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ポニーテールは超能力と共に

作者:三衣 千月

 学生は、いつの時代も可能性に溢れている。
 それは彼らの持つ未来までの時間の代言であり、不確定な明日を希望で満たしたいと言う願望の現れでもある。

 思っていてもなかなか本音を出せなかったり、周りに迎合して言葉を飲み込んでしまう事もあるだろう。集団生活を送る学生達は時に規律に縛られ、時に団結を強要される。
 しかしそれは同時に自由への渇望を産み、孤高を目指す原動力となる。

 仄暗い渡り廊下の片隅で、自らの大器を信じて疑わず、それでいて楽して世の中渡って生きていたいと心の底から願う男子学生がいた。
 彼は今日も校舎の一角を不法占拠し、未だ見ぬ未来の偉人たる自分を想像しては己の進むべき道を考え続けている。



   ○   ○   ○



 三階建てである校舎のその三階。最上階の渡り廊下は利用する者が少ない。校舎の構造上、特別教室が近くにある訳でもなく、通常教室もない。空き部屋が並ぶ一角を結んでいるだけのその場所は校内の生活動線から切り離された場所だった。
 そのような場所は、悪ぶりたい者達の格好の溜り場になることは想像に難くない。しかしこの高校ではそのような風景は見られない。変わりに男子高校生が一人、サボテンを植えた鉢植えに向かっていつでも手をかざしているというのは校内で知らぬ者のない話である。

 興味本位やからかい半分でその場所を訪れた者は皆、帰ってきて口を噤む。何を見たか、何をしたのかと聞いても「いや、まあ、その、何も」と口を濁す。
 憶測は尾ひれを産み、ついには背びれ胸びれまでくっ付いて何だかよく分からない噂話へと組みあがってゆく。

 最も新しい説では、三階渡り廊下のその場所は霊界と繋がっており、訪れるものは吸い込まれてしまうのだという。それを食い止めているのが件の男子高校生であり、彼はイタコの末裔なのだという。校長の弱みを握って校内の一部を私有地化し、イタコの力を使ってあくどい商売にも手を染めているのだという。

 実に荒唐無稽な話である。二割程度しか真実が含まれていない。しかし、噂話などと呼ばれる類のものは、得てしてそのようなものである。

 ともあれ、彼は遠巻きにされている存在だということである。
 寄るな危険、話すな危険、ご意見危険に天地危険。ありとあらゆる様々なレッテルを貼られているのが、渡り廊下の主であるその男子学生だった。

 当の本人はと言えば、周囲の好奇の眼は一切気にせず、今日もその場所でサボテンに手をかざしている。自らの大器の一片たりとも疑わずに。
 渡り廊下は吹きさらしであり、吹く秋風は少し肌寒い。にもかかわらず物言わぬ石像のように同じ姿勢を維持し続ける彼の隣で、ごとりと重たい物が地面に置かれる音がした。

「おい、ペテン師。そこでサンマを焼くな」

 彼は振り返りもせずに自らのテリトリーに入ってきた存在に忠告する。

「なんだいなんだい、廊下先輩。
 秋空の下、七輪で焼いて食うサンマほど美味いものはないのに」

 彼らはこの渡り廊下の主達だ。
 いつでもサボテンに手をかざし不動を掲げる者が一人。ペテン師と呼ばれる者が一人。噂話にはこのペテン師の存在はなかった。なぜならば、噂の大元はこの人物だからである。自ら誇張表現をふんだんに含んだ噂話を流し、人払いの役割を果たさせたのである。これがペテン師の、ペテン師たる所以であった。

「七輪なんか初めて見たぞ」

「僕んちのお屋敷は古臭いもんで」

 相変わらずサボテンから目を離さず、そして身じろぎ一つせず彼は言う。対してペテン師は何でもないといった風に屋敷の蔵から持ち出してきたと述べた。
 いそいそと炭を入れ、じっくりと火が強くなるのを待つ。

「だから焼くなと言っただろう」

 その声に返事はない。ペテン師はもう七輪に向かって全神経を集中していたからだ。そしてペテン師が無口になれば、この空間は誰も言葉を発することが無くなる。炭のはじける音が控えめに鳴る中で、ひどく不釣り合いなほどの音量で学校のチャイムが響いた。
 それは五限目が始まる合図であり、彼らも学生なれば当然学業に勤しむべきであるのだが、根でも生えたように彼らはそこから動かない。

