第六話 気がついたら
それで、なんでまた、私はここにいるんだろうか。
一月下旬の土曜、十一時二十分。
気がついたら、プラネタリウム館の扉の前に立っていた。
先々週は大塚さんの話していた”新野先生”という単語が気にかかって、それを聞きにここへ来た。
先週は、新野先生というのがおじいちゃん先生のことだとわかって、その消息を聞きにここへ来た。
結局、おじいちゃん先生は三年も前に、病気で亡くなっていたことを知って。
亡くなる前日まで解説員をしていたと大塚さんから聞かされて、寂しかったけれど、おじいちゃん先生らしいな、なんて思ったりもした。
今日は別に、聞きたいことなんてないし、ここに来る必要性もない。
借りた本だけ返して、さっさと帰ろう。
そう思って図書館へ向かおうと回れ右をし、歩みを進める。
「待って、志乃さんっ!」
後ろから声が聞こえて振り返ると、息を切らしながらガラス扉を開けている大塚さんがいた。
「大塚さん?」
「今日……は、観ていって、くれな、いんですか?」
相当な速さで走ってきたのか、話す言葉もとぎれとぎれになっている。
「だって、今日はお客さんいるし、私がいなくても投影できますよ」
ガラス扉の向こうでは携帯ゲーム機で遊ぶ子どもたちや、もう一人の森山さんかもしれないおばあちゃんがいる。
「そういう問題じゃないんです」
「だって、用事もないですし」
おじいちゃん先生のことや、閉館がいつ決まったのかなど、聞きたいことは、もう全部聞いた。
姫ちゃんのことだけはまだ気がかりだったけれど、大塚さんが彼女のことを知っているはずもない。
用事がないという言葉に、大塚さんはつまらなさそうに口をとがらせた。
「プラネタリウムは、用事があって来るところじゃないです。それに、ここで帰られてしまうと僕のやる気に関わるんですけど」
「え、兄ちゃん、うそだろ!」
やる気という言葉になぜか、後ろで対戦ゲームをしていた少年たちが過敏に反応する。
そして、夢中になっていたゲームを椅子に置いて、駆け寄って来た。
「おい兄ちゃん! やる気なくしちゃったの!?」
「うーわ、またブラックホールのしつりょうがどうの、ちゅーせいしがどうの言いだすよ」
「お願いだから、やる気出してよ」
少年たちは困ったような表情を浮かべ、すがるように大塚さんのカーディガンの裾を引っ張っていく。
小学校低学年の子に質量?
私ですらよく分からないのに、中性子?
じとっとした目で大塚さんを見つめる。
「自分のやる気がないと、子どもにそんな難しい話を聞かせるんですか?」
「え、いや、それは……」
たじたじとする大塚さんに呆れてしまい、小さく息を吐いた。
「せっかく来たんだし、聞かせていただきます。なんだかんだ言っても、大塚さんの解説、面白いですし」
☆★――☆★――☆★――☆★
ああ。今日も、あっという間だった。
金星が明るい理由は、距離が近い上に大きさもあり、硫酸の雲があるから、か。
一番星がどうして明るいかなんて、一度も考えたことなかったな。
きっと大塚さんは、相当星が好きなんだろう。
難しい話も分かりやすく教えてくれるし、ここには何回か来ているけれど、退屈だと思ったことは一度もない。
本当に三十分もたっているんだろうかと疑って腕時計を見ると、針は両方とも十二の位置を示している。
何度見ても、投影時間はきっかり三十分だ。
「兄ちゃん!」
少し余韻に浸ってから荷物を手に取っていくと、ドームの出口の方から、元気な少年たちの声が聞こえてきた。
そちらを見やると、投影前にロビーでゲームをしていた三人組が、大塚さんの周りを囲っていた。
「あのさ、明後日鈴木先生にさ、一番星は金星なんだぜって自慢すんね」
「おう。きっと先生驚くぞ」
大塚さんがそう言うと、やんちゃそうな男の子は得意気に笑う。
「なーなー。おれ、もうすぐ兄ちゃんになるんだ。たぶん来週!」
「お、ショウタいよいよか。よかったな、いつか野球教えてやれよ」
大塚さんは、くしゃくしゃと少年の頭を撫でる。
「そんで、アキトはまたゲームか」
眼鏡をかけた少年は、携帯ゲーム機を取られまいと、画面を見つめながら大塚さんの手をすり抜けていく。
「だいじょーぶ、昨日のうちに宿題半分終わらせたもーん」
「おれ、一度帰れって母ちゃんに言われてるから、いったん昼メシ食って、かいじゅう公園に集合な」
「おっけー」
「わかった!」
三人組の少年たちは騒がしく駆けていき、あっという間に見えなくなる。
今の今まで騒がしかったドーム内は、途端に静かになった。
「あいつら来ると、にぎやかだな」
大塚さんは楽しそうな目で、彼らの消えていった方を見つめている。
よし、いまがチャンスだ。
正直、男の人と関わるのは好きじゃないし、仲良くなりたいとも思えない。
それは相手が大塚さんとて、例外ではなかった。
こちらに気が向かないであろううちに、ドアを通りすぎようと試みていく。
「志乃さん! 今日もありがとうございます。どうでした?」
明るい声がすぐ側からかかってくる。
目も合わせずそのまま去ろうと思っていたのに、また捕まってしまったようだ。
人懐っこい大塚さんは、ツンケンした私の態度にもめげず、なぜかいつもこうやって話しかけてくる。
ひょっとして、私はわんこなこの人に、なつかれてしまったのだろうか。