第3話 留学生がやってきた。
翌日は朝から大忙しだった。
大勢の来客を迎えるために大きな座卓を3つ用意し、客間は襖をはずし二つの部屋を繋げた。
お幸と瞳は前日からおもてなしの料理作りに汗を流し、出来上がった料理を見て瞳は
「料理が多すぎない?」
と、何度もお幸に尋ねたが、お幸は
「これでも足りないかも?」
と不安げであった。
気がつけば時間まで30分を切っていた。
一番先に篠崎家を訪問したのは、若い女を連れた嘉納家頭首、嘉納小太郎と連れだった女性であった。
齢60を越えるはずの小太郎だが、その肉体も風格もまだまだ現役と言わんばかりに若さが溢れている。
「久しぶりにお幸さんの料理を口に出来ると思うと、いてもたってもおられんでな。
気の早い年寄りとわろうてくだされ。」
小太郎はお幸にそう言うと、子供のように笑った。
「お久しぶりでございます嘉納様。本日はわざわざお越し頂きありがとうございます。」
お幸がそう言って頭を下げると
「いやいや。こちらこそ篠崎家にご迷惑をお掛けして申し訳ない。厚かましい話で申し訳ないが、このお里にもお幸さんの技を盗んでもらおうと思ってな。
ご迷惑とは思ったが連れて来てしもうた。」
小太郎はそう言って連れの女をお幸に紹介した。
年は30手前といった所だろうか。ぽっちゃりとした体型で綺麗という部類ではないが、なんとも言えない愛嬌のある女性だ。
「小太郎様の身の回りをお世話させて頂いております。
里美と申します。本日は勉強させて頂きます。
よろしくお願いいたします。」
お里はそう言って頭を下げた。
「こう見えてなかなかの働き者。今日は雑用から何からお里に申し付けてくだされ。お里、あれを。」
小太郎がそう言うと、お里は手に持っている朱塗りの桶を差し出した。
朱塗りの桶と言えば酒である。しかもかなりの上物だ。
濁り酒ではなく、清酒なのは間違いない。
この時代、一般的な酒は濁り酒である。清酒は値段も高く、主に祝賀の際に用いられている。
「あらあら、ありがとうございます。皆さんお喜びになられますわ。」
お幸はそう言って桶を受け取った。
次に訪問したのが上田家頭首、上田正順夫妻であった。
正順は精悍な顔つきで、常に口を一文字に結んでおり、怖い顔をしている。
生来、無口で常に眉間に皺を寄せているような男であり、篠崎家に着いて早々、挨拶を終えると客間に入ってしまったが、妻のお志摩は人懐っこい甘えた声で
「お幸さ~ん。お久しぶりぃ。」
と言ってお幸に抱きついた。
「まぁまぁ、お志摩さん。お久しぶりです。」
お志摩の体はお幸と違い、かなり華奢で細い。
話し方にしても、動作にしても、どこか間延びしており全体的に子供っぽいのである。
何しろいつもニコニコしているのだ。
お幸はお志摩が笑っている顔しか知らない。
そんなお志摩が、大和王国の頭脳、秩序とも評される、寡黙な正順の妻だと言われると、どうしてもギャップがあるのだが、実際はかなりのおしどり夫婦である。
「今日は朝ごはんを抜いてきちゃった~。お幸さんのお料理楽しみ~。お台所に行ってるわね。」
お志摩はそう言うと、朱塗りの桶をお幸に渡すと台所へと向かった。
朱塗りの桶は二つ目だ。
次に不動家頭首、不動恭司、美咲夫妻と、その従兄弟、不動護。護のパートナーの茜の4人が訪れた。
どちらも朱塗りの桶を持っている。
不動恭司は2m近い大男であり、妻の美咲もかなりの大柄な女性である。
不動夫妻は挨拶を済ませると恭司は客間に向かい、美咲は
「それじゃあ、台所のほうを手伝ってくるわね。」
と言って朱塗りの桶を手に、さっさと台所へと向かった。
お幸と美咲はほぼ、毎日顔を合わせているような間柄である。当然といえば当然の対応であった。
対して、一方のカップルは篠崎家にはあまり顔を出さない。
出さないと言うより、仕事柄出せない。
護は勇児と変わらない年齢であろう。
髪の毛は長く後ろで束ねられており、眉は太く武骨を絵に書いたような男で、180cmはある中肉中背の体格ではあるが、この男の特徴は鋭い眼光であった。
