第十二話 たった一言
「……お辛かったですよね。すみません」
大塚さんは笑顔をなくし、視線を落としていく。
『なんだかすまないことを聞いてしまった』という文字が顔に貼り付いているかのようだ。
「大変は大変でしたけど、いいこともありましたよ。男なんか信じるもんじゃない、って早いうちから学べましたし。さ、恐竜展に行きましょう」
明るい声を出して、勢いよくベンチから立ち上がり、歩みはじめる。
だが、二・三歩歩いても、大塚さんがやってくる気配はない。
不思議に思って振り向くと、大塚さんはまだベンチにいて、視線を落としたまま、どこか寂しそうに呟いた。
「志乃さん……僕も、信じてはもらえないんですか?」
「え?」
首をかしげると、大塚さんはすっと立ちあがり、私のことを真っ直ぐに見据えてきていて。
いつもの笑顔もないままに、彼は再び口を開いた。
「僕も、男ですよ」
耳に飛び込んできたのは、これまでの柔らかい声ではなく、静かで重い、そんな声だった。
真剣な表情と、向けられる強い瞳に、なぜかどくんと心臓が動く。
なんでこんな目で私を見てくるの……?
これまでとはどこか違う瞳に動揺し、大塚さんの目を見られない。
逃げるように視線を落として、きゅっと唇を結んだ。
男ですよ、か。
そういえば大塚さんも男の人だったんだっけ。
柴犬だと思って変に安心していた。
この人を信じられるか、信じられないか……
頭の中でぐるぐると言葉がめぐる。
返答を待たれている時間が、不思議とものすごく長いように感じた。
どうしてなのだろう。
大塚さんの発した、たった一言に、私はこんなにも振り回され、心を乱される。
次第に、自分が自分じゃなくなっていくような気がして、なんだか怖くなった。
見つめてくる瞳に何かを変えられてしまう、そんな気がして。
とにかく早くこの場から逃れたくて、仕方なかった。
そんな私は、口から出まかせというか、無理やり言葉を繕っていく。
「え、と……大塚さんは男とか女とかそういうんじゃなくて。なんていうのかな、友だち? だから信じられます」
誤魔化すように笑うと、大塚さんは小さく息を吐いて、微笑んだ。
「そう、ですか」
信じられると私は伝えたのに、大塚さんの笑顔はなぜだか寂しそうなもので。
「嘘じゃないですよ。信用に足る方だと、思ってますから」
慌ててフォローを入れるけれど、彼の表情は変わらない。
「そう思っていただけるなんて、光栄です」
声は少しばかり明るくなったけれど、いつもは元気のいい見えない尻尾も、今はだらんと垂れ下がっているように感じた。
「あ、そうそう。姫ちゃんの事なんですけど、ちょっと不思議なことがあって」
なんの脈絡もないし、強引な話題転換だとは、自分でもわかっている。
ただ、力技を使うほどに私は、このおかしな空気に耐えられなくなっていたのだ。
「不思議なこと?」
お粗末な作戦は意外と成功したようで、大塚さんの表情はいつものようなものへと戻っていく。
安心から、ほっと息をついた。
「なぜか姫ちゃんのこと、みんな覚えていないんです。友だちの洋介も春香も忘れてて。キーホルダーも洋介があげてた気がする、なんて言ってくるんですよ」
プラネタリウムに通いつめたあの頃、私たちはまだ小学校低学年だった。
だけど、日がたつごとに成長して、プラネタリウムに行くよりも、ゲームをするようになり、図書館でお話を聞くよりも、外で遊ぶようになって。
姫ちゃんも受験の勉強があるようで足が遠のいていて、いつしか誰もプラネタリウムに行かなくなった。
関わりはぷっつりと途切れてしまったし、さらには二十年も昔の話だから、覚えていないのも当然かもしれない。
だけど、あんなにかわいい子を忘れられるなんて、友人二人の頭の構造が不思議で仕方なかった。
「うーん、みんな忘れているっていうのも、不思議な話ですね。でも、それだけ志乃さんがしっかり覚えてるんだから、夢ではないと思いますけど……」
「はい。私も夢だとは思えないんです。姫ちゃん、きっといまは綺麗な人になってるだろうな。名前が姫と関係している、とおじいちゃん先生が言っていたから、姫野さんか、美姫さんみたいな感じだと思うんですよね。また、会えたらいいのに」
キーケースを鞄から取り出して、ハートの水晶を見つめる。
願いをこめたら叶うかな、なんて淡い期待を抱いて、太陽に透かした。
大塚さんはそんな私を見つめ、なぜか困った顔を浮かべていく。
そして、私の隣に歩み寄ってきて「いけないことなんで、内緒にしてほしいんですけど」と小声で話しかけてきた。
「二十年前、静川町に住んでいた姫のつく住人さん、役場で探してみます。ひょっとしたら見つかるかもしれませんし」
「本当ですか!?」
再会は絶対無理だと諦めていたのに、突如希望の光が見えたような気がして、大塚さんの顔を見つめる。
あまりの嬉しさに、顔が明るくなっているのが自分でもわかった。
一方で職権乱用をしようとする罪悪感からか、大塚さんは苦笑いを浮かべていた。
「はい。ただ、わかるのは、今月末とかになっちゃうと思いますけど」




