表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

東北から来た嫁

作者: 原田縷縷

一見するとなんの変哲もない閑静な住宅地である。マサチが暮らす家はそこにあった。

これはミサチがマサチの人生に初めて関わった時の、とある怪奇な物語。



不思議な村が存在する。昔から女の子しか生まれない村。

長く長く親戚縁者同士で子孫を繋いできた村。


たまに男の子が生まれても、成長すると村から出ていってしまいそれっきり帰ってこない。たまに村に残り跡継ぎになった嫡男がいても、どういうわけか嫁の来てがなくその家は没落してしまう。何代も何代も女の子ばかりが生まれる村、男の子の生まれない村。村の長老たちは苦肉の策で他所へ嫁いだ村の娘たち家族を村に呼び寄せ頼み込み、好条件で里帰り移住をさせた。広い土地を与え、家屋はその都度その時代の最先端に新築改築増築し、村出身の娘たち家族を住まわせ廃村の危機を免れてきた。


ちやほやとするうちに、当然娘たちとその家族は増長し我儘し放題になってゆく。そうこうするうち、気がつけば村は年寄りと団塊の世代の女たち家族そのまた孫家族といった親戚縁者だけの孤立村に変化した。手厚く重宝され暮らす娘夫婦、孫娘夫婦は子沢山の家庭ばかり。所有する土地家屋は広い、年老いた親たちの資産貯蓄もかなりある。その中で育つ子・孫・曾孫たちは贅沢に悠々と暮らし成長した。しかし、女の子しか生まれない……不思議な村が存在する。昔から女の子しか生まれない村……が繰り返される。


村には「ある言い伝え」があった。

女の子しか生まれない村になった言い伝えだ。





怪談:東北から来た嫁



2006年。


一見するとなんの変哲もない閑静な住宅地である。マサチが暮らす家はそこにあった。マサチには「村」という認識はない。21世紀の世の中に、都会で働くマサチが仕事を終え帰宅するその場所は閑静な住宅地だ。その場所にマサチは15年近く暮らしている。その場所が百年前のまま取り残された怪奇な村などとは(ゆめ)にも知らない。


村は空き地だらけだった。マサチの借家の裏手には二百坪ほどの更地があった。売地と記された看板が立てられている。何年も何年も買い手がつかないようで、雑草が鬱蒼と生い茂り放置され天気の良い昼間でも何となく薄気味悪い空き地だった。


老婆「んだな、どうにもこうにも百年以上も昔っから、嫁の来ねぇ村だったよ」


最初に不思議に思ったこと。この村の90歳以上のお婆さんたちが、関東では聞き慣れない独特な(なま)りのある話し方をする。


老婆「あっははは。わしらは東北からこの村さ嫁いで来たもんだからね」


矍鑠(かくしゃく)としたお婆さんだ。


老婆「ところであんた、村では見かけない顔だね。どこの人だ?独り者かい?幾つなんだい?」


見知らぬ者に対し一斉に興味を向ける老人たち。過干渉になり付きまとう行為は閉鎖的な田舎の特徴だ。但し、その過干渉が無邪気な好奇心からのものか、陰湿な排他的・差別的感情行為によるものかは、その老人たちの表情と口調から判断できた。


このお婆さんは前者だ。色白な餅肌、愛嬌のある表情、そしてミサチの話を嬉しそうに聞こうとする前向きな姿。


ミサチ「お婆さん、若い頃は美人だったでしょう?」


お婆さんは、両頬に手をあてて照れている。


老婆「からかわないでおくれ。亭主にも言われたこたないよぉ」


腰が曲がり骨盤の湾曲から極度のO脚になったのであろう、ゆっくりと歩くお婆さん。手拭いを姉さん被りにして空き地にひとり、椅子を出していつも日向ぼっこをしているお婆さん。



2006年、春。


そんな二百坪の空き地の果てにマサチの住む借家があった。

横浜に住むミサチが、遠く離れた他県に住むマサチを知らなければ、ミサチの人生にこの村は存在しなかったであろう。そんな「村」の言い伝えをミサチは偶然に知ることになる。ミサチにはなんの関係もないわけで、21世紀になって今ではそんな言い伝えを知る村人はいないというのに。ミサチはその言い伝えを知ることとなったのだ。


この村が持つ因果応報、悪業の報い、それらの連鎖は今も続いていることを知るミサチ。


それにしても、あのお婆さんはどうして村に古くから残る言い伝えを他所者のミサチに語ったのだろう。


老婆「ほぉう、横浜の人かい。それでその横浜から此処までどうして?」


ミサチは虚を突かれ、そして気持ちを集中させた。何としたものか……(はい、実はわたしはその先の借家に住んでいる男の部屋に、こうして通う女です。時々は男の部屋に泊まっています。男には女房がいますが、男はその女房に浮気されて、相手の奴に女房を奪われ、ノイローゼになり行方不明になってしまいました。わたしは男が帰るのを待っているんですけど、どうしてわたしが男の帰りを待っているのか、もうわからなくなってしまって、どうでもよくなりかけているんです。そんな今、お婆さんとこうしてお話をしています)……と。こんな経緯、このお婆さんには理解できないだろう。ミサチは考えた。当たり障りなく理解してもらうためには、はてどうしよう……と。


ミサチ「あの家に知人が住んでいるんです。先日突然入院しまして、部屋の風通しを頼まれて、こうして時々行き来しているんですよ」


老婆「ああ、そんなことだったかい。あんたの事、どこの家の人だろかと思うとったとこだ」


合点、うんうんと(うなず)くお婆さんだった。


マサチの借家に向かうには、この空き地の前を通るのが近道だったが、ちょっと面倒になっていた。とても人の良いお婆さん。でも身の上話をするほど親しくもない。遠回りになるが仕方ない、マサチの家には反対側の道を通って行こう。


それから数日後。


夜の10時を過ぎていた。ミサチは電車を降り駅を出てバスに乗り換え停車場に着き、あの近道の空き地前を歩いていた時のこと。おぼろ月の肌寒い晩だった。鬱蒼と雑草が生い茂る空き地に人が(たたず)んでいる。歩道に背中を向け、うつむいて立つ姿がうっすらと見える。二百坪の空き地の奥のほうに、こんな時間に人がひとりで立っている。その後ろ姿のか細い体つきから女性だとわかったが、雑草が生い茂る中、その人はゆらゆらと左右に体をゆらしてうつむいている。


近所の人だろう。と、ミサチが足早に通り過ぎようとした時、その女性がひとりではないことを知る。うつむいて体を左右にゆらしている腕の中に赤ちゃんを抱いているのがわかった。あやしている若い母親だろうか。でも、どうしてこんな時間に空き地に佇んでいるんだろう。ミサチは立ち止まり声をかけてみようか迷った。