茜の方は瞳と同世代だろう。
髪の毛は耳の辺りでカットされており、体も小さく160cmも無い。
しかし、そのしなやかな体は着物越しでも見て取れるし、大きな瞳は充分チャーミングだ。護同様、眼光が鋭い。
二人は篠崎家の中に入ると、強張った顔で辺りをぐるりと見回した後、安心したように笑った。
その顔に先ほどまでの緊張感はなく、満面の笑みである。
「お久しぶりです。おばさま。」
護は丁寧に頭をさげ、手に持っている朱塗りの桶を差し出した。
朱塗りの桶は4つになった。
「おばさま。私も台所のほうに…。」
そう言って茜は台所に向かった。
「勇ちゃん。ちょっと手伝ってもらえる?」
お幸が勇児に声をかけると、そそくさと台所に向かった。
やることはまだまだあるのだ。
勇児は桶を手に持つと、続いて台所に向かう。
20畳はある台所はまさに戦場だった。
たくさん並んだ鍋はコトコトと音をたて、釜戸からは白い煙が上がっている。
勝手口の外ではいくつもの七輪が並び、旨そうな臭いを漂わせながら、もうもうと煙を上げている。
調理場では、大皿を並べ料理を載せていく人もいれば、鍋の味見をする人。魚を裁く人もいれば、七輪を仰ぐ人もいる。
「お刺身はこれだけあればいいかしら?」
「お幸さん。お願い。」
「お母さん、たれはどこ?」
刻一刻と変わり続ける状況の中、お幸は的確に指示を出す。
出来上がった料理はすぐに客間へと運ばれ、30分もしないうちに戦争は終わった。
全ての料理が運び終わり、全員で来客を待っていると玄関から声が聞こえた。
「お邪魔します。」
さやかの声だ。
お幸は腰を上げ、玄関へ向かう。
「お待たせ~。」
そう言ってさやかが襖を開けると、そこには5人の子供と一人のシスターがいた。
さやかの着物は昨日とは違い、朱色に白い帯を巻いている。
子供達の方は身長100cm位で、体重は16kgといったところか。
目鼻立ちは人間と変わらないが、大きな猫のような耳が頭の上にある。
体は2〜3頭身といったところか。
プクプクとしたほっぺたは大きく膨らみ、とても可愛らしい。
見ての通りルーン人は人間種ではない。
知能は高く、小柄ではあるが、味覚、聴覚は人間よりも発達した亜人種である。
成人しても身長が160cmを越えることは珍しい。
現に一緒にいるシスターも身長150cmあるかないかだ。
5人の子供達は3人が男の子で、2人は女の子だ。
全員、粗末な洋服を着ており、女の子は頭に毛糸で編んだ頭巾のようなものを被っている。
子供達の表情は硬く、緊張しているようだ。
6歳の子供が祖国を離れ、人間種の国である大和王国に来たのだ。当然といえば当然である。
「可愛いい~。」
初めてルーン人を見た瞳は声を上げた。
その声に子供達は驚き、体をビクッとさせた。
「遠い所からよく来てくれたね。まずは座って…。」
源造が子供達に声をかけると、子供達は固まった。
何しろ源造は体が大きく、口髭をたくわえた顔は鍾馗様のように怖い。そのうえ左眼に眼帯をしているのだから、初対面では大人でも怖がる。
子供達は身を寄せ合い、ガタガタと震えだした。
「食べられる…。」 男の子は絶望を口にした。
「美味しくないよぅ…。」 2人目の男の子は自らまずいと宣言した。
「帰りたいよぅ…。」 女の子は泣きそうな顔で願った。
「罠か!」 3人目の男の子は大真面目に叫んだ。
「熊おじちゃんだ。」 2人目の女の子は笑いながら言った。
辺りは笑い声に包まれた。
源造だけが呆気に取られている。
「なんて失礼な事を…。」
シスターは顔を真っ赤にして俯いた。
「いやいやシスター。いつもの事だから気にする必要はないよ。
このおじちゃんはな、怖そうな顔をしておるがそうではない。心配はいらんよ。」
小太郎は笑いながら言った。
「あのおじさんの言う通りよ。」
さやかがそう言うと、子供達は納得したようだった。
「さぁさぁ、立ち話もなんですし、まずは座ってくださいな。」
お幸がそう言うと全員が席についた。
「まずは自己紹介からね。」
