謎の子供
ヒースクリフとアラミスはどこか別の部屋に行ってしまった。
(なんだかんだ言って仲良しなのね)
そう思いながら、アンナは掃除の作業に移る。このペースで全部の部屋を掃除して回ったらおばあさんになってしまいそうだった。
先ほども、アンナが使っていない隣部屋に入ろうとしたら、アラミスに「使う部屋だけ掃除すればいいんじゃないかな」と言われて、顔を赤くして俯いてしまった。
そんな事も分からないなんて、本当に自分は使えない。だけど、今できなかった事も、少しずつできるようになっていくしかないのだ。
今のように、使い物にならないままでは困る。
失敗でもいいから、経験を積み重ねて少しでもヒースクリフの役に立ちたい。
そこまで考えて、アンナは自分の考えが前に向いている事に驚いてしまった。
いつもは後ろ向きに失敗する未来ばかりを想像していたアンナだ。
(今まではこんな風に思った事なんてなかったのに――)
この嘆きが丘に来た事によって、アンナ自身も思いもよらないような変化が起きているようだ。
また、ヒースクリフに返さなくてはいけない恩が増えてしまったみたいだ。
アンナは掃除を続けながら考え事をしていた。
効率良く掃除する事を意識し始めて、そのスピードは随分と早くなった。
アンナの部屋から始まった掃除も、今では一番遠い部屋まで来た。
さて、ヒースクリフが言っていた「目」の事だが、今はまだ出番ではなないらしい。
何やら、彼が朝早くまで本を読んでいる事に関係があるのか分からないが――
(もしかしたら、ヒースクリフは嘘をついたのかも)
そう思い、アンナは暗い気持ちになる。
だけど、あのヒースクリフが騙すなんてするだろうか。
第一、アンナをからかうなんて、彼がそんな冗談を言うとは思えない。
ヒースクリフは優しいのだ。
それは、彼との交流で知ってきた事だ。
ならば、彼は逆にアンナのためにあんな嘘をついたのだろうか。
それならばあり得る。
目のことを気にしていたアンナが、納得するための嘘をつくなら――。
どちらにしろ、あの目はやっぱり何の役にも立たたずにアンナの視界の邪魔をするだけなのかもしれない。
今の穏やかな生活を手に入れて、更に目を役立てたいなんて贅沢にも程がある。
(身の丈を知るべきね)
アンナは深く深くため息をつき、頭を振って手にしたモップをまたかけ直した。
と、その時。
何やら奇妙な音がした。
アンナが立っている扉の先からだ。
一体何かしらと思い、アンナは恐る恐る扉の前で聞き耳を立てた。
カチャン、カチャンと木と木がぶつかり合うような音がする。
何の音かなんて、皆目見当がつかない。
ヒースクリフかアラミスだろうか。
それならいいんだけど。
もし、不審な人物が何か怖い事をしているなら、急いでヒースクリフに知らせるべきかもしれない。
だけど。魔法でこのお屋敷を爆破しようとしてたりなんて考えてたら――
不安な妄想がアンナの頭の中でぐるぐると巡る。
アンナはモップを構えて恐る恐る扉を開いた。
「あ、あの! 怖いことするのはやめてください!」
震える声で言い放つ。
目の前に飛び込んできたのは大きなはた織り機だった。
そして、その前の椅子に腰掛けるのは、――子供?
柔らかな金髪の美しい子供はまんまるの銀色の目をぱちくりとさせてこちらを見る。
彼(彼女かもしれない)は、はた織り作業していたその手を止めて首を傾げた。
一見とっても愛らしい子供だけど、どう見ても普通の子供じゃない。
なぜなら、その背中には透き通った妖精の羽が付いていたから。
「あなた――誰?」
子供は、にこっとアンナに微笑みかけて、手を振った。
そして、指先から桜の光の粒子に姿を変えて桜のように散っていく。
「えっ」
アンナがよく見る光に似ている。
だけど、夢みたいに美しい光だ。
見とれていて言葉が出ない。
最後に残ったのは、はた織り機に残された完成間近の毛織物だった。
(居なくなってしまったわ)
あの子は死んでしまったのだろうか。
いや、そんな事はないと思う。
なぜだか、アンナはそんな気がした。
今もそこに座っているようなそんな感じがする。
何だか不思議だけど、そんな気がしていた。
ヒースクリフ達に相談してみよう。
アンナはそう決めた。
*
「はたを織る子供?」
ヒースクリフはカップを持つ手を止めて怪訝そうに眉を潜めた。
彼とアラミスは用事に一段落したらしく、お茶を楽しんでいた。
簡単なお菓子も容易されている。
「どうせなら姫君も一杯どうですか? かわいい女の子が居たらもっとお茶がおいしくなりますし」
アラミスのそれは、数時間前に聞いたばかりでも慣れない。
彼はティーカップを口許に運ぶ。
その仕草も余りに優雅で思わず見入ってしまいそうだった。」
アンナは苦笑いして聞き流しつつ、椅子を引いて腰掛けた。
「えーっと……今、ここに住んでるのはヒースクリフと私だけだよね?」
「そうだ」
「姫君さえ良ければ僕も同居しても良いんですけどね」
ニコニコと上機嫌そうにアラミスが言うと、ヒースクリフは一層眉間の皺を深くした。