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第一章 殺し屋は突然に

 お久しぶりです。

 桜雫あもる です。


 漸く自分の関わっている事情がひと段落りましたので、書き溜めていた分を一気に投稿しちゃいます。

 現在〆切がある「アイリス 恋愛ファンタジー大賞」に応募する作品を執筆中なので、次の更新はいつになるかわかりません。

 申し訳ないです。


 前作、前部から急展開を迎えます!

 是非ご期待あれ。


 それでは、目眩(めくるめ)く図書の世界をご堪能あれ。

「……遅い」

 時計の短い針は、Ⅳの数字を大きく過ぎていた。

 アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州都サクラメント市。

 大都市圏の主要地であるサクラメント市の中心街は、(まば)らな高層ビル群にまだ朝日を照らしかねていた。冷たい空気が人のいない道路を勢いよく舐め上げる。

 乾燥地域の(ごく)近くに栄えるサクラメント市だが、北から流れる二つの大きな川が合流しているおかげで周囲は三角州を形成して湿潤地となり、奥まっているものの港まである。

 サクラメント・ヴァレーに広がっていた森林の名残りとして、市街地にはたくさんの樹林が残っている。それらはニューヨークやサンフランシスコほどの興隆を見せないサクラメント市の街並みに溶けこんで、緑豊かな都会を生み出していた。

 東のほうからやんわりと白みはじめた夜空は、まだペガサス座を見えない速さで動かしている。

 そんな夜明け前のサクラメント市の、数あるオフィス街の一角。

 遠くで白馬が輝くのをベネシャンブラインドの隙間から覗きながら、硬い声で中年の男性が零した。

 黒い髪を整髪料で固めて後ろへ流した、いかにも大手のビジネスマン然とした口髭の男性はぴしゃりとブラインドのスラットを弾くと、厚みのある革張り椅子に乱暴に腰を下ろした。

 ひと目で高級品とわかる堅い紺のスーツを正しく着こなした男性は木肘(きひじ)に手を掛け、苛立たしそうに指で木を叩く。

「遅すぎる」

 男性はもう片方の手で口髭を弄りだした。それから木造りの大きなデスクの上に並べられた書類に目をやり、それらを再三読み直す。

「たしかに、遅すぎますね」

 男性の後ろで、同年代の女性が同調した。

 こちらもいかにも大手商社の社長秘書然とした中年の美しい女性だったが、男性と違って苛立ちを露わにはしていなかった。

 白塗りの壁に囲まれたオフィスは、そのビルに並べられた区画のなかでも一際広く、そして整頓が行き届いていた。

 滑らかな装飾の入った木製のドアの正面には男性の座るデスクが顔を向けている。デスクの両脇には経済、政治、犯罪の関連書籍が敷き詰められた本棚が二つ並んでおり、部屋の四隅には観葉植物が鉢に植えられている。

 デスクの後ろの壁にはベネシャンブラインドの付いた窓が三つあり、天井には幾何学的な模様が等間隔に並んでいた。よくよく見てみると、それらの模様は上へ向かって窪んでいるのがわかる。

 落ち着いた仕事環境をもたらす重厚(ちょうこう)な一室だったが、両腕を広げてまだ余るほどの幅をもつデスクの上だけは、何十という書類が散乱していた。

 欧米人らしい肌質をファンデーションで塗った紺のテーラードジャケットを羽織るフォーマルスーツの女性は男性の後ろで腕時計を確認し、次にデスクに置かれた無線機へ目をやる。

