第五話 都会の星空
結局時間が来ても、私のほかに客がくることはなく、プラネタリウムを貸し切りにするという小さい頃の夢は叶うことになった。
大塚さんが私に声をかけてきて、分厚い扉を開ける。
中に入ると、あの頃と変わらず劇場のように椅子が並び、中心からやや後ろあたりに投影機が置かれていた。
「どこでも好きな所へどうぞ」
そう言われ、ドーム内をうろうろとうろついたが、結局一番前の列の、左から二番目の位置に座ることにした。
「志乃さーん、前より後ろの方が全体は見やすいですよ」
後方にあるブースで腰かけている大塚さんは声を張って教えてくれる。
「私はここがいいんです」
振り返った私も、声を張って返事をした。
後ろの方が見やすいなんてこと、私だって知っている。
でも、ここが小さい頃の私の特等席だったんだ。
ちなみに右隣の二つは春香と洋介の。左隣は姫ちゃんの席。
アドバイスを無視されて怒っているかなと思って目を凝らすと、大塚さんは私の強情さが面白かったのか、楽しそうに微笑んでいた。
ブザーの音が聞こえ、アナウンスが始まる。
「時間になりましたので、プラネタリウムの投影をはじめます」
声はもちろん、大塚さんがいま発しているものだ。
大塚さんは避難経路の説明、飲食禁止・禁煙などの説明を流れるようにこなしていく。
さっきまでの、呑気な雰囲気から一変して、はきはきと聞き取りやすい声で、できる男って感じだ。
声だけ聞くと別人みたい、なんて思いながら振り返ると、大塚さんはにこりと私に笑顔を向けてきて。
それに驚いてしまい、慌てて前を向いた。
「志乃さん、都会の夜空は明るいと思いませんか」
マイクを通して自分の名前が呼ばれ、ぴくりと身体が震える。
恐らくいつもは”みなさん”と声をかけるのだろうが、客は私しかいないため言葉を言い換えたのだろう。
なんだか、落ち着かない……
誰もいないとわかっているのに、身体はどんどん小さくなってしまう。
そんな私のことを知ってか知らずか、大塚さんは柔らかい声で解説を続けていく。
「ビルが建てこんで、空は小さく四角く区切られ、眠らない町は星の存在を隠します。志乃さんは、最近いつ夜空を見上げましたか」
また名前を呼び掛けられ、”そわそわするから正直止めてほしい”と苦笑した。
「都会の空でもよーく見れば星はちゃんとそこにいます。輝いています。下ばかり見ていたら、心までも沈んでしまいますよ。さぁ今日は、僕と一緒に夜の空を見上げてみましょう」
その呼びかけと共に部屋全体が暗くなり始めていく。
大塚さんの発した”都会の空”という言葉にふと懐かしさを覚え、この人はおじいちゃん先生にどこか似ている……そう思った。
――ここは都会の星を映してるんさ。だから星の数が少ない。仕方ないだろうが。
投影される星の少なさをそう言って誤魔化していた解説員のおじいちゃん先生。
幼い頃の春香と洋介と私を可愛がってくれた、二十年近く前の解説員さんだ。
私の左隣が指定席だった姫ちゃんの頭をぐりぐり撫でまわして”姫様は今日もご機嫌ナナメ”なんて言いながら笑っていたっけ。
そんなふうに撫でまわされていた姫ちゃんは、別の小学校の女の子で。
名前が姫と関係するから姫様、とおじいちゃん先生に紹介され、私たちと姫ちゃんは投影前と後で、よく話すようになった。
ふわふわとしたショートカットも、つぶらな瞳も、色白で華奢な身体も可愛くて。
本当のお姫様のように見えたことを、今でも覚えている。
そんな彼女は、中学受験のための塾が忙しかったらしく、ここでしか会えなかったけれど、私は姫ちゃんみたいになりたいと強烈に憧れた。
彼女の影響力は、大人になったいまでも残っているほどだ。
「では、今日は”日本の星”についてお話をしていきたいと思います」
ぼんやりとする私の耳に、大塚さんの声が飛び込んでくる。
いけないいけない。
懐かしさに浸っていた。
もうここは閉館しちゃうんだし、せっかくの貸し切り投影なんだ。
ちゃんと満喫しないと。
「星と言えば、シリウスやベテルギウスという海外の名前を思い浮かべるかもしれませんが、日本特有の呼び名もたくさんあります。例えば……」
