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第二十一話 ずるくて弱い

 結局、その日は大塚さんからもRINEが来ることはなく、なんとなく心がもやついたまま次の日の朝を迎え、夜までもやって来てしまった。


 ちなみに今日の田村さんの勤務は、日勤。

 普段は使わない正面口から病院を出たため、一緒に帰るハプニングは避けられ、一人で花倉台駅行きの電車に乗り込んだ。


 これからの出勤日は毎回、田村さんの勤務をチェックして、気を張らなければならないのかと思うと、ものすごく気が重い。

 流れ行く景色を見つめて、深くて重いため息をついた。



 十五分ほど電車に揺られ、花倉台駅のホームに降り立つ。

 電車が発車したあとに、向かいのホームへ視線を送ってみたけれど、今日は大塚さんらしき人は見当たらなかった。



 ぼんやりと夕飯のメニューを考えながら、駅の改札口を歩いていく。

 十八時過ぎだからだろう。ここもまだまだ人通りが多い。

 壁の方には、手帳を開きながら電話をしているサラリーマンや、デートの予定でもあるのか、着飾ったOLが立っていた。

 

 OLの持つスマホのケースが黄色だった。

 ただそれだけの理由で、今日の夕飯はオムライスにしよう、と心の中で決めて顔を上げる。

 すると、向こうから見知った人がやって来るのが見えた。


 大塚さんと、昨日の可愛らしい女性だ。

 なんだか変に気まずかったし、気づかないふりをしたかったのに、完全に目が合ってしまって。

 無視するわけにもいかなくなってしまった。



「こんばんは」

 立ち止まって挨拶をすると、大塚さんも同じように返してくれる。

 ただ、その笑顔がいつもと違い、どこかたどたどしいものに感じた。


「ええと……志乃さんは、花倉台に住んでるんですね」


「ええ、まぁ」

 二人で博物館に行ったときはあんなにもスムーズに話せたのに、今日はなぜかぎくしゃくして、なかなかうまく噛み合わない。



 しばしの沈黙が流れていき、今度は大塚さんのとなりにいた女性が口を開いた。

「花倉台も住みやすそうですよねぇ。私とユキトさんは、隣の島見駅なんです。ね、ユキトさん?」


「南さん、志乃さんと会ったことあったんですか?」

 二人は名前で呼び合うほど親密な関係だと知り、なぜか心の奥がわずかにきしんでいく。

 