冷たい風が赤ちゃんの微かな泣き声を運んでくる。なにか奇妙だった。外灯や防犯灯の(まば)らな暗い空き地だが、青々と生い茂る雑草の中に佇む女性の姿だけが、なぜか薄ぼんやりと見えるのだ。そして、春とはいえ冷え込む晩にもかかわらず、空き地に佇む女性は半袖のブラウスかシャツのような姿だ。たとえば、夫婦喧嘩でもして部屋着のまま空き地に来て気をまぎらわせているんだろうか。ミサチはできるだけ穏便な想像をめぐらせた。少々不安を覚えたが、その時はそれっきりでミサチはその場を通り過ぎたのであった。



夜の空き地の出来事から数週間後、

ミサチは久しぶりにマサチの住む借家へと向かっていた。マサチは相も変わらず行方知れずのまま。いや、行方はわかっていた。仕事には行っているし、なんとか無事なこともわかっていた。ただ、マサチはこの村には帰って来ない。絶望に打ちひしがれたマサチの心が浮遊したまま行方を失っていることを、ミサチはそんなマサチが帰ってくるのを待っていた。そして、でも帰ってこなければそれならばそれでいいと達観もしていた。村に春の花冷えはなくなり、新緑の季節に移り変わろうとしている。そんな日だった。忘れかけていた夜の空き地で見かけた出来事を、ミサチは思い出すことになる。


薄曇りから突然の雷鳴。みるみるうちに濃灰色の雲が空を覆う。大粒の雨がポツリポツリとゆっくり落ちてくる。近道の空き地前で、ザーッと音をたて雨が強く降り始めた。駆け足になるミサチ。そのとき誰かと擦れ違った。誰かが空き地から歩道に飛び出してきた。擦れ違ったあとに、ミサチの脳裏に見覚えのある風景が蘇る。(あれ?もしかして……)確証はないけれど、あの晩の、空き地の奥に佇んでいた人じゃないだろうか。ミサチは擦れ違ってすぐに、その人が走り去っていった方向を振り返る。


たった今、擦れ違ったばかりなのに。人の姿はだれもない、だれもいない。


その時、ミサチは初めて得体の知れない恐怖に駆られた。あの肌寒い晩に見た女性は半袖のブラウスかシャツのような姿だった。だが、ミサチはたった今、擦れ違った瞬間に気がついた。その人は半袖のブラウスやシャツではなかった。その人が着ているのは半袖のブラウスやシャツではなく浴衣だった。浴衣の袖を腰紐で襷掛(たすきが)けにし、素足に鼻緒の下駄を履いている。恐怖に駆られたのは、その人の姿が今の時代の周囲の雰囲気とはかけ離れ、色彩も縁取りもないものだったため。ミサチは土砂降りになった雨の歩道に立ち止まり、とんでもないものと擦れ違った事に身の毛がよだった。


いつ帰るのかも知れない主のいない閑散とした部屋で、ミサチは熱いコーヒーで暖を摂る。時間が経てば経つほどミサチは震えが止まらなくなる。とんでもないものを見てしまった……と、肩をすぼめ熱いコーヒーを(すす)る。部屋の中の無音な状態が怖くて、ミサチはわざと熱いコーヒーを音をたてて啜った。身体が暖まり気持ちが落ち着き、ミサチはあのお婆さんのことを思っていた。(あのお婆さんなら、空き地で見たことを聞いてくれるにちがいない……)思った途端にミサチは玄関のドアを開け空き地の方向へ走りお婆さんを探し、すぐに聞いてほしい聞いてみたいという衝動を抑え、(こんな雨の降りだしたときにお婆さんがいるわけはないか……)と何度も自身に言い聞かせ、ミサチは恐怖を払い除けて冷静でいようと心掛けた。


翌日から何日も晴天が続いた。いつもの場所で椅子に腰掛け、お婆さんはあの空き地にいる筈。ミサチのお婆さんに会いたいという気持ちを試すかの如く、お婆さんはどこにもいない。お婆さんの存在を面倒くさいと思ってしまった天罰かもしれない。それでもどうしてもミサチはお婆さんに聞きたいことがあった。空き地の前で日向ぼっこをするあのお婆さんなら、空き地の出来事がなんなのかどういうことなのかを、お婆さんは知っているような気がしてならなかった。



2006年、五月晴れ。


老婆「おんや、どうしたい?なにか用事だったかい?」


雲雀(ひばり)が低く高く羽ばたいている。日差しの明るい昼だった。お婆さんはいつもの場所で椅子に腰掛けていた。


ミサチ「お婆さんのこと、ずっと探していました」


老婆「おんや、そうだったの」


暢気なお婆さんに苛立ったりはしない。それよりなによりミサチにはお婆さんに聞きたいことがあった。


ミサチ「この空き地の奥で、夜遅くに女の人を見たんです。その人、腕に赤ちゃんを抱いてずっと俯いたまま此方に背中を向けて佇んでいました。それから何日か経って、夕立のあった日でした。またその女の人を見たんです。浴衣で袖を襷掛けにした人でした」


お婆さんは雲雀の(さえず)りのする空を見上げ呟いた。


老婆「あんたで何人目だろう、どうやら村の連中の前にはまったく現れんもんでなぁ。どうしてなもんだかなぁ、他所から来た人の前に現れるんだ」


ミサチは驚きとか畏怖とかよりもなによりも、その得体の知れないものについて、やっぱりお婆さんは知っていたんだということに武者震いした。どうしても聞かなければならないんだという覚悟のようなもので心身がみなぎっていた。


ミサチ「お婆さん、その人はいったいだれなんですか?この空き地となにか関係があるんですか?それをお婆さんに聞きたかったんです」


そうして、それから、お婆さんはわたしに何日かに分けてぽつりぽつりとこの村の話をしてくれた。



…………この村で最も古い百姓の祖先は豪族。この村に現在も継承される直系子孫の家は一軒だけだという。豪族のいた時代からこの地域で百姓をしていたのはその直系子孫の家だけだそうだ。ほかの村人たちの祖先は漁師や木こりという、あとの時代に海沿いを渡り棲みついた者ばかり。鎌倉時代に幕府から役人がやって来て、豪族たちの墓の調査と農地開拓のための区画を行ったのが村の始まり。その時、豪族たちの墓のすべては既に盗掘され荒らされたあとで、緩やかな山々と広大な丘陵に囲まれたこの湾岸の陸地が、原始人に近いケダモノと荒くれ者たちの巣窟だったことが伺える。幕府から来た役人たちの指導により、山林を切り開き海岸まで広がる土地に整地し、こうして村人による村の自治が廃藩置県まで続いた。


