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第五章 新人殺し屋の報告

「ここがあなたのオフィスになります」

 紺のテーラードジャケットを羽織ったフォーマルスーツの中年女性、Chap(シャップ)は事務的に伝えた。

 彼女が手で示した場所には、小さなオフィスがある。

 デスク数脚ごとに一つの区画として纏まった構造のオフィスが、フロアに二十程度並ぶうちのほぼ真ん中。通路の交差点に面した小さなオフィスの入り口で、セージ Jr. はだれていた。

「……ここで最後なんですよね?」

「? どうかしましたか?」

 疲労の溜まった足首を右に左に(ひね)りながらセージ Jr. はうんざりした様子で吐露する。

「……昼前から今まで、飯も食べずに何時間も建物の中を歩き回って……そりゃ疲れますよ。途中食堂もあったんだから、昼休憩くらい取らせてくれたっていいのに……」

「昼休みにあそこに留まっていると、十中八九〝転校初日の休み時間、なぜか机の周りを新しいクラスメイトに取り囲まれる人気転校生〟気分を食券なしで三時間は味わえますよ」

「………お気遣い感謝します」

 口元を引き攣らせてセージ Jr. は無理矢理に笑みを浮かべる。

 本人が気付いているかは分からないが、先刻からずっと、セージ Jr. の口調から敬語が抜けないでいる。緊張の表れか、それとも恐怖の表れか。

「さあ、ここで終わりですから。中へどうぞ」

 促され、下半分が木目調になった磨りガラス張りのドアを開ける。

 内側に開いたドアの向こうには、四つのデスクが四角い区画に並んでいた。

 左右両側の壁に二脚ずつ、壁を背にするようにして据えられるのはスチール製の片袖デスク(片側だけに下までの引き出しがついているデスク)だ。四つのデスクは互いに向き合って、大きな長方形を形作るように引っ付いている。

 それぞれのデスクの上には電気スタンドと横幅に合わせた簡易のブックシェルフが備わっていて、四つ全てが同じ規格の製品であることがよくわかる。

 袖にある三つのうち一番下の引き出しは、A4サイズの書類やファイルが入るよう上の二つよりも底が深くなっている。

 オフィス内のデスクにはそれぞれ私物や書類がまちまちに載っていて、それらからデスクを使う者の個性を感じ取ることができた。

 ドアを()けた正面の壁には 上下に開閉する形式の窓が嵌っていて、その上部に小型の空調が出っ張っている。

 手前右側のデスクには、几帳面に纏められた幾つもの厚いファイルに紛れて、ダンベルやハンドグリッパーが転がっていた。

 ブックシェルフは左から順に「Politics」、「Crime」、「Mountaineering」、「Training」、「Others」と記された、色違いの付箋が貼ってある本立てできっちりと区切られており、デスクの横幅いっぱいにずらりと本が並んでいる。

