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第十九話 柴犬

「何か、悲しいことがあったんですね」

 大塚さんは私の嗚咽(おえつ)がおさまってきた頃、静かに声をかけてくれる。



「私……看護助手の仕事が嫌いです」

 ぽつぽつと呟くように言う。


「どうしてですか」


「看護助手なんて、結局は看護師さんが少ないから、その穴埋めなんです。私は看護師さんみたいに知識もないし、技術もない。別にいなくてもいい、言われたとおりに動くお手伝いで。ロボットみたいなもんなんです」


「あーだから、僕にあんな不思議な質問を」

 膝を抱えてこくりとうなずく。

 看護助手を星に例えるならという私の質問に、大塚さんは“月”だと答えた。

 つまりは……


「大塚さんも、私の仕事を意味がないと思っているんじゃないですか? 太陽がないと光ることもできない。地球の周りをただくるくる回っているだけの存在なんだって」


「志乃さん、それは違いますよ」


「違う?」

 “違う”の意味が全くと言っていいほどにわからない。

 光りもしないし、水金地火木……にすら入れないのに?


 こっちはこんなにも悩んでいるのに、大塚さんは電話の向こうでくすくすと楽しそうに笑っていた。

「月がいることで、地球はこの状態でいられるんです」


「どういうことです?」


「地球の軸は月がいるから保っていられて、さらには一日が二十四時間でいられるんです。月がないと時速何百キロという強風が吹き荒れるという説や、気候や海までもがぐちゃぐちゃになるという説もあるほどなんですよ」


 大塚さんは先生のように、ひとつ一つ説明をしてくれて。

 なんだか、天文学の講義を受けている気持ちになる。

 全て聞き終えた私は、感心して息を吐いた。


「すごいですね、大塚さん。そんなことまで知ってるなんて」

 一方の大塚さんは、私の言葉に呆れたように息を吐いてきた。


「……ありがとうございます。でも、僕が志乃さんに言いたかったのは、全然違うことなんですけど」


「え?」



 コホンと、小さく咳払いをして大塚さんは話し出す。

「自分自身に手ごたえがなくても、誰かにわかってもらえなかったとしても、志乃さんがいたことで助かった患者さんや看護師さんはたくさんいると思います。だから、看護助手さんは月だ、と僕は思ったんです」


 はっ、として、両手でスマホを握り締めていく。

 

「大丈夫、志乃さんはかけがえのない仕事を、精一杯頑張っていますよ。働いてるとこは見たことないですけど、僕はそう思います」


 まぶたに力を込めて、下を向く。

 まずい、また泣いてしまいそうだ。



「何で、どうしてそんなに優しいんですか」

 友だちになったばかりの私にこんなに優しくしてくれるなんて、大塚さんは神様としか思えない。

 そうでなかったら、新手の詐欺としか考えられないけれど、あいにく私に狙われるような財産は全くと言っていいほどになかった。


 大塚さんは躊躇(ちゅうちょ)したのか、しばし無言になっていく。

「それは、志乃さんのことを……いえ、今は止めておきましょう」



 どこか真剣みのある声に、疑問が沸く。

 けれど、大塚さんはそんな私に構うことなく、また話しかけてきた。


「そうそう。志乃さんは流星群見るんですか?」


 流星群か。

 一度は見に行ってみたいけれど、家の近くじゃ眩しすぎるし、だからといって夜の公園に出かけるのも、抵抗がある。

 自分を襲うモノ好きがいるとは思えないが、物騒な世の中だし、用心するに越したことはない。



「私は見に行かないと思います。夜中だし、一人じゃ怖いし」


「確かに、女性の夜の一人歩きは怖いですもんね。それなら一緒に行きません?」


「え?」

 一瞬耳を疑い、スマホを落としそうになる。



「あ、いえ、やっぱりなんでもないです。忘れてください。嫌ですよね……大して知り合いでもない男となんて」


「嫌じゃないです! むしろこっちからお願いして、連れていっていただきたいくらいですもん」

 こんなの願ったり叶ったり、だ。

 わんこな大塚さんとなら安心だし、今回の流星群は特にすごいみたいだし、これは絶対に見に行きたい。

 流星群が来るという日は早番だからすぐ上がれるし、その次の日も休みだ。

 運が向いてきたような、そんな気がする。 



「そうしたら、あとでショートメールでRINEの番号送りますんで、志乃さんのも教えてください。予定合わせて見に行きましょう」


 私たちはそこで電話を切って、しばらくすると大塚さんからショートメールが届く。

 番号を入力して検索すると、大塚さんらしきアカウントが見つかった。


「これだ! “らしい”なぁ」

 プロフィール画像はプラネタリウムの投影機で、ホーム画面は流星の写真。

 大塚さんらしすぎて、くすりと笑った。


 アカウント名は何だろう、と視線を送る。

 書かれていたのはYUKITO.O。



「ゆきと……」

 確かめるようにその名を呼ぶ。

 ただ名前を言ってみただけなのに、大塚さんの笑う顔と声とが浮かんで、心臓が切なく締め付けられた。


 大塚さんの下の名前、ゆきとっていうんだ。

 名前を知った、ただそれだけなのに、大塚さんを近くに感じて、とくんと胸が動く。


 雪人かな、行人、それとも由紀人?

 でもやっぱり幸人っぽいな。

 いつもにこにこして、幸せそうだから。


 何気なく外を見ると、あんなに降っていた雨はいつの間にか止んでいて。

 『大塚さんのおかげで元気が出ました!』と、大塚さんに柴犬が走り回るスタンプをつけて送る。


 すると『よかったです』という言葉とともに、尻尾を振る柴犬のスタンプがついて来て。

 『僕もダウンロードしてみました』なんて書いてあるもんだから、トーク画面は柴犬だらけになってしまって。

 久しぶりに声を出すほどに大笑いしてしまったのだった。

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