クビだなんて。大切くん命令無料券を持っている僕がそんなことするはずないだろう?」

 

 そんなことなかった。急に鬼か悪魔の類いに見えてきた。


 ・・・あのお、たいへんご機嫌なのは結構なのですが、私めは一体全体何をお願いさせられるのでしょうか。


 あれかな?上げて落とす感じで、やっぱり君クビねってなるのかな?しかもクビはクビでも頭と胴体分離する方だったりして。

 いやあ、おやっさんが、裏社会の重役とかだったら十二分にあり得る話なんだよなあ。

 ははは。


 いっそやられる前にやるか・・・?(乱心)


「ふう、冗談はこれくらいにして、大切くん、娘とは会えたかい?」


「・・・え?あ、いやまだですけど。ていうかいつも言ってますけど、会わせたいなら名前くらい教えてくれてもいいじゃないですか」


 ああ、言うまでも無く、おやっさんは既婚者である。左手の薬指には常に、シンプルなデザインのマリッジリングがはめられている。大層愛が詰め込まれていそうで、うらやましい限りだ。

 さらに子供が二人。女一人、男一人の陣容だ。息子さんは俺と同じ大学生で、手が空いているときはこの書店を手伝いに来ているので、何度か顔を合わせたことがある。


 彼を一言で表すならあれだ。 


 男の敵。


 これに尽きる。


 いや、だってイケメンなんですもの。ものすっごくイケメンなんですもの。そりゃこんちくしょう!って気持ちになるのは何もおかしな事ではないでしょう? 

 平等!?なにそれ美味しくなさそうだね!?


「いやいや、それだとほら、運命を感じないかもしれないじゃないか」


「何言ってんだこの人」


 そして娘さんの方だが、なんとうちの大学に通っているらしいのだ。


 おやっさんと会えば必ず聞かされる娘さんの自慢話の最中、不意にうちの大学の名前が出て来たもんだから何気なく『マジすか、俺もその大学通ってるんですよー』なんてつい口走ってしまった。


 その瞬間、おやっさんの澄んだ瞳の奥が怪しく光ったのを俺は確かに見た。さながら、サバンナのチーターがガゼルを見つけたときの様な目だった。なにそれ足速い逃げられない怖い。


 それ以来事あるごとに、娘とは会ったか、娘は美人だろう、足の裏にほくろがあるんだぞ、などと娘さんを意識させるようなことは言うくせに、当たり障りの無いことばかりで、肝心な事は一切言わないのだ。

 

 どういうつもりかと思えば、あろうことか運命と来やがった。


 俺のようなジミーのどこをそんなに気に入ってしまったんだあんたは・・・。


 これが近所のおっさんとかならシカトなりなんなり、対処は可能なんだが、おやっさんには全力でお世話になってしまっている。ないがしろにするわけにもいかない。


 だけど俺は、『あいつ』が幸せになるまではそういうのは・・・。


 

 ・・・少し、胸の奥が痛んだ。


 

「・・・おや?ほうれん草は口に合わなかったかい?」


 僅かな表情の変化も見逃さないのも、おやっさんの凄い所だ。


「いえいえ美味しいですよ。・・・ただ」


 おやっさんになら、話してもいいかなとも思う。


「・・・いや、なんでもありません」


 思うが、それには多分、時間がかかる。



 ほんとは、わかっているんだ。


 『あいつ』の幸せを、なんてのはただの綺麗事だ。


 一人暮らしを始めたのだって、離れた方が『あいつ』のためと言えば聞こえはいいが、要するに、傷つくのが怖かっただけだ。



 誰か、俺ではない男に笑いかけるのを。頬を赤く染めて、決意の籠もった凜々しい表情で、想いを告げるその姿を。


 俺は、もう二度と見たくなかっただけなのだ。

 


 あれから一年と半月が経とうというのに、『あいつ』への想いはまだ、蓋がされた釜の内側で、溢れ出るのを今か今かと待っている。


 煮えたぎったそれが冷める瞬間は。


 もしかしたら、一生訪れないのかもしれない。

 


---------- 


   

 寒さのピークを過ぎたとしても、三月の夜はまだ冷える。


 せっかくの美味しい晩ご飯で身も心も暖まったというのに、これでは家に着くまでに冷え切ってしまうではないか。

 いや、おやっさんの優しさという温もり分で、心の方はなんとか保ちそうかな?


 夕飯をきれいに残さず食べ終わった後、今日はもう閉めようか、とおやっさんが言うので、いつもより一時間早く帰路についている。

 最終時間手前で店じまいなんて事は滅多に無いのだが、やはり少し気を使わせてしまったか・・・。この締まりの無い表情筋が憎い。


 今度、なにかお詫びの品でも持って行くとしよう。

 ところでズボンのポケットが振動している様な気がしないでもない。


 最寄りの駅から歩いて二十分、途中に末松書店があるからバイトがあるときは十分の所に、今住んでいるアパートがある。

 近くにスーパーもコンビニもあり、日用品や食材の調達は容易だ。内装も外装も綺麗な上に俺好みと来た。至れり尽くせりとはまさしくこのことだろう。せんきゅうまいぺあれんと。

 ところでズボンのポケットが振動している様な気がしないでもない。


 はあ・・・。


 スマホの画面に表示された『ヤツ』の名前を見たら一気に出る気が失せてしまった。

 だがしかし悲しいかな、今出ないという選択をした場合、次会ったときの事を想像するのも恐ろしい事態になりかねないのである。


 よって、取れる行動は限られる。そして俺は石橋を叩いて渡る人間だ。

  

「・・・もしもし」


 まあ、出るしかないですよね。


「あ、やっと出た。もう、どうして来なかったのさあ?」


 今となっては聞き飽きたアルトボイスが、スマホの向こうから聞こえてくる。悪巧みをする子供のような笑みを浮かべていることすら、容易に想像出来てしまうのだから救いようがない。


 これから行われるのは会話ではない。


 糾弾だ。

 

 俺が昼間犯した罪に対しての罰が決定されるのだ。


 はいそうですね、橋渡りきれませんでしたね。叩いたら崩れ落ちちゃいましたね。


「いや、その、なんだ。朝スマホの電源が入ってなくてさ?アラームがならな」


「僕は絶対来てって言ったよね?」


 せめて最後まで言わせてくださいよ・・・。

 

 いや、ここで折れたら今までとなんら変わりのないではないか。いつまでもこいつの暴虐武人な行動を甘受し続けると言うのか?


