第三章 契約
「おまえは、雇われの殺し屋───自爆屋だったんじゃないか」
セージ Jr. の顔色が燦然と変わった。思わず立ち上がりそうになったが、脚にぎゅっと力を入れてなんとか抑える。
逆立った金髪の映える顔に広がったのは、曇りない驚愕だった。
すかさずInBaはセージ Jr. の足元を覗いた。起立を抑制するのとは別に不自然な動きが見られることを正確に視認し、その上で再び推論を語り進める。
「……目標が複数人いるときや手練れのとき。あるいは、特に〝殺し屋〟業界のことが世間に漏れてしまいそうな案件になりそうな際、重宝されるのが自爆屋の手法だ」
更なる反応を観察するためにInBaは丁寧な解説を始めた。セージ Jr. はぽかりと口を開けたまま、謎を解き明かすInBaの強い眼光から目を離せないでいた。不思議そうに弱く寄せられた眉根が、その位置を保つ。
「通り魔や連続殺人犯、無差別殺人犯を装って仕事に臨み、たとえ刺し違えてでも目標を殺す……言わば殺し屋界の汚れ仕事だ」
タイミングよく、天井に吊るされた古い電灯が明滅した。
「主義も信条もなく、狂人を装って犯行に及んで別人の名で逮捕され、〝重罰を受ける〟と公表された裏で釈放されて下っ端殺し屋稼業に戻る。下の下の任務だ。かなり劣悪な状況でスカウトされた奴じゃなきゃ、自爆屋なんて滅多にやらない」
「…………あんた、……見破ったのか」
まだ驚きの抜けない様子で、セージ Jr. の震える指先がInBaを捉えた。
「俺は、何も……言わなかったのに」
「現役時代は、情報処理にかけて私の右に出る者はいなかった。流通と解読に関しては、今でもそうだと自負している」
若者らしい表情を曝け出したセージ Jr. とは対照的に、InBaはまだ何も見せなかった。それだけではないと言わんばかりに、InBaは手帳を見ながらこう告げる。
「おまえが素性……自爆屋であったことを隠したのは、犯行後警察か仕事を持ってきた会社、あるいはその両方に確保されないまま逃げたからだな?」
またぴくりと、セージ Jr. の大柄な身体が震えを見せた。
「大方、新米で一時的な雇われの身だったおまえが、逮捕後に無事釈放してもらえる保証がないと判断しての逃亡だったんだろう。ここに来てまで黙秘を続けたのは、会社同士の繋がりで身柄を引き渡されないため。違うか」
「………、……そこまで………」
驚きのあまりか、セージ Jr. の足元から不自然な挙動がなくなった。口元には奇妙だが空虚なうすら笑いさえ浮かび出した。
「………ふむ」
その表情を見て、InBaは安っぽいオフィスチェアから尻を離して手帳を閉じた。薄汚い天井へ視線を上げるセージ Jr. に背を向けて、狭い部屋をゆっくりうろつき始める。
それ以上、InBaはセージ Jr. を観察しなかった。そうする必要はなくなった。
InBaが座っていたオフィスチェアの背を手で押し、脚が床と擦れてぎいと音を立てた。
「……そうだな。……俺は、確かに俺は……殺し屋だ」
セージ Jr. が低い天井を仰ぎながらスーツの背中に向けて言った。電灯はまた不連続に明滅したが、InBaの足は止まらなかった。
やがて、何も言わないInBaにセージ Jr. が首を傾げた。
腕を組んだまま暗い部屋をぐるりと一周して、InBaは元の席へと戻った。不可解な空白を作ったInBaにセージ Jr. は不信の目を向けたが、当の本人はそんなものなど気に留めず表情を変えないままだ。
そして、考えを纏めたように、堅い紺のスーツが仕事の顔色を作り出した。
「さて、おまえの素性が割れたところで本題に入ろうかセージ Jr. 」
「え?」
「おまえはここへ来たとき、自分を雇ってくれと、そう言ったな」
「え、あ、ああ。言った。そう言った」
セージ Jr. は急な話題の転換に面食らいながらも、そう答えた。。
先程まで向けられていた強張ったどす声とは違い、改めてInBaが向けたのはまるで商人のような声だった。初対面で相手の不信感や緊張感を解すよう調子を調えた、耳に優しい低い声色がセージ Jr. を縫いつける。
