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すれちがい

翌日、アンナはいつもより早く目が覚めた。


屋敷の散策で見つけた雑巾を持って、水瓶から汲んできた水を柄杓ひしゃくで桶に移す。


アンナは不思議だった。

ヒースクリフが井戸に赴いている様子は無いのに、この水瓶の中にはいつ見ても水で満たされている。

何か、特別な仕掛けでもあるのだろうか。


ふと、目を凝らしてみると、水の中にふつふつと水色の光が見えた。

まるで宝石のような美しい輝きに、アンナは思わず息を呑んだ。


あんなに忌まわしかった視界に映る光が、なぜか今はひどく安らぐ。

光に優しく語りかけられているような、そんな錯覚すら覚えるのだ。


――俺はお前が必要だ


ふと、「目」の事を伝えた時のヒースクリフの言葉を思い出す。

顔が赤く染まるのと同時に、アンナはこの安らぎの理由がよく分かった。


(ヒースクリフのおかげだわ)


今まで誰もが認めてくれなかった目を、唯一、彼だけが「必要」と言ってくれた。

それだけで、アンナはどれだけ救われたかわからない。


水を張った桶をぎゅっと抱きしめ、アンナは部屋へと慎重に足を運んだ。



ヒースクリフの役に立ちたい。

そう思ったアンナは居ても立ってもいられなかった。


まずは、自分の事を自分でできるようになってから。


アンナはそう決めて、自室の掃除をする事に決めた。

濡れた雑巾で調度品の汚れを拭きとって行く。


長らく誰かが住んでいた形跡が無いにもかかわらず、ベット周りだけはやけに清潔だった。

ヒースクリフが用意をしてくれたのだろうか。

あんなに料理が得意なんだから、掃除ぐらいできてもおかしくはない。


だけど、あの乱雑とした屋敷の様子を思い浮かべると、どうもしっくりとこない。

それに、服だってそうだ。

アンナの着ていた洋服は、簡素な綿の寝間着に着せかえてあった。


ヒースクリフがやってくれたのだろうか。


男性が着替えさせてくれたとしても、別に、この貧相な体だ。

エドワードに散々「魅力がない」と罵られてきた体を見て、どんな男性だってどうという気も起きないだろう。


むしろ、重たくて面倒な作業を、忙しそうにしているヒースクリフにやらせてしまったという事実が申し訳なかった。


(ヒースクリフに恩返しをしないといけないわ――)


少しずつ、彼に頼っていた事を、自分がしないといけない。


(私も、頑張らないと)


アンナは決意を新たにして掃除を再開した。



「遅れるなんて珍しいな」


ヒースクリフは眉を寄せてアンナに言う。

掃除を始めたら、「ここまで終わらせよう」の連続で、朝食の時間を少し遅れてしまったのだ。


「え、あ……ごめんなさい」


アンナは肩を窄めて俯いた。

せっかくヒースクリフが自分の仕事の合間をぬって作ってくれた食事に遅れてしまうなんて。


「別にいい」


と、言いつつも彼の言葉には不満が残っている。

アンナは申し訳なくなって小さくなるしかなかった。

自分だったらどうだろう。いつも遅くまで本を読んでいるのに、朝食を作らされて大変なんじゃないだろうか。

なら――


「あ、あの――」


アンナは握っていた両手の力をグッと込める。

爪が肌に食い込んで痛みを覚えた。


ヒースクリフの力になりたかった。

彼に助けられた分、助け返したかった。


「何だ」

「ヒースクリフ――私がお料理、作ろっか?」


ヒースクリフは眉を下げて真っ青な目を見開いてじっとアンナを見つめていた。


思っていた反応と違う――。

アンナの息が詰まる。


「っ、俺の料理、不味いか」

「違うの! そういう意味で言った訳じゃないの」


ヒースクリフはまつ毛を伏せ、何かを押し殺すような声で言った。

その、悲しげなブルーの瞳に、アンナの喉は絞られるような心地がした。

彼はそそくさと立ち上がり、さっと背中を向ける。


「……都じゃ男が料理するって……おかしいだろ」

「違う! そういうつもりで言ったわけじゃないの!」


アンナの振り絞った声を無視して、ヒースクリフはずんずんと歩を進めて遠ざかっていく。


「……っ!」


アンナの喉はカラカラに乾き、目がカアッと熱くなっていくのが分かった。


(泣いちゃダメ……泣いちゃ……ダメ)


頭の中で呪文のように繰り返す。

どうして。

ヒースクリフはあんなに悲しそうにしていたんだろう。




後ろ手で自室のドアを締める。

ヒースクリフは、眉間を揉みながら大きくため息をついた。


机について本に手をかけるが、どうにも本を読む気にはなれない。

心がざわついて、例えるのが難しい奇妙な気持ちがあふれだすのが止まらない。


本ばかり読んでいる自分が、アンナの役に立てる事は今のところ料理ぐらいしか思いつかない。

それすら彼女にやらせてしまっては、ひどく格好がつかないのではないだろうか。


(……俺、頼りないと思われているのか)


ため息を漏らす。

例えばアラミスや村人にそう言われるのは、悔しいながらも仕方ないと思える。

だが、アンナにだけは――そんな風に思われてしまうのは、とても嫌だった。

理由は分からないが。


(いや、ダメだ)


が、すぐに気持ちを切り替える。


(考えるなら、行動しろ)


扉を開き、足早に厨房へと向かう。

名誉挽回は自分の手で。

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