江戸時代には五里以上離れた豪農庄屋が村の畑作を仕切るようになった。各地の村には庄屋の下請け農家が栄え、そのなかでも三つの屋号の家系がこの村の中心となった。小作人を増大し作物の収穫繁忙期には北関東や東北から働き手を雇うまでになっていたという。


老婆「わしは東北の生まれで、14歳で役場の斡旋で女中奉公に出た。16の頃に東北からこの村に出稼ぎに出されて、そのまま嫁不足のアテになった。17のときに最初の子を生んだ」


お婆さんが突如、語るのを止めけらけらと笑いだした。


老婆「やんだなぁ、もうとっくに忘れたと思っとった。よう今でも覚えとるもんだなぁ」



…………ひたすらキツくツラい野良仕事だけの日々だった。村に嫁いだ女たちは東北や北関東出身が多く、しかし嫁同士が交流することは厳しく(とが)められた。冷徹で無愛想な舅姑、気の短い乱暴な亭主、亭主の意地悪な兄弟姉妹たち。嫁たちには郷里への帰郷も許されずままならぬ暮らしだったという。そんな中、それでも嫁同士の繋がりは少なからずあった。祭事慶事・忌引など家主たちが留守の際、近所の嫁たちは密かに寄り合いなぐさめ合い励まし合った。そのような寄り合いの場面で、ある日、年上の嫁たちの話から、若嫁だったお婆さんはこの村で起こった悲しい出来事を聞いたという。



お婆さんはゆっくりと静かに語り続けた。


老婆「わしが生まれるもっとずっと前に起こった話だ。ある農家に東北から嫁いできた者がおった。たいそう器量の良い美人だったもんだから、隣村の連中までその嫁っ子を眺めに来る有り様だった」



…………亭主とも仲が良く舅姑とも折り合いの良い嫁っ子だったそうだ。最初に生まれたのは女の子。家人たちは男の子を産めと急かし待ちわびていた。そんな時に事態は急変した。野良仕事と育児と家事炊事に追われていた嫁っ子が倒れてしまう。何日も寝込み一向に回復しない嫁を、舅姑は次第に疎ましく扱うようになった。忙しい時期に何日も何日も寝込む嫁が気に入らなくなったのだ。医者の往診により肺病の疑いありで街の病院への検査命令が下る。こうなると舅姑はなおのこと嫁を毛嫌いし始めた。嫁を診察も療養所への入所もさせず、舅姑は家屋から離れた場所の小屋に嫁と赤子を隔離してしまう。下女を雇い、嫁と赤子の世話はその下女にすべて行わせた。ろくな治療も養生もさせず嫁を放置したため、乳飲み子を遺して嫁は間もなく亡くなった。あれほど自慢にしていた嫁っ子を舅姑は酷い哉、葬儀も行わず里にも知らせず、山の奥で火葬し、遺骨は小屋の裏に穴を掘り埋め隠したという。亭主も我関せずで、周囲には嫁は里に返したと偽り、舅姑はすぐに武蔵野(東京の田舎という意味)から村に出稼ぎに来ていた女を迎え入れ嫁にした。赤子はその新しい嫁に育てられ、翌年には男の子が生まれた。家人たちは大喜び。酷い扱いを受け亡くなった嫁っ子のことはすっかり忘れ月日は過ぎてゆく。



老婆「あんたが見た女の人ってのはな、その亡くなった嫁さんなんだろうよ」


ミサチはこめかみの辺りに冷や汗を感じ、手で拭った。そんなミサチの様子を見てお婆さんが笑う。


老婆「あははは、ちったぁ怖くもないだろて。ただ見た気がしただけなんだろ?そったら青ざめて怯えて。あっははは」


お婆さんはスラックスのポケットからハンカチを取り出しミサチに手渡した。ミサチはお婆さんの優しい笑い顔に気持ちを持ち直し、ハンカチの端のほうで冷や汗を軽く押さえた。


ミサチ「この空き地、やっぱりちょっと不気味ですよ。だってほら、こんなに天気の良い晴れた昼間でも薄暗くって」


老婆「もう一つ驚かせるかもしれんが、この空き地、この土地がその農家だった。あんたが見たっていう女が佇んでいた場所に小屋があった。わしがこの村に来た時は、その小屋があった」


現世のものではない幽霊を見てしまったのか。そのような類いの現象を信じていないミサチにとっては奇妙でならない。納得がいかないのだ。だのに、それなのに気味が悪く怖い。ミサチは再びお婆さんのハンカチでこめかみと額の冷や汗を押さえていた。


ミサチ「お婆さんが嫁いできた時、その農家は此処にあったのですね。亡くなったお嫁さん、お気の毒でしたね」


老婆「そのあと、赤ん坊がどうなったか知りたいかい?」


ミサチ「幸せに暮らしましたとさ…って結末なら良いのですけど」


老婆「もうだれも知る者のない出来事だよ」


お婆さんの傍らに積まれた、欠けた大谷石に腰を掛け、ミサチは神妙な面持ちだった。マサチのお家騒動から始まり巻き込まれる形で、この村に引き寄せられてしまったかの如く。触らぬ神に祟りなしとは言うけれど、ミサチはついうっかりこの村の隠された秘密を覗いてしまい、お婆さんの語る話を知ることとなるのである。


老婆「わしと同じ東北の集落出身の者が隣村に嫁いでいるのを知って、わしは嬉しくて、みんなが嫌がってやりたがらなかったヤギの乳と海人草の運搬を喜んでやったもんだ。子供をおぶって隣村まで大八車で運んだもんだったよ。帰りにその嫁と待ち合わせして互いの子供をあやしたりいろいろと話をしたり。そんなことがわしの楽しみだった」



…………どの家の嫁も、舅姑に隠れちょっとした時間に余暇をつくり不条理・理不尽な仕打ちに耐えて生きていた農家の嫁たち。



ミサチ「お婆さんが嫁いだ家はどうだったのですか?ひどい目に遭ったり虐げられたりしたんですか?」


老婆「わしの嫁いだ家は、舅姑はもう死んでいなかったんだ。わしの亭主は四男坊で、わしが嫁いだときは亭主とはうんと年の離れた長男夫婦が仕切っていた。次男と三男は流行り病で亡くなっていて、わしの亭主が長男夫婦の下で作物の種蒔きから収穫まで手伝ってたんだべ」



