第20話 「彼女達の戦場」
お久しぶりの更新です。
年内にもう一度更新出来れば嬉しいな。
「あれ?」
マリアは地下2階の中央ロビーに着くと小さく声をあげた。
「どうした?」 勇児がマリアに声をかける。
マリアは不思議そうな眼差しを床に目を配っていく。
「昨日のゴキブリの死骸がありません・・・。」
床に目を配りながら消え入りそうな声でマリアは言った。
マリアの視線の先々にある床の上には昨日あったはずのゴキブリの死骸はなく、ゴキブリの足と羽だけが散乱している。
明らかに何物かがゴキブリの死骸を食べた跡だ。
それを目視で確認したマリアの背中に悪寒が走る。
これから先の展開を考えると嫌なら予感しかしない…。
「あぁ。食われたんだろ。」
ほうきとちり取りを手に、勇児は平然と言い放った。
「食べられた…ですか…。」 真っ青になりながらマリアは呟いた。
『この人はなんて恐ろしい事を平然と口にするのだろう?』と思いながら。
床をほうきで履きながら勇児が答える。
「昨日、ゴキブリの死骸は片付けなかっただろ?もしまだここにあいつらがいたら喜んで食いにくるからな。
簡単に言えば撒き餌みたいなもんさ。」
勇児の言葉を聞き、マリアは気が遠くなりそうになった。
「撒き餌ですか…。」
そう言いながらマリアは心の中で神に祈りを捧げた。
自分が思う最悪のシナリオに話が進みませんようにと…。
勇児はほうきを片付け、アランの荷物から折り畳まれたシートを取り出しながら言った。
「こんな所に食うもんなんか無いからな。どうやらこっちの思惑通りだったようだな。
しかし、この食い散らかし様から見て、どうやらかなりの数が居るな・・・。」
勇児はそう言いながらアランと2人で床にシートを敷くと、背中に4本づつ背負った予備タンクと手にした荷物を降ろす。
ローも同じように荷物を降ろすと、降ろした荷物の中から細長いケースを取り出し中を開けた。
中には先端が鋭く尖った4本の細長くて丸い金属製の棒が入っており、そのうちの2本を勇児に手渡す。
勇児は金属製の棒を手に取ると、軽く数回振るとインカムのマイクを口元まで伸ばしマイクに向かって言った。
「AM8:45 地下2階に到着。まずはゴキブリ全滅作戦だな。」
左手の腕時計を見ながらイヤフォンに向かって話す勇児の言葉を聞き、マリアが体をビクっとさせた。
「了解。」
キャサリンの声がマリアナのヘッドフォンから聞こえてくる。
『最悪だ…。』マリアはそう思うと同時に、全身から力が抜けていくのを感じた。
昨日の打ち合わせにゴキブリのゴの字も出てはこなかったが、なんとなく予感はしていた。
ただ残念な事に食い残された足や羽、床の上のゴキブリ達の痕跡を見ると、ゴキブリの残存勢力はマリアの予想を大幅に超えているのは間違いない。
いくら剣術に優れているとはいえ、まだ18歳のマリアである。
ゴキブリも嫌なら、お魚の目が怖いと言って魚が捌けなくても文句は言われまい。
それが若さというものであり、青春真っ只中の乙女というものだ。
マリアだってあと10年もすれば、旦那様に安く手に入ったと嬉しそうに言いながら、鼻歌交じりにお魚を捌く日が来るだろうし、キッチンに現れたゴキブリを相手に、丸めた新聞を手に追い回す日が来るだろう。
しかし、今のマリアに40cmもあるゴキブリを駆除しろというのは酷である。
「ゴ、ゴキブリ殲滅って、発掘隊の仕事なんでしょうか?」
少し高い声でマリアが勇児に尋ねた。
一度大恥はかいているのだ。
今更怒られる事を怖がっても仕方がない。
「マリアの言いたい事はわかるんだがな…。
40cmもあるゴキブリが大量発生したとなると、この辺りて育てている作物に与える被害は大きいだろし、万が一にも住人に危害を加えるかもしれないと考えるとな。
今のうちに少しでも処理しないとまずいだろ?
