不審者ゴーストとの遭遇 1/2
高校一年生の彩音は、家の玄関でぶるぶると震えながら、靴ひもと格闘していた。
手がこごえて思うように動かせず、まったく結べないのだ。
指先の感覚もない。
――だから冬なんて、大っ嫌いなんだ。
などと胸のなかで愚痴を言い、いったん諦めた。
彩音は身体をかがめて丸くなり、両手をこすりあわせながら、ハァー、と息を吹きかける。ミドルヘアが、ばさり、と視界を塞ぐが、その毛先の一本一本までもが、身震いに合わせてぷるぷる揺れているようだった。
彩音は、寒さが苦手なのだ。
紺色のブレザーの下には、保温性にすぐれたシャツ、ブラウス、学校指定のセーターを挟んで着ている。スカートの下には黒のタイツを履き、さらに首元には、白のマフラーをぐるぐると巻きつけている。
さらに、これから分厚い手袋もはめるつもりだ。
ここまでしなければ、自転車通学はきびしい。
外はさっぱりと晴れているようなのだが、伊吹山のほうから吹きつけてくる風はとても冷たく、ただでさえ寒さに弱い彩音を、みるみると消耗させてしまうのだ。
「ベッドに戻りたい……」
ぼそっ、と弱音が漏れてしまった。
すると、
「――今朝はさっぱりと晴れた天気になりましたね。おはようございます。二月四日。月曜日。暦の上では『立春』です」
と、リビングルームのほうから、女の声がした。
テレビから聞こえてくるような音声。どうやら天気予報が始まったようだった。
彩音はこの日、なるべく早く学校に行かねばならなかったのだが、『立春』という言葉に反応し、つい、耳を傾けて聞いてしまう。
「春が立つ、という字だけを見ていると、なんだかとても温かそうなイメージがわいてきますよねぇ。その通り。今日は、春のはじまりとされる一日でもあるんです」
と、予報士はハキハキと喋る。
しかもその話の内容は、彩音にとってはとても良い知らせだ。
思わず、わくわくと胸が弾んでしまう。
――ああ。春かあ。いよいよ春がやってくるのかあ。
しみじみ思った。
こんな『厚着』などをしなくてもいいような日が、ぽかぽかと温かい陽気につつまれながら自転車登校できるような日が、もうすぐ近くまで来ているのかなぁ――、
と、彩音は玄関に座り込んだまま、まだ見えぬ春の予感にときめいていると、
「ですが」
と予報士が声色を変えたので、彩音の耳はふたたび反応した。
「立春とは、一年のうち、最も寒い一日とされています。暦の上でも、立春の翌日は『残寒』、さらにその翌日は『余寒』とされているようです。だからというわけではないのですが、現在、つめたーい寒気が上空にあるせいで、今日の東海地方全域でも、さむーい一日となるでしょう。そしてこの一週間も――」
「……」
彩音の気持ちが、急に沈んでしまった。
しばらく春のことは考えないでおこうかな、と考え直した。そして、かじかむ指を無理やり動かし、靴ひもを強引に結んだ。
彩音はピンクの手袋を持って立ち上がり、
「行ってきます」
と、いつもより元気のない声で、家の中に向かって声をかけた。
すると、
「――はあ?」
と、すっとんきょうな父親の声。すぐ側にあるリビングルームから聞こえてきた。
父親は姿は見せないまま、閉じた扉の向こう側から、テレビよりも少しだけ大きな声を出す。
「なんだあ、彩音、今日はもう学校行くのか?」
「うん、もう行くね」
と、彩音も大きな声で返事をした。
「まだ六時五五分だぞ。今日は遠足でもあるのか?」
「え……遠足って……。小学生じゃないんだから。そんなわけないじゃん」
「じゃあなんだ?」
「……えっと、しゅ、宿題!」
とっさに嘘が、口をついて出た。
「私、出された宿題を机のなかに入れっぱなしにしちゃったの。提出期限が今日の朝だから、早く行ってやらなきゃいけないの! じゃあ、行ってきます!」