 十分に火も強くなり、サンマを意気揚々と七輪に乗せていくペテン師。
 秋風にサンマの香りが程よく拡がる頃合いになって、静寂は静かに破られた。
 渡り廊下に現れる一人の女生徒。毅然とした態度で渡り廊下を占拠する二人の元へと歩いてくる。

「おい、ペテン師。客だ」

「廊下先輩が相手してよ。僕、サンマで忙しい」

 そして二人の目の前まで歩みを進めた彼女は、二人を交互に見た。サンマを焼いている方と、少し目が合った。しっかりと閉じられた口を開き、一度息を吸い込んで呼吸を整えてから言った。

「ポニーテールの抜け殻」

 その言葉を聞いて、ペテン師が口の端を上げる。もう一方の彼は相変わらず不動のままだが。嬉しそうな表情で立ち上がったペテン師は、渡り廊下を訪れた彼女を正面から見た。

「やあ、"五限目の舞台裏" へようこそ。仲間入り希望……じゃあないね。
 僕はペテン師。そこのは廊下先輩ね」

「はい、あの……」

「いやあ、言わなくていい。心を読むから。見てて」

 ペテン師は右手をすぅっと女生徒の前にかざす。そのまま指先をひらりひらりと動かすと、女生徒はそれにつられるように目で動きを追った。

 五限目の舞台裏。それは秘密組織であり巧妙に隠された存在でもある。悪の組織でもなんでもなく、ただ依頼を受けてトラブルを解決するだけの一般的な集まりである。メンバーは二人。廊下の主とペテン師の二人である。
 ただし、余計な情報の混ざった噂話から、正しい情報だけを探り当ててこの渡り廊下に辿りつける者だけが依頼を出す権利を持つ。そして五限目の間のみ受付。合言葉は先ほどの "ポニーテールの抜け殻" である。そうそう辿りつける者はいない。

 さっと髪をかき上げ、ペテン師は女生徒に言った。

「君、一年生だよね。すごいじゃないか。
 入学して半年で僕らの所に辿りつくなんて」

「あ、はい、ありがとうございます」

「さて、と。依頼は彼氏の説得かあ。
 廊下先輩が苦手なヤツだ。こういうのは僕の出番だね」

 女生徒が目を丸くする。どうして、何も言っていないのに分かったのだろうか。噂話を紐解いて知ったように、本当にこの人たちは超能力者なのだろうかと声が出なかった。
 彼女がどうしてと聞く前に、不動の彼が言った。相変わらず、ずっとサボテンに手をかざし続けている。

「勘違いしないで欲しいんだが、ペテン師に超能力は無いぞ。
 そいつは単に憶えているだけだ。全校生徒のゴシップやら噂話をな」

 だからこそのペテン師。人の弱みに付け込むことも、心の死角を突くこともお手の物だった。ペテン師はあえてゆっくりと言う。

「なんでばらすのさ。確かにそうだけど。
 でもね、君がすごく悩んでいるのは分かる。
 髪の毛やお肌を見れば睡眠不足だと分かるからね。
 それに、君は僕と話す前に下唇を噛んだ。言いにくいことだって証拠さ」

 その言葉に安堵を覚えたのか、それとも隠し事はできないと諦めたのか。彼女は息をゆっくりと吐きだしながら、事情をぽつりぽつりと話し始めた。

 渡り廊下の主はその段階になってようやく彼女の方を向き、何も言わずに話を聞き続けていた。



   ○   ○   ○



 翌日、女生徒から聞いたことを彼らは渡り廊下で再度確認しながら状況を整理していた。

 フライドポテトプリンセス事件。それは一月ほど前の九月に起こった奇妙な事件だった。その日は校内の文化祭であり、模擬店やら舞台やらで盛り上がっていた。模擬店の一つにフライドポテトを扱ったクラスがあり、そこでポテトを食べた連中がまるで催眠術にでもかかったかのように売り子であった一人の女生徒の虜になってしまったのだ。
 周りがパニックになる中、一番慌てていたのはその売り子だったと言う。何か異物でも混入したのではないかと騒ぎになりかけたが、全員がそのような症状を起こした訳でもなかったため、一種の集団心理のようなものが働いたのだろうと思われていた。

