第零話 「酔っ払った兄の独白」
ギリシャ神話上の神、ゼウスとヘラをご存じだろうか。もしくはエジプト神話のオシリスとイシスでもいい。なじみ深いところであればやはり、古事記に登場する、イザナギ、イザナミか。
アニメやゲーム、漫画、ライトノベルなどのサブカルチャーという、もはやサブとは些か言いにくい程浸透した文化によって、誰しもが一度は耳にしたことがあるであろう(いや偏見だとは思いますけども)これらの神々の共通点。
皆真っ先に思い浮かぶのはたった一つの事柄であるはずだ(いや偏り過ぎちゃってる意見だと思いますけども)。
すなわち、それぞれが近親婚を為している。
数多の神話において近親婚とはさして珍しい物ではない。先述した3組以外にも数え切れないほど神が、血縁と夫婦になっている。
ましてや人類の歴史を省察してみても、権力を維持するため、血を濃くするため、理由は様々だろうが、王族、貴族、権力を持つ者らは皆少なからず近しい間柄での婚姻を結んでいる。
全くもってうらやまし・・・んん、けしからん!
だがこれらのデータを元に導き出せる答えはただ一つ。
現代社会においても、親族に恋愛感情を抱くことは自然なことである。
んなわけねえだろこのばかちんがあぁ!!
今の世の中で親族に恋愛感情など抱いてみろ、世間様から盛大に扱き下ろされることになるだろうよ!そもそも近親婚自体既に法で認められていない国が多いんだぞ!
遺伝子の研究が進んだ結果、近親交配によるリスクが科学的に証明されているため、近親婚は忌避されるべきであり、異常なものであるというのが昨今の常識だ。
よって、たとえ天地がひっくり返っても、たとえ空から女の子が降りてこようとも、たとえ勇者と魔王の戦いが始まったとしても、妹に恋愛感情を抱くなど決してあってはならないのであ・・・ん?魔王?いや待てよ?逆に考えてみよう。
そうだ、逆転の発想だ。昔の偉い人も物は考えようと言っているじゃないか。昔の人は偉いなあ。
よろしい、例えばの話をしよう。
例えば、人類が滅びの危機に瀕したとする。原因はまあ、核戦争でも地球外生命体による侵略でもなんでもいい。兎に角、もう後がない状況になったと仮定した場合。
追い詰められた人類は一体どんな行動に出るだろうか。
あくまで個人的な見解ではあるが、おそらく、生物の生存本能に従って子孫を残そうとするのではないだろうか?
あっちこっちそっちどっちでみんながみんなハッスルし出すのではないだろうか?血縁だろうがなんだろうがお構いなしに、人目もはばからずワッショイワッショイではないだろうか?
・・・あれ?これはもしかして、突破口は人類滅亡コース?魔王ルート?魔法とか使っちゃう?選ばれし勇者と人類の存亡を掛けた熱いバトルとかしちゃうか!?
