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第十一話 救世主は姫

 不倫を知ったその日の夜……それはもう最悪だった。

 自分の父親が不倫をするなんて夢にも思わないのに、そんな悪夢が現実として突きつけられたんだから。


 幸いなことに父は追い出されて外へと出ていき、母の友人が来てくれて面倒は見てくれたけれど、日常が一気に地獄へ変わったようだと思った。

 母は狂ったように泣いたり(わめ)いたり、放心状態になったりを繰り返していて。

 今の母に頼ってはいけないと悟った私は、何もわからないふりをして布団にもぐり、一人で泣いた。



 翌日、辛さに押し潰されそうになった私は、泣きつかれた母を母の友人に任せ、プラネタリウム館へと走った。

 いま思うとおかしな話だけど、物知りなおじいちゃん先生なら、この状況をどうにかできるかもしれないと、そう思ったのだ。


 だが、悪いことは続くもので、ガラス扉は押せども引けども開かない。

 その日は、週で唯一の休館日である日曜日だった。


 鍵の閉まったプラネタリウム館の前で、声が枯れるまでおじいちゃん先生の名を呼んで、私は泣いた。



 もう、誰にも頼れない。

 そう思った時、一人の少女があの日の私に「どうしたの?」と、声をかけてくれて。


 それは、プラネタリウムでよく会う可愛らしい女の子、姫ちゃんだった。

 姫ちゃんも偶然、日曜日なのを忘れてプラネタリウム館に来ていたのだ。



 姫ちゃんは泣きじゃくる私の手を引いて、人気(ひとけ)のない公園に行き、土管(どかん)の中へと入り込んだ。


「ここなら、だれもやって来ないから、なんでも話して」

 姫ちゃんはそう言って、私の手を包むように握ってくれた。

 小さな姫ちゃんが、やけにお姉さんに見えて、頼もしく思えて。


 私は泣きながら姫ちゃんに前日の事件について話し、姫ちゃんは私の話をうなずきながら聞いてくれた。

 「しのは、なんにもわるくない」と何度も何度も言ってくれた。


 子ども同士だから解決策は何も出なかったし、出るはずもない。

 けれど、味方がいると思えたのは、それだけで心強かったのを、今でもちゃんと覚えている。



「ねぇ、しの。あしたの十時、かいじゅう公園に来て」

 ずいぶんと心が楽になった頃、姫ちゃんは私の右手をきゅっと握って優しく微笑みかけてくれた。


「なんで?」


「なんでも! 約束だよ」

 姫ちゃんは、小さくて可愛らしい小指を差し出してきて、私はそれに自分の小指を絡めた。



 家に帰ると母は暗い顔をしていたけれど、一日たったからか落ち着いていたように思う。

 母は帰って来た私を抱きしめたあとに謝ってきて、涙をこらえながら「もう大丈夫だから」と笑った。


 わめくように泣く姿よりも、苦しそうに笑う顔の方が、よっぽど見ているのが辛い。

 そう思った。



 翌日十時、私は姫ちゃんに言われるがまま、かいじゅう公園に向かった。

「姫ちゃん。やくそくどおり、来たよ」


 ブランコに揺られる姫ちゃんに声をかけると、彼女は勢いをつけて華麗に飛び降りていく。

 ふわふわとしたショートカットを揺らしながら、姫ちゃんは私の元まで駆け寄ってきて、右手を前に突き出していった。


「あのね。これ、しのにあげる」

 手のひらに乗っていたのは、袋だった。

 可愛らしい姫ちゃんみたいに小さく、水色のリボンでラッピングされている。


「なに、これ?」


「開けてみて」

 姫ちゃんは、ふわりと柔らかく笑う。

 封を切っていくと、中に入っていたのはきらきらと輝くハートが付いた、キーホルダーだった。


「うわあ、すごい。ぴかぴか光ってる」

 右手を上げて太陽にかざすと、ハートが七色に輝いているように見える。



「ほんとうは流れ星をあげたかったんだけど、とるのは無理でしょ? だからすいしょうをあげようと思って」


「すいしょう?」

 聞き慣れない言葉に首をかしげると、姫ちゃんは微笑みながらうなずいた。


「すいしょうは、願いを叶えてくれる石なんだって」


 願いを叶えてくれる石、という言葉に、私はきゅっとそれを握りしめた。

 これでもう、母はあんな顔で笑わなくて良くなる、と本気で思ったのだ。


「ありがとう!」

 嬉しさのあまり姫ちゃんに抱きつく。

 すると姫ちゃんは、しばらくの間よしよしと頭をなでてくれた。



 あとから話を聞いたところ、姫ちゃんは満点のテストに対するご褒美を我慢して、キーホルダーを買ってもらったらしい。


 申し訳ないと思ったけれど、私はますます姫ちゃんのことが好きになって、憧れるようになった。


 水晶という心のよりどころができた私は、ハートの水晶にいつでもどこでも何度でも願いを込めた。

 お母さんを助けて、と。



 水晶の効果がどれだけあったかは不明だけど、しばらくして父と母は離婚し、それから母は吹っ切れたように明るくなった。

 私の気持ちも安定し、二人きりの家も寂しくなくなったし、むしろ母と友だちさえいればいい、なんて思うようになった。


 いつしか、優しかった頃の父の姿も思い出せなくなり、あの人が私に残したのは、消し去りたいトラウマだけになっていた。



 もう二度と、くだらない色恋沙汰で自分や大切な人の人生を狂わされたくなんかない。

 男には決して惑わされてはいけない。


 私はあの日以来、そう強く思うようになったのだ。

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