 しかし数日、数週間経っても虜になった者たちが正常に戻る気配は無く、それどころか勢力を拡大して一種のファンクラブのようなものにまでなっている状態である。

 依頼主も、彼氏と一緒にそのフライドポテトを食べた。そして見事にその売り子の虜になり、彼氏を元に戻したいのだと言った。

「いやあ、あれは確かに面白い事件だったよ。
 でも、僕も食べたけど何ともなかったけどなあ」

「まあ、模擬店の味だったな」

「僕がわざわざ買ってきてあげたんだからね。
 ちょうど、売り子も笠置(かさぎ)さんだったし」

 二年B組、笠置このは。それが一部生徒を虜にした張本人の名前だった。

「彼女の情報、調べてあるか」

「もっちろん。僕を誰だと思ってるんだい」

 そう言ってペテン師は調べた情報を朗々と語りだす。
 帰宅部。両親は無し。ニートの兄一人。成績優秀、容姿端麗。周りからの人望は厚く、教師からの評価も高い。志望校は富倉(とみくら)大学。

「スリーサイズ、いる?」

「いや、事件に関係はなさそうだ。
 しかし、兄の存在以外は何とも完全無欠だな。何か弱点は」

「それが無いんだよ。ファンクラブの連中にも言ってるみたい。
 あんまり大げさに活動しないでくれって」

 渡り廊下の主は「ふむ」と一つ呟いてから、サボテンにかざしていた手を引いて立ち上がった。それを見てペテン師は目を丸くする。

「廊下先輩が立った!? 楽して人生渡りたいはずの先輩が……。
 もしかしてこれ、相当な難事件?」

「俺のことを分からん奴だな。
 ペテン師が調べてそれだけしか出ないんだ。
 よほど隠すのが巧いか、本当に完全無欠なのか。
 直に確かめた方が楽だろう」

 渡り廊下の主は、いつでも楽をして生きていたいと願っている。しかしそれは岩のように不動を貫くことではない。自堕落に何もしない事と、楽に生きることは明確に違うと彼は思っている。
 彼の望む楽とは、最も効率よく人生を渡り歩くことに他ならない。

 例えば現在何もせず、それが原因で将来100の労力を要してしまうならば、現在において10の労力を割くことで未来の労力を90未満にすれば良い。それは彼のいう所の楽に生きるための方策になるのだ。
 ボランティアと呼べるような人助けをしているのも、それが将来の楽につながると信じているからだった。ただし、何の根拠もそこには無い。

 放課後を待って、渡り廊下の主は二年B組へと赴いた。
 教室に顔を出すと、生徒たちがざわつく。「主だ……」「渡り廊下の主がどうしてここへ?」彼らのざわめきを聞かないことにして、彼は目的の人物、笠置このはに声をかけた。

「少し、時間をもらえるか」

「あ、はい。先輩は、その、渡り廊下の人ですよね?」

「そうだ。FPP事件の事を聞きたい」

 フライドポテトプリンセス事件。略称、FPP事件である。彼女が何か事件に関わっているのか、それとも巻き込まれただけなのか。それを見極める必要があった。

「私もびっくりしたんです。
 その、あんな事になって」

「……なるほどな。厄介だ」

「あの、何か問題が?」

「ああ。すまないが一緒に来てくれ」

 クラスが未だざわつく中、主は笠置を引き連れて階段を上がる。二年の校舎は二階なので、渡り廊下へ向かうためには上へ向かわなければならない。

 階段前で二人の前に立ちはだかったのは、一人の男子生徒だった。

「我らが姫に何をする!」

 主はこれが今回の依頼人の彼氏かと理解し、すぐ後ろを付いてきていた笠置に向かって「下がらせてくれ」と頼んだ。
 笠置は一言二言だけ言葉を交わし、男子生徒はその場に片膝をついた。慌ててそこまでしなくてもと肩を持てば、男子生徒は恍惚の表情で「生涯に悔いなし」と言った。



