コインは回る
翌日。
日も落ちて、辺りが暗くなりつつある頃。
シグの乗るヴォルフは、T‐16、ハーゼを引き連れて、無事村へと到着していた。
村は街道から少し外れた畑に囲まれた一帯にあり、井戸を中心に数軒の木造の家が立ち並んでいるだけだった。
村のあちこちには大破したハーゼの残骸が野ざらしになっており、先日のマグダ達の戦いを物語っている。
ヴォルフが井戸のある中央の広場に入ると、そこにはすでにテントを張る歩兵たちの姿がある。
シグは降りて、そこにいるであろう人物を探した。
しかし、すぐに到着の知らせを聞いたのか、向こうの方からやって来てくれた。
「遅かったじゃないか」
凛とした気持ちのいい声をかけてきたマリナは、前線を突っ切って来たと言うだけあって、少し埃で汚れていた。
「すみません。敵の戦車隊と遭遇してしまって」
「なるほど。その戦利品があれと言う訳か」
そう言って、マリナが見たのはヴォルフの後ろで停車していたT‐16だった。すでにトートが帝国兵をマリナの部下たちに引き渡しており、他の兵士は物珍し気にT‐16を眺めていた。
「トートが確保したんです。ほぼ無傷なんで好きに使ってください」
「ふむ。厚意は嬉しいが我々は歩兵部隊だぞ? どうやって使っていいものか・・・・・・」
「それより、そちらの被害は?」
「ふむ、それなら問題ない。皆無だ。我々も被害を恐れて前線でもなるべく安全な地帯を進んできたからな。まぁ、その分泥臭い事になってしまったが」
そう言って、マリナは自分の服装を見下ろしていた。どうやら、汚れていたのは戦闘に巻き込まれたからではなく、戦闘を回避するために道なき道を通って来たためらしい。
「街の様子はどうです?」
「いや、それがお前たちの到着を待ってから行動するつもりだったので、まだ様子を見てないのだ。あまりにも遅いのですでに野営準備をさせてしまったが」
「そうですか。なら、明日の朝一にでも誰かを偵察に出しましょう」
「そうだな。それじゃあ、お前達も休憩か」
「いえ、その前に戦車の整備ですかね。燃料を補給して、点検して、修理して。そしたら、T‐16も何とかしないと」
「よし。じゃあ、夕飯は私達が何か作ろう。村の民から安く食べ物を譲ってもらえたんだ」
そう言うと、マリナは張りきった様子で兵たちの元へと戻って行く。恐らく食事を作りにでも行ったのだろう。
「あの、シグさん」
そんな声を掛けられて振り返ってみると、そこにはマグダがいた。
「あの、自分も整備お手伝いします」
「何言ってんだ。マグダ達はハーゼの整備があるだろう?」
「そうですけど・・・・・・。シグさん達はT‐16の整備もするんですよね。だったら、自分達なんかよりも、ずっと多いじゃないですか」
「まぁ、拾ったもんだししょうがないよ。それに明日、戦車戦になるとしたら、マグダ達が主力なんだから。ゆっくり休んで欲しい」
「けど、それじゃ一昨日と一緒です・・・・・・。自分だって、シグさん達の役に立ちたいんです」
その言葉に、シグも困った様にふむと唸る。
「そうか。じゃあ、ちょっとだけ手伝ってもらうか」
すると、マグダはキラキラと目を輝かせた。
「な、何をすればいいんですかっ?」
「たぶんバルトが整備の指揮を執る。バルトに言っとくから、指示を聞いてくれればそれでいい」
「はい。あ、ありがとうございます」
そう言うと、嬉々としてマグダはハーゼへと戻って行く。
同じハーゼの搭乗員達にキャッキャと報告しているので、よほど嬉しいのだろう。整備したがるなんて、変わった女の子だなとシグは思う。
しかし、そんな事をやっていると、不意に視線を感じた。振り返ってみれば、そこには仏頂面のトートがいた。
「ど、どうかした?」
「別に・・・・・・。兵士は受け渡したよ」
「そ、そう。・・・・・・なんか、怒ってる?」
「別に・・・・・・」
そう言うと、トートは仏頂面のまま、戦車に積まれていたバイクを下ろす。
そして、愛用の弓矢と携帯食料の入ったリュックを背負うと、すぐにエンジンをかけていた。
「ど、どこに行くつもりだ?」
「街を見てくる。まだ、無事と決まった訳じゃないから」