 幾つかボタンを触って、

「やはり連絡はありませんね」

 男性へ告げる。男性はわかっている、というふうを見せて溜め息を()くと、くしゃくしゃと整えた髪を()き乱した。

「こんなこと、今までにあったか?」

「いえ、ありませんね」

 即座に女性が返す。

「あいつは生真面目な奴だ。逐一現状を報告し、情報の共有をきちんと(こな)すプロだ」

 男性はきょろきょろと部屋を見回しながら、自分を落ち着けるように言葉を置いていく。

「そうですね」

 女性がまた、事務的に声を発する。そしてまた腕時計を確認する。

「それなのに、現場(げんじょう)到着の連絡があった二十三時五十八分から現在まで一切の連絡がない。こちらから無線を飛ばしても応答しない」

 男性は牛乳瓶ほどの大きさをした無線のスイッチを入れ、背もたれに倒れ込んだ。

「あいつが連絡を入れないはずはないと思ったが、現場での作戦変更があったことを考慮して一時四十分まで我々は奴にコンタクトを取らなかった」

 無線機が低い音を断続させる。応答はない。

「無線に一向に出ないので、二時になるまでにGolGor(ゴルゴル)Star M(スター・エム)の二名を現場へ向かわせた」

 男性はデスクの上に組んだ両掌を見つめながら、ぶつぶつと状況を羅列していく。

 女性がまた右手首を返して小さな文字盤に目を落とした。

「二人から現場には何の痕跡も見当たらないと連絡があったのは二時三分。それから現時刻まで、オフィスに残っていた人員に現場周辺で奴を捜させたが……目ぼしい報告はない」

「現時刻は四時三十二分です。下働きを含めて三十一人が動いていますが、彼の所在についての情報はありません」

「そうだ」

 男性が顔を上げた。天井に据えられたLEDランプの蛍光灯に目を細め、

「どうしたんだ。いったい」

「………」

 女性は答えられず、赤いネイルアートを施した指でブラインドのスラットを押さえて窓の下に伸びる街路樹の茂る小さな通りを眼鏡の奥から眺めた。真夜中という時間帯もあって通りは閑散としている。数メートルごとに並べられた街灯だけが、うっすらと街並みのシルエットを守っていた。

 と、

「………ん?」

 女性がちいさく声を漏らした。

 男性はそれを気に留めず、蛍光灯から目を下ろしてまた書類を()めはじめた。

「部長」

 女性が男性を呼んだ。

「なんだ?」

 厚い椅子を回して、男性は急かすように後ろの女性へ向き直る。

 女性は身体をおおきく傾けて、スラットの隙間から眼下を見つめていた。顔をブラインドぎりぎりまで近づけて、離そうとしない。

「どうしたんだ」

 男性が若干の苛立ちを含んだ声を向けた。それでも(しば)らく、女性は何も言わなかった。ただじっと、窓の下に注目している。飾りのないプレーントゥの靴底でオフィスの床を鳴らしはじめた男性が、眉間にしわを寄せて次の言葉を発そうとしたとき、

「……部長、見慣れない男が、ビルに入ってきます」

「……なに?」

 出鼻を挫かれた男性が怪訝(けげん)な声を漏らした。紺色のスラックスの尻を椅子から持ち上げ、スラットの隙間を覗こうとしたが、

「いま、玄関を開けたようです」

 振り向いた女性の一言で()めた。そして、デスクを隔てた向こうのドアへ振り返る。

「金髪の男でした。バックパックを背負っています」

 女性も磨りガラスを備えたドアのほうを見て、男性へそう告げる。

「…………」

 一分ほどすると、部屋の外から高い音が聞こえた。エレベーターが起動した音だ。

「受付まで出払っていたか」

「部長が過保護だからですよ」

「うるさい」

「米国屈指と謳われた我が社も地に落ちましたね、まったく」

「……得物を」

「わかっています」

 女性は懐へ手を伸ばした。男性はドアから目を離さないようにして椅子に座りなおす。

 待っていると、エレベーターの到着を知らせる甲高い音が廊下から響いた。次いで磨りガラスの奥に人影が映る。

 同時に、無線の子機の音が現れた。

「!」

 男性は驚いてデスクに置いたままの無線機へ目を向けた。親機はいまだ、呼び出しを続けている。

 背の高い人影と子機の音はだんだん大きくなっていって、ドアの前で止まった。

 こん、こん、と二回、木を叩く音が部屋に聞こえた。

「どうぞ」

 男性が応えると、ぎい、と軋んでドアが開いた。

 入ってきたのは金髪の若い男だった。おそらく、二十歳に満たないほど。

 (かす)かな高音を断続させた無線機が男の手の中で()められた。

「ようこそ。要件を聞きましょうか」

 男性が座ったまま丁寧な口調で応対した。

 女性も、警戒は解かないまま姿勢を正す。

 青年はグリーンの瞳で二人を交互に見ると、左手に金属製のネックレスのようなものを掲げて一言、こう告げた。


HLuKi(ハルキ)を俺が殺した。ここで雇ってくれないか」

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