マリアからすれば嫌な仕事になるだろうけどな・・・。」
勇児はマリアに申し訳なさそうに言った。
マリアは勇児に怒られる覚悟で聞いたのに、申し訳なさそうに話す勇児の言葉を聞いて驚いた。
『一応、私の事も考えてくれてるんだ・・・。』
マリアはそう思うと同時に慌てて言った。
「いえ!こちらこそ失礼な質問をしてしまいました!申し訳ありません!」
「謝る必要はないよ。厳密に言えばマリアの言う通り、ゴキブリ殲滅は発掘隊のしなければならない仕事じゃないんだ。
ただ、俺達としては出来るだけこういった事例は、任務とは別に人道的観点から対処したいと思ってる。
まぁ、簡単に言えばうちの隊のわがままだからな。
無理矢理手伝ってもらう事になるから心苦しいんだがね。
他所の隊ならこんな事はしなくて当たり前の事なんだ。」
勇児はそういうと少しすまなさそうな顔をしながらローの顔を見ると、ローがゆっくりと話はじめた。
「ある国に30cmくらいのコオロギがいるんだが、そいつがとんでもなく厄介なやつでな。作物を食い散らかすだけじゃなく人間も襲う。大人だろうと平気で襲ってくるらしい。」
マリアは一瞬、息を飲んだ。
なんて恐ろしいコオロギだろう。害虫の域を越えているではないか。
そこまで人に害を及ぼす害虫なら、根絶やしにした方がよいのではないかとすら思う。
「しかも食欲と生命力が恐ろしくあるやつでな。
敵との戦いでお互いに食い合いになって、自分の体が半分くらい食われていても食う事をやめない。
自分自身が食われながらでも相手を食い続けるそうだ。
今回のゴキブリはそいつより大きいし、どんな被害を及ぼすかがわからんが、近隣住民の事を考えると出来るだけ駆除する方がいいだろうな。
いくら遺跡発掘の為とはいえ、異国から来た他所者に土地を荒らされたあげく、害虫まで放たれたらたまったもんじゃないだろう。」
ローの話は衝撃的であり、またその言い分はぐうの音も出ないほどの正論である。
だからこそマリアは、底の見えない深い海に沈んで行くような気分になる。
「そこでだ。マリアとアランが背負っている装置の出番だ。」
勇児はそう言ってニヤリと笑った。
「詳しい話はキャサリンがしてくれる。キャサリン頼む。」
勇児がそう言うとキャサリンの声がイヤフォンから聞こえた。
「アランとマリアが背負っているのが『窒素ガス噴射器』と呼ばれるものよ。
簡単に言うと噴射される窒素ガスでゴキブリを凍らせてしまうの。」
「凍らせるんですか?殺すんじゃなくて?」
マリアが不思議そうに尋ねる。
マリアは毒でも撒いて全滅させたほうが早いんじゃないかと考えたのだが、それが当たり前と言えば当たり前だ。
「遺跡の広さ分の殺虫剤があるかどうかわからないのよ。それと手持ちの殺虫剤がここのゴキブリに効くかもわからないの。
もしもゴキブリに手持ちの殺虫剤に対する免疫力があれば、殺虫剤を撒いても効果がないの。
だから殺虫剤は使わずに窒素ガスで凍らせてから、ゴキブリの頭を潰して確実に殺す方法を取るの。」
「殺虫剤の抗体ってどうやって・・・。」
マリアは不思議そうに言った。
「死骸が食べられていたでしょ?そこから先の説明が聞きたい?」
キャサリンの言葉を聞き、ハッとしたマリアの顔色が急激に青くなっていく。
『あぁ…。そういう事ね…。共食いして免疫力をつけちゃうのね…。そりゃあ、免疫力もつくわよね…。』
そう思ったマリアは泣きたくなった。
「説明は結構です・・・。理解しました・・・。」
軽い吐き気を覚えながらもマリアは答える。
想像だけで軽く吐き気を覚えるのである。
改めて説明を受けて、わざわざ掃除した床の上を汚す必要もなければ、キャサリンに説明させたくもない。
「そう言ってもらえると私も嬉しいわ。
噴射器はセイフティーを外せばガスは噴射出来るようになるんだけど、細かい扱い方はアランに聞いてもらえるかしら?