   ○   ○   ○



 笠置を渡り廊下に連れて戻ると、ペテン師が目を丸くした。

「あれ、あなた隣のクラスの……」

 笠置のその言葉が終わらぬうちに、ペテン師は人差し指を口に当てて意地悪い笑みを浮かべた。

「ここではペテン師って呼んでよ。で、彼は廊下先輩。
 ここに僕がいるのは誰にも内緒だからね」

 渡り廊下の主はまっすぐにサボテンに向かって歩き、いつものように手をかざし始めた。その様子を見て、ペテン師は笠置に向き直った。

「何て呼ぼうかなあ。笠置嬢、芋姫、マム・ポテト……。
 今や、校内じゃちょっとした有名人だもんね。
 嫌がらせとか、されてない?」

「ええ、何も……。みんな、いい人ばかりだから」

「でも、後悔してるでしょ」

 びくりと、笠置の肩が跳ねた。視線を逸らして渡り廊下から校舎の方を眺める。

「ファンクラブができて、君は後悔してる。
 困ったこともないって言ったのに。どうして?」

「それは、その……」

 口元に手を運ぶ笠置。ペテン師は内心で考えた。彼女は何か隠している、と。口元を隠すのは秘密を隠したい時か自信がない時だ。

「おい、あまりいじめるな、ペテン師」

 主が背を向けたまま言う。

「彼女、俺と "同類" だ」

「え、そうなの!?」

 くるりと向き直り、笠置に向かって渡り廊下の主は話しかけた。

「系統は違うようだがな。
 心の中で考えてくれ。昨日の晩飯は?」

 笠置は口を噤む。そして数秒の後、唐突に渡り廊下の主は「里芋のバター炒め」と言った。

「たまたま……ではなく?」

「なんだ、疑り深いな。
 じゃあ次、尊敬する人を考えてくれ」

 そして同じように数秒の後に言い当てた。

九ノ宮(くのみや)お姉ちゃん、か。誰かは知らないが」

 そこまで言って、ふたたび笠置とペテン師に対して背を向けた。

 渡り廊下の主は、人の思考が読める。それはペテン師しか知らなかった彼の秘密である。それをいともあっさりと告白してしまうくらいなのだから、この笠置という存在が特別な能力を持っているというのも真実なのだろう。
 ペテン師はその事実に少し嫉妬した。

「えー、じゃあ笠置ちゃんの力って何なの?
 そういう超能力方面に関しては観察のしようがないや」

「えっと、変なのだけど笑わないでね。
 芋を食べさせた相手の好意を上げられるの」

 なぜ芋なのか。なぜ好意が上がるのか。そこに理路整然とした理屈は存在しない。説明できてしまうようならば、超能力などと一括りにされて腫れ物扱いなどされないからだ。
 そういうものだから、しょうがないのである。

「でも、僕も食べたよ。笠置ちゃんのフライドポテト。
 そこの廊下先輩も」

「制限がある。彼女の視界の中で食べた者限定だ。
 俺が目を合わせなければ読めないのと同じだな。
 そして厄介なことに、彼女は制御する方法を知らない」

 目を合わせなければ、という文言に少し安堵したのか、笠置は大きく一つ息を吐いた。そして申し訳なさそうに「実は、そうなの」と言った。

 芋で好感度を上げられる事に気が付いたのは、数年前らしい。それからは極力そのような状況に陥らないように避けてきたと言う。
 しかし文化祭の当日。急に売り子を頼まれ、断る間もなく配置についた彼女は大いに焦った。なにせ、品物がフライドポテトである。混乱を招くのは目に見えていた。それでも下を向いたり、できるだけ遠くのベンチを案内したりと可能な限りの抵抗はした。

 だが、それがいけなかった。
 奥ゆかしくて気配りのできる可愛い売り子がいると噂され、客足は大いに伸びた。結果、あの事件がおきたのである。

 事情を聞いた後、ペテン師は依頼主である一年生の女子生徒のことを明らかにした。それを聞いて、笠置は申し訳なさそうに顔を伏せる。

「私、謝らなきゃ」

「でも、どうやって謝るの?
 超能力が原因で、なんて言えないでしょー」

 それに、謝った所で解決方法が分からなければどうしようもない。能力を解除する方法があるか。または上書きできるような方法はないか。
 それを知れば解決できるとペテン師は考えた。