さやかがそう言うと、子供達は立ち上がり自己紹介を始めた。
「ガボラです。6歳です。」 罠か!と言った子供だった。
「モチラです。6歳です。」 食べられると言った子供だ。
「タルルです。6歳です。」 美味しくないと言った子供だ。
「メルルです。6歳です。」 帰りたいと言った子供だ。
「アイラ!6歳!」 熊おじちゃんと言った子供だ。
「ケイトです。子供達の育った教会のシスターをしております。」
そう言うとケイトは頭を下げた。
「シスターケイトには、付き添いで大和に来て貰いました。とまぁ、固い話は後にして…。」
さやかがそこまで言うと、お幸が
「そうですね。おなかもすいているでしょうし、話は後にして暖かいうちに料理のほうを…。ねぇ、源ちゃん?」
「お幸ちゃんの言う通り。旨そうなものを目の前にしては話も進むまい。まずは旨いものを平らげてからですな。」
源造はそう言うと、小太郎の顔を見た。
「あまり年寄りをいじめるな。子供達も待っておる。」
小太郎の言葉を皮切りに、宴が始まった。
卓上には様々な料理が並んでいる。
鯛の尾頭付きを筆頭に、鯛と鱸と鯵、カンパチの刺身盛りに甘鯛の松皮焼き、鮎の塩焼きにカレイの煮付けとアイナメの煮付け。
鳥の山賊焼きに唐揚げや天ぷらなどの揚げ物といった重い食べ物もあれば、尾頭付きの鯛や野菜の煮付け、タコと胡瓜の酢の物や漬物、ハモの吸い物もある。
子供達は料理をじーっと見つめたまま動かない。
「どうしたの?」
お幸が子供達に声をかける。
「これ…。食べてもいいの?」
ガボラがお幸におそるおそる尋ねた。
「ぜーんぶ食べてもいいわよ。足りなかったらまた、作るから。」
お幸の言葉を聞き、子供達は顔を見合わせた。
「頂きまーす。」
子供達は手を合わせてからそう言うと、食事に取りかかった。
瞳は勇児の左隣に座り、ニコニコと笑顔で子供達の食事風を見ていた。
「あの子達、お箸の扱い上手ねぇ。」 瞳が感心している。
「ルーンは大和語もお箸も使う国だ。知らないのか?」
「えっ?そうだっけ?」
「大和王国が最初に外交したのがルーン王国だ。その時に言葉もお箸も伝わったらしい。ルーン人は器用だからな。
すぐに使えるようになったそうだ。
ルーンの和食はうまいんだぞ?」
勇児の話を聞き、瞳はなるほどと思った。
「へぇー。そうなんだ。」
「知らないのか?」
勇児が尋ねると、瞳はあっけらかんと言った。
「知らない。」
それから10分もしないうちに、瞳は青ざめた顔で言った。
「勇ちゃん、勇ちゃん。あの子達大丈夫?」
「何が?」
勇児は鯛の刺身を口に放り込み、酒を飲みながら尋ねる。
「あの子達さっきから、ずっと食べっぱなしよ?よっぽどお腹がすいていたのかしら。あ、どんぶりご飯3杯目!」
「心配するな。まだまだ序の口だ。」
勇児がそう言うと、瞳の左隣から声が聞こえた。
「ルーン人はめちゃめちゃ食べるのよ。瞳ちゃん知らなかった?」
茜はさも当たり前のように言った。
「え?」
瞳は目を丸くしている。
「シスターケイトを良く見てみ。結構食べてるだろ?」
勇児にそう言われ、瞳がシスターケイトを見ると、確かに食べている。
「お味はどう?美味しい?」
お幸が子供達に尋ねると、子供達は箸も止めずに答える。
「おいしい!こんなにおいしいのは初めて食べた。」
「幸せのあじ~。」
「おばちゃんが作ったの?」
「そうよ。おばちゃん達みんなで作ったのよ。」
お幸はニコニコしながら答える。
気がつけば子供達の卓上の料理は殆ど無くなっている。
「まだ食べられる?」
お幸が子供達に尋ねると子供達は
「もうお腹いっぱい。しばらくはいらない。」
と言って畳の上に寝転がった。
大人達はゆっくりと食事を進めているが、先ほどから小太郎がお里を相手に話をしている。
「刺身一つ取っても、ただ切って並べれば良いというものではない。切り方一つでこうも味が代わるのだよお里。
それにこの松皮焼きの塩加減、焼き加減の見事なことよ。
このハモの吸い物も素晴らしい。骨で出汁をとっているな?
