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第二章 尋問

 朝の六時。

 朝日を浴びたサクラメント市は目を開けて、加速度的に政治と経済を回し始めた。


「名前を言ってみろ」

 州行政の中心であるカリフォルニア州議会議事堂から数ブロック離れた、人通りの極端に少ない小さな路地に面した五階建てのビルの地下。

 薄暗く狭い、何もない空間で、堅い紺のスーツを着た中年の男性が静かに詰問した。

「さっき言っただろ。俺の名前も、住所も」

 うんざりした顔を見せた青年が、安っぽいオフィスチェアにだらりと身を預ける。

 ここは会社(マーダーインク)「RedRum」。

 殺人の依頼を請け負う、米国屈指の殺し屋会社の一つだ。

 部屋の壁際に用意された小さな机のまえに座らされているのは、夜明け前会社(マーダーインク)に堂々侵入した背の高い青年だった。

 そのときに担いでいたバックパックは手元にない。金属製のネックレスは、机の上にぽつんと置かれている。

「それはわかっている。しかし、おまえが嘘を吐いていることも十分考えられる。同じことを何度も聞くのは、情報を精査する上での常識だ」

 男性は青年の対面に座って、一切顔色を変えないままそう返した。

 どことなく窪んだ感じのあるグリーンの瞳が、じとりと男性を睨む。反抗したり暴れたりする様子はないが、年端もいかない青年の孤独な眼差しはどことなく殺し屋のそれとよく似ていた。

 同時に、青年の白地にロック調のロゴが入ったTシャツにジーンズという非常にラフな格好が、対面に座る男性をじわじわと苛立たせた。が、男性は何一つ顔には出さない。

「……セージ。Sage(セージ) A Tash(タッシュ), Jr.(ジュニア) だ」

 青年が渋々答えた。男性が手元のメモ帳を参照して小さく頷く。

「じゃあ次は」

「ちょっと待ってくれ」

 青年──セージ Jr. が(おもむろ)に遮った。

「おっさんの名前も教えてくれよ。俺だけじゃ不公平だ」

 あくまで畏まらずにセージ Jr. は言う。その態度に肩を怒らしかけた男性だったが、思い直すために(しば)し黙って、

「……InBa(インバ)だ」

 それから低く答えた。

「え? 今なんつった、Pumbaa(プンバァ)?」

 セージ Jr. は聞き慣れない言葉に首を傾げ、耳を男性へ向ける。

「誰がイボイノシシだ小僧。ちがう、InBaだ。この業界で私が使っている源氏名(コードネーム)だ」

「……ふうん。そうか、〝コードネーム〟ね」

 セージ Jr. は背もたれからゆっくりと背中を離して、机のうえで鈍い光沢を見せる無骨なネックレスに目を細めた。その様子を、正面から男性──InBaがじっと見つめる。

「……もう一度、話してくれ」

 頃合いを見てInBaが声をかけた。セージ Jr. は表面に文字の彫られたそれを見下ろしたまま、しっかり頷いた。

HLuKi(ハルキ)を殺したときのことを」

「わかってる」

 奥歯を噛むようにして顔を上げたセージ Jr. はそのまま、欧米人にしては扁平(へんぺい)なInBaの顔を見据えた。そして机に上げた右手でネックレス状の金属板──認識票と呼ばれるそれを、しっかりと握る。

 表面にはほんの五文字、「HLuKi」とあった。

「深夜……たぶん、日が変わってすぐだった」

 金属板を収めた右手の甲に目を落として、セージ Jr. は語り始めた。

「駅前の、日本食店でのバイトの帰り、ダウンタウンに向かう路地裏を歩いていたときだ。後ろから急に、でっかいナイフを持った男に襲われたんだ」

 そこで間を置いた。セージ Jr. がちらりとInBa(インバ)の顔を覗き見ると、彼はそのままの表情で続けて、と言わんばかりに黙っていた。セージ Jr.は素直にそれに従う。