 しかし、渡り廊下の主はそうではなかった。

「少し、話を聞いてくれるか」

 背を向けたまま、彼は続ける。

「俺は心を読める。しかし、ペテン師は心を読めない。
 これは大きな違いだと、誰しもがまず思う」

「大きな違いだと思います。普通の人には、超能力なんて無いですから」

「いいや、違うな。些細なものだ。
 小指を曲げられるか、そうでないかの違いと同列だ」

 できる人間と、できない人間がいる。それは何も超能力に限った話ではなく、ほんの些細なことから個性と呼ばれるものまで様々だ。
 上手に歌える者がいる反面、音を認識することを苦手とする人間がいる。生まれつき目が青い者もいれば、そうでない者もいる。

 超能力があるかどうかなど、それくらいの違いに過ぎないと、そう渡り廊下の主は背中を向けたまま言った。

「大切なのは、そこから先だ。
 己を恥じてはいけない。流されてもいけない。
 いつでも自分を最もよく知るのは自分だ。
 君はもっと、堂々としていればいい」

 笠置は胸の前で手を握る。こんな能力がなければと思っていた彼女にとって、それを肯定してくれる者の言葉は嬉しかった。反面、それもまた心を読まれて単に欲しかった言葉をかけてくれただけではないだろうかと疑念が頭をよぎる。
 その表情が表に出たのをを見逃さずに、ペテン師は首を横に振った。

「大丈夫だよ、笠置ちゃん。
 僕も心を読まれて長いけどさ。
 廊下先輩は、読まれてほしくないことは読まないから」

「そ、そうなの? あ、いえ、ごめんなさい。
 私そんな、疑うようなつもりじゃ……」

「いや、当然の反応だろう。こいつが少しおかしいんだ。
 本当に隠したい事は、緑色の(もや)がかかって見えにくくてな」

「ちょっとー。僕がおかしいって聞き捨てならない。
 廊下先輩の方がよっぽど変人だからね」

「なんだとこのペテン師め」

「悔しかったら僕の方を向いて心でも読んだらどうだい。
 あらん限りの猥褻(わいせつ)な妄想をしてやるからな」

「やめろ、お前の桃色の(もや)なんぞ見たくもない」

 笠置がそのやりとりを見てクスリと笑う。主の言葉が本当かどうか、確かめる術は笠置にはない。それでも、彼女はそれが真実なのだと心のどこかで理解していた。
 廊下の主が、変わらず背中を向けているのがなんだかおかしかった。



   ○   ○   ○



 翌日。土曜日の公園に、笠置はいた。
 そこにペテン師が依頼人である一年生とその彼氏を連れてきてくれると言う。渡り廊下の主は町は人が多いので不参加だということだった。
 不安な気持ちはあるが、渡り廊下の主は背中で語ってくれた。いや、正しくは背中を向けたまま語ってくれた。大丈夫だと。

 しばらく待っていると、一年生が二人、こちらに向かって歩いてくる。そのうちの一人は、昨日三階に上がる時に渡り廊下の主に立ちはだかった人物だった。

「あの、来てくれてありがとう」

「とんでもありません! お呼び立ていただけましたらば、どこへでも!」

 彼は大げさにそう言った。実際、大げさでなく彼は呼ばれればどこへでも行くだろう。その彼の隣で、そっぽを向いて立っている彼女を見て、笠置は何と声をかけようかと迷った。
 彼女の服装はとてもおしゃれなもので、時間をかけて用意をしたのだということが見て取れた。

 一体なんと言って呼び出したのだろう。
 それでも意を決して口を開く。

「えっと、ごめんね。私のせいで嫌な思いをさせたって、友達から聞いたの。
 あなた達が気まずい関係になるのは、あの、申し訳ないなって」

「違いますっ!」

 大声でそう言ったのは、依頼人であるはずの彼女だった。彼も笠置も驚いて彼女を見た。顔を赤くして、彼女は涙を堪えている。

「笠置先輩が悪いんじゃないんです……。
 ただ、アタシが、アタシが……」

 これはどうしたことだろうかと困惑する笠置の元に、救世主が現れた。ジーンズにパーカーを合わせただけのラフな格好のその人物は、やってくるなり「やあ」と気さくに右手を挙げた。