大塚さんの声を聞きながら、どこかピントのあっていないようなぼんやりとした星を見つめて、静かにゆったりと思いをめぐらせた。
☆★――☆★――☆★――☆★
あっという間だった。
本当に三十分もたったのか怪しいくらいに、あっという間だ。
スバルはプレアデス星団のことで、集まって一つになっているという統ばるの意味があるとか、あの枕草子にも名前が出ていたとかも、全然知らなかった。
解説付きのプラネタリウムって、こんなにも面白いものだったのか。
明かりもついたのに、余韻に浸ってしまって、なかなか立ちあがれない。
とりあえず、起きる準備をしなければ、と右側にあるレバーを引き、倒れていた座席を元に戻し、床に置いていた鞄をかがみこんで手に取る。
顔を上げると、大塚さんが視界の端に入り、彼は私に声をかけながらこっちに向かって来た。
「志乃さん、最後までありがとうございます。どうでした?」
「すごく、楽しかったです。知らなかったこともたくさんあって、面白いって思いました」
素直な思いを口に出す。
マイクを通して何度も名前を呼ばれていたせいだろう。
投影前に感じた”志乃さん”呼びの違和感は、気にならない程度にまで落ち着いていた。
「よかった、楽しんでいただけて嬉しいです」
大塚さんは、幸せそうに笑う。
また見えない尻尾がむくりと立ちあがって、左右に振られていそうな顔だ。
相当この仕事が好きなんだなぁ、なんて思う。
看護助手の仕事が大嫌いで、やりがいをなくしてしまった私とは大違いだ。
「あの。解説員の仕事、正直面倒じゃないんですか? 向こうに役場の仕事、残してきてるんですよね」
言い終えた後、私たちの間にしばしの沈黙が流れる。
しまった、と言い終えてから思った。
仕事を楽しめる羨ましさと、ねたましさから、意地悪な考えをそのまま口へと出してしまったのだ。
本当に、自分でもみじめで最低な女だと思う。
「ええと、すみません! 今のは気にしな……」
「うーん。まぁ、お金にならないボランティアみたいなもんですし、負担にはなりますよね」
慌ててさっきの言葉を訂正しようとすると、大塚さんは言葉をかぶせ、あっけらかんと返してくる。
あまり気にしていていない様子にわずかばかりほっとして、さらに疑問を投げかけた。
「それなら、どうして宣伝してまで続けるんです? 今だって私を呼ばなきゃ仕事ひとつ減ったじゃないですか」
「確かに負担は減りますけど、新野先生から受け取った大切な仕事なので、最後までやり遂げたいんです。閉館の時までに、一人でも多くの人に、一回でも多くここの星を見て欲しい。そう思いながらやっています」
大塚さんは真っ白なドームを見上げて、柔らかく口角を上げた。
彼の姿がキラキラしていてまぶしいと思ったのは、さっきまで電気が消えていたから、という理由だけではないだろう。
大塚さんは出入り口へと向かい、分厚い扉を開けて私を通す。
「あ、志乃さん」
ドームを出ようとした瞬間、大塚さんが声をかけてきて、私は無言のまま振り向いた。
「平日は十一時半と三時半。土曜日は十一時半にやっているので、ぜひまた来てくださいね。ちなみに水曜僕はお休みです。志乃さんがいるのを見かけたら、次は”星の終わりと始まり”の話、しますから」
「ええと、ああ、はい」
人懐っこい笑顔に圧倒され思わず返事をしてしまうと、大塚さんの表情はますます明るいものへとなっていく。
見えない尻尾は風が起こっていそうなほど、高速で動いている気がした。
そんな彼を置いてロビーを通り抜け、ガラス扉を開けたあと、外へ出る。
「うう、寒っ」
寒暖差に震えながらふと後ろを振り返ると、ロビーの奥の方で大塚さんが微笑みながら手を振っていた。
手を振り返すとなつかれてしまいそうな気がして、ぺこりと頭を下げて図書館へと足を進めていく。
解説員の大塚さん、か。変な人。
吹き抜ける北風にマフラーを口元まで手繰り寄せて、人知れず微笑んでいったのだった。
☆★――☆★――☆★――☆★
これが、わんこな大塚さんと、捻くれていた私の出会い。
頑なだった私の心が変わり始めていくきっかけになった、小さいけれど大きな出来事だったんだ。