 ダンベルの後ろに隠れるようにして、家族写真のようなものも写真立てに飾ってある。隣に映っている女性はガールフレンドか奥さんか。

「これはGolGor(ゴルゴル)のデスクです」

「寧ろ、そうにしか見えません」

 次に目がいったのは、その奥。

 ちらほらと散乱する仕事の書類よりも、ファッション誌やデスクを飾る置き時計、芳香剤にアクセサリーなど流行のものが目立つオシャレなデスクだ。

 ブックシェルフにはやはりファッション誌や関連の情報誌が並んでいる。

「その奥はStar M(スター・エム)のデスクです」

「俺はまた、どこのファッションモデルのデスクかと思いましたよ」

 対して手前左側のデスクには、何もなかった。

 デスクに書類や本の類いは一切ない。使い手の個性以前に、誰かに使われている感じがまるで感じられない。

「明日から、ここをあなたのデスクとして使ってください」

「ここは……空きなんですか?」

「以前GolGor達と組んでいた消費材(アルバイター)がいたんですが、他の部署に移ったんです」

「そういえばそんなこと言ってましたね」

 言いながら、セージ Jr. は空のデスクに近寄った。

 意味もなく表面を撫でてみたり、やけに軽い引き出しを三つとも開け放ったりしてみる。中は全て空だった。

「何も残ってないんですね」

会社(マーダーインク)としての、情報保護の一環です」

「ふーん……」

 繁々と、セージ Jr. は興味深そうに何も無いデスクを眺め回す。

 そこで、左側奥──つまり明日(あす)には自分のものになるそれの左隣のデスクに、セージ Jr. の目が止まった。

 そのデスクは、なにか異様だった。

 デスクそのものに一見して分かるような異質なものが細工してあるわけではない。デスクの規格はやはり他の三つと同じ。机上に資料の纏められたファイル、ブックシェルフに並んだ外国の文字で書かれた本。

 一つ一つの物にはなんの取っ掛かりもないのだが、それでもセージ Jr. は隅の、壁際の窓から夕日の射し込むデスクから違和感を拭いきれなかった。

 不安感、威圧感。どちらも似ているが、その本質は別にある気がしていた。

 背後からChapの視線を浴びていることにも気付かず、セージ Jr. はじっと異様なデスクを見下ろす。

「……………」

 積まれたファイルの一番上には『Mar. 3rd, 20XX〜May 13th, 20XX』の文字。

 ふにゃふにゃカクカクした外国語で書かれた表紙は読めないが、ブックシェルフには英語の本──『ANATOMY -injury and war-』、『American Economic Problems』、『Invisible CRIMES ~to arrest them.~』、『about DEATH PENALTY in the State of California』等々社会問題を取り扱った書籍も多数交じっている。

 セージ Jr. はデスクの上に筆記具に紛れて転がる小さな銀のロケットを見つけた。

 蓋はわざとそうしたかのように開かれていて、中には楕円に切り抜かれた写真が収まっている。

 写っているのは、東洋人の少女だ。

 ココアブラウン色の前髪にバレッタ(クリップ状の髪留め)を挟んだ、幸せそうな表情の女の子。いかにも新品といった感じのスクールユニフォーム──セーラーブラウスとでもいうのか、に身を包んでピースサインを(ほお)()てがっている。

 なんとなく、セージ Jr.には見たこともないその少女の正体が掴めていた。

「ここは……誰のデスクですか」

 大きな手の指先でデスクの表面に触れて、セージ Jr. は答え合わせのように問う。

HLuKi(ハルキ)のものです」

「…………」

 Chapの返答を聞いて、セージ Jr. はまだ未熟な拳の側面を彼のデスクの表面に叩きつけた。

 無骨な音が小さなオフィスに短く(わだかま)った。



「それでは、明日(あす)の朝ここに来てください」

 帰り際、Chap(シャップ)はセージ Jr. にそう告げた。

「週に四日、日本食店でパート・タイム・ジョブをやっているようですが……そちらの都合よりも、こちらの仕事を優先させてください」

「……わかりました」

 中小IT企業「RedRum」本部一階。誰もいない受付前。

「決してこのことは誰にも知られてはいけません。先に書いてもらった契約通り、口外したり気付かれた時点で契約違反……つまり、訴訟を起こします」

「訴訟……ですか」

 広々としたエントランスに、Chapとセージ Jr. 以外の人影はなかった。

 本来受付がいるはずのカウンターにも、今は誰もいない。普段ならあるはずの来客や退社といった人の往き来も、なぜか見ることができない。

 合衆国は訴訟社会の異名を持つ。隣人との些細なトラブルも法廷で解決する、というスタンスが珍しくないこの国では、「訴訟を起こす」という脅し文句は日本人が普段感じるほどの大きな圧力を与えるものではない。

 青年にとってもまた然り。Chapの脅迫を軽んじたセージ Jr. だったが、

「訴訟といっても、一般の刑事訴訟や裁判所を想像しないでください。合衆国全土に隠匿された十九の会社(マーダーインク)の代表が、それぞれに集まって審議を行う殺し屋界の〝訴訟〟ですから」