「廊下先輩が、行けって言うからさあ。
 僕は大丈夫だと思ったんだけど、一応ね」

「あ、あの、ありがとう」

 何でもないといったようにひらりひらりと手を振って、そのまま言葉を続ける。

「彼女はね、笠置ちゃん。君に好意を寄せてるんだ。
 だって、彼女もフライドポテトを食べただろう?」

 依頼人である彼女の肩が震える。その横で、彼は軽く彼女の肩をたたいた。

「なんだよ、お前も好きなんじゃねえか」

「へ、変じゃないの?」

 怯えたようにそう告げる彼女に対して彼は笑った。

「どこが変なんだよ、逆に。俺と同じなんだろ?
 尊敬する先輩が好きで何がおかしいんだよ。
 だいたいお前、姫様と家来は身分が違うぜ」

「だって、だって……」

 ついに彼女の目からは涙がこぼれだした。

「今日も、笠置先輩に会えるって思ったら、アタシ、嬉しくって……。
 でも、アンタの彼女だし、女の人を好きになるって、変だって思って」

 なるほど、おめかしは彼のためではなく自分のためだったのかと笠置は面映い心持ちになった。それを見抜かれでもしたのか、笠置の隣で意地悪く「にひひ」と笑う人物が口を開いた。

「恋愛感情と尊敬の念は似ているものだよ。
 笠置ちゃんはその辺り分かってくれてるから。
 大丈夫大丈夫。僕が保証するよ」

「う、うん。気持ちを向けてくれるのは、本当に嬉しい。
 私は、先輩としてあなた達と接していけたらと思ってる」

 泣き顔を抱きとめるように笠置が優しく包めば、堰を切ったように、彼女は大声で泣きだした。そして彼は横で片膝をついて、「姫の仰せのままに」と首を垂れた。

 しばらく後、気持ちもいくらか落ち着いたと見て、笠置は改めて二人に提案する。

「何だか色々とごめんね。
 仲直り、って訳でもないんだけど、お詫びに何かごちそうする。
 あそこのメロンパンなんかどう?」

 移動販売のワゴンが公園の前には停まっていた。甘い匂いがこちらまで届くほどである。しかし一年生の二人は揃って首と手を高速で横に振った。先輩、まして憧れの人に奢ってもらうなど畏れ多いのだろう。

「いいから奢られておきなよ。
 姫の寵愛を賜るのも、臣下の務めだよ。
 じゃ、僕はこれで」

 そう後輩たちに言って、来た時と同様、軽快にその場を去ろうとすると背後から笠置が声を掛けた。

「一緒に食べないの?」

「僕の主は廊下先輩だからねー」

 去ってゆく背中を見ながら、少し距離が空いたところで笠置は声を投げた。

「由美ちゃん! 私、あなたにもお礼がしたいの」

 ゆっくりと振り返って、パーカー姿の彼女は言った。

「やだなあ。僕、お礼されるような事したっけ?
 それに、僕のことはペテン師って呼んでよね」

「いいの。ここは、渡り廊下じゃないもの。
 私、友達の事をペテン師なんて呼びたくない」

 してやられたとばかりに笑い、彼女はそれでも再び後ろを向いて歩きだした。

「それでも今日はお暇するよ。
 仲良く親交を深めてねー」

 飄々と彼女は去って行った。高く結い上げられたポニーテールをリズミカルに揺らして。それを背後から見つめながら、笠置は心の中でありがとうと呟くのだった。



   ○   ○   ○



 日曜日の朝は学生にとって惰眠を貪る事のできる数少ない機会である。
 しかし笠置はそうしなかった。彼女が来る。なんとなく、そんな気がしたからである。

 ニートの兄を部屋に押し込み、家の掃除をしていると玄関で呼び鈴が鳴った。扉を開けてみれば、やはり想像通りの人物がそこに立っていた。

「やっほー。笠置ちゃん。驚いた?」

「ううん。きっと由美ちゃんが来ると思って待ってた」

 驚いたように顔を作ったあと、彼女は「うへへ」と笑った。

「サプライズ失敗かあ。僕もまだまだだねえ」

 二人は笠置の部屋で互いに座る。彼女は、事件の種明かしに来たと言った。
 最初に一年生の依頼者が来た時に、渡り廊下の主には全て分かっていたのだと言う。それを指摘した所で解決できるような問題ではなかった。正しい意見や正論をただ述べられても、人は納得しないし前に進まない。
 実感を伴った理解が、己の心を理解する唯一の方法だと彼は言ったのだ。そのために笠置を巻き込むような形になって申し訳ないと言伝を預かり、彼女は家を訪れたのだった。

