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第九話 待ち合わせは――

 あれ、冬ってこんなにも暖かかったっけ。

 そんなことを思いながら家を出てバスに乗り、揺られる。


 異常気象のせいだろうか。

 二月に入ったばかりの今日は、マフラーも手袋もいらないくらいに暖かい。

 天気予報によると、最高気温はなんと十七度らしい。

 ここは沖縄なのかと疑ってしまうくらいだ。


 空は雲ひとつないほど……とはいかないが、まずまず青く晴れ渡っている。

 はじめて行く島風区の博物館に心を躍らせながら、集合時間の十分前、改札口の端に立って大塚さんを待った。



「ん?」

 電光掲示板の隣にある時計をちらと見ると、すでに約束の九時半を十分ほど過ぎている。

 遅刻をしそうな人には見えないのに、と少しばかり心配になった。

 スマートフォンを見ても、連絡は一切来ていない。


 もしかして、あの人に、からかわれたのだろうか。

 いや。素性は割れているし、それはさすがにないか。


 そうすると、何か他の用事ができたのか、今日のことを忘れてしまったのかもしれない。

 所詮(しょせん)、私は赤の他人。

 大塚さんが私を優先する義理はないし、こうなるのも仕方がないし、理解はできる。

 向こうから誘ってきておいて薄情な人、とは思うが、どうせ男という生き物はそんなものだ。


 ああ、柴犬っぽいあの人もやっぱり、嫌な男だった。



 喫茶店でコーヒーを飲んで家に帰ろう、と(きびす)を返して、自嘲するように笑う。

 そして、十歩ほど歩いたところで、ふと歩みを止めた。

 手に持ったスマートフォンがブルブルと振動をはじめたのだ。


 画面を見ると“大塚さん”の文字が表示されている。 

 慌ててスワイプをして電話をとると“安心”とも“不安げ”ともとれる不思議な彼の声が聞こえた。



「あ、出てくれた」

 大塚さんは外にいるのだろうか。

 電話の向こうはざわざわと騒がしい。


「あの……」


「志乃さん、すみません。ちょっと確認なんですけど、今ってどこにいます?」

 どこにいますか、という問いに、何と答えればよいか少しばかり迷う。

 もしも、向こうが今日の約束をすっかり忘れていたとして“改札の前でずっと待っていた”などというのも、なんだか悔しく思えたのだ。


「駅にいます」

 どこの駅とは言わずあやふやな言葉で返すと、大塚さんはほっとしたように息を吐いて笑った。


「よかった。覚えててくれてた……って、え! 僕もずっと改札にいるんですけど」


 覚えてくれてたという言葉に、小さく安堵の息をつく。

 “忘れられていてもしょうがない”

 そう思っていたはずなのにな――と、なんだか笑えた。 



「忘れてなんかいません。ちゃんと覚えてます。だけど、大塚さんっぽい人はいないです。というか、人通りもあんまりない」


 きょろきょろとあたりを見渡すと、小さな子ども連れの親子と、試合前と思われるジャージの学生くらいしかいない。

 花倉台駅は南口のほうが栄えていて、私のいる北口は裏口のような扱いなのだ。


 