…………とてつもなく厳しく非情で意地悪な長男夫婦だったという。お婆さんはそんな長男夫婦を何度も恨んで心の中で叫んだという。そしてある日、それは起こった。



老婆「庄屋の寄り合いに二晩がかりで出掛けていった長男が、寄り合いのさなかに倒れてそのまま亡くなった。ポックリ病だったんだって」



…………お婆さんが話す内容から、おそらくは心臓マヒだろうと推測。



老婆「あたふたしたもんだったなぁ、わしの亭主はたまげて腰を抜かしてしまって」



…………その時、お婆さんは亭主の頼り無い様子に心底あきれ果てたそうだ。



お婆さんは笑っていた。


老婆「わしの亭主は、こんなになさけねぇ男だと知ったんだ。そしたらばよ、えっらいことになったんだば」


ミサチ「事件ですか?」


老婆「いんや違う、こんどは兄嫁が馬に蹴られて即死したんだば」



…………葬儀が続いた。あわてふためくうら若き嫁・お婆さんだった。



老婆「気がついたら、亭主とわしが後継者になっとったんだ」


ミサチ「馬に蹴られて死ぬだなんて壮絶ですね。滅多にあることではありません。その長男夫婦って変死同様じゃありませんか」


老婆「んだ。その兄嫁ってのが、この空き地にあった農家の娘だったんだ」



…………ああ、なんという事か。糾う吉凶、因果応報が実際にあるのだと、背筋が寒くなった。あの小屋で亡くなった、東北から来た嫁の礎が、お婆さんの身にも無意識に棲息しているのか。



ミサチ「お婆さん、話を元に戻します。その小屋でなくなったという東北から来たお嫁さんの赤ん坊はどうなったんですか?」


老婆「後妻の継母に育てられた赤ん坊、その後のことだな」


ミサチ「この空き地で最初に見た、歩道の方に背中を向けた女の人の腕にいた赤ちゃんのことです」


老婆「それ、あんたはその赤ん坊を見たのかい?」


ミサチ「赤ちゃんの姿は見ていません。泣き声を聞きました」


老婆「そったらことがあるんだかなぁ、だけんども、あんたがそったらふうな泣き声が聞こえたって言うなら、そうなんやもしれんが」


ミサチ「さあ、女の人の左右にゆれる後ろ姿と、赤ちゃんの泣き声で、わたしは若い母親が夜泣きをする赤ちゃんを抱っこしているんだとばかり。もしもわたしの思い込みだったとしても、その前後にわたしの頭の中に赤ちゃんをイメージするような出来事はなにもありません。ですので、ほんとに、いきなりの女の人の姿があって赤ちゃんの泣き声がしたんです」



…………昔々、この空き地にあった農家に嫁ぎ、肺病を患いひっそりと亡くなったお嫁さんがいた。亡くなったお嫁さんの遺された乳飲み子は後妻の継母に育てられ成長する。継母が産んだ2歳下の男の子とは姉と弟として育った。姉弟はとても仲が良かった。



ミサチ「そして、お婆さんのご亭主の兄嫁さん。馬に蹴られて死んだという兄嫁さんの実家が…」


老婆「んだ。偶然と言えば偶然かもしらんが、その兄嫁が生まれるずっとずっと前の出来事なんだものな」



…………鎌倉時代に開拓された村は、その後何百年もの時を経て、明治・大正・昭和と親類縁者で契りを繰り返し、今も存在する。



老婆「後妻の継母が産んだ男の子が15~6歳になって家を出ていった。次いで姉のほうも家を出ていってしまった。示し合わせて東京へ出て行ったんじゃろう。その後は二人ともそれぞれに東京で良人と所帯を持ち商売人になったんだと」



…………村に異変が始まったのは、この姉弟が村を出ていったそれからだった。ある朝、姉弟が育った農家の舅が、小屋で死んだ姿で発見される。小屋の引き戸を開けた場所で倒れて亡くなっていた。その数ヵ月後、今度は姉弟の父親が突然亡くなる。姑と後妻の継母が茫然とする中、村の僧侶がやって来て姑と後妻に尋ねた「お前たち、この家でなにか殺生をしていないか」と。百年以上も前のことである。当時の農家では珍しくない、嫁や里帰りした娘たちが離れの部屋などで出産するのは当たり前の時代だ。お産婆さんも呼ばずに生むこともあり、死産も多かった。僧侶が村の家々を説法して回るのは、間引きなどの殺生を戒めるためでもあった。


そこで姑が気付いた。肺病で死んだ、東北から来た嫁のことを。山の奥で密かに火葬を行い遺骨を小屋の裏に穴を掘り埋めたことを。


僧侶が去った後、姑と後妻の継母は慌てふためいて急いで小屋の裏を掘り起こした。遺骨をいれた嫁が使っていた茶碗が埋めてある筈。しかし、ずいぶんと掘り起こしたが、茶碗も遺骨も無くなっていた。


その後も不吉な因果は続いた。次々と親類縁者が死んでゆく。病気・事故・自殺・失踪後変死で発見等々、村の働き盛りの男たち・女たちが早死にしてしまう。



老婆「小屋の裏に埋めて、すっかり忘れて。あとになってわしらの噂になったのは、その肺病で亡くなった嫁の娘が遺骨を持って村を出たんではないのか…ってばよ。そんなふうにな」


忘却し消し去った記憶がひとたび脳裏に甦ると、人々は堰を切ったように記憶も鮮明に今まで語り尽くせなかった話などを語り出すという。お婆さんの話は、お婆さんたちの若かった頃の苦労に変わっていった。


老婆「村に死人が相次いで、当時、その噂はすぐに広まったそうだよ。わしの生まれるずっとずっと前の出来事だ」


お婆さんの語気が何となく荒くなってゆくのがわかった。お婆さん、ほんとうに耐えがたい事、許しがたい事をたくさん抱え長い人生を送ってきているんだと。


老婆「東北から来た嫁っ子をまともに供養もせんと、嫁の里にも知らせんと、同じ郷里の嫁たちの伝言で、ようやく嫁っ子の里の者たちが一部始終を知ったんだと」


ミサチ「相当な怒りだったでしょうね」


老婆「そんなことが、似たような酷いことが他の村でもあったもんだから、わしらが嫁いで来た頃には必ず役場の斡旋所が目を光らせとったもんだ。それで、その嫁っ子の出来事があってからは、その嫁っ子の郷里からは一切、関東への出稼ぎはなくなったんだと。この村の事は、恨んでも恨みきれんだろうね、酷いことをしたもんだ、まったく」



…………戦国の世をくぐり抜け、江戸の時代をかけ抜け、明治・大正の時代まで豪農庄屋制度が根強く続いた農家百姓と小作人のしきたり。東北出身の働き手は関東では嫁不足のアテだけでなく、男手も大勢存在した。語り出せばキリのないほど、残酷で恐ろしい出来事はあるのだろう。それらをすべて呪い・祟りと結びつけ扱うことはしたくない。デリケートな命の問題、人権問題に失礼があってはいけないのでこれ以上は割愛する。



