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第八話 はじめての電話

 博物館に行く約束をしたその日は、図書館で本を借りたあとに夕飯の買い物をし、寄り道もせず家へと帰った。

 まだ外は明るく、帰宅は十六時よりも前。

 小学生も驚く早さだ。


 いつもよりも早めに夕飯を済ませ、シャワーも浴びて、パジャマ姿で長い黒髪を乾かす。

 本をきりのいいところまで読んで、ふと時計を見ると、いつの間にやら二十一時を過ぎていた。


 中途半端に時間をもてあまし、テレビをつけるとバラエティ番組がやっている。

 画面の向こうでは、最近はやりのタレントたちが、バレンタインデーについて楽しそうに語っていた。



「バレンタインって、ハラハラドキドキしますよねぇ。好きな人は私のチョコを受け取ってくれるかなぁって」

 ふわふわした女性アイドルが上目づかいで話す。

 それをきっかけにして「可愛いー」という男性芸人の声と「あざとーい」という女性タレントの声が飛び交っていく。



 バレンタインに、好きな人、ねぇ。

 私には一生、縁のない話だろう。

 世間一般でいう結婚適齢期である今も“好きな人”どころか“チョコをあげたい人”と考えたところで、誰の顔も浮かばないくらいだ。


 私はきっと、あのアイドルとは違い、このまま一人で生きていく。

 恋だの愛だのというあやふやなものに傷つけられることもなく、男という移り気な生き物に頼ることもなく一人、強く。


 ずっと、このままでいい。

 むしろ、こういう生き方のほうが気楽だし、よっぽど自分らしく生きていける気がした。



 大して興味のない話題で盛り上がるテレビをそのままに立ち上がり、マグカップにミルクを入れて電子レンジにセットしていく。


 普段はミルクなんて飲まないけれど、今日ばかりは特別だ。

 最近の私は、翌日に仕事があると思うだけで不思議と寝付けずにいた。

 夜はらんらんと目が冴えるのに、仕事をしているときに限って眠気が襲ってくるもんだから、すこぶる困っている。


 しかも、明日の仕事は早番なのだ。

 朝七時には病棟にいなければならないし、看護助手の早番は一人で、代わりもいないため、絶対に遅刻するわけにはいかない。


 ホットミルクを飲むと寝つきがよくなるらしいという、都市伝説めいた話にすがりつきたくなるのも仕方がないと、自分でも思う。



 温まったミルクを取り出し、息を吹きかけてさましながら、少しずつ口にしていく。

 優しい甘みが広がり、ほっこりと身体を温めてくれる。

 たまにはミルクもいいものだ、なんて思う。


 だが、こんなもので眠れる気はこれっぽっちもしない。

 トリプトなんたらがどうたら、と聞いたけれど、ホットミルクを飲むだけで眠れるのなら、睡眠薬を飲む患者さんがあんなに存在するはずがないだろう。



 ああ、また三時まで寝付けないとか、嫌すぎる。

 深くため息をつき、わずかな望みに賭けてまたミルクを口にする。


 その瞬間、高らかにメロディーが鳴り、ブルブルと机の板が振動し出した。

 スマートフォンの着信だ。


 慌ててテレビの電源を切り、番号を確認するけれど見知らぬもので。

 しばし考えて、こんなことを思い出した。


 そういえば、インフルエンザが他病棟で流行っていて”急遽勤務変更を依頼することがあるかも”と師長が言っていたっけ。



 知らない番号の人で、私に電話をかけてくる人なんて、師長しか考えられない。

 このまま待たせるわけにはいかない、と慌てて電話をとり、声を発した。


「すみません、おまたせしました!」


 すぐにきびきびとした師長の声が聞こえてくると思いきや、電話の向こうから聞こえてきたのは――

「もしもし、こんばんは」


「げほっ!」

 声を聞いた途端、わずかに喉に残っていたミルクにむせる。


「し、志乃さん、大丈夫ですか!?」

 穏やかな声色で問いかけてくるその声は、間違いなくプラネタリウム解説員の大塚さんのものだった。



 どうして、大塚さんが私に電話をしてくるんだろう。

 そもそも、どこから電話番号を入手したのよ。


「なんで大塚さんが……」

 つい、思いが言葉へと変わり、口から出ていく。


「なんでって、志乃さんもう忘れちゃったんですか。博物館のこと、何も決めてないでしょう?」


「あ、そっか」

 言われてようやく思い出す。

 そういえば、電話番号の提供元は私だった。


 博物館に行くことだけに浮かれ、詳細を全く決めていなかったことが、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。