「魂胆は理解した。つまり、自爆屋として任務を全うしなかったことによる元の会社からの報復と、HLuKiを殺したことによる刑事罰から身を守ってほしいんだろう」
滑らかな英語が耳の内を滑っていく。セージ Jr. は戸惑いつつ、
「あ……ああ、そうだ。俺はあんたらに、匿って……助けてほしい」
「そうか」
決して笑顔とはいえないが、それを聞いてInBaは表情を緩めた。InBaの法令線を抱えた口角が上がったのを見て、セージ Jr. はかえって胸に釘を打たれたように感じた。
商人の笑みを携えて、InBaはこう持ち掛けた。
「それなら、私と取り引きをしよう」
「取り引き?」
セージ Jr. は眉を傾けた。
「そう。我々は君を雇って、君の犯した罪を全て『マーダーインクFILE』として処理し、法的に不問にする。今のところは、君がなぜメーン州でおとなしく捕まらずに逃げたか、などの疑問は訊かないでおこう。君にはうちの新人殺し屋として働いてもらう。給料も人並みに出そう」
悪い条件ではないだろう、と言うようにInBaは畳み掛けた。セージ Jr. は逐一頭の中でそれらを羅列し、承諾する。
「……それで、俺はあんたらの為に何をしたらいい?」
生唾を呑んでセージ Jr. は恐る恐るそう尋ねた。メリットとデメリットの釣り合いを求めるため、相手から途方もない要求が返ってくることを予め心積もりしておく。が、
「いやに話が早くて助かるが、そう固くなるな。大したことじゃない。まず一つは、暫くこのビルの一室に寝泊まりしてもらうこと。ただしこのビルは全フロア余すところなく監視カメラが付いている」
「……つまり、二十四時間俺の行動を見張るってことか」
「そうなる。君が信用に足る人物か、我々は見極める必要があるからな。名立たる会社としては、これでもセキュリティが甘すぎるほうだ」
「………」
数秒、セージ Jr. は押し黙ったが、
「……わかった」
「宜しい。次は当然のことだが、あくまで君にはうちが正規にスカウトした新人の殺し屋としての待遇を取る。私は君についてなにも贔屓しないし、なにも指図しない。必要な話があるときは専用の方法で君を個別に、秘密裏に呼び出して直接用件を伝える」
「えーっと……うん、ああ。わかった」
「宜しい。……では最後だが」
不意に、InBaから軽妙な雰囲気がなくなった。眼光に鋭い影が宿る。
セージ Jr. は、目の前の男から得体の知れない重い圧をひしひしと感じていた。
言葉を区切ったInBaの表情はこの上なく険しかった。真正面にセージ Jr. の狼狽えるグリーンの瞳を見据え、厳粛に構えている。
爆発せずに人を殺せる爆薬があるのなら、きっとこんなものだろう──セージ Jr.の脳の隅が、場違いに戯けた。
やがて、InBaがその岩のような口を開いた。
「……おまえの殺したHLuKiには、日本に姪がいる。彼女に、折を見て何らかの謝罪をするように。これが、絶対の条件だ」
InBaはそれだけ告げて、机の上の小さな金属板を眼前に持ち上げた。明滅する電灯の下で揺られる金色の板が鈍く光を落としている。
「…………」
セージJr. は暫し、複雑な感情を驚きに混ぜて咀嚼していたが、少しして、
「わかりました」
頭を下げて確約した。
* * * * *
「どうでしたか」
紺のテーラードジャケットを羽織ったフォーマルスーツの中年女性がそう尋ねた。
「まずまずといったところだ」
紺のシングルブレストのスーツを着こなした中年男性が、コーヒーを啜りながらそう答えた。
蛍光灯の続く白い廊下には交互にドアが立ち並んでいる。壁には幾つか貼り紙があったが、それらはライブなどのイベントの告知をするものではなく、正式な書類の一種だった。
「ん? おい、そこの、GolGorのオフィスの前に貼ってあるその書類はどこからだ? 州警察じゃないだろ」
コーヒーカップを空にしたInBaが目に付いた一枚を目敏く指摘した。中年女性がそれに近付いて、詳細を確認する。
