霧の都の人々は
『キャサリン女王から面会を拒否されてしまった』
エドワードから泣き言のような手紙を受け、オフィーリアは馬車を走らせた。
女王はエドワードとアンナの婚約破棄に酷く怒って、「愚弟の顔も見たくない」と従者に言い渡したという。
女王が後継者をエドワードに指名しなければ、彼女が夢見た王妃の座も危うい。
今まで、ローズハート公爵家はアンナ達リレスター公爵家に散々邪魔をされ、辛酸を舐め続けてきた。
両親は、オフィーリアとアンナとを常に比べられ、アンナとエドワードとの婚約が決まった時は散々彼女を罵ったものだ。
エドワードの心を奪ったのは、公爵である父親からの命令だった。
だが、それだけではない。
オフィーリア自身も、何の取り柄も無く俯いてばかりのアンナの鼻を明かす事ができると思い、積極的にエドワードに取り入った。
財産も潤沢で華やかなリレスター公爵家と違い、ローズハート家公爵令嬢として、日陰で生きてきたオフィーリアにとって、注目の的となるのは悲願そのもの。
つまり、公爵とオフィーリアは利害関係が一致していたのだ。
「ほとぼりが冷めるまで待てばいいだけですのに。本当に頭が足りないわね」
手紙を読み返し、馬車の中で一人ごちる。
『そなたとの式が』『夜な夜なアンナの亡霊に襲われる』と何度も書かれているが、ため息しか出ない。
そもそも、アンナは生きている。
もっとも、拷問を繰り返されて、既に正気を失っているかもしれないが。
エドワードは、傲慢な男を気取っているのくせに、女々しすぎる。
だけどまあ、顔はそれなりに良いから許してやらなくもない。
女王が自分たちの婚約に首を縦に振ってくれない?
ならば――居なくなってしまえばいい。
そう、アンナのように嘘の証拠さえ用意すればいいだけの事。
アンナの姦通罪の証拠をでっちあげたエドワードの母であるイザベラ様も既に手を打っているという。
今からは、自分の思い通りに事が進まずに子供のように喚き散らしているであろうバカのフォローをするのがオフィーリアの仕事。
例えば、エドワードに駆け寄り、さも無念そうに泣いて、「一緒に頑張りましょう」「女王様も必ず認めてくださるわ」と繰り返していれば、あのバカはきっとおとなしくなるだろう。
オフィーリアは扇子で口許を隠し、クツクツと不気味な笑い声をあげる。
アンナは居なくなった。
女王ももうじき居なくなる。
頭の中に、これまで散々コケにしてきた者達の顔が次々と浮かぶ。
今に見ていなさい――――
注目されるのはこの私よ。
*
「あーあ、結婚したい」
ベッドに大の字になって寝そべり、キャリン女王は低い声でつぶやいた。
靴は脱ぎっぱなし、コルセットも今は外して下着姿。
はだけた胸には王家の証である胸元の薔薇の焼き印が覗いている。
女王というのは優雅なようで激務で、公務が鬼のように詰まっている。
週に一度でもこういった時間が無いと、とてもじゃないが務まらない。
もちろん、最初は「歴代の王族にそんな人は居なかった」と諌められたし、先代女王の事も耳にタコができる程言われた。
だが、従者に「エドワードに王位を譲る」とゴネたら誰一人と反論できる者はいなかった。
城の者は皆、彼の無能っぷりを知っているのだ。
ド愚弟だし、血だってほとんど繋がっていないが、一応弟は弟だ。流石にその反応は同情してしまう。
とはいえ、キャサリン女王は切り替えのできる女だった。
こういっただらしないプライベートタイムだけで、それがすぎれば「女王の顔」を作り、公務に取り組む事ができる。
侍女は呆れているが、すっかり慣れてしまった様子で、てきぱきと自分の仕事をしている。
「あーあーあー、女王結婚したいーーーメアリー、私結婚しーーたーーいーーー」
「あーもう、女王様、さっきから何なのですか!」
ゴロンゴロンと広いベッドを往復していると、花を活けている途中の侍女が苛立ちを隠せずに言った。
「メアリー、誰かいい人紹介して。できればお金持ってて周りが文句言わない人」
「も~~~、女王様ったらまたそれですか!大体、この間の誕生パーティでかっこ良く宣言したばっかりじゃないですか~~~」
そう、女王は「私は国や国民全員と結婚した」と宣言してまだ間もない。
