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成敗!

 一時間目の授業が始まると、三〇代の英語教師がやってきた。

 細いフレームの眼鏡がよく似合う、知的で、落ち着いた感じのする女性教師だ。腰までとどきそうなロングヘアも日ごろから丁寧にケアをしているのだろう。サラサラの髪だった。

 痩せ形で、すらっとした鼻つきが特徴的な、美人教師。

 佐々木先生。

 どうやら『あの四〇代ほどの不審者幽霊』も、佐々木先生のことが気に入ってしまったらしく、自分の姿が誰にも見えないのを良いことに、「ほうほう、なるほどなるほど」などと言いながら、佐々木先生の周りをぐるぐると旋回。

 三六〇度、じっくりと観察してから、

「素晴らしい。九八点。ただし胸がないのが非常に残念!」と評価を下したあげく、すぐに興味を失ったかのように離れて行った。

 しかし彼は、教室を出て行くという訳ではなかった。

 うろうろ、うろうろと、席の間を徘徊しはじめた。

 その姿は、まるで試験を監督している先生のようだった。彩音は努めて無視をしようと決め込んでいたのだが、意識すればするほど気になってしまう。

「あーあ、ひまだなぁー」、「だれか構ってくれないかなぁ」、「あーどこかに巨乳のお姉さんいないかなぁ」と、先ほどからぶつぶつと呟いて、教室の中をうろうろと徘徊する不審者幽霊の姿は、正直なところ、今すぐにでも飛びかかって張り手でも食らわしてやりたくなるほどに鬱陶しかった。

 だが、それも無駄なことだ。

 張り手を食らわしたところで、きっとその手はすり抜けてしまうのだ。あの『実体化』をしているときならばこちらからの接触も可能なのだろうが、結局それも気が引ける。

 なぜならば彼が実体化するためには、「むううううん」と唸り声をあげてエネルギー(?)をチャージする必要があり、顔からは汗を噴きだすのだ。

 そんな顔に張り手を食らわすのも……、

「……」

 窓際、最前列に座っている彩音はこっそりとため息をついて、男の存在を無視。

 授業にとりかかった。


 その数分後。


「あっ……、この子、すごい」

 と、男がなにやら呟いた。

 彩音の後方から聞こえた。

 なんだ? と思って彩音が肩越しに後ろを見やると、彼――サラリーマン風の不審者幽霊は、『ある巨乳のクラスメイト』の胸にくぎ付けになっているところだった。

 彩音の列の、一番後ろの席に座っている大人しそうな女の子。由香ちゃんの胸だ。

 髪はショートカットで、白のカチューシャをつけている。ぱっちりとした愛らしい瞳は、同じ女性の彩音から見ても羨ましいチャームポイントだ。

 そして、胸。

 彼女の胸は、高校生一年生とは思えないほどの成長を遂げている。

 不審者幽霊は、その子の胸を、じーっと見つめていた。

 彩音は、「あちゃー、目をつけられてしまったのか。大丈夫かなぁ」という心配な気持ちと、「まぁ、ロリコンじゃないって言ってたし、大丈夫だよね?」という楽観の気持ちとで、落ち着かなくなってしまった。

 彩音は黒板へと向きなおり、内心でハラハラ。

 しかし彼は、変な気だけは起こさないだろうとも思った。

 先ほど、彼は言っていたばかりなのだ。「僕は犯罪者になりたいわけじゃない」と。

 彼は、今までも、やろうとすればいくらでも勝手に『チカン行為』をやって、成仏することもできたはずなのだ。

 それが出来ないからこそ、こうやって幽霊になって現世をさまよい続けているのだ。なんとか別の方法で――穏便な方法で成仏しようと考えている幽霊なのだ。いくら変態的でも、モラルとかマナーとかに反するようなことはしないタイプの人なのだ!