「これは……カリフォルニアではなくネヴァダ州警察からですね。先月彼が処分した児童虐待容疑の教師について、うちを経由して虚偽の報告書を作成するための認可書類です。……GolGorったらまたサボってる」
「一言〝偽証報告書〟と言えばいいのに、ご丁寧に説明どうも」
「部長からも何か言ってくださいよ。彼ったら最近バーに通ってばかりで………。部長、話題を変えないでください」
きっ、と書類を抱えた中年女性が振り返ってInBaを睨む。
「いや、変えたわけじゃない。……タッシュ Jr. 本人は一般市民って感じだが、正体は掴めた。疑問は残ったが、少なくとも疑念は晴らしておいたよ。一応だが、うちとの契約もさせておいた。後できちんと書類にサインさせて血判も押させる」
「そうじゃありませんよ。HLuKiのことです」
中年女性が声を張った。そう長くない廊下に、女性の低い声が広がった。
「あの青年がHLuKiを殺したというのは、やはり……本当なんですか」
中年女性は縋るように詰め寄ったが、対してInBaはばっさりと、
「諦めろ。供述証拠に明らかな齟齬は見られなかった。そんな素振りもまあ……なかったはずだ」
InBaは近くにあったチェストの上にコーヒーカップを置いて、懐から取り出した煙草に火を点けた。
「それに、おまえの方で別の証拠も出たんだろう」
「……はい。これです」
中年女性が渋々、抱えていたファイルから数枚の用紙を取り出した。受け取ったInBaが順にそれらを眺めていく。
「タッシュ Jr. の持ち物は……これだけだな。バッグから出てきたのと、ポケットから出た財布。そしてHLuKiをやったというナイフからルミノール反応検出、……HLuKiと一致。決まりだな」
InBaは携帯灰皿へ煙草を収納し、軽く目を通した資料を中年女性へ遣る。しかし、
「……この場合、HLuKiはどういう扱いになるのでしょう」
資料を受け取らず、中年女性は空のファイルをぎゅっと抱き締めて俯いた。
InBaはそう高くない天井を仰いで、
「……表向き、HLuKiはうちの中小IT企業「RedRum」の社員ということになっている。HLuKiは業務中の事故で亡くなったとされ、労災保険の形で実際にはその十倍程度の金額が、親族に渡される。HLuKiが加入していた情報保護や保身等の諸々の契約は、親族に引き継げるものなら継続され、そうでないものは日本円に換算して前払い分が全額返金される」
「……亡骸は、どうなるのでしょう」
「………それなんだがな」
InBaは溜め息を吐いて肩を落とした。中年女性が訝しがる。InBaはばつが悪そうに、
「どうも、掃除屋が処分したらしい」
「………は?」
中年女性は信じられないといった表情で、InBaの顔を見上げた。首の動きがやけに緩慢でぎこちなかった。
「それが……タッシュ Jr. と掃除屋の話を統合すると、タッシュ Jr. がHLuKiの認識票を持ってその場を立ち去ったあとに、HLuKiから連絡がないのを不審に思った待機中の掃除屋が、現場へ向かったらしいんだ。するとそこに死体があったものだから、無事仕事が終わったものだと勘違いして、HLuKiの遺骸を通常の手順で処分してしまった……と」
「な………なん、て……、なんて、ことを……ッ!」
わなわなと震え、叫ぶや否や中年女性は思い切りInBaの胸倉へ掴み掛かった。床に印刷され立ての資料がばらけて散らばり、InBaの視界が激しく揺れる。
「ちょ、うっ。しゃ、Chap! やめないかっ……」
「うるせえ!」
女性は一喝した。
「……てめえが、てめえが無能なせいで! むざむざHLuKiを……、あんな優しい子を! あろうことか、目標なんかを処理するのと同じようにしてゴミ処理施設で燃やすなんてッ………!」
がくんがくんと、首の骨が折れるのではないかというくらい中年女性──ChapはInBaの襟元をむちゃくちゃに掴んで振り回す。
「……っ、……、っ! …….……」
InBaは反論できず、ただスーツのボタンが千切れ飛ぶ暴力を、甘んじて受け入れるしかなかった。
怒号は防音設備が完璧な白い廊下に、暫くの間響き続けた。