ふははは!愚かな人間どもめ!この私に勝負を挑むなど笑止千万!よかろう!力の差を思い知らせてやろって違う違う違う違う。だめダメ駄目、そっち行っちゃ駄目だって。おーい帰ってこーい。思考よ帰ってこーい。
・・・ふう、危ない危ない。思考が異世界に小旅行してたわ。
落ち着こう。
一旦、落ち着こう。
俺は人間。魔王でも何でも無いただの平凡な人間。そもそも魔法とか使えるわけないから。
魔力とかないし。
あ、でも筋力はそこそこあるとは思うよ。筋トレしてるから。知能的にも・・・そこそこ?あるんじゃあないだろうか?たぶん、おそらく。そうであって欲しい。マジで。お願い。
体力も、まあほどほどにはあると思われる。高校の持久走大会は百六十二人中三十七位だったし。
視力は両目0.7だ。なに?微妙?よし、俺と戦争しよう。
精神力?はは、そりゃあもちろん・・・。
駄目だ・・・。
俺は、精神力には、精神力だけは一切自信がないんだ・・・。
いや、ないというよりは持てないと言った方が正しいかもしれないな・・・。
事の始まりは、確か小学四年生のころだ。
その日俺は、徒歩十五分のところにある小学校から慣れ親しんだ通学路を、当時小学1年生の妹と共にお手手繋いで楽しく踏破し帰宅、放課後を謳歌していた。普段通り、俺の部屋で妹と本を読んだり、お医者さんごっこをしたり、ゲームをしたりと、実に健全に遊んでいたんだ。
・・・実に健全に遊んでいたんだ。
しかし事件は起きてしまった。
妹たっての希望により、レースゲームをしていたんだが、初心者だった妹は案の定滅法弱くてな(今ではたとえ千回やったとしても全敗する自信がある)。加えて負けて悔しがるところがこれまた可愛くて可愛くて可愛いものだから、ついついずっと見ていたいという欲望を抑えきれず接待プレイを出来ずにいたんだ。
妹の上達速度は凄まじいものだったが、兄の威厳を以てして勝ち続けた。
今ならそんな過ちは決して、絶対に、神に誓って犯さないのだが、当時は、簡潔に言うならばそう、良くも悪くも幼かったのだ。
四十四回目の敗北を喫した妹はついに泣き出してしまった。
大声を上げる訳でもなく、すすり泣く訳でもなく、テレビ画面をじっと見つめ、ただ静かに頬を濡し続ける妹には、神聖さすら感じるほどだった。
暫くして、呆然とその横顔に見とれていた俺に向き直った妹は、端正な顔で精一杯、気高く勇ましく、それでいて可憐で優雅に、目の前にある間抜け面を睨み付けて一言。
この世に生を受けて僅か9年しか経っていなかった自分には到底耐え難い、核爆発にも等しいほどの衝撃を生む一撃を放ったのだ。
「お兄ちゃんなんか大っ嫌い!」
と。
俺は泣いた。
それはもう泣いた。
ダムの決壊などまだ可愛い。あれはナイル川の氾濫にすら勝るとも劣らない大氾濫だった。いまいち記憶が曖昧だが、涙と鼻水で、顔面をぐっちゃぐちゃのべったべたにしつつ許しを懇願し続けたらしい。
妹曰く、
「ごべんよおおおお!!おねがいだがらあああ!!ぎらいにならないでええええ!!」
と、狂ったように繰り返していたそうな。
おまけに数秒前まで涙を流していた妹が瞬時に泣き止み、きょとんとした顔のまま、俺の頭を白百合よりも美しい手でなでなでなでなでしてくる始末。
兄としての威厳など、もはや微塵も残っていなかった。
そしてついに騒ぎを聞きつけた、悪鬼のごとき恐ろしく、「慈悲?そんなもん豚のえさにしてやったわ」とでも言い出しそうな我らが母上が乱入。事情聴取の末、情状酌量の余地など無く俺の有罪、妹の無罪が言い渡された。
それ以降、俺が母上の前で涙を流そうものなら、
「雑魚が!なんだその打たれ弱さは!豆腐か!いや豆腐のがまだ打たれ強い!いいか!お前の心は豆腐以下だ!すなわちスルメイカだ!このイカやろう!足だけ残してとっとと海に帰りやがれ多足類風情が!」
等の人を人とも思わない、泣く子も黙る罵声が飛んでくるのだった・・・。
・・・って、え?
いやごめん母ちゃん、今更だけどよくよく考えてみてもなに言ってんのかさっぱりわかんねえわ!?
え、うそ俺こんな訳のわからんことを十年間も言われ続けてきたの!?なにスルメイカって!?なんでスルメイカなの!?
これ言われて俺ヘコんでたの!?あーそりゃあ確かにスルメイカかもなあ!?
にしたって実の息子をイカ扱いするか普通!?しかも足だけは置いてけってあんたそんなにゲソ好きだったの!?じゃあ今度お土産に買って帰るね!?いやがらせレベルで買って帰るね!?楽しみにしとけやこのやろう!?