「――え。ああ、行ってらっしゃい」
彩音は一方的にまくしたて、会話を打ちきり、玄関から外へと飛び出した。
詳しい事情は、説明する気がなかった。
もしも説明してしまったならば、間違いなく父親は笑い、「なんだよ、やっぱり小学生じゃん」などと言ってくるに違いないのだ。
☆
工業地帯の一角にある私立高校に到着するころには、身体も温まってしまった。
「はぁ、ふぅ」
と息切れをしながら彩音は、しーんと静まりかえった学校のロビーで、いそいそと靴を履きかえる。つま先で、トントン、と地面を蹴って上履きを合わせると、廊下の先のほうまで音が響いた。まるで人の気配がない。
彩音は、ふと、うっすらと汗を噴きだしていることに気がついた。
それだけ必死に自転車をこいだのだ。
片手でマフラーを緩めながら、もう片方の手で、ささっ、とミドルヘアを整える。
そして左の袖をまくり、腕時計を見る。
七時四〇分。
「……やっぱり、急ぎすぎちゃったかな」
彩音はいつもならば、なるべく太陽がのぼった頃、遅刻のギリギリの時間帯を狙って登校するのだが、この日ばかりはそうもいかなかった。
こんなことになってしまったのも、元はといえば、彩音自信が悪いのだ。
――『金魚の餌やり』
一年四組の教室では、金魚を五匹飼っている。
その飼育担当が彩音なのだが、先週の金曜日、うっかりと餌やりを忘れたまま下校してしまったのだ。
そのために彩音は、落ち着かない週末を過ごすことになってしまった。
そもそも金魚とは、飢餓にはめっぽう強く、その程度の餌やりを忘れた程度のことで餓死することは、絶対にあり得ない。だが、「お腹空かせているよね」などと考えてしまうと、彩音は申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。だから罪悪感にせっつかれるようにして、こうして朝早くから学校にやってきたのだった。
「はぁ、はぁ」
と、階段を登っているうちに、またしても息があがってきた。
しかし、ゴールはもうすぐだ。
四階に到着し、空っぽの教室をいくつも通り過ぎ、ようやく一年四組の教室前までやってきた。
――さあ、
ちゃっちゃと金魚に餌をあげてから、残りの一時間はぼけーっと読書でもしていよう。
みたいなことを考えながら、彩音は扉に手をあてて、スライドさせる。
そして教室に一歩、踏み込むと――、
彩音の全身が、凍りついた。
誰もいないはずの教室に、見知らぬ、サラリーマンのような男がいたのだ。
不審者だ!
と、彩音はすぐに見当をつけた。
「あれぇ……、ずいぶんと早い時間に生徒が来るんだなぁ……」
と、彼は呑気な感想を言ってからすぐに顔色を変え、「あれっ!」となにかに気がついたような声をあげた。
彼は、やや早口になって喋る。
「と、いうかお嬢さん、お嬢さんお嬢さん。きみ、僕と目を合わせているよね。僕を認識しているんだよね。すごいなぁ。めずらしいなぁ。なんだか久しぶりだったからかなり嬉しいよ、あはは」
と、四〇代ほどになるサラリーマンのような男は、やや興奮した調子で笑った。
中肉中背の男だった。そして、子どもみたいな無邪気な目をしている。
サラリーマンと言うより、やはり不審者。
まだまだ寒い季節だというにも関わらず、彼は半そでのワイシャツに、グレーのズボンという軽装だった。しかも彼は、教室の後ろに設置してある水槽の前で、ハァ、ハァ、と息を切らせながら、なぜか汗まで噴きだしていたのだが……。
一体、いままで何をいていたというのだろうか。
分からない。怪しい。とにかく不審者だ。
彩音は絶句。
瞳をまん丸にして、口もぽかんと開けっ放しで、教室の扉に手をあてたまま立ちつくしてしまった。なにかアクションをとろうにも、身動きができないのだ。膝も震えているし、悲鳴をあげようにも肺が苦しくて呼吸ができない。
