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優しいおばさん

その後、掃除を再開しても集中する事ができなかった。

ヒースクリフのあの悲しげな顔が頭の中をぐるぐると巡る。


(どうして、嫌だったのかしら)


――カッコ良かったか?

――男が料理するって……おかしいんだろ


体裁ばかり気にするエドワードとは違うけど、ヒースクリフにはヒースクリフのプライドがあるのはわかる。


だけど、忙しくて料理するのも大変そうなのに、どうして代わろうとしたら、あんな反応をされてしまったのだろう。

胸が苦しくって、思わすため息が漏れる。


と、その時。

トントンとノックの音がした。

アンナは振り向く。心には、期待と不安が募っていた。


(もしかして、ヒースクリフ?)



ノックの主は返事も聞かずに扉を開ける。


「あーら、もうこんなに元気になったのね」


明るい声色で言ったのは、まるまると太ったおばさんだった。

手の中には真っ白なシーツが重ねられている。


彼女はアンナのベッドに近寄ると、せっせとシーツを変えてピンと整えていく。

石鹸のいい香りがする。


「あ、あの」


知らない人が部屋に入ってきた事によって、アンナの緊張がみるみる高まっていく。

おばさんはアンナの様子に気づくと、彼女が手に持っていた雑巾に注目してポンと手を打つ。


「ああ、お嬢ちゃん。お掃除してたのかい? 見たところ貴族さんかと思っていたんだが。ほおー感心だねえ」

「あっ、あの……」


一体彼女は誰なんだろう。

次から次へとおしゃべりするおばさんの姿を見て、アンナの頭の中が疑問でうめつくされる。


「クリフ坊っちゃんは掃除が苦手だからねえ。こりゃあ良い子が来てくれたもんだ」

「あ、あの……」

「それに、あのクリフ坊っちゃんには勿体無いぐらいのべっぴんさんだねえ」


おばさんは、人の顔をじろじろと見てうーんと唸っている。

アンナは恐怖と不安で体を固くした。

多分、アラミスの時のようにヒースクリフは助けに来てくれないだろう。

なぜなら、彼はアンナが怒らせてしまったから。


(ヒースクリフに、嫌われちゃったかな)


誰にも愛される事の無いアンナだから、極力人間関係に期待なんて持たないようにしていた。

エドワードに裏切られても泣かなかったのは、きっとそういった保険をどこかで心の中に掛けていたからだ。


だが、ヒースクリフに愛想を尽かされてしまうのはどうだろう。

あの不器用だけどまっすぐな少年に嫌われてしまったとしたら。


今度こそ、体と心が引き裂かれるように苦しむのではないだろうか――。



おばさんは、おしゃべりをピタリと止めてアンナをじっと見ていた。


「どうしたんだい、そんな悲しそうな顔をして。美人が台無しじゃないかい」

「っ、いえ……あ、あ、あの!」


アンナは湧き上がる疑問のひとつを掴んで言葉にする。


「あなたは――ヒースクリフの知り合いなんですか?」


おばさんはポカンとした顔をした後に「ああ」と手を合わせた。


「ああ、自己紹介がまだだったねぇ。ごめんね、あたしはアンタを見るの、初めてじゃないんだ。アンタがムーアで倒れてるのを見つけた時に会ったからついうっかりしてたんだ」


そうだったのか。

おばさんはその後も独特の訛り言葉でペラペラとひと通りしゃべり出す。


どうやら、アンナが疑問に思っていたベッドまわりの掃除も、ヒースクリフではなく、彼女がやってくれていたらしい。

それに、服の着替えも。

おばさんが、「クリフ坊っちゃんったら。着替えって聴いたら顔を真赤にして大慌てで部屋から逃げ出してさあ!」とケラケラと笑っていた。

こんなに貧相な体なのに、ヒースクリフは照れていたの?! とアンナは驚く。だけど、不思議と悪い気はしなかった。

それどころか――なぜか嬉しい。


「あの、その節は……ありがとうございます」

「あらまあ! 貴族様なのにふんぞり返ったりしないのねえ。気に入ったよ。あたしゃマリー。村に住んでるパン屋さ。クリフ坊っちゃんはマリーおばさんって呼んどるからアンタもそう呼んでいいよ」


マリーおばさん。アンナは頭の中で練習してみる。上手く言えるだろうか。


「マ、マリー……お……おばさん……」

「そう」


おばさんは満足げに頷いた。


「よく言えたねえ。それじゃあ、お嬢ちゃんの名前は?」

「あ、アンナ……です」


変に思われてないだろうか。

恥ずかしくなってアンナはうつむきながら言う。

だけど、おばさんは気にする様子もなくうんうんとまた頷いている。


「いい名前だねえ。それにやっぱり何度見てもべっぴんさんだ。肌は白すぎるけどそれもヒースクリフの料理を食べて外に出てりゃすぐに良くなるさ」


おばさんは、まるまるとした体をせこせこと動かし、色々な角度からアンナを眺めながら、恥ずかしくなるような事を言う。

きっとお世辞だと思っても、うまく返せない自分が悲しくなる。


「ヒースクリフは料理ぐらいしかできないけど仲良くしてやってくれ」

「そんな、あんなに忙しそうなのに、料理までして貰って――申し訳ないです」


アンナはうつむく。


自分の気持ちを打ち明けるなんて、誰にもした事がなかった。それも知りあったばかりの人になんて。


前世、小さいころに友達を名乗る女子に相談した事は、噂になってクラス中の周知の事実になってしまった。

それ以来、アンナは自分の気持ちを秘めるようになっていたのだ。


だけど、このおばさんはお喋りだけど悪い人ではない気がする。

秘密を喋ってしまったら言いふらしてしまいそうだけど。性根は悪くなさそうに見えて仕方ないのだ。


「とんでもない! 嘆きが丘は人手が足りないから男も女も仕事はするんだ。例え領主様でもね。だから、坊っちゃんはコキ使ってやんないとダメだよ」


おばさんは力強くアンナの背中を「どん」と叩いた。


ヒースクリフは料理ぐらいしかできない。


あんなに美味しい料理を作るのに、「料理くらいしか」って。

アンナは思うが、ハッとする。


もしかして、ヒースクリフもアンナと同じだったんじゃないだろうか。

もし、ヒースクリフも、アンナと一緒で「何かをしたい」と思っていたなら――。


(私、ヒースクリフに酷いこと言ってしまった)


唯一できると思っていた料理を取り上げられたら、ヒースクリフは何もできない人になってしまう。

だから、彼はあんなに悲しげな顔をしたのだ。


こうしては居られない。


「おばさん、ありがとうございます」

「クリフ坊っちゃんの所かい! アイツに本ばっか読んでないでもっと働くよう言ってやんな!」


アンナはおばさんに頭を下げ、ヒースクリフの部屋へと走った。

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