「……さては、完全に忘れてましたね」

 電話の向こうから小さく息を吐く音が聞こえる。


「すみません」

 目の前にいるわけでもないのに、ぺこりと頭を下げて謝ると、大塚さんは柔らかい声で笑った。


「いいんです。違う番号を教えられてなかっただけで御の字ですから」


「違う番号、って……」

 この人はいったい、私をどんなヤツだと思ってるんだ。

 顔が見えないことをいいことに、私は苦々しい顔を浮かべた。



「そうそう。志乃さん、一日(ついたち)の日曜日があいてるって言ってましたよね?」


「ああ、えと、はい」

 身体をひねって、後ろに置いていた鞄の中を漁り、手帳を取り出して確認する。


「もしよければ、二月一日はどうですか? その日は、博物館への通り道にフリーマーケットとか出店が出るらしいんです」


 フリーマーケットに出店、か。

 そういう場所に行ったことは、ここ最近で全くと言っていいほどにない。

 なんだか面白そうだ、と心も躍る。



「面白そうですね、一日にしましょう。それに、大塚さんさえ良ければなんですが、開館時間の十一時に行けたら、って。早すぎですか?」

 島風区の博物館は大きく、全部回るのに何時間もかかるらしいのだ。

 こんな機会は滅多にないだろうし、せっかくだから全部回ってみたい。


「いえ、僕は構いませんよ。それなら、九時半に花倉台駅の南口に集合でどうですか」


「はい、それでお願いしま……って、え!」

 用事も終わったし、後は電話を切るだけになったその時、スマホの向こう側、しかも遠くの方で耳をつんざくような金属音が響いた。


「うわー、またやっちゃったよ」

 うんざりとした声が聞こえる。

 そして、少しした後に今度はカチャカチャという鋭く高い音がした。


「どうしたんです」


「洗い物をシンクの水切りカゴに上げてたんですけど、フライパンの重みに耐えられなくて崩れました」

 ああ、なるほど。つまり、今聞こえてきている音は、落下した食器を片づける音なのか。


 向こうから小さくため息が聞こえてきて、大塚さんのしょんぼり顔がはっきりと浮かぶようだ。

 飼い主に怒られて落ち込む柴犬の姿と、大塚さんの姿が想像の中で重なり、うっかり笑ってしまいそうになる。



「洗い物、ってことは、大塚さん、料理されるんですか?」

 ようやく笑いの波が収まってきたが、今度は男の人が料理をするというのが意外に思えて問いかけた。


「料理ですか? ほとんどしなかったんですけど、さすがに栄養面が悪いなぁと思って最近やりだしまして」


「普段はどんな料理を作ってるんです?」

 男の料理とはどんなものなのだろう、と興味本位で尋ねる。


「ええと、そうですね。麻婆豆腐とか、野菜炒め、餃子とかです。意外とやるでしょう?」

 やけに自信満々で明るい声に、少しばかり違和感が沸いた。



(もと)のやつか、焼くだけのヤツだったりして」

 ちょっとした意地悪のつもりでそう言ったのに、どうやらそれは図星だったようだ。

 大塚さんは、少し黙り込んだ後に笑った。


「……ばれましたか。和食が懐かしいです」


 大塚さんに何を食べたか聞かれ、白身魚のあんかけだと伝えると、彼は羨ましそうにしつつも、自分も料理の腕を上げてみせると悔しがっていた。



 大塚さんと話すのは不思議と楽しい。そう思った。

 もしかしたら彼は、人間の男じゃなくて、本当に柴犬なのかもしれない。

 バカバカしいけど、そんなことを考えてしまう。



 その後も他愛のない話をし続け、“おやすみなさい”を言い合って電話を切ると、いつの間にか時計の針は二十二時を指していて。

 三十分以上も電話をしていたことに驚く。


「本当に変な人」

 小さく笑って呟きながら、手帳の二月一日に星と柴犬のイラストを描き込んで、ぱたりと閉じる。

 

 そしてその日はホットミルクの効果が出たのか、私にしては珍しく、二十三時前にはぐっすりと眠りについていたのだった。

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