間違ってもガスは人に向けて撃たないでね。
あ、それから噴射器を使っているとだんだんタンクが冷たくなってくるから、辛くなったら無理はせずに休憩を取ること。わかった?」
「わかりました。」
マリアが返事をすると勇児が言った。
「チーム分けは前回と同じだ。マリアとアランが窒素ガスを噴射して俺とローがこいつでとどめをさす。」
勇児はそう言うと両手に持った金属製の棒を軽く振った。
「それと壁に穴やヒビがあったら、大小問わずにすぐに報告してくれ。それも俺とローが充填剤で補修していく。
年季の入った遺跡だからな。何が原因で遺跡が崩壊するかわからん。
小さな穴だと甘く見ていると大事故に繋がる事がある。見落とし厳禁だ。」
「隊長。いつもの刀は使わないんですか?」
アランは身支度を整えながら勇児に尋ねた。
「俺の刀はどっちも大業物だぞ?それにゴキブリなんぞ斬ったら、御先祖様が団体で化けて出てきて朝まで説教されるわ。」
勇児が答えるとアランが驚いて言った。
「大業物って?それにしてもその刀って先祖代々使ってるんだな!すげぇな!」
「大業物ってのは、大和王国の認めた名刀にのみ与えられる称号だ。
和刀ってのは手入れをちゃんとすれば何百年でも使えるんだ。さすがに鞘や鍔は変えてきてるがな。
それよりアラン。マリアに噴射器の取り扱い方のレクチャーを頼む。5分で終わらせてくれ。」
マリアがアランから窒素ガス噴射器のレクチャーを受けている頃、トレーラーの作戦室の中ではキャサリンとエリーが任務に励んでいた。
遺跡発掘隊員達から親愛の意味を込めて『Home』と呼ばれる幅5m、全長20mはあるトレーラーは運転席の後ろにキャビンとキッチン。
その後ろにはトイレと3段ベッドが2台置かれた男性用のベッドルームがあり、その奥にはドレッサーと一人用のシャワー室、トイレと2段ベッドが2台置かれた少し広めの女性用のベッドルームがある。
各ベッドは防音シャッターがついており、イビキや歯ぎしり等の音は完全にシャットアウトしてくれるし、トレーラーに不審者が近づいたり異常があった場合、各ベッドにあるモニターとスピーカーに通知してくれる作りになっている。
また、シャッターを閉める事でベッドが完全なプライベート空間となるため、狭い空間ではあるが大半の隊員達はベッドに入ると早々にシャッターを閉めて各々の時間を楽しむ。
トレーラーの出入口は運転席の左右にあるものとキャビン、それに真後ろにある物資搬入用の扉しかなく、どの扉も指紋登録した隊員にしか開ける事は出来なくなっている。
遺跡発掘隊のトレーラーは強固なセキュリティーで守られた、まさにHomeである。
キャサリン達がいる作戦室は女性用ベッドルームの後ろにあり、作戦室の隣が備品倉庫になっている。
作戦室の4つある窓は全て固く閉ざされており、室内灯の光に煌々と照らされている。
部屋の中には大き目の机が2つ並んでおり、それぞれの机の前には様々な機械やモニター、計器類が置かれている。
それ以外にも書類棚や何かの計測器のようなものがいくつか置かれているので、部屋自体には妙に閉塞感がある。
実際に2人以上の人間が作業をするスペースはこの部屋にはないだろう。
奥にある机の前にはキャサリンが座っており、手前の机の前にはエリーが座っている。
「マリアちゃん、初めての任務なのにゴキブリ退治なんて大丈夫なんでしょうか?心配。」
目の前のモニターに目を配りつつ、小さな溜息をつきながらエリーが言った。
「うちに来ちゃったからしょうがないわ。他所の隊ならこんなことしないで済んだでしょうけどね。」
モニターから目を離すことなく、ヘッドフォンを付けたキャサリンが答える。
キャサリンの前にはいくつものモニターや機械が並んでおり、様々な色の光が点灯している。
キャサリンの座る椅子の右側にある机の上には本やら書類やらが山積みになっている。
決して整理整頓されているとは言えないが、医者や研究者などの部屋や机の上など皆、似たりよったりだ。
本や資料以外にあるのは、小さな額縁に入った満面の笑顔のポールの写真だけ。母親っぽさがあるにしろ女っ気はないキャサリンの仕事場だ。
対してキャサリンの左隣に座るエリーの机の上は整理整頓されており、色とりどりのキャンディが入ったガラス瓶が並べられている所などは年相応だ。
勇児達が遺跡発掘をしている間、この作戦室がキャサリンとエリーにとっての職場であり戦場になる。
という事はキャサリンとエリーは勇児達が遺跡に入っている間、同じようにこの作戦室に籠もりっきりになる。
彼女達の主な仕事は作戦開始から終了までの時間管理は勿論の事、非常時には医師としての観点から勇児にアドバイスをしたり、時にはその権限において発掘中止の判断を下したりもする。
口で言えば簡単に聞こえるかもしれないが、皆と同じ現場にいてするのならばやりやすいであろうが、離れた場所から判断してやらなければならないのだ。
実際にやろうとするとかなり難しいだろう。
