第十七話 星の涙
プラネタリウム館の前に着いて、ガラス扉を押して中へと入る。
今日は老夫婦と二・三歳の子どもを連れたお母さんが広いロビーにいたが、大塚さんの姿はない。
券売機でチケットを買い、壁にかかった星の写真をぼんやりと眺めていく。
気のせいか、先月と写真が変わっていて、流星の写真が増えているような……
「壁の写真、毎月変えているんです」
後ろから声が聞こえてきて、振り返る。
そこには、にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべる人がいた。
「大塚さん……」
醸し出されるわんこな雰囲気の効果だろうか。
大塚さんの声を聞いて、すさんだ気持ちがほっと和らいだような、そんな気がした。
「最近お見かけしませんでしたが、何かあったんですか?」
「ちょっと、仕事が忙しくて……」
“自分の脳に恋だと勘違いさせたくないから来なかった”だなんて馬鹿げたことを言えるはずもなく、適当に誤魔化していく。
大塚さんは「大変でしたね」と優しく笑った。
彼は私の耳を見て、ピアスに気付いたようで、明るい表情を更に明るくさせていく。
「志乃さん、それ、つけてきてくれたんですね。よく似合ってます」
「ありがとうございます」
向けられる満面の笑みがなんだか照れくさくて、視線をそらしてぺこりと頭を下げた。
「あの……志乃さん、もしかしてちょっと具合悪かったりします?」
大塚さんは、私が暗い表情をしていたのを心配したのだろう。
けれど“仕事で嫌なことがあって”と口に出したら、涙腺が決壊してしまい、ぼろぼろと泣きだしてしまいそうで。
“夜勤明けだから元気が出ない”と嘘をついて誤魔化していったのだった。
投影の時間が近づき、また今日も最前列の左から二番目の席に腰かける。
老夫婦と子連れのお母さんは後ろのほうに座ったようだ。
いつものように注意事項のアナウンスから始まり、徐々にドームの空が暗くなっていく。
「みなさんは“流星雨”というものをご存じですか。一時間のうちに百個以上の流れ星が見られる現象のことです。普段は一晩中見て何個か流れ星を見られるくらい、なのでかなり多い数になります」
どうやら、今日のプラネタリウムの話は流星群についてのようだ。
そういえば、二ュースで今月末に流星群が見られると言っていたような気がする。
「今月末に見られる流星群は月も出ないので、観測にはもってこいです。暖かい格好をして空を見上げてみてくださいね。ひょっとしたら流星雨もみられるかもしれません。こんなふうに」
真っ暗な中でぼやけた星を見ていると、心が締め付けられるように苦しくなっていく。
何度も“役立たず”の言葉がよみがえり、輪郭のはっきりしない星が、さらにまたにじむ。
ドームに流れ星が出現しはじめ、他のお客さんの声がわずかに漏れ出す。
泣いているみたいに、星が一個、また一個と暗い空へ流れては消えていく。
これまで苦しい心をどうにか抑えてこれたのに、堪え切れずに涙が一粒こぼれ落ちていった。
☆★――☆★――☆★――☆★
相変わらず、ここでの三十分はあっという間に過ぎ、しっとりと濡れた頬をハンカチでぬぐう。
大塚さんは老夫婦と子連れのお母さんを見送った後、ゆっくりと立ち上がる私の元へ駆け寄って来た。
「志乃さん、やっぱり具合悪いんじゃないですか? なんだか目も赤いですし」
「寝不足なんで、仕方ないです」
精一杯の笑顔を作って返すと、大塚さんは困ったような顔で深くため息をついた。
「とにかく早く家帰って休んだほうがいいです。志乃さんがダウンしちゃったら皆悲しみますよ」
そうでしょうか。私なんていてもいなくても変わらない――
そんな考えを、慌てて喉の奥へと落としていく。
こんなくだらないことを言ったところで、何も変わらないし、変な空気になるだけだ。
代わりに私は、どうでもいいことを問うていった。
「大塚さん、私の仕事って星で例えると、なんだと思います?」
「え、急にどうしたんですか」
「ちょっと聞いてみたくて。お医者さんは光をくれる太陽で、看護師さんやリハビリの訓練士さんは道標になる北極星かなってふと思いまして。それなら看護助手は、何かなぁ、と」
「看護助手の仕事、ですか。うーん」
大塚さんは私のくだらない問いに両腕を組み、うなりながら考えてくれる。
一見意味不明だが、私にとってこれは、大いに意味がある質問だった。
内藤さん以外の人が、看護助手の仕事についてどう思っているのか。
誰かの役に立つ仕事なのか、それとも、別にいてもいなくてもいいような雑用なのか。
私はそれが知りたかったのだ。
せめて何かの星座に入れてほしい、と内心緊張しながら答えを待つ。
「確かに北極星や太陽のような感じではないですね。惑星や何かの星座、というのも違うし……」
「そう、ですか」
わずかに視線を落とし、落胆する。
やっぱり、必要とされない仕事なのかと思っていると、大塚さんはふと顔を上げて、にこりと笑った。
「あ! しいていうなら、月ですかね」
「つき……? まぁ、月は綺麗でいいですよね」
凹んでいく心を誤魔化し、笑う。
医者は太陽、看護師は北極星で、看護助手は“月”か。
大塚さんから見ても、看護助手の存在意義は大して“ない”ということなのだろう。
自ら光ることもなく、星座に入れてもらうこともできず、誰かを導くこともできない。
現代の夜じゃ明るくて、月の光なんて誰もいらないだろう。
私のしている仕事は、言われるがままに手伝うだけの仕事。
惑星にもなれず、地球の周りをただ意味なくくるくる回っている、そんな存在ってことか。
ああ、私ってば何のためにこの仕事してるかわかんないや。
辛い。
「志乃さん?」
大塚さんは立ち尽くす私に話しかけてくれるけれど、今はその優しさがちょっとばかり苦しかった。
「やっぱり眠くてしんどいです。家帰って寝ますね」
にこりと笑ったつもりだったけれど、うまく笑えていたかはわからない。
そのまま大塚さんと視線を合わさず、逃げるようにしてプラネタリウムを後にしたのだった。