「そいつは東洋人だったけど、背が高かった。髪が黒くて……歳は三十くらい」

「……たしかに、それはうちのHLuKiだ」

「身を屈めて突進してくる男に気付いた俺は、とっさに護身用に持っていたナイフで男に対抗した。……男は俺がそんなことをするなんて思ってもみなかったらしい、俺が初撃をいなすと驚いて、身体を起こして一瞬(ひる)んだんだ」

 淡々と言葉を連ねながら、時折セージ Jr.は目を(つむ)った。鮮烈な記憶を順序立てるようにセージ Jr. は(たび)ごとに口を休める。

「やらなければ殺されると思った。やらなければ、殺されていた。だから俺は、その一瞬の隙をついて──男の首元をかっ切った」

 セージ Jr. が顔を上げた。

 InBaの顔に刻まれた浅い小皺(こじわ)は、ぴくりとも動かなかった。彫刻のようなInBaは高圧的にセージ Jr. の顔を見下ろす。互いが互いを探るような沈黙が暫らく続いた。

 まだ若いグリーンの瞳と、経験を経て年季の入った黒い瞳とが交錯する。

「続けて」

 沈黙を破ったのはInBaの固い一声だった。セージ Jr. はなお対面に座る男の変わらない顔色を伺いながら渋々といった様子で、

「……俺は昔、殺し屋の世界にほんの少しだけ触れたことがあって……この業界についても、少しだけ知っていた。だから倒れた男の首に認識票(アッシュ)がかかっているのを見つけて、俺はその男が殺し屋なんだとわかった。俺は、この事件を正規の刑事事件じゃなく『マーダーインクFILE』として処理してもらうために、男の認識票(アッシュ)を持ってここへ来た」

 セージ Jr. は金属板を乗せた掌を開いた。小指ほどの大きさをした直方体の鉄合金は、きらきらと天井からの僅かな灯りにきらめいている。表面に塗られた真鍮が、所々剥げているのがわかる。

「……それも、さっきも聞いたとおりだな」

 さっき自分でとったメモを横目にInBaは頷いて、

「なら今度は新しい質問をさせてもらおう。わざとらしく不明瞭なままにしている点を、洗いざらい吐いてもらうぞ」

 ぐいと身を乗り出した。合わせるようにセージ Jr. がたじろぐ。

 InBaは内に圧伏させたものを欠片も表出することなく、よりよい情報を得るために重く低い声で語り掛ける。

「はじめに、おまえの経歴についてだ」

 セージ Jr. は(つら)そうに片目を瞑った。

「うちに来た殺人依頼(ウォンテッド)では、おまえは〝ニューイングランドで学生二十人を惨殺した重要参考人〟だった。実際メーン州でその事件があったことは確認したし、その容疑者としておまえが挙げられているのも間接的にだが向こうの州警察から情報を得ている」

 InBaは持っていた中から数枚の資料を机の上に(ほう)った。それらはなにかの報告書のコピーだった。

 書面にはびっしりと並ぶ英文の下に、写真が何枚か添付されている。一番上にきた一枚には、丘の上に立つ田舎のハイスクールの外観が映っていた。

 続いて、傷だらけの廊下、散らかった教室。

 InBaがすっと上の数枚をどけると、血のついたTシャツや机、椅子などが現れた。血の張り付いた小型のナイフとそのケースとが続いて顔を出す。

 セージ Jr. はこめかみに痛みを感じて、目もとを(ゆが)ませた。

「うちのHLuKiはこれに基づいておまえを襲ったわけだが。こいつはおまえがやった犯罪か?」

 「死傷者(カジュアリティーズ)」と銘打たれたリストの載った一枚を持ち上げて、InBaが訊ねた。

 ふいと目を逸らしてセージ Jr. が細かく頷く。それを受けて、InBaは書類の内容と推論を箇条で読み上げる。

「今年の七月八日、朝。卒業生と思われる男がハイスクールにやって来て突然、暴れながらナイフで生徒二十人を殺害……。そして犯行後、凶器を現場(げんば)に残したまま逃亡。ここまでの道のりは掴めていないが、そこからおまえはアメリカを横断してサクラメントまで来た、と」