「………は」

 身体は正直に身震いした。

 セージ Jr. の脳裏に、今朝までいた地下の暗い一室が蘇る。

「それでは明朝から、頑張ってください。出社の際は先程渡したゲストカードを忘れないように。何をどうしても、建物に入ることができなくなります」

 目の前で事務的に佇むChapに慄きながら、

「肝に命じておきます………」



 * * * * *



 受付にも元通り人が戻り、Chapも部長室へと舞い戻っていた。

「セージ Jr. は、お前の目から見てどうだった」

 ベネシャンブラインドの隙間から、朱色に染まる緑の街を眺めるInBa(インバ)は背後で俯くChapに尋ねた。

「………」

 言い淀んで、

「……ハイスクール上がりの、ごく普通の青年」

 Chapはそう答えた。その反応に満足したように、

「うむ。そうだな……奴は殺し屋というものを知っているだけの、いたって普通の若者だ」

 スリットから射し込んだ朱色の筋が束になって、一室を照らし出す。下の街から、夕方の沈んでいくような喧騒が僅かに聞こえてきていた。

 ややあって、InBaはぽつりと口を開いた。

「……彼を見ていると、ここへ来たばかりのHLuKiを思い出すな」

「……そうですね」

「右も左も分からない、突然殺し屋の世界に飛び込んでしまった未来ある若者………」

 そこまで呟いたところで、InBaは自嘲するように薄く笑った。

 唇の端がニヒルに歪んで、その隙間から優しい言葉が漏れた。

「……おまえは、BChe(ブッシュ)を覚えているか」



 * * * * *



 もう日はかなり傾いていた。

 セージ Jr.は、日の落ちる緑の都会を帰路に就く。空には早くも明るい星たちが、朱色と紺色の狭間で見え隠れし始めている。

 道にはみ出した垣根を曲がったセージ Jr. は、そこでこの街では珍しい石造りの通りに出た。

 道路も壁も家も、全てが石造り。壁にはレトロなランプが、灯るのを今か今かと待っている。

 緑のバックパックを肩に担ぎ、背の高い影はゆらりと石畳の上へ。

 暫く、セージ Jr. は石のブロックを踏み進める。

 夜の始まる、州都サクラメント市の郊外。

 やがてセージ Jr. は、道の途中で立ち止まった。先に薄汚い小さな路地が脇に見える、道のど真ん中。

 そこには何もない。

 争った形跡も、かっ裂いたはずの血の跡も。

 ……男の死体も。



 * * * * *



「覚えているに決まっています」

 少々語気を強めて、Chapが返答した。

「彼を忘れることができたなら、私は今頃殺し屋ではなく、それこそただの人殺しに成り下がっていますよ」

「強ち否定できんな」

 InBaはおかしそうに笑った。

 ベネシャンブラインドのスリットから、心地よい風が広いオフィスに吹き込む。

「彼に初めて会ったのは、私が二十歳(はたち)の頃だったか」

「ええ、私が二十一の時ですから」

 遥か遠い所を眺めるようにして、老いた二人は回顧する。若く、青かった時代はセピア色になって遥か後方へと過ぎ去った。

「彼は……BCheはいい奴だった」

「そうですとも」

 Chapは深い群青の瞳を僅かに潤ませるようにして、

「彼はいつも最初は断るけれど、最後には仕方ないとか何とか言いながら私たちに付いて来てくれた」

 InBaはその言葉に何度も頷いた。

「あいつはいつも深く感情を沈めた、暗く哀しい瞳をしていたが……その奥底では、優しいペールカラーがその時が来るのを待っていた」

「ええ。そして………彼はあの子と出会った」

 そこで会話は途切れた。

 これ以上言葉を繋げるのは無粋だと感じたのだろうか、InBaは快く沈黙に応じる。

 静かな一室の無音に割って入るように、アメリカガラスが鳴き声を上げた。

「………お前も()うに気付いているだろう。あの青年の名の意味を」

 低い声で、朱色の雲間(くもま)を飛ぶカラスの群れを仰ぎながらInBaが尋ねる。

「……………」

 対して、Chapは俯いたままの無言でそれに答えた。否定も肯定も取らない彼女の代わりに、InBaは突きつけるように告げる。

「彼は、Sage Tashの名を継ぐ子(ジュニア)だ」



 * * * * *



 古めかしいといえば聞こえはいいが、ただ何十年も昔に建てられたまま放置されただけの小汚いアパートがミッドタウンの郊外にぽつんと立っていた。ペンキの剥げた外壁には縦筋のひびが幾つも走っている。