「けど、もう暗くなるんだぞ? 偵察するには不向きだ」
「私は暗い方が得意だから」
そう言うと、トートは問答無用でバイクにまたがっていた。
「0時までには戻るよ」
その姿に、シグは眉をひそめて不服そうにしていたが、渋々と言った様子で了承する。
「わかった。その代わり無理はするなよ?」
その声を背中に受けると、トートは無言でバイクのアクセルを吹かし、遠ざかって行った。
「何怒ってんだ・・・・・・?」
不服そうに唇を尖らせるシグを、戦車のハッチから乗りだして、様子を見下ろしていたフィリップは思わず呟く。
「羨ましいねぇ強運体質・・・・・・」
「そうですか? ああ言うのは一歩間違えると恐いですよ」
工具箱を持って戦車を降りようとしていたバルトが、そんなフィリップの独り言に応じる。
「小説や映画ではないのですから、モテていると言うのは決して良い事ではありませんよ」
「ふーん、そう言うもんかねぇ? やっぱり既婚者は言う事が違うね」
「ふざけてる暇があったら手伝ってください」
その声と共に飛んできたレンチをキャッチして、フィリップもやれやれと言った様子で戦車を降りていた。
トートが街に到着する頃には、辺りは真っ暗になっていた。
街が見下ろせる小高い丘の上から確認すると、灯火管制の為、真っ暗ではあったが、街はまだそこにあった。焼け野原になっていなかった事に、トートはほっと一安心する。
缶詰の食事をとって、穴に埋めて完全に処理すると、バイクを降りてトートは街へと向かった。
街は簡単に言うと森に囲まれた円形をしている。街の中央を突っ切る街道があり、真ん中には銅像の置かれた大きめの広場がある。その広場から枝分かれするように、周りへと車二台がやっと通り抜けられるぐらいの道が広がっていた。
彼女は街道沿いに街に近づいたが、やはり街に続く大きな道だけあって、見張りの兵が何人かいた。街の入り口には鉄条網なども置かれ、付近の住宅の屋上にはその街道を撃ち下ろす様に機関銃も配備されているようだった。
「ここを突破するとしたら、戦車が必要かな」
トートはリュックから取り出したメモ用紙に街の見取り図を描くと、簡単に敵の配置を描く。
そして、彼女は正面からの潜入をあきらめると、すぐに別の通りを探していた。
しかし、どの入口も少なくとも二名の見張りが付いており、潜入するのは難しいように思えた。
「じゃあ、道じゃないとこから入るしかない」
彼女は一見の家の壁に目をつけた。壁が崩れていて、ジャンプすれば上に届きそうだった。
彼女はひらりと飛び乗っていとも簡単に壁を乗り越えると、無事その家の庭へ不法侵入を果たす。雑草の生い茂る庭を通り抜け、家の正面へ回ると、門から街へと出る。
すると、街にはトラックや装甲車の姿はあるものの、帝国兵の姿はなかった。
それでも、彼女は用心深くトラックなどの影を利用しながら、街の中を進んでいく。
すると、見覚えのある建物の前までたどり着いた。
そこは、トートがゴルシコフを襲ったレストラン。
咄嗟にトートはレストランの主人と娘の事を思い出す。出来れば、窓から覗きたかったが、灯火管制のためか、カーテンが引かれていて見えない。
仕方なく、裏口から入ってみることにした。
裏口のノブをひねると簡単に開く。厨房は明かりがついておらず、店内の方からの明かりが漏れて薄暗かった。
厨房には人の姿がない事を確認すると、トートは風のように侵入し、店内に面するカウンターへと隠れる。そして、そこから店内の様子をうかがと、そこには思いもよらない人物がいた。
「ふむ、やはり前線で食べる食事と言うものは格別だ。緊張感が違う」
テーブルでステーキを貪りながらワインを傾けていたのは、他ならぬゴルシコフだった。
そして、向かいには、あのアーロンと呼ばれていた帝国軍の工作員もいた。
「あんたももの好きだねぇ。死にかけても懲りないんだから」
「その程度で懲りては、臆病ものだと噂されかねん。私は勇敢な軍人なのだ」
「ま、そう言う割りには、今度は俺をだいぶ近くに置いているけどな」
くくくっと笑いつつ、アーロンはワインにボトルごと口をつけて飲む。