「………」

 セージ Jr. は目を合わせなかった。机の脚を見つめて離さず、眉根を悲しそうに反らすだけだった。

「これについて弁解か説明……何か言いたいことは?」

「…………。俺は…………」

 ぼそりと零したが、そこで言葉は止まった。セージ Jr. は腕を組み、天井の僅かな灯りから逃げるように下を向く。

「……成る程な」

 セージ Jr. の挙動を見て、InBaは乗り出した身体を椅子へと戻した。

「じゃあ次だ」

 InBaは机上の資料を漁り、目の前で俯く青年の顔写真が載った一枚を手にした。そこにはセージ Jr. の住民票から得たフルネームや性別、年齢や経歴などが並んでいる。

「おまえは五歳の頃メーン州に移り住んだ。そしてこのノーザン・メーンヒル・ハイスクールに三年間通って卒業。今年から地元のレストランで働き始めた。──ここは間違いないな?」

「………ああ」

 そのままの体勢でセージ Jr.が答えた。

「それで事件前夜に退職届けを職場に残し、翌朝先の事件を起こして以後は以下略。補導歴はなし。……父親は七年前から行方不明、母親も二年前に癌で病死。親類は母方の祖父母だけだが、今はカナダに在住で疎遠。ほかに身寄りはなし」

 資料を読み上げて、InBaはセージ Jr.を盗み見た。セージ Jr. はInBaが自分を見ていることに気付いてはいたが、だからといって彼が何か言う素振りはなかった。

「……なら次だな」

 呟いて、InBaは椅子の脇に置いたオフィスバッグから新しい資料を取り出した。それらは机に散乱した物とちがってどこかから拝借したコピーではなく、正式な書類だ。

 ステープラーで留められた紙の束を手元に、InBaは言葉を続け始めた。

「こっちで働き始めたのは二月(ふたつき)前だそうだな。日本食レストラン「WASYOKU」でアルバイトとして面接を受け、難なく採用。勤務態度は中の上」

「……そんなところまで調べがついてるのか」

 顔を背けたままでセージ Jr. が返した。暗い表情に変わりはないが、机に乗せた人差し指が小刻みに音を発している。

会社(マーダーインク)の情報は速い。見くびらんことだ」

 顔を向けずにInBaが軽く返答した。資料のページを捲る音は静謐な暗がりに吸い込まれて消える。

 地下に作られた部屋は孤立しており、閉じられた後ろの檻がなければ外界からは完全に遮断された空間だった。外部からの光、音はおろか、あらゆる電波さえ透過させない一種の地下牢だ。

 石造りの廊下を松明に似た照明がちらつき、静寂な地下を演出している。

「おまえはさっき、〝この業界に関わったことがある〟と言ったな? 年端もいかない若造が、警察や軍隊、情報機関からも独立した、合衆国大統領行政府(EOP)直轄といっても過言でない、この殺し屋業界と」

「………」

 セージ Jr. はそれには答えず、そっと部屋の右側を見遣った。

 ──この雰囲気なら、隣の部屋には中世の拷問具くらいあるかもしれない。

「沈黙は肯定と見做すぞ。……しかし、だ。メーン州及びに米国北部、東部に支部を持つ中小会社(マーダーインク)をできる限り当たったが、おまえの在籍記録は認められなかった。私の推測が正しければ、今後調査を進めてもその記録は出てこないだろう」

 セージ Jr. は、何かに気付いたようにInBaを見上げた。InBaも視線を返すが、それはすぐに資料の文字列へと戻った。またページを捲る。

「殺し屋のことを知っている。だが会社(マーダーインク)在籍の記録はなし。加えて計画性もなく自分の卒業したハイスクールの生徒二十人を刺殺、斬殺。──これらから導き出される答えは」

 InBaがセージ Jr. へとまっすぐに目を向けた。セージ Jr. はそれを受け、神妙な面持ちでごくりと唾を鳴らした。膝の上に握る手が、汗を帯びて力を増す。

 たっぷり数秒の間を作ってから、

「おまえは、雇われの殺し屋───自爆屋(オファリング)だったんじゃないか」

 重々しく、セージ Jr. の心身にのしかかるように言葉を放った。

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