老婆「わしは長いこと長いこと生きてきて、なんの抗議もできんかった。言えんかったんだば、こわくて叫べんかったんだば」


こうして、お婆さんが嫁ぎ先の家の後継者になった頃には、東北から来た嫁の制度は無くなった。



…………第二次大戦・大東亜戦争終戦後、関東の庶民たちは田舎の農家に押し寄せた。食べ物を求め物々交換を前提に庶民たちが農家を頼るように押し寄せた。米農家ではなく野菜や鶏卵や雑穀を栽培出荷する農家が持て囃されるようになった。お婆さんが若かった頃、畑作農業は目まぐるしく変化をしたんだという。


そして、時代は昭和60年代を終え平成へ。あの不可思議な奇妙怪奇な出来事は続いていた。村が都市開発の一部になった。景気は上向き、どんな起業をしても成功し儲かるという稀有な時代だったにも関わらず、何故か都市開発は頓挫。計画に携わった村人たちが突然死する。地元の若者・男の働き手が村から出ていってしまい戻ってこない。女の子ばかりが生まれる。村に嫁さんが来てくれない。男児の早世。平成の黎明を迎えても、奇妙怪奇な出来事は続いていた。


外に嫁いだ娘たちを呼び戻し、しかし、陰湿な田舎に嫌気をさす娘の夫たち。そして娘夫婦は結局、再び村を出ていってしまう。




2006年、初夏。


二百坪の空き地の前で随分と話し込んでから数日後、お婆さんに貸してもらったハンカチを手洗いしアイロンをかけ、返すためお婆さんがいる空き地前に行く。何度となく空き地を通ったが、お婆さんの姿はなかった。そのうち長雨があったり強風があったりと、穏やかな季節は真夏の日照りに変わり、お婆さんの姿を見かけることはなかった。


(あのお婆さんのことだ。いつかみたいに、またひょっこり会えるだろう)


ミサチはそんなふうに考えていた。


しかし結局、お婆さんとミサチが出会うことは二度となかった。




2008年、盛夏。


空き家のようになってしまっていた部屋にマサチが戻ってきた。マサチと長く別居中だった女房は浮気相手との子を妊娠し出産していた。出産してから2年が過ぎようとしていた。生まれたのは女の子だった。女房はマサチと別居中ずっとこの事を隠し通し、マサチに言うに言われず離婚の話も切り出せず、そのためマサチと女房の別居は長引いて、そしてようやくの離婚手続きとなった。


(生まれた子に罪はないが、女の子か……)

ミサチはその時、お婆さんを思い出していた。お婆さんが語った話を思い出した。そしてしまいこんだハンカチを探した。懐紙(かいし)で包んでタンスにしまっておいたハンカチを手に取る。


(お婆さん、あれっきり会っていない。元気にしているだろうか……)

歩道から空き地を見渡す。真夏の焼けつくような強い日差し、粘りつくアスファルト、アブラゼミの音、外は酷暑で人の姿はない。雑草が青々と生い茂り草いきれが風にうねっている。この2年の間に、二百坪の空き地は半分の敷地に家が二軒建てられた。お婆さんから聞いた、小屋があったという敷地の部分に真新しい家屋が二軒。あの話を微塵も知らない人たちが暮らしている。


ミサチは相変わらずお婆さんを探していた。時折、近所を道行くお年寄りに尋ねたりした。あまりしつこく尋ねて怪訝に思われぬよう、それとなく少しずつ世間話のように聞き回るうちに、季節は過ぎて行き二年も経っていた。そして、


村人「たぶんだが、○丁目の○○さんとこの婆さんじゃないかな」


やっと聞き付けたお婆さんの所在。ホッと安堵するミサチだったが、それと同時にえもいわれぬ胸のざわつきを覚え不安になる。


(お婆さん、ほんとにこの村の人なんだろうか。突然、お婆さんに会えなくなったのは、もしかするとお婆さんは、この世の人ではなかったのかも……)


不安な材料ばかりを集めてしまい考えを募らせてしまうミサチだった。


(そんな筈はない、現実にわたしはお婆さんからハンカチを貸してもらっている。それに、お婆さんの住む家がやっとわかったんだから)



翌日。


ミサチはその家を訪ね、立派な門扉のインターフォンを押した。


ミサチ「ごめんください、こちらにお住まいのお婆さまに言伝(ことづ)てがありまして伺いました。お婆さまはご在宅でしょうか」


剪定の行き届いた庭木と手入れされた芝生の庭園。三世帯は悠々と暮らせるであろう邸宅だった。玄関の間口は三間(幅約5.4m)近くある。その玄関から70代とおぼしきご婦人が門扉に小走りでやって来た。色白で柔和、お婆さんにそっくりな顔立ちをしている。


婦人「わたしになにか用ですか?どちら様?」


ミサチは思わず「あっ」と声を出かけ察した。(ここの邸宅のお婆さんというのはこのご婦人か。じゃあ人違いだ。でも、あのお婆さんによく似ている。もしかしてお婆さんの親戚かなにかだろうか) ミサチは矢継ぎ早に空き地の前で日向ぼっこをしていたお婆さんについて尋ねてみた。すると、にこやかだったご婦人の表情が、急に険しくなった。


婦人「あなたは誰?どちらの方ですか?」


やはり人違いのようだ。怪しまれてはいけない。突然、(こわ)ばった口調に変化したご婦人を不快にさせてはいけない。ミサチはお婆さんから借りていたハンカチをご婦人に見せ説明をした。


ミサチ「人違いでしたのならたいへん失礼いたしました。このハンカチの持ち主のお婆さまを探していまして。もしやこちらにお住まいではないかと、お訪ねした次第です」


ご婦人がハンカチを手に取り、驚いたようにミサチを見た。


婦人「あらこれ、わたしの母のハンカチです。このイニシャル、うちの孫たちがミシン刺繍したんですよ」


ご婦人の目には涙があった。


婦人「あなた、母とはどちらで知り合いに?」


ミサチの不安がスッと消えてなくなった。このご婦人の母親が、あのお婆さんだったのか。ああ良かった、お婆さんの所在がようやくはっきりした。しかし……ここでこのご婦人に「実はお婆さんからこの村にまつわるおぞましい歴史を聞き親しくなった」なんて話がややこしくなる。そこでミサチは「わたしはこの村に住む知人宅に時々通う者で、その道の途中で日向ぼっこをするお婆さんと挨拶をするようになり…云々」と、お婆さんとハンカチとミサチの接点を説明した。