せめてなんとか教室を出ようと思い、彩音は一歩だけ後ずさりをしたのだが、どうやら腰が抜けていたようだった。途端にバランスを崩してしまい、どてっ、と地面に尻もちをついてしまった。
「……ひ……」
という弱々しい悲鳴が、喉から漏れた。
これが精いっぱいの反応だった。
すると男は、頭に手をあてながら慌てて言う。
「あ、驚かせてしまったようだね。これはこれは、うっかりうっかり。先に言っておくけど、僕は危害を加えたりなんかは、絶対にしないからね?」
男は、なるべく安心させようとする口調で喋った。
「僕は怪しいものじゃないよ。全然ない。そこらへん、理解してもらえるかな?」
と男は言うものの、学校の教員でもなんでもないような男が、こうやって勝手に侵入している時点でおかしいのだ。「不信感を抱くな」というほうが無理があるだろう。
地面にへたり込んでしまった彩音は、リアクションをとることができない。唇や、手や、足が、ブルブルと震えている。お尻から伝わってくる床の冷たい感触も、彩音はほとんど知覚できなかった。それどころではないのだ。
「うーん。驚きすぎて言葉もない、と言った感じかな? まあそりゃそうか。なにせこのご時世だものね。いやはや正直、この学校の警戒態勢にも感心するくらいだよ。庭、玄関、廊下と、監視カメラがあちこちにしかけてあるでしょ? 時代というものは変わるものだねぇ。プライバシーにはやたらとうるさい一方で、こうやってあれこれと監視されて――って、いきなり話が脱線するところだったね」
へへへ、と男は照れくさそうに笑いながら、頭をかいた。
それを見つめる彩音の瞳は、まるます鋭さを増していった。
「あれ? 怪しいものを見つめるような目つきだね。どうすれば信用してもらえるのかな。……というか、僕がここでなにをしていたのかを説明しないと、お嬢さんは納得はできないかもしれないねぇ」
「……」
「あれ、お嬢さん? おーい、返事はできるかな?」
ハッキリと呼びかけられてしまった。
彩音の頭は高速で働いた。
黙ったままでいるのは良くない。ここは会話に応じるべきだろう。もしもこのまま沈黙してしまえば、男はなにをするか分からない。かといって、大声をあげるのも良くない。ここは四階だ。すぐに人が駆けつけてくれるとは限らない。なにせその人の気配が、まったくないのだ。せめて、膝の震えがおさまるまでの間でもいいから、足腰に力が入るまでの間でもいいから、会話をして時間を稼ぐべきなのだ。
そんな結論を出した。
「……へっ、へんじ、でき、ます」
彩音は肺から空気をしぼり出すようにして、返事をした。
「良かった良かった。お嬢さんの名前は?」
「……彩音です」
「彩音さん。きみには僕が、ここで何をしていたように見えたのかな?」
「……さぁ、わ、わかりません」
「正直に答えてくれてもいいよ。誤解があるなら解いておきたいし」
「……と、盗聴とか、……盗撮とかをするために、カメラみたいなものを仕掛けているのだと、私は思いました」
「っははははは!」
彩音は思ったままのことを正直に答えると、男はお腹をかかえて豪快に笑った。あまりに突然の大声に、彩音は、ビクッ、と肩を揺らした。
「――いやぁ、彩音さん。あなた、やっぱり僕が不審者に見えているんだよねえ。それとも、僕が言った『監視カメラ』っていう言葉で、なんとなく連想しちゃっただけなのかな?」
「……」
「考えてみてくださいよ、彩音さん」
男は金魚の水槽の前で、両手を左右に広げ、なにかの演説でもするかのように言う。
「いったいどこの世の中に、高校一年生の教室にカメラを仕掛けるような物好きがいるんだい? いや、もしかしたらいるのかなぁ。でも、仮に仕掛けるとしても普通は更衣室でしょう? というか、そもそも僕にはロリコンのような趣味もないし、デバガメ趣味もないんだよねぇ。あ、それで思い出したけど、この学校に巨乳の先生はいるのかな? もしもいるならば、教えていただけると嬉し――、いや、それは後で訊ねようか」