隊員達が装備しているヘッドギアにはカメラが内蔵されており、行動の一部始終が記録されているのだが、勇児やローのクラスの隊員になると、当然、常人では追いつけるはずのないスピードで動くのだから画面酔いしたりする。
入隊当初のエリーはローの動きを見ていて気分が悪くなり、トイレに籠もりっきりになったので、今でもエリーは戦闘中はモニターを見ないようにしている。
遺跡発掘において、戦闘面では勇児とローに一任しているキャサリンだが、不思議なことに何年もチームを組んでいると、エリーとは違いカメラ越しに勇児達の動きを見ていても酔わなくなった。
それどころか画面越しの動きを見るだけで、2人の体調までわかるようになったのだから不思議だ。
「これが遺跡の地下1階と2階の見取り図。
AM9:00になったら本部のデータベースにアクセスして、過去に見つかった遺跡に似たような構造物がなかったか調べてくれる?」
キャサリンはモニターから目を離さず、そう言いながら手にしたファイルをエリーに差し出す。
「了解しました。でもいつの間に?驚愕!」
「昨日の夜にユウと2人で照らし合わせたの。
検索キーワードは『研究施設』『生物』『製薬』『ガードマシン』でお願い。」
エリーは慌てて机の上にあったメモ帳とペンを手に取ると、キーワードを書き始めた。
「復唱します。『研究施設』『生物』『製薬』『ガードマシン』ですね。確認。」
「オッケー。頼むわね。」
書き終えたメモ帳を丁寧に机の上に置くと、ペン立てにペンを戻すと同時にペンの数を数える『片付け魔のエリー』を横目に見ながらキャサリンは笑っている。
「私、何かおかしな事しました?不思議。」
ペンの数を確認しながらエリーがキャサリンに尋ねる。
「なんでもないわ。作戦開始まであと5分はあるから、今のうちにキッチンに行ってスープの煮込み具合を見てくれる?」
キャサリンは机の上にある時計を見ながらエリーに言った。
時計の針はAM8:53を指している。
「それではいってきます。出発!」
そう言うとエリーは作戦室を出ていった。
それと同時にキャサリンのイヤフォンに勇児の声が響く。
「作戦開始時刻はAM9:00からでいいかな?」
「了解。それとユウ。今日のお昼もそっちに残るの?」
「そのつもりだけど、どうした?」
勇児が心配そうに尋ねた。
「話があるから私もお昼はそっちにいくわ。
温かいスープを持ってね。」
「それは助かる。特にアランとマリアが喜ぶだろう。
ローにキャサリンの行き帰りの護衛を頼むよ。」
勇児がそう言って笑うと
「ユウのスープの為に俺がこき使われるのか?」
ローの声が遠くから聞こえた。
「ローのスープなら重労働になるが、俺とキャサリンの分だけなら軽作業もいいところだろ?
そもそも俺のスープの護衛じゃない。うちのチームの大黒柱の護衛だろ?」
「護衛の報酬は?俺は高いぞ。」
「俺のベッドにアストレア産のワインがある。
今日は特別に昼飯の時に飲んでいい。」
「交渉成立だな。」 ローは即座に返事をする。
「って事でローは少し早めに帰らせるんでよろしく。
ロー!ワインは一本だけだからな!くれぐれも他の酒には手を出すなよ!」
「最近、視力が落ちてきてな。それにど忘れもひどい。」
「今日のサンドイッチの中身が生ハムやチーズじゃない事を祈るよ。」
勇児が呆れ気味に笑う。
2人の会話を聞いてキャサリンは吹き出しそうになった。
何を隠そう、今日のサンドイッチの中身は『生ハムとチーズ』と『サーモンとクリームチーズ』だったのである。
キャサリンは肩を震わせながら口を押さえている。
笑いを堪えるので必死だった。
『相変わらずローはユウの前ではお喋りになるわね。
ユウがいなければ一言も喋らない日もあるのに・・・。』
そう思うとキャサリンは余計に笑いそうになった。
「キャサリンさん。スープは大丈夫です。少し火をおとしましょうか?心配。」
不意にキャサリンのイヤフォンにエリーの声が聞こえた。
「火を止めて鍋ごと保温庫に入れてくれる?あとは放っておけばいいわ。」
「了解です。ついでにお茶いれましょうか?不要?」
エリーの声には『お茶が飲みたいなぁ!』という願望が含まれているのがキャサリンにはわかった。
かといってその気持ちを無下には出来ない。
「そうね。ワタシはいつものマグカップにお砂糖3つでお願い。」
キャサリンはイヤフォンに向かってそう言いながら、机の上の資料に手を伸ばす。
「了解でーす。ラッキー!」
エリーは嬉しそうに答えた。
文庫本一冊でどれくらいの文字数が必要なのかわからないのですが、本作のペースとしましては20話まででストーリーの1/3に届くか届かないかと聞かれれば……。
届いておりません!(笑)
一話を読みやすくと思い、多くても6000〜7000文字位で収めようとしているのですが、それが悪いんだろうか?
書きたい事は山程あるのに、遅々として筆が進まなくなる。
なぜだかそんな状況が楽しいとすら思えます。
どうか呆れないでお付き合いして頂けるよう、お願いいたします。