婦人「そうでしたか。母は昼間、いつも散歩に出かけたっきりで。徘徊はなかったので、てっきり運動公園で年寄りたちと一緒だろうと思っていました。その、空き地の前って、もしかしてあの雑草通りの空き地ですか?」


ミサチ「はい」


婦人「まあ、なんであんな場所まで。母ったら何してたんでしょう」


ミサチはすぐにご婦人に聞いた。


ミサチ「それであの、お婆さまにお会いしたくて。今いらっしゃいますか?」


目にうっすらと涙をためて遠くを見つめ回想するような表情のご婦人が、突然ミサチに小さく頭を下げた。


婦人「母はね、半年前に亡くなりました」


ミサチは愕然とした。暢気に構えていた己に後悔した。涙を流そうとすれば流せたであろう。おそらくは女特有の感情の涙だ。そのような涙ならば、その場の雰囲気で幾らでも流すことができる。しかし、そのような女の涙は今は必要ないとミサチは思った。


ミサチ「なんとも残念です。もっと、こちらのお婆さまのことを親身に受けとめていたなら、もう少し早くお会いできていましたのに。何も知らずに過ごしていまして。お悔やみ申し上げます」


こんなふうなミサチの物言いを、ご婦人……お婆さんの娘さんは遮るように言った。


婦人「あの、ここではなんですから。よろしかったらどうぞうち(家)に上がってくださいな。母の話、いろいろと聞きたいの。ね?どうぞ、今、家族はだれもいませんから」


ミサチの服の袖口を掴むようにすがるご婦人だった。ミサチは困ってしまった……立派な邸宅だが、その家にはなにかミサチを受け入れようとしていない妙な空気、なんとも言えぬ圧迫とした空気がミサチのことを拒んでいた。


ミサチ「あの、お婆さまとは、すれ違いざまに挨拶をさせていただく程度でしたので。ほんとに突然こうして押し掛けてしまいまして失礼いたしました。お亡くなりになられたことも知らずにノコノコと。まことにお悔やみ申し上げます」


ミサチはもう、そうしてその場を去り、お終いにしたかった。なんとも言い難い厄介な空気を感じ、ミサチはその場から一刻も早く立ち去りたかった。


婦人「ちょっと待って、あの、もう少し母のことを聞かせてください」


ミサチ「ほんとにお婆さまとわたしは挨拶程度の世間話程度しかありませんでしたので。じゃあ、このハンカチ、お返しします。ありがとうございました。じゃあ、これで失礼いたします」


ご婦人は、あまりに必死の形相だった。それがとても不気味で、ミサチはその場から早く立ち去りたかった。


婦人「待ってください、もう少し、母のこと聞かせてください。母はあなたにどんな話をしていましたか?母のこと少しでも知っているなら、お願いします、どんなふうだったか聞かせてください」


ご婦人に、ミサチは袖口を捕まれ懇願されている。あの東北地方訛りのお婆さんによく似た娘さんだというご婦人が、ミサチにしがみついている。なにか普通じゃない雰囲気だ。


婦人「いきなりごめんなさいね。実は、母とは上手くいってなかったもので。母は家族に頑固なまま口を閉ざし亡くなったんです。母と親しかった人たちはもういません、だからもしかして母と親しかったのなら、母がどんな話をしていたか聞かせてほしくて」


目に涙を浮かべ、ご婦人はミサチに懇願した。



2008年、秋。


そんな押し問答を繰り返し、ミサチは頑なに邸宅に上がろうとはしなかった。そして、ミサチとご婦人は日を改めて会うこととなった。


婦人「きっと約束ですよ?じゃあ○日の○時ね、○○店で」


日を改め、カフェテリアで会う約束をした。


たぶん、このご婦人……娘さんは、お婆さんの真実をなにも知らない。べつに知らなければ知らないでいいじゃないか、それっきりで終わりにできる。親しい間柄でもありゃしないのに、それでもミサチはお婆さんの娘さんと約束してしまった。そしてミサチは決心していた。ミサチが空き地で見た奇っ怪な出来事や、お婆さんから聞いた話については絶対に語るまい。


(あのご婦人、慈愛に満ちた人だと思った。当たり障りない会話でやり過ごすことができるだろうかどうか……)


そうして、ご婦人と約束した当日になった。


ご婦人はとても生真面目で、日を改めたせいもあって、互いに世間話も弾まずどうしたものかと戸惑うミサチ。


ミサチ「あ、えーと……それであのー、先日は突然お伺いいたしまして失礼した次第でございます。あのー、で、本日は、奥さまから、どのような話題でも如何様(いかよう)にも」


婦人「ええ、そうね。わざわざ来てくださってありがとうね。あなた、ケーキセットなんていかが?」


カフェテリアだって言うものだから、ミサチはてっきりファーストフード店に毛の生えた程度の店だとばかり思っていた。ところが、結構な格式のある雰囲気の高級な店だ。ミサチはとても緊張していた。


ミサチ「それでは奥さま、お先にわたしはレギュラーコーヒーとショートケーキのセットを注文いたします」


ご婦人の横でウェイターが(かしこ)まっている。


婦人「どうぞよろしくてよ、じゃあハムチーズサンドセットをミルクティーでお願いね」


慣れた雰囲気でウェイターに注文するご婦人。この人は、ほんとうにあのお婆さんの娘なんだろうか。いくら顔立ちは似ているとしても、どう考えても、あのお婆さんとこのご婦人とは天と地ほどの差がある。


婦人「母は東北地方の出身で東北訛りがありました。母は幼い頃から野良仕事に従事して、生涯百姓の人でした。そんな母でしたので、どうにも時代錯誤で古くさい感じがあって。母には周囲の者たちも苦笑いすることが多くてね、どうしても今の時代と馴染むことができなかったようです」


あの素直で明るい性格のお婆さんを“時代錯誤”と言いきる娘さんならば、と、ミサチも話が早いなと判断した。


ミサチ「そちらのご家庭事情は存じ上げませんが、お婆さまはそのような話は一切なさっていません。お婆さまが話してくださったのは、奥さま方ご家族の知らない昔々の話。お婆さまが、この村に働きに来てそのまま村の農家に嫁いだ、その当時の話をお聞きしただけで」


ご婦人が手慣れた仕草でミルクとダージリンをカップに注ぐ。


ミサチ「失礼ですが奥さま、とても紅茶の扱いに慣れていらっしゃる」


話を逸らそうとしたミサチのからかいをよそに、ご婦人の目はミサチの話を聞き逃すまいと真剣だった。



カフェテリアの昼下がり、ミサチは当たり障りのない談笑から、このご婦人は心の広い邪心のない温厚な人柄だと感嘆する。それでもミサチは、だからといってお婆さんから聞いた話をご婦人に告げることはしない。