「あの、志乃さん。もしかしてそっち、北口だったりしません?」


「北口?」

 スマホを耳と肩で挟み、鞄から手帳を取り出して片手で開く。

 柴犬と星のイラストがある枠に書かれていたのは『九時半に花倉台南口に集合。博物館!』で。


 ここは――


 視線を上げて看板を見て、書かれていた文字は……北口。


 さぁっと血の気が引いていく。

 約束の時間が来ても会えなかったのは、大塚さんのせいではなく、単純に自分のうっかりミス。

 いろいろと勘繰ってしまった自分がみっともなくて、情けなくて恥ずかしい。

 それに何より、大塚さんに申し訳がたたなかった。



「すみません! いつもの出勤の流れで間違えてました、すぐ行きます!」


「志乃さん待って。そのままホームでごうりゅ……」

 大塚さんは何やら話していたけれど、慌てる私には考える余裕なんかない。

 ぶつんと電話を切って、スマートフォンを鞄に放り込み、駆けだした。


 一つにくくった長い髪が左右に揺れて、息があがる。

 久々の全力ダッシュは苦しいはずなのに、不思議と両の口角が上がり出した。

 自分で自分がわからない。


 人通りの少ない静かな北口。

 そこには、リズムの良い(かかと)の音が高らかに響き渡っていったのだった。



☆★――☆★――☆★――☆★


 南口に行くと大塚さんがいて、いつものニコニコ顔で手を振ってくれた。

 “気にしないでください”とは言われたものの、申し訳なさ過ぎて何度も何度も頭を下げていく。

 女が男に謝り続ける姿が不審に思われたのか、顔を上げていくと周りから変な目で見られていて。


 恥ずかしさのあまり、私たちは慌てて改札をくぐりぬけていった。


 博物館のある島風駅に向かう快速電車に乗ると、日曜日のわりには混雑していた。

 すし詰め状態には遠く、余裕もまぁまぁあるけれど、車内は若い女の子と、大人の男の人で埋め尽くされている。

 しかもなぜか皆、似たような格好をしていた。


 女の子たちは皆可愛らしい服を着て同じ鞄を持っており、男の人たちは、真っ赤なユニフォームを長袖の上から着ていた。



「今日は、レッダースの試合があるみたいですね。女の子たちのほうは持ち物からすると……あ、これかも」

 大塚さんはスマートフォンで検索したものを私に見せようと、差し出してくる。


 それを覗き込むと、スターシエルのボーカルが流し眼でポーズをとり、ツアーグッズである鞄を宣伝している画像があった。

 ボーカルが悪いわけでは決してないが、格好つけたその姿に鳥肌が立ち、眉間にしわが寄っていく。

 スターシエルを見ると、嫌でもナースマンである田村さんの、自惚れた顔を思い出してしまうのだ。


「志乃さん、どうしました? ご気分悪いんですか」


「あ、いえ。何でもないですし、元気ですよ」

 顔を上げ、大塚さんに向けて作り笑いをした。

 

 体調は大丈夫、と言ったものの、気分のほうは最悪かもしれない。



 休憩室で二人きりになったあの日以来、田村さんはおしゃれなレストランに行こうだの、馴染みのバーに連れていってあげるだのと、しつこいくらいに私を誘ってきていて。

 その回数といったら、断り文句のレパートリーも尽きるほど。

 正直困るし、うんざりしている。


 そもそも田村さんとは趣味が合わないし、おしゃれなバーが好きな子を誘えばいいのに、と思わずため息をついた。

 途端、足元ががたりと揺れる。



 そうだ、この路線、結構揺れるんだった。

 慌ててバランスを保とうとするけれど、つり革もポールも手近になく、結局はぐらついてしまう。


「うわっ!」

 こともあろうに私は大塚さんに衝突し、その拍子でうっかり掴まってしまった。

 ぶつかっても崩れずに支えてくれる身体が力強くて、なんだか暖かくて、とくんと胸が動く。


「ご、ごめんなさい」

 跳ねるように離れ、つり革に手を伸ばそうとするけれど、中途半端に混んでいるせいで手が届かない。

 いいとこなしの恥ずかしさからだろうか。

 顔が熱を持っているのを感じ、不思議と動悸までもしはじめた。


「志乃さん」

 小声で呼びかけられて、びくりと震えると、大塚さんはなぜか私の右手を掴んできて。


「揺れるんで、ここ、つかまってて下さい」

 誘導されてたどり着いたところは、大塚さんの腕だ。


「あ、ええと……すみません」

 ――って、何で私お礼なんか言っているんだろう。

 結構です、と言えばよかったのに。

 さっさと離れればよかったのに。


 手を離しづらくなってしまった……



 なるべく腕にふれないよう、コートだけをつまむように、きゅっと掴む。

 右の指先が、じんと熱い気がしたのは、コートの暖かさからだろうか、それとも――


 私たちは、ずっと無言のまま。

 電車がすいて離れるその時まで、私はなぜだか大塚さんの顔が見られなくて。

 ひたすらに、下を向いたままでい続けたのだった。

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