「気にしなくていいのに。私こそ、自分に自信が持てた。
 ねえ、由美ちゃん。廊下先輩って、どうしてサボテンを見てるの?」

 ずっと気になっていた事を笠置は聞いた。うーん、と唸ってから彼女は天井を見た。話してもよいものかどうか悩んでいるらしい。しかし、十秒と経たぬうちに視線を戻し、にぱっと笑った。

「話すなって言われてないからいいや。教えたげる」

「え、あの、いいの?
 複雑な事情なんだったら……」

「止められてないってことは、止めないってことだよ。
 話しちゃダメなんだったら、僕の心を読んだ時に止めてる」

 なるほどと一応の理解は示しつつも、まだ遠慮がちに、それでも興味には抗えず、彼女の話に耳を傾ける。

 あのサボテンは、彼の未来のためのものなのだと言う。彼は心が読めるが、読めるだけで何かしらの影響を与えることはできない。心を読めてしまうが故に悩む事も多く、言いたい事と言わなければいけない事の境目を見つけることが困難であるので、彼は人との接触を避けて過ごしている。

 人生、楽に過ごしたい。
 これは彼の願いである。そして、願いはただ願っているだけでは実現しない。彼の言うところの楽とは、できるだけ効率よく、労力をかけずに成果を得ることである。
 サボテンが咲けば、新しい何かが分かり、自分は先に進める。渡り廊下の主はそれを確信していた。理屈も理論も無く、ただそう信じていた。彼は自らが大器だと信じて疑っておらず、故に自らの信じるものは間違いなく信じられると信じている。

「あのサボテンが咲いたら、先輩は新しい道に進めるんだってさ。
 相変わらず理屈なんてナシ。分からないけど、そうなんだって」

「それで、由美ちゃんはそんな先輩が好きなのね」

「そうだね。でもなあ。変な人だからなあ。
 先輩って、すごく屁理屈こねるし」

 クッションにぼふんと頭を埋め、そのままの姿勢でポニーテールだけひらひらと振ってみせた。そして聞かされた渡り廊下での数々のやりとりは、笠置にとってとても愉快なものだった。部屋からは笑い声が絶えず、時間はあっという間に過ぎていく。

 唐突に、少し待っていてと席を外した笠置は、ティーセットを持って部屋に戻ってきた。トレイには紅茶とスイートポテトが乗せられている。

「僕、笠置ちゃんの虜にはなりたくないなあ」

「ちゃんと私、後ろ向いてるから。
 私の自信作。ちょっと、兄に手伝ってもらったけど」

 笠置が後ろを向いたことを確認してから、一つ口に放りこんでみる。滑らかな口溶けと芳醇な香り。上品な甘さは程よく舌に残り、それでいて濃厚に感じられた。

「……これを毎日食べられるんだったら、僕、笠置ちゃんの嫁になる」

「そんな大げさな。それでね。
 私、由美ちゃんにもお礼したいって言ったでしょう」

「うん、これは確かに極上の報酬だよ。
 廊下先輩にあげるの勿体無いと思うな、僕」

 しかし笠置はゆっくりと首を横に振った。

「私の能力、ちょっとだけ訂正するね」

 笠置は芋を食べさせた相手の好意を増幅させることができる。そして、自らの手で調理の手順を踏まえれば踏まえるほどその効果は高くなる。
 何よりも、多くの行程を踏まえたものであれば、第三者が使用してもその効果は得られるのだ。文化祭ではただ揚げるだけという点で能力は抑えられたが、しっかりと手を掛けてつくったこのスイートポテトは違う。
 それを、背中を向いたまま友に伝えたのだ。

「はあん。なるほどー。それはちょっと、いやかなり魅力的だね」

「でも、きっと必要ないって言うのも分かってる」

 笠置が振り返る。二つ目に手を伸ばそうとしていた彼女は能力の範囲内に入ってしまうと思い慌ててそれをトレイに戻した。ごめんなさいと慌てて言う笠置に、彼女は笑って気にしないと答えた。