「あれね、ノリで言ったの。ほら、私ってモテモテだったじゃない。海外の諸侯から。だからちょっとしたジョークを披露したつもりだったの。マジで。いつかそのうち“やっぱり嘘ぴょーん”って言うつもりだったの。ドッキリだったの」
はー、と侍女はため息をつく。
こんなふざけた性格のクセに政治手腕が良いんだからなー。的な感情がありありと込められていた。
「でも、あの宣言に痛く感動した諸侯は、あっさりと手を引き――」
「あーーーーっ! ほんっと下手こいた~~~」
そう言って、キャサリン女王はベッドのシーツにくるまってじたばたと暴れだす。
国民どころか、弟のエドワードですら目にしたら凍りつくような場面だ。
もちろん、キャサリン女王のこのような姿を知っている者は数える程しかいない。
「城のアンタらが私の事散々コケにするからさ! てっきり”女王また言ってるよーばっかじゃーん”とかで済まされると思ったのよ。だけどさ、隣国の王とか感動して泣いてんの。私ポカーンだよね。何あれ。ねえ。バカなの? 死ぬの?」
「バカは女王様ですよ」
侍女はキャサリン女王に目もくれず花を活け続ける。
「出た、不敬罪! 大体、アンタは何で花なんて活けてんのよ」
「ああ、ホールに飾ろうと思いまして」
「自分とこでやりなさいよ! ここ、私の、部屋! 女王! の! 部屋!」
「いや、うるさい方が逆に集中できるんですよねー」
「それ女王のお言葉! アンタが直立不動でニコニコしながら聞くべき話!」
「気が散るので黙っていてください」
「だからそれ不敬罪!!」
ぎゃーーっとキャサリン女王は喚き、高すぎる天井を眺めた。
前女王は、とても厳格な人物だった。とても、厳しすぎる程に――
その頃の使用人達は、まるで幽霊のように青ざめ生気を失っており、不気味と思わずには居られなかった。
ここに来た頃の侍女も、城の悪い噂を聞いき、凍りついて悪魔の機嫌を取るかのようにキャサリン女王と会話をしていた。
女王は、そんな環境が嫌で仕方なかった。
女王自身も、叔母である前女王が悪夢に取り憑かれ、妄想を信じるようになってしまい、幽閉された過去がある。
あの、一見華やかな玉座は、過去の度重なる諍いを経て、べっとりと血で汚れている。
キャサリンは生き延びて王座を手にしたものの、“本当の弟”は大人たちが勝手にはじめた争いに巻き込まれ、そして敗れ王室を追われてしまった。
「あ、それと女王様、エドワード様の件はいかがします」
「あー、居留守使っといて。テキトーに。カンカンに怒ってるとか言ってもいいかな。事実、私もカチンと来たし。アイツは少し頭冷やした方がいいよ」
昔から、エドワードには困らされてきたが、まさかアンナとの婚約を破棄するとは思わなかった。
女王派のリレスター家との婚約を退けるなんて。それだけエドワードの母・イザベラは息子を王にしたくてたまらないのだろう。
それに、あのいけすかない娘・オフィーリアもだ。
権力や地位は、人を狂わせる。
「ところで、イザベラ様の件は、いかが致します?」
侍女は、いつの間にか花を活けるのをやめて、背筋をピンと伸ばしてベッドの側へと立つ。
「いいよ、尾っぽを掴めるまで泳がせといて。贈り物の類は処分せずに取っておいてね。取り扱いには注意なさい。どうせ毒が仕込んであるだろうから」
イザベラの罠で既に一人、大切なメイドが重症を負っている。
冤罪で幽閉されたアンナも被害者と言えるだろう。
どうして、あんなに可哀想な女の子を――
「あーあ、皆こぞってさ。王座なんて、どうして欲しがるかねー」
これが彼女の本心だった。
キャサリン女王は、アンナを義妹に迎える事を心から楽しみにしていた。
慎ましい態度ながら、必死に愛して欲しいと叫んでいるあの目に、この手で生きる幸せを教えてあげたかった。
だというのに――なぜ、つまらない争いで、彼女のささやかな幸せが踏みにじられなければいけないのだ。
キャサリン女王は王国の繁栄のために他国への攻撃も厭わなかった。
だが、罪もない国民の、義妹になるはずのアンナの悲しみとなると、話は違う。
(アンナ、貴女はあの地で必ず幸せになって――)
アンナは表向きには今も幽閉されている事になっている。
そう、表向きは。
一角獣はアンナを無事に送り届けたはずだ――きっと今頃、“本当の弟”にも会っている頃だろう。