 蝶番(ちょうつがい)が外れそうな板きれ、もといドアを地面に(こす)りながらセージ Jr. はアパートの中へ。

 西日の殆ど入らない暗がりの通路を慣れた足取りで進み、軋む階段を登って突き当たりの部屋の鍵を開ける。

 「209」と銘打たれたドアを開くと、そこには安っぽいホテルよりかは幾らか上等、といった程度の内装が広がっていた。

 目立ち始めた壁の染み、敷かれた絨毯は野外から持ち込まれた土や塵で黒い(よご)れを見せている。

 後ろ手にドアをロックして、セージ Jr. はバスルームとクローゼットの前を通り過ぎて、部屋の角に置かれたベッドへと、緑のバックパックをぼすっと(ほう)った。そのままバックパックの脇に腰を下ろす。

 小窓に掛かった小さなカーテンを閉めたままの部屋は暗い。間取りを知っていなければ、州人口の三割はベッドの脚で小指を打って悶えてしまうだろう。

 ……今日はもう疲れた。

 そう喘ぐようにポケットから旧型のスマートデバイスを取り出したセージ Jr. は、シーツの上に倒れ込んで液晶の画面を明るく点灯させた。

 夜を迎える一室に不自然な光が巣食う。

 暫くぽちぽちと指で画面を動かしてから、セージ Jr. はアメリカ大手のSNSの画面を開いた。

 画面下部に現れたテキストボックスにたっぷり二分掛けて文章を打ち込み、そしてそれをじっと見つめながら送信した。

 それは、こんな文章だった。


『I quit off JA restaurant.

  IT'S TIME TO TURN OVER A NEW LEAF!

 Tomorrow I may bake pizza(:->)』


 そのままの体勢で、セージ Jr. は画面上に何らかの反応を待った。

 しかしやがて顔はだらりと枕に埋もれ、セージ Jr. は古いシャワーで汗を流すことも忘れて深い眠りに落ちていった。



 * * * * *



 そして、合衆国の西端と東端。

 或いは西海岸と東海岸と言ってもいい、とても遠く離れた二箇所で。

 全く同時に、というわけにはいかなかったが、それでも(しか)と。

 黄土色のコートと顎髭は暗がりの中スマートデバイスの画面に目を呉れて、一字一句(たが)わず──確かにこう言った。


「生きていたか。アドルフォ」

 不思議な事情が複雑に交錯し、合衆国の夜は更けてゆく。

 こんにちは。

 桜雫あもる です。


 久し振りに『優しい殺し屋たちの不思議な事情』を更新することができました。

 ここのところずっと『星屑エスケープ』の方を急ピッチで仕上げていたので、『殺し屋』シリーズに手を付けることができませんでした。

 なので、同時に『優しい殺し屋の不順な事情』を更新しました。

 両方お楽しみいただければ幸いです!


 ちなみに、少し時間を置いて改めて『優しい殺し屋たちの不思議な事情』を読み返してみて、個人的に気になった以下の点を編集しました。

○隠語を挟む〝〟の撤廃(読みにくいし書きにくい)

○コードネームのフリガナを、各部で何度も「HLuKi(ハルキ)」とするのではなく、一度「HLuKi(ハルキ)」と記載して以降はフリガナをなくして「HLuKi」とのみ記す

○一部設定や表現の変更


……です。

 設定の変更は、あまり詳しくは言いませんがSage, Jr.の過去についてです。

 ちょっとした辻褄合わせですので、どうかお気になさらず。


 因みに、本文でセージ Jr.が投稿したSNSの文面は、

「日本食店を辞めてきたよ。俺の新しい生活が始まる時が来た! 明日にはピザ屋で働いてるかもね」

……みたいな感じです。

 大して英語に堪能でもないのに、ネイティヴ・チェックの入っていない文章を投稿してスミマセン。


 それでは、引き続き『優しい殺し屋たちの不思議な事情』をお楽しみください。

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