婦人「やっぱり。じゃあ、あなたも母のことはなにも知らないのね」


ミサチ「“やっぱり”と言いますと?」


婦人「うちの母はね、ある時期から突然に頑固で無口になってしまって。そのまま亡くなってしまったの」


ミサチ「奥さま、それでさっきの“やっぱり”と言いますのは、それはどのようなことから?」


ミサチはご婦人に少し興味を持ち始めていた。お婆さんとは真逆という意味での換位な立場にあるのではないかと。


婦人「母は、あなたのような洞察のある人に開放的だった気がします」


ミサチ「それは、つまり……そんな洞察のあるわたしにもお婆さんは何も語らなかった……という“やっぱり”ということなのですね」


ご婦人は頷いた。


婦人「ええそうね。どうにもね、わたしにもわからないんですよ。ある時期から母の態度が全然まるで人が変わったようになってしまって。主人もわたしも、わたしの娘たちも、孫たちも、最後のほうでは母のことを疎ましく思って暮らしていました」


ミサチ「奥さまを中心としたご家族と、お婆さまとの間に確執が出来てしまったというわけでしょうか?」


ミサチの問いかけに、ご婦人は(はた)と気付いたかのごとく語り始めたのだった。


婦人「昔はね、明るくてよく喋る母だったの。そうなのよ、わたしの娘たちや孫にも母は明るく優しくてとてもマメでした」



…………そんな母(お婆さん)がある日突然。テーブルに向かい合うご婦人とミサチ。ご婦人はミサチに身の上を語り始めた。



ご婦人について。

戦後の農業と農作物の高騰で全国の畑作農家は成金状態だったという。そのように恵まれた環境の中、ご婦人はすくすくと成長し学業成績も内申も優良。ということから都内の私立高校に推薦入学。淑女教育・賢母となるための教育を経て、ご婦人は高校卒業と同時に、その品行方正と美しい顔立ちから、学校推薦にて省庁へ就職した。そして官僚付補佐官とのお見合いで結婚、寿退社。結婚後は都内の官舎で家庭を築き子育て中心の安定した暮らしだったという。こうしてご婦人は専業主婦として夫を支え家庭を守り昭和の時代を過ごしてきたという。


平成に入ったばかりのある年のこと。平穏無事で安定したご婦人の家庭に一石の波紋が……。


婦人「母からいきなり、“農家の家屋を継いでくれないだろうか”なんて連絡が。わたしたち家族を実家に戻そうという提案でした」


ご婦人がふとミサチに問いかける。


婦人「あなた、そういえば先程わたしの母について、わたしが知らない母の事を母から聞いたとかなんとか、言ってた気がしましたけど。それはどんな内容だったの?」


ミサチ「あ、えーと、言いましたっけ?どうだったかなぁ、そんなにたいした話ではなかったような気がいたします」


とかなんとか、少々うろたえながら、ミサチはとぼけて誤魔化した。



…………平成の時代に突入。地価高騰の東京都内。そんな時、お婆さんからご婦人に提案があったという。



お婆さんが産んだ子供たちは3男3女。そしてご婦人は末っ子の3女だった。


婦人「3男3女順番どおりよ。わたしはそのなかの6番目の末っ子。そのわたしを母が頼ってきたことから、こうして今、わたしたち家族があるというわけです」



…………ご婦人の世代にも、あの不幸は続いていた。



お婆さんの産んだ長男・次男・三男が、病気や事故により早世している。残る長女と次女は遠方の他県に嫁いで行き、実家には決して帰郷することのない絶縁状態だった。広大な農地と家屋を手放すことがないように、というわけで末っ子のご婦人に頼らざるを得なかったお婆さん。


ミサチ「それにしても、奥さまのお宅はずいぶんと広くて驚きました」


婦人「あらそう?あれでも、あの大きさでも小作人レベルなのよ」


その通りだ。

昨今、所有する自農園の広大さや敷地の大きさを自慢げに語る農家の人々…それらは小作人・水飲み百姓たちばかりである。庄屋や豪農とは別扱いされる小作人の集落、それが村人たちの血脈というわけだ。



…………東北出身のお婆さんが嫁いだ家には、とても大きな厩舎(馬・ヤギ・豚・鶏)があったという。



婦人「畑作が地平線まで広がる村でした。家畜も相当な数を飼育していました。牛もいたんだけど、牛はちょっと頭が悪くってね、女や子供には扱いにくかったものだからうちの農場ではヤギをたくさん飼育して重宝してたのよ。ヤギは荷車も轢いてくれて、今で言う軽トラックと同じ。農具から作物から何でも担いで運んでくれたものです。ヤギはおとなしくてね、どの農家でも必ず飼育してましたよ」


昔の農家を懐かしむように語るご婦人。


婦人「母は、品川から江戸川界隈の旅籠運送を副業にしてたの。わたしが生まれるもっと前、戦前ね。その頃のあの家の厩舎は荷運び用の馬を6頭も購入して馬屋を特別に建てるほどの繁盛だったそうよ」


小作農と運送業を兼業しながら継承された敷地はとてつもなく広い…ということだそうだ。


ミサチ「お話から察しまして、結局奥さまのご家族は都内からこの村に移住なさったというわけですね」



身の上話も一段落したご婦人がウェイターを呼び、ミサチとご婦人のコーヒーとミルクティーを下げて新しいものをオーダーした。


ミサチ「それにしましても奥さま、失礼ながらお婆さまは腰も曲がり90歳を越えいかにもといった田舎の老人らしい雰囲気でしたので、あのー、あまりにも奥さまがとても洗練されていて都会的ですので、どうしてもお婆さまと奥さまが母と娘だということが信じられないのです」


婦人「そうね、わたしは都内に嫁いでそのまま東京暮らしをしていましたのでね。それとね、うちの主人はお役所勤めだったので、若い頃は主人がわたしを連れてサパー&ダイナーのレストランやバーやダンスホールやナイトクラブなんて洒落た場所に出掛けたものですから。田舎者のわたしに洋食のマナーやカクテルの味なんてのをよく教えてもらったものですから」


ご婦人の思い出話はお婆さんからご主人へと変わっていった。


婦人「主人が亡くなる前には海にもしょっちゅう出掛けたもんですけどね。最近はもう、海沿いの道を車で走りながら海水浴場の人たちを眺めて懐かしかったりするわ」


ほほぉ、ご婦人のご亭主か。と、ミサチは興味津々になった。


ミサチ「奥さま、そのご主人はいかがなさいましたのでしょう?」


婦人「5年前に先立ちました。本音では田舎暮らしを嫌がっていて、最後まで東京に戻りたいって申しましてね、どうにも此処の村にしっくりいかなかったようです」


ああ、やはり。そうなのか、そうなってしまうんだ。男たちは皆、先立ってゆく。このご婦人の亭主もこの村に移住しなければ……と、ミサチは余計な詮索をしてみた。


婦人「主人が亡くなり、年老いた母が亡くなり、わたしと娘たちと孫たち…女ばかりの所帯になってしまいました」

 