 否。断じて否である。

 

 したがって!今日と言う今日は徹底抗戦の構えを取ることをここに宣言する!


「あ、そうだ。要ちゃん元気?」 


「・・・・・・何が望みだ?」


 そうね、今回ばかりは全面的に俺が悪いね。

 潔く罪を認めて、多少のわがままくらいなら受け入れてやろうじゃないか。


 ですからどうか傷に塩どころかデスソースぶっかけるのは勘弁していたたけないでしょうか・・・。


「明日デートね」


 いかん、絶対に回避しなければならない。明らかに多少の範囲を逸脱している。


 よりにもよってデートだと?


 冗談じゃない。辞書で意味調べてから宣いやがってくださいよこんにゃろう。


 落ち着け俺、まずは予定を確認するふりだ。

 それで少し間を挟む。

 即答すれば、焦りを隠しきれない可能性が高い。どもったりしたらその時点で破滅は免れない。

 

 よし、よし・・・いくぞ。


「あああ明日はちょっと用」


「デートね」


 終わった。


「いやですからよ」


「で、え、と、ね」


「はい・・・」


 ああ・・・さらば俺の平穏な明日。こんにちは夢も希望も無いの明日。


「やったー決まりー。じゃあ十時に渋谷のハチ公前ねー」


 うわあ、渋谷とかマジか・・・。人超いっぱいいんじゃん。人林じゃん。

 てかなぜ人は何かにつけて渋谷に集まろうとするの。隣に新宿とかあるじゃん。池袋でもいいじゃないの。なぜ渋谷。何よりどうしてそこで待ち合わせる。集合場所は別にして、集まってから行けばいいじゃないかよお。


 何が言いたいかというと、とてつもなく行きたくない。


「次は無いから」


「喜んでお供いたしますっ!」


 そんな些細な反抗心も、身を震え上がらせる様な声で発された一言で粉微塵に砕け散った。

 

 うん、やっぱ人は生まれたときに優劣が決まっちゃうんだきっと。優秀な人間には卑劣な手段をとるとかしない限り逆らうことはできないんだよたぶん・・・。


「わーい、大切のそういうとこ大好きー」


 それじゃ、明日よろしくう、と言いたいことだけ言い残し、『ヤツ』は一方的に電話を切った。



 憂鬱だ、暗然だ、メランコリーだ。


 なんでこんなことに。神よ、私が何をしたというのですか。遅刻じゃないですか。単なる遅刻じゃないですか。そりゃあ就活の面接とかだったら一発アウトでしょうけども、たかがサークルの集まりですよ?しかも本来参加自由のやつ。

 いくら何でもこの仕打ちは酷いぜえ・・・。



 思わぬ不幸があったせいで大分時間がかかってしまったが、なんとか無事に到着、いや無事ではないか。


 閑静な住宅街の一角に佇む地上七階建ての大型アパート。その五階にある一室が、俺の借りている部屋だ。


 もう風呂入ってとっとと寝よう。明日の事は明日の自分に任せよう。頑張れ自分。応援してるぞ自分。



---------- 



 と言うわけで部屋の前まで来てみたんだが、中から物音がするのはどういうことなんだ?

 俺はペットを飼っているわけでもないし、合い鍵持ってるのだってここの管理人さんだけで、彼には今下の階で会ったばかりだ。


 え、なにうそ、泥棒?え、ほんとに?五階よここ?わざわざ登ったの?アパートのセキュリティだってなかなかのものなんだぞ?天下のオートロック様ですよ?それを突破する泥棒とか俺が相手に出来るはずないじゃないですかやだー。


 と、とにかく冷静になれ。ひとまず外から内部の様子を少しでも把握することに努めよう。仮に今入っていって、パニックになった泥棒さんが包丁構えて突進してくるなんてことになったら目も当てられない。


 聴診器は・・・あるわけなかろう馬鹿者が。しょうがない、直接ドアに耳を当ててーー


 「ぐべっ!?」


 いやこのタイミングでドア開くとか聞いてないんですけどお。

 やばい超痛い。側頭部への痛烈な一撃半端なく痛い。ドアマジ半端ねえ。


 ちくしょう許すまじこそ泥風情が。今すぐ俺が正義の鉄槌を下してや・・・。


「え、アニキ!?」


「っ!?」


 その声を聞いて、その顔を見て。


 時が、止まった。

 

 痛みなんぞどこへやら、困惑、歓喜、悲嘆、恐怖、多種の感情が一変に押し寄せてくる。


 なぜ、どうして、そんなはずはない、目の前の現実が、受け入れられない。


 俺の狂った想いが見せている幻覚と言われた方がまだ信じられる。


「ごめん、いると思わなくて・・・。大丈夫?」


 見間違えるはずが無い。聞き間違えるはずが無い。

 

 この一年間、忘れよう、考えないようにしようとする度に、脳裏に浮かんできたのだから。 




「かな・・・め・・・?」






 春の訪れを感じ始めた、この日を。

 俗に言う、ホワイトデーと呼ばれるこの日を。



 俺はきっと、忘れることはできない。





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