 彩音はそう信じたかった。

 信じたかったのだが、


 あっさりと裏切られた。


「むううううう……」

 と教室の後ろのほうから、ただならぬ気配の、男の呻き声が聞こえ始めた。

 もちろん、由香ちゃんの席の方角だ。

「むううう……、むぅぅぅぅん……」

 彩音は後ろを振り向かずとも、男がなにをしているのかがすぐに分かった。

 アレ、だ。

 アレ、をやっているのだ。

 不審者は今、中腰で、がに股で、ぷるぷると拳を震わせながら、まるで漫画のキャラクターがエネルギーを溜めているときのようなポーズで唸り声を発し続けているに違いない。そして額からは、怪しくも気持ち悪い感じのする汗を噴きだしているのだ。

 彼がこれから何をしようとしているのか。

 考えるまでもない。

 実体化して、由香ちゃんの胸に飛びかかるつもりなのだ。なんという、なんという完全犯罪だろうか! 彼は先ほど言っていたのだ。「実体化しても、誰にも姿は見えない」と。つまりそれは、チカン行為を働いても誰にも分からないという事だ。

 彩音以外の人間には。

「あの。先生」

「どうしました?」

 彩音が手を上げて発言する。佐々木先生は、すぐに応じた。

 くっ、くふうん、ふうううううん、という呻き声が聞こえてくる中で、彩音は努めて声色を変えずに訴える。

「あの、調子が悪いので、トイレへ行ってまいります」

「あら。いちいち言わなくてもいいのよ。どうぞ行ってらして下さい」

 にこやかに愛嬌のある笑顔を浮かべた佐々木先生は、理解のあるような口調で言った。

 彩音は、「はい、ありがとうございます」と礼を言い、立ち上がり――、机の上のボールペンを、ぎゅううっ、と握りしめた。

 後方へ歩きだす彩音の瞳が、ぎらり、と底光りした。

 獲物を狙う猛禽類(もうきんるい)のような瞳。その視線の先には、がに股でぷるぷると震えて呻き声を発している不審者の姿。そして不審者の視線の先には――、由香ちゃんの大きな胸。

 間違いない。

 奴はろくでもな奴だ。

 彩音は、容赦はしないと決めた。

 ぐふううっ、ぐううおおん、うおおおおおおん、と必死の声をあげながらエネルギー(?)を溜めている男の背中へと向かい、彩音は足早に一直線。うおおおおおおおおおおっ! とエネルギーが絶頂(?)になったあたりで、男の背後へと肉迫。

 彩音は握りしめたボールペンに、はちきれんばかりの憤慨と、ありったけの軽蔑と、あらん限りの握力を込めて、ぶっきらぼうに思いっきり――、


 ぶすっ、とお尻に突き立てた。


 手加減のない、渾身の一撃だった。

 彼が実体化をするときには、こちらからも接触できるはずだ。その読みは正しかった。ボールペンが尻に突き刺さった感触が、彩音の手にはしっかりと伝わった。

 そして、

「ひっぎゃああああああああああああああああああっ!」

 というみっともない絶叫があがった。もちろん彩音の耳にしか届かない悲鳴だ。目を向ける者は誰もいなかった。

 ただ男は、痛みのあまりにのたうちまわってしまったために、いわゆるポルターガイスト現象が起きてしまった。

 暴れた身体が近くの机へと衝突。けたたましい音を立てて机がひっくり返り、教科書とペンが散乱し、そのまま不審者は別の男子へと体当たり。「うおおっ!」という悲鳴が聞こえれば、「きゃああっ!」と別の悲鳴が連なる。さらに不審者はお尻を抑えながら暴れ、でたらめにあちこちへとぶつかり、いくつもの机がひっくり返り、タックルを食らった男子が床に倒れ、怯えた女子が縮こまり、悲鳴が連鎖して――、

 男が実体化をしていられるという『たったの七秒間』のうちに、教室はめちゃくちゃになってしまった。

 もちろん、誰の目にも、不審者の姿は映らなかったのだろう。

 佐々木先生も、あんぐりと口を開けて騒ぎを見ていた。

 やがて教室は沈静化。

 全ての人間が、唖然……、としたのち、口々に喋りだす。

「……な、な、なに、なにいまの!」

「……分かんない分かんない」

「机が勝手に……ひっくりかえって……」

「こ、こ、怖すぎなんだけど!」

「なにかがぶつかってきた!」

「おいおいおい! なんだよ今の!」

 彩音は、温度の消えた冷酷な瞳のまま、騒然としはじめた教室を見届けて――、

 ボールペンを、ぽい、とゴミ箱の中へと放り、廊下へと出た。

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