てかイカは多足類じゃねえわぼけえええええ!!
・・・はっ!いかんいかん、あまりの馬鹿さ加減につい感情が抑えきれなくなってしまった。
ともあれ、この「イカ事変」によって俺はメンタルの強さに自信を持てなくなってしまったのでした。おしまい。
閑話休題。
さて、なんの話だったか。
ええと・・・?
ああ、如何にして魔法を使うかという話か(困惑)。
そうだな、あと改善すべき項目は・・・努力か。努力・・・努力なあ・・・。足りてないかなあ・・・。いや自分的にはしてるつもりではあるんだけどもさあ。
てか努力にも得手不得手ってあると思わない?同じ努力でも努力が得意な人がした努力と努力が苦手な人がした努力って大いに質に差が出るっていうかさ。やばいな、努力が分裂して俺の認識能力に攻撃を始めて来ている・・・。
いやそもそもね?受験期に秋葉行ってBLゲー大量に買い込んで(ざっと見た感じ30タイトルはあった)全作品全ルート完全コンプしてのけたり、若者に人気のオサレなカフェで毎日のようにバイトしていた『ヤツ』がよ?毎日十時間は机にかじりついて、登校時も下校時も食事中すらも単語帳を手放さなかった俺と同じ大学に通っているのは一体なぜなの・・・?
・・・ああ、くそう!
これだけは、これだけは認めたくはなかった・・・。
しかしこんなにも状況証拠が揃ってしまっている以上、嫌々、渋々、不承不承、端的に言って仕舞えば自分を絞め殺したくなるほど嫌ではあるが、認めざるを得ないのかもしれない・・・。
『ヤツ』が所謂、天才と呼ばれる類いの人種であることを・・・。
理不尽。実に理不尽。この世は途方もなく理不尽だあ・・・。
主よ。どうして主は『ヤツ』なんぞをお選びなさったのですか・・・。
あ、思い出したらなんかイライラしてきたな。
よし、明日のランチは我が学部出席番号一番の足立君に奢らせよう。うん、そうしよう、ぜひぜひそうしよう。素晴らしい案だ。最高だとは思わんかね。
あ?なんだと?合コンの為の金がなくなる?知るかそんなもん。
よーしじゃあ奮発して、あれを頼むとしようじゃないか。
ん?なんだようやく気がついたようだな。ああそうだよ、そのまさかさ。
『SSランチ』だ。
いやね?前々から食べてみたいとは思ってたんだけども手が出しづらくてさあ。いやあ、持つべき物はお友達だねえ。
え?『SSランチ』とは何かって?
・・・ふっ、いいだろう。
せーつめいしよう!!!
『SSランチ』とは、我が大学に代々伝わる超豪華メニュー、『デラックスミラクルデリシャススーパーランチ』の略称である!
キャビア、トリュフ、フカヒレなど、高級食材を余すところなくふんだんに使った幻のランチだ!月に五食限定という点も含めて、その希少度は計り知れないことが窺えよう!
曰く、それを食すにはってなんだよ今説明中だぞ。
は?今度他大学の女子三人と合コン?今回こそ成功させたい?そうかがんばれ。
まあ、飲み会やらサークルやらで湯水ように金を消費する大学生にとっては手の出しづらすぎることこの上ない事は間違いない。どんな理由があってそんなメニューを考案したのか甚だ疑問である。
マジ大丈夫かなこの大学・・・。
おっとっとっと、すまない、話が逸れたどころかそのまま制御不能になった上に早々に機長が空挺降下のごとく見事なダイビングを決め、挙げ句全エンジンが停止して太平洋のど真ん中に墜落してしまったらしい。失敗失敗。
まあ要するにだ。そんな危機的状況を踏まえてっていやもうこれ危機って言うか救いようがないんじゃ・・・。
んっんん!
とにかく!俺が言いたいことはただ一つ!
俺こと、橘大切は、まごうことなき血のつながった、唯一無二の愛すべき妹である橘要に恋愛感情を抱いた、正真正銘の親不孝者ということだ。