「いいえ、はじめてお会いしましたよ。たぶんね」

 口元に手を当ててくすくすと笑う南さんは、とても女の子らしくて可愛かった。

 ふわふわとした柔らかそうな長い髪に、つぶらな瞳、そしてみずみずしい唇。

 南さんは、私が小さい頃に思い描いた女性の完成形、そのものだと思った。



「あ、志乃さん。もし夕飯まだでしたら、一緒にどうです? この間、お好み焼きが食べたい、ってRINEで言ってましたよね」


 大塚さんは、にこやかにそう尋ねてくるけれど、彼女かもしれないあの子と三人でお好み焼きを食べようということなのだろうか。

 さすがにちょっとそれは…… 


「ええと、邪魔しちゃ悪いんで、いいです」


「ねぇ、ユキトさん。私、あそこ行きたいな。この間連れてってくれたワインが美味しいおしゃれなイタリアン」

 南さんは、大塚さんの腕に抱きついて、跳び跳ねるように甘えていく。


「え、南さん。それって……」


「ね、行きましょ、はやくはやく!」

 南さんは、大塚さんの腕に自分の腕を絡ませたまま、半ば強引な様子で改札の方へと向かおうとしていく。


 そして、ちらと振り返ってきて、なぜか私を見て微笑んできた。


「あの、大塚さん。私、夕飯もう済みましたから。いってらっしゃい」

 笑顔を作って手を降って(きびす)を返し、バス停へと向かう。


 後ろから、私の名を呼ぶ声が聞こえたような気もしたけれど、きっとそんなのは幻聴なのだろう。



☆★――☆★――☆★――☆★


 あれからずっと、大塚さんとはRINEをしていない。

 結局、南さんが何者で、二人がどういう間柄なのかはわからないままだ。


 とはいえ、別に私には関係ないことだし、なるべく大塚さんのことを考えないように、とひたすら仕事に没頭した。



 あっという間に二十五日はやって来て、プラネタリウムが閉館する日を迎えた。

 さすがに閉館の日だからか、十五時半の最終投影には、すべての席は埋まらないまでも、二十年前のようにたくさんの人がやって来ていた。

 皆、最後の景色を目に焼き付けそうとしているのだろう。



 最終投影の解説は、『星の終わりとはじまり』についてだった。

 星が死んで超新星爆発が起きると、その星は壊れて無くなってしまうけれど、やがてまた物質が集まり、新しい星が生まれていく。

 星の死が、また新しい星の誕生につながる。

 そんなお話だった。


 プラネタリウムは今日で終わってしまうけれど、また何か新しいものが生まれて人々を感動させてほしい。

 なんだか、そんなメッセージにもとれた。



 人懐っこい大塚さんは、おじいちゃんおばあちゃん世代から特に人気があったようで、投影が終わったあとにスター選手のように囲まれていて。

 お菓子やら泥のついた野菜やら、いろいろなものを差し入れされていた。


 にこやかに笑う大塚さんと視線が合ったけれど、なんだか気まずくてしかたがない。

 結局話しかけないままに、すぐにドームから出ていく。

 それでも何も伝えないままでいるのは寂しく感じて、なんでもノートに“長い間、解説お疲れ様です”とだけ書き残した。



 最後にふさわしい、ステキな投影だったな、なんて、寂しくもどこか晴々した気持ちのまま、出入り口の前でマフラーを巻いていく。

 大塚さんに一声もかけないまま寒空の下へと出ていくと、二十歳過ぎくらいの女性がガラスに寄りかかるように立っていた。


 彼女は……南さんだ。

 柔らかそうな長い髪をゆるく束ねていて、ふわりと広がった紺のコートに桃色のマフラーという可愛らしい格好をしていた。



「こんにちは」

 横目で見られているような気がして、恐る恐る挨拶をすると、南さんはガラスから背中をはがし、私を()め上げてきた。


「私……バレンタインデーに、ここでユキトさんに告白しました」

 突然放たれた予想外な言葉に、目を見開いたまま、何も言葉を発することなどできなかった。


「告白の返事は、イエスです。私、ユキトさんと付き合ってるんです」


 付き合っている?

 大塚さんと、南さんが……


 言葉を無くした私に追い討ちをかけるように、南さんは深く息を吸い込み、こう言ってきた。


「ユキトさんはああいう人だから、誰にでも優しくしちゃうんです。お願いだから、私からあの人を盗らないでください。私のほうが、もっとずっと好きだったんだから」


 南さんの顔を見ると、彼女は強い瞳で私を見つめてきていて。

 相当私のことを憎く思っているのだろうと分かる。

 心がぎりりと締め付けられるように痛んだ。

 今の彼女の表情は、父の不倫が発覚した時、母と相手の女がしていたものと同じだったのだ。



「そ、っか。そうだったんだ……ごめんなさい」

 誤魔化すように笑って、ぺこりと頭を下げていく。

 ただの友だちだ、と言い返せばよかったのに、なぜかそれすらもできず、放心状態になったままその場を立ち去った。

 さらには、借りていた本を返すのも忘れてバスに乗り込み、一番後ろの席へと座っていく。



 動揺のあまり、見える景色が別世界のようにすら思える。

 深い呼吸を繰り返してみたところで、気分は何一つ変わりはしなかった。


 やっぱりあの二人、付き合ってたんだ。

 そっか……


 どうしてだろう。面白くもなんともないのに、笑えてくる。

 膝の上に置いた鞄をぎゅっと握りしめると、二回ほど鞄が振動している。


 スマホを取り出し画面を見ると、大塚さんからRINEが送られていた。

 これまでは嬉しかった彼からの連絡が、今ばかりは苦しくて。


 なるべく中身を読まないように視線をそらしながら、ロボットのように指を淡々と動かし、送信のボタンを押す。

 送ったものは、最後の投影お疲れさまという言葉と『姫ちゃんからの手紙が出てきて、住所が書かれていたので、もう探さなくて大丈夫です。ありがとうございました』という嘘の文章だ。



 私たちは友だちのつもりで会っていても、南さんからするとそうは見えないのだろう。

 大塚さんのことを大切に想ってくれるあんなに可愛らしい恋人を、悲しませてはいけない。


 自分のせいで、あの日の母みたいに苦しむ人を、増やしたくなんかない。

 姫ちゃんに会えないのも、大塚さんと友達でいられないのも残念だけど、こればっかりは諦めるしかないんだ。



 プラネタリウムも閉館してしまったし、大塚さんと会うことはもうないだろう。

 最後に残っていた姫ちゃん捜索という接点も、私がたったいま終わらせてしまった。


 あとはブロックさえすれば、私たちの関係は終わる。

 優しい大塚さんのことだ。RINEをブロックをされればきっと、私から離れていくだろう。


 繋がりを絶つなんて、残酷なほどに簡単だ。

 このボタンを押しさえすれば……はい、もうさようなら。



 苦しくなんかない。悲しくなんかない。

 大塚さんに会う前の私に戻る。ただ、それだけ。

 ゆっくりとRINEのブロックボタンに手を伸ばすけれど、指の行き先を変えて画面を暗転させた。


 ふと、あの笑顔が、あの声が、浮かんでしまって――

 折りたたむように上半身を丸めていく。


 強く目をつむり、意思に反して溢れてくる涙を必死に堪えた。


 ずるくて弱い私は、優しくて温かい彼との繋がりを断つことなんて、できなかったんだ。

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