喜色をうかべた表情で、男はべらべら喋った。
なぜかは分からないが、すっかりとご機嫌になってしまったようだった。対する彩音は困惑する表情のままで、喋ることもできない。
「いやいや、実を言うとね、僕はもう人間じゃないんだよ。だから、ふらふらっ、とここにやってくることが出来たんだ」
「……はい?」
「僕はもう人間じゃない。ありのまま言えば幽霊さ。うっかりぽっくり死んじゃったんだよ。だから僕は、だれにも見えないはずなんだ。見えないはずだからこそ、君のような人間に出会って、僕もちょっとだけ興奮しているんだ」
「……意味が分かりません」
「幽霊だっていう証拠を見せようか?」
「……見せられるものなら、見せてください」
地面にへたりこんだままの彩音だったが、虚勢をはるようにして睨みつけた。
すると男は、「いい? よく見ていてね」と言って、自分の手のひらを、水槽の壁へと押し当てた。
そして――、
男の腕は、水槽の壁をすり抜けて中へと入りこんでしまった。
「ほらね? びっくりしたでしょう? この通り僕は幽霊なの。この世界の物質には、簡単には触れることもできないんだよ」
「……びっくりしました」
と、彩音は率直に感想を言った。
「あれぇ、言葉のわりには、あまり驚いている様子じゃないねぇ。僕、人間じゃないんだよ? 怖くないの?」
「……幽霊なんかより、……不審者のほうが怖いです」
「ふんふん。なるほど。言われてみれば確かに、彩音さんの言う通りだね。あー、しかしこれは、僕の成仏のチャンスでもあったんだなぁ、失敗した。もっとこだわった登場をするべきだった。惜しいことをしたなぁ」
男はなにかを悔やむようにして腕を組んだ。
その様子はまるで、小さな当たり馬券を僅差で外してしまったような、わりとどうでも良さげな反応だった。
「まぁ僕は本当に、誰かに危害を加えるようなことも好きじゃないし、監視カメラを仕掛けて喜ぶようなデバガメ趣味もない。とにかくそこだけでも分かってほしいかな。僕は変質者の類じゃあ、決してないんだ」
「……そうなんですか」
「僕は通りすがりの幽霊なんだよ」
「……通りすがりの幽霊なんですね。分かりました」
頷いた彩音は、なんとか自力で立ち上がった。
納得したわけではない。
納得したわけではないのだが、彩音の身体は動くようになっていた。だからこのままの、ぶるぶると震えたままの姿を晒すのはやめようと思ったのだ。
これ以上、弱っている姿を見せたくはなかった。
ただ、立ち上がったはいいものの、足腰には力が入らなかった。小刻みにぷるぷると震える膝をなんとかごまかしながら、彩音は自分の席へと歩いた。
太陽があたる窓際の、一番前の席。
四階の窓からの眺めは良かった。校庭のすぐ先には、屋根が低い工場がいくつか並んでいる。県道の先には田園地帯が広がり、さらに奥には山脈が見える。
彩音は景色を見ながらイスに座り、ふぅ……、と一息をつくが、心臓がバクバクと脈打ったままで落ち着く気配がない。「なんとか一息つく必要がある」と思い、鞄から温かいお茶の入ったボトルをとり出した。
蓋がそのままコップになるタイプのボトルだ。震える手でゆっくりとボトルを傾けて、コップに注ぐ。 こぽこぽっ、とのどかな音を立ててお茶が注がれ、コップから湯気が立ちあがった。
彩音はそれを口に近づけようとするも、手がぷるぷると震えてしまい、上手い具合に飲めそうになかった。
一旦飲むのを諦めて、机に置いた。
「でっ、でも」
と、彩音は後ろをふり返り、納得できないような口調で言う。
「あなたが不審者だということには、変わりないと思います。こんな教室に入り込んで、一体何をしていたんですか?」