ミサチ「そうしますと奥さま、でも奥さまの娘さんたちは、それぞれにご結婚をされているんですよね?」


ミサチの問いかけにご婦人は頷いて語った。


婦人「娘が二人います。それがね、二人とも離婚して出戻ってますのよ」


ミサチの身体に一瞬、寒気が走った。これはもしや、これが村の男たちが次々と亡くなる、男との縁が途中で切れてしまう家々の、脈々と引き継がれる因果だろうか。それにしても…:お婆さんと、昔々百年以上も前に悲惨な死を遂げた村のお嫁さんとは縁つながりはない筈だが…偶然にしては男性・男子・男児が早死にするケースが多すぎるのだ。


婦人「それでね、あなたにお伺いしたいことがあるの」


ミサチ「以前にも申し上げました通り、ほんとにお婆さまからは何も聞いていません。世間話程度のやり取りだったかと」


あの話は決して語るまいとミサチは思った。語ったところで、ご婦人にとってなんの徳にもならない縁起の悪い奇っ怪な話であるとミサチは納得していた

。そうこうするうち、ご婦人は諦めたようミサチに何の新情報もないことを悟ったのか、それ以上の質問をしなくなった。


婦人「母はあなたには何も語らなかったというわけなのね」


ミサチ「はい」


ご婦人は、ミサチがとんでもない話を知っているのではないのかと、怪訝深げにミサチの様子を探っていたのかもしれない。しかし何もないことを知り、ようやく安堵したようだった。


ミサチ「ときに奥さま、昔は明るくて闊達だったお婆さまが、突如として黙して語らずになったのは……何かあったのですか?」


ご婦人は、眉間に物憂い表情を浮かべ思い出しながら語る。


婦人「昭和の50年代でした。主人と娘2人と都内から村に越してきたんです。長女が中学2年、次女は小学5年だったわね」


ミサチ「育ち盛りのお子さまたちとお婆さまは、どのような感じでしたか?」


婦人「ええ、特に揉め事はありませんでした。主人も娘たちも母のことをほんとうに好きでしたので。母も主人と娘たちととても仲が良かったんです」


それなのに、その後、ご婦人とお婆さんとの間を断絶してしまうような出来事が起こったという。


婦人「長女が成人して、中学時代から親しかった幼馴染みと結婚したいと言った途端でした」


ミサチ「幼馴染みの、そのお相手が何か?」


婦人「突然ですよ、母ったらいつもは娘たちに怒ったこともないのに。突然母が長女の結婚に猛烈に反対し続けて」



…………お婆さんが孫娘の(ご婦人の長女)の結婚に執拗に反対した理由。それは、



中学時代からの幼馴染みの、お相手の男性の出自がなんと、お婆さんを虐め抜いた挙げ句に馬に蹴られて死んだ、お婆さんの亭主の兄嫁の実家…あの空き地の忌まわしい根源の家だった。長女の結婚相手の男は、あの家の直系の男性だったのだ。


そうして、

お婆さんは孫娘(ご婦人の長女)の結婚と同時に頑なになり寡黙になってしまった。忌まわしい連鎖がお婆さんの孫娘に繋がってしまったという。孫娘は結婚し、仕事の都合で東京へ。そして次女も他の地方に嫁ぎそれぞれの家庭を築いたという。


婦人「それから、長女に子供が生まれて。母にとっては曾孫(ひまご)ね、男の子で」


ミサチの身体に再び寒気が走った。ミサチにはもう、それだけでわかってしまった。その男の子はもうこの世にはいないんだな、と。


婦人「つたい歩きを始めた頃にインフルエンザ脳炎で。ショックでした。母もそれはもう悲しんで、それでわたしたちとの会話も無くなってしまいました」



…………その後、この家系に男子は生まれなかったそうだ。



仲睦まじく家庭を築き暮らしていたご婦人の長女と次女。幸せな筈が残念なことに離婚続き。そして、ご婦人の亭主も亡くなり女系家族に。


カフェテリアを出て、帰り際にご婦人がミサチに言った。


婦人「亡くなった主人の墓は東京にあるんだけど。主人は亡くなる最後まで東京に戻りたいって言い続けて。それから母も亡くなって、娘のわたしとしては母への一応の孝行は果たせたと思います。それでね、娘たち孫たちと話し合って、住まいを売り払って村を出ることに決めたところなんですよ」


ミサチ「そうでしたか。なにも存じ上げませんでしたが、お婆さんからお借りしていたハンカチ、間に合って良かったです」


婦人「ほんとね、わざわざありがとうございました。母のこと、少しでも知っていてくれる人がいて良かったわ。お会いしたばかりで、すぐのお別れになるけれど」



…………こうして、この出来事は終わる。



しばらくして、お婆さんが守ってきた農園は分譲菜園として売却され人手に渡り、広々とした邸宅・庭園は更地になった。翌年、この立地条件の良い広大な更地は10区画の最新型分譲戸建てに変化した。


そして、

あの雑草の空き地は…何年も何年も放置されていた空き地も、区画分譲され何軒かの戸建てに変化した。人も近寄らないあの薄暗く不気味な空き地は若いファミリー層が集う住宅地になった。


そんな住宅地の中、あの出来事の最初にミサチが見たものと、お婆さんから聞いた話の場所……空き地の端にあったという小屋の場所。その場所に建てられた家だけが、買い手は付くものの住人が数ヵ月で引っ越して出ていってしまう。幸せそうな若い夫婦と小さな子供たちがはしゃぐ声の世帯が、かれこれ3~4回ほど代わり、そしていつの間にか空き家になり、その後は何年もそれっきりである。



なにか、今もそこだけが百年以上も昔のままの、村の隠された遺物なのかもしれない。





怪談:東北から来た嫁






私(原田縷縷)が幼い頃、近所には幕末の生まれ、明治生まれ、大正生まれの老人・壮年の方々が健在でした。民話や伝説「そんな出来事が昔はたくさんあったんだよ」という話が得意な田舎の人々。幼児期・子供時代・思春期・青春期・成人し、そして現在に至るまで……村社会や百姓の文化の中で語り継がれてきた他愛もない噂話の数々を、実録形式で書き上げたオリジナルホラーです。作中に登場する場所・人・団体・店舗等は実在するものではありません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