飲めば飲むほど食欲が湧いてくる。」
お里は小太郎の話を聞きながら、一つ一つ味を確かめるように料理を口に運んでいる。
その面持ちは真剣そのものである。
「まぁまぁ嘉納様。お話はそれくらいにして、おひとつ…。」
お幸がそう言って小太郎に酒を薦めると、小太郎は上機嫌でお猪口を手にした。
「源造はこんなに旨いものを、毎日食わせて貰って幸せじゃのう。」
「それは言い過ぎでしょう。お里さんに失礼ですよ。」
源造がそう言うと、お里が言った。
「私などお幸様と比べられるほどではありません。
ですから本日はお幸様から少しでも技を盗んで帰るつもりです。
小太郎様をギャフンと言わせねば、腹の虫が収まりません。」
「よしよし、その意気じゃ。この嘉納小太郎。その時は参りましたと素直に降参するぞ。」
小太郎は上機嫌で、お幸のお酌してくれた酒を飲んだ。
二時間ほどで宴は終わり、子供達は庭先で遊んでいた。
女衆が台所で片付けに入ると、部屋には五家の頭首とさやか、不動護だけになった。
勇児と護以外は皆、ゆっくりと飲みながら談笑をしている。
勇児と護は縁側で子供達を見ながら
「あのガボラという子供は体の使い方がうまいな~。あの歳で大したもんだ。」
勇児がそう言うと、護は言った。
「あのモチラという子は動きが素早いし、無駄がない。源造さんの所に行くな。」
「タルルは頭がいいな。すぐに状況判断をする。あの子が正順さんの所か。」
「メルルは大人しい子だが、アイラは体力がありそうだ。」
勇児がそう言うと護は頷く。
勇児と護は何気なく遊ぶ子供達を観察しながら、各々の素質をみているようだ。
「では、うちに来るのは誰だ?調べてみるか。」
護はそう言うと庭に出て、子供達を集めた。
「お兄ちゃんの手を見てごらん。」
護がそう言って右手を広げ、子供達の前に出した。
「指は何本ある?」
護の問いかけに子供達は全員、5本と答えた。
次に護は手のひらを子供達に見せ
「手のひらに何が書いてある?」
と尋ねた。
子供達は護の手のひらをじっと見つめたが、5人のうち4人は
「何も書いていない。」と答えたが、メルルだけは
「お花。」と答えた。
「よーく見てごらん。」
そう言って護は手のひらをメルルの前に差し出した。
メルルは護の手のひらをじーっと見ていたが、しばらくすると、笑顔で言った。
「お花が綺麗な蝶々になって飛んでる。」
メルルは何もない空間を目で追い続けていたが、護を見ると
「消えちゃった。」
と言った。
「なんだ。メルルにしか見えないやつか。」
ガボラがつまらなさそうに言った。
「なんだ。あれか。」
モチラもつまらなさそうに言う。
「メルちゃんはねぇ。見えないのが見えるの。」
アイラがそう言うと、ガボラが言った。
「タルルは兄妹だけど見えないんだ。」
「見えないんだ。」
モチラもつまらなさそうに言った。
「メルルちゃんはどんな物が見えるの?」
護は優しくメルルに尋ねた。
「あのね、教会の近くに大きくて綺麗な木があるの。そこにいつも金色の髪の毛のお姉さんがいるの。」
「お姉さん?ルーンの人?」
メルルは首を横に振った。
「人間のお姉さん。待ってるの。ずーっとずーっと待ってるんだって。」
メルルは悲しそうに言った。
「そうか。遊びの邪魔してごめんな。」
護はそう言うと縁側に戻った。
「わかったか?」
勇児が尋ねると護は言った。
「間違いない。メルルだ。それにしても凄い潜在能力だな…。あの歳であれが見えた子供は初めてだ…。茜のやつ驚くぞ。」
二人でそんな話をしていると、さやかの声がした。
「勇ちゃん、まもちゃん。そろそろ本題に入りましょうか?」
二人は客間に戻り話し合いの席についた。