水槽前に突っ立ったままの男はにっこりと笑い、悠然と口を開く。
「それはだねぇ、多分、彩音さんがこんなに早くに教室に現れた理由と同じじゃないのかな?」
「……私と、同じなんですか?」
彩音の視線が、金魚の水槽へと向いた。
すると男も確信をもったような瞳になり、腰に手をあて、堂々とした口調で言う。
「僕はね、この金魚たちがお腹をすかせていたので、餌を与えていたんだよ」
「……」
「あれ? 信じていない?」
「いえ……なんというか……」
なんというか、幽霊にしてはあまりにしょぼすぎる理由ですね。と言いかけてしまったが、彩音は別のことを言う。
「……えっと、どこからつっこめばいいのか分からなくなってしまっただけです。確かに私は、先週の金曜日、うっかりと餌をあげるのを忘れてしまいました。だから今、こうやって朝一番に登校して、餌をあげるために教室にやってきました」
「うんうん。ここに、生物係、彩音、と書いてあるもんね。しかし可愛いもんだねぇ、高校生にもなって金魚を飼っているなどとは。小学校でならよくあるけど」
男はちら、と水槽を見てから、視線を彩音へと向けた。
すると彩音の頬が、かっ、と朱に染まった。
「……でっ! でもあなたは、物に触れることができないんですよね? そんな幽霊みたいな人が、金魚に餌を与えていたとか言っても、信じられるわけがありません。あなたは餌にも金魚にも、触れることができないはずです」
「なるほど分かった。ではこれも、証拠をお見せしよう」
「……はい?」
「ちょっと集中するからね」
男はそう言ったきり、口を、ぐーっ、とつぐみ、真剣な表情になった。
そしてなぜか、中腰。
鼻から大きく息を吸い、両拳を胸の前に構えて、「むうううううん……」と低い声を発した。
「……」
「むううう……、むぅぅぅぅん……」
男は目を閉じて、ぷるぷると拳を震わせながら、まるで漫画のキャラクターがエネルギーを溜めているときのようなポーズで、唸り声を発しはじめてしまった。
太極拳? それとも空手の演舞? 彩音はそういった類のものを想像したのだが、そのどちらでもないようだった。ただひたすらに同じポーズ、中腰にがに股という異様なポーズで、両拳を握ってぷるぷると震えている。
ふざけているわけでもない。本気でやっているのだろう。不審者の顔は真っ赤になり、額からは、うっすらと汗が噴きだしはじめたようだった。
彩音の表情からは、すーっ、と温度が消えていった。
「くっ、くふううぅ、ふうううん……」
「あの」
「ぐふっ、ぐふうううう、ぐふうううおおおおお」
「……あの。なにしているんですか」
その滑稽なサラリーマンの姿は、痛々しいというよりは、かわいそうというよりは、――気の毒。
彩音は「見ているのもつらいんですけど」と言いたげな悲痛な目を、男へと向けた。
その視線とは、たとえば何もない砂漠のど真ん中で、フンコロガシが必死に石ころを転がしているのを目撃してしまったような、なんとも言えないもの悲しい視線だった。
「ぐううんっ、こっ、これにはっ、……ぐうううんっ! 集中力が、必要ふうううんっ!」
「はあ。そうですか」
「いくよ? よく見ていてね?」
「はあ」
彩音の返事は、ほとんど投げやりだった。
だが男は、全身から炎でも立ち上がるのではないかというくらいの熱気を孕みながら、ぎら、と瞳を輝かせた。そして水槽の隣においてある餌のボトルに手を伸ばし――、
がしっ! と片手で掴んで持ち上げた。
彼は、金魚の餌のボトルを片手で掴み、持ち上げたのだ。
「……あれ……掴んだ?」
「そうっ! 僕はこうすれば七秒間だけ、この世の物体に触れることができるんですよお!」
それは良かったですね。
と思わず言いそうになってしまったが、彩音は口をつぐんだ。