「僕には、勿体無いよね。
 先輩も笠置ちゃんも能力者だからねえ。
 持たざる者には、持たざる者の意地があるのさ」

「知ってる。最後の手段があるって、知っておいて欲しくて。
 私は、由美ちゃんの味方だから」

「とっても心強いや。
 ほんとにありがとう」

 彼女らは背中合わせに極上のスイートポテトを楽しんだ。それは、笠置が初めて得た気の置けない友との時間であり、また互いにとってもそうであった。ペテン師と自称して人を観察し続ける彼女もまた、気を許せる友などなかったのだから。



   ○   ○   ○



 めでたく事件は解決し、渡り廊下の主はようやく落ち着けると思っていた。不動に戻れたことを彼は喜び、今日もサボテンに向かって手をかざす。五限目が始まる合図は既に鳴ったが、何も気にすることはなかった。

 相変わらず物言わぬ石像のように座る主の傍ら。サボテンの鉢植えに、横からひょいと手が伸びて中身の抜けた毬栗(いがぐり)がサボテンの隣に置かれた。

「おい、何をする」

「どう? 栗の抜け殻。公園で拾ったんだー。
 僕はね、先輩。サボテンの花が咲かなければいいなと思ってる」

 ペテン師は彼を見ることなく、少し移動して彼と背中合わせに座った。

「廊下先輩はさ。楽して生きていたいんでしょ」

「そうだ」

 自らが楽をして生きるための方法を、彼は真剣に模索している。誰もが流されて未来へと自己意思なく辿りつく中、彼はそれを良しとせずに辿り着くべき未来を見据えるまで流れに逆らってその場に座り続けているのである。
 そして未だ花は咲かず、未来は見えない。

「サボテンが咲いたら、廊下先輩は動き出すよね。
 それって、楽じゃなくなると思うんだよ」

「相変わらず俺の事を分からん奴だな。
 楽に生きるというのは、何もしないことではないぞ」

 ペテン師は凭れかかるように体重を背中に預ける。力の釣り合いをとる様に背中からぐいと押し返される力を感じる。お互いに背中を預け、お互いがお互いを支えている。

「うへへ、本当だねえ。力をかけているのに、楽だねえ」

 何も言わなくても、彼は彼女の望みが分かるようだった。いや、実際に分かっているのだろう。それでも、彼女は何も言わずに行動で示してくれる彼の優しさが嬉しかった。

「しかしなあ。お前の髪が邪魔だ。
 こっちにかかってこそばゆいぞ」

「ひどいね、廊下先輩は。女の髪に向かって邪魔だなんてさ」

 反動をつけるようにしてペテン師は立ち上がる。勢い、バランスを崩して倒れそうになる彼を手で支え、けらけらと笑って見せた。
 サボテンから目を離して、彼はペテン師を見る。その視線をしっかりと確認してから、彼女はハサミを取り出した。何の躊躇も無く、彼女は結い上げてある髪を手に取り、そして切り落とした。はらはらと彼女の黒髪の切れ端が秋風に舞う。
 手に一掴み残った髪束を毬栗(いがぐり)に巻いて、小さく「うん」と呟いた。

「ポニーテールの抜け殻」

 楽しそうに彼女が指さして笑う。そして彼はその横のサボテンとそれを見比べて、次に彼女が何を言おうとしているのか理解した。

「分かった。好きにしろ」

「ちょ、先輩! ここで心を読むのはやめてよ!
 こういうのはちゃんと言わせてくれないと」

「分かり合っているならいいだろう。
 恥ずかしいんだからやめてくれ」

 彼女の口の端がきりりと吊り上がる。その台詞が聞きたかったのだとでも言いたげに。そしてその仕草を見て、彼はやれやれと息を吐き、それでもどこか楽しそうなのだ。

「僕は廊下先輩の隣にいるよ。
 明日も、明後日も、何年後でも」

 彼はゆっくりと立ち上がり、彼女の頭に手を置いて再び言った。

「分かった。好きにしろ」

 そしてそのまま歩きだす。彼女も足取り軽く彼の後を追う。二人が渡り廊下を去った後、鉢植えのサボテンには小さく白い花がニつ。秋風が爽やかに渡り廊下を撫で、控えめなその花を少しだけ揺らすのだった。

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