「それに、レジスタンスらしい男どもも全部処理したんだ。今、あんたは別に怖がる必要がないじゃないか」
その言葉に、トートは全身の血の気が引くのを感じた。
「全部、処理した・・・・・・?」
それは全員殺されたと言う事だろう。たぶん、このレストランの主人も。
「・・・・・・っ」
途端にトートの中で殺意が膨らんで、咄嗟に腰の拳銃を握っていた。
そう、ここでゴルシコフを殺してしまえば、シグ達にも余計な手を煩わせなくて済む。
アーロンは障害になるかもしれないが、それでも自らを犠牲にしてでも殺してやるという決意がトートの中では大きくなっていった。
しかし、そんな大きな殺意も、彼らの言葉により霧散させられる。
「勘違いするなアーロン。今回の目的はレジスタンスの殲滅ではなく、敵の補給拠点への奇襲なのだ。あくまで彼らを処理したのは、私が恐れたからなどではなく、障害になったからだ」
その言葉に、トートは一瞬意味がわからなかった。これは、ゴルシコフの独断で行っている作戦ではなかったのか。
「あんたもまた考えたよな。私怨にかこつけて、そうやって司令部に正式な作戦として認めさせちまうんだから。で、この後は敵の補給拠点に向けて出発か?」
その言葉をはっきりと聞いて、トートは絶望した。
今、ゴルシコフを殺した所で、彼らは退かない。なにせ、これはゴルシコフの身勝手な行動などではなく、正式な作戦の一部なのだから。しかも、彼らの目的はシグ達のいた拠点だ。
「・・・・・・っ!」
今ここで何もできない事を自覚すると、トートは悔しくて歯を食いしばるしかなかった。
「残った街の人間達はどうするつもりだ? だれがレジスタンスか分かんなくて混乱してるんだろう?」
「一応、変な真似できないよう教会に集めてあるがな。・・・・・・出発するときには殺してしまおう。せめて女ぐらいは慰みものにするか。お前も誰か好きにして良いぞ?」
「うーん、俺は出来れば死神ちゃんが良いなぁ。あんたについていれば、いつか会えるだろ?」
「そしたら、次こそは絶対殺すんだ! 捕まえても良いが、とにかく私に近づけらせるんじゃない。そしたら好きにして構わん」
「そりゃ楽しみだ!」
そう言って笑うと、アーロンはワインボトルに再び口をつけていた。
トートは悔しさと共に声を押し殺したまま、そこを立ち去ることしかできなかった。
「彼女を一人で行かせてよかったのか?」
シグがヴォルフに腰掛けてマリナからスープを受け取っていると、同時にそう声をかけられた。
「幾ら工作員とは言え、一人で行かせると言うのはなかなか不安だろう?」
すると、シグは湯気の立つスープを見つめながら、口を開く。
「心配なんてもんじゃないですよ。今すぐ追いかけて行きたいくらいです。もし、捕まって酷い事とかされてたら、きっと正気じゃいられません」
「そうだと言うのに、行かせたのか?」
「実は一昨日、トートに守られてばかりじゃ私らしくないからって忠告されまして。彼女がそうしたいなら、そうさせてあげるべきなのかなって。―――うん、さすがに美味しいですよ」
シグはスープに口を付けつつそう感想を言うが、マリナは片目を閉じて、彼女独特の考える仕草をする。
「ふむ。時として、人は言っている事だけが本音じゃないぞ?」
「な、何ですか突然? 人生観ですか?」
「人生観と言うより、恋愛観かな。私にも守って欲しいと思う時はあるからな」
「もしかして、本当はトートは止めて欲しかったとか?」
「うーん、そこまで言わんが。少なくとも、あまりそっけないのは良くない」
「そっけなくしたつもりはないんですが・・・・・・。けど、トートが本当に危ない時には、駆け付けるつもりです。必ず」
「ふむ、良い気概だ。彼女が羨ましいな」
「は? それはマリナさんも変わりませんよ?」
「なっ? ・・・・・・そ、そうなのか? う、うむ。そうか。ま、まぁ、それはありがたい」
少し顔を赤らめるマリナを見下ろしながら、シグはただスープを啜っていた。
「・・・・・・ま、魔性の男だな。あれが強運体質!」
それを傍から見ていたフィリップは愕然として呟くが、すぐさまバルトにレンチで叩かれていた。
「やっぱ車長は不幸を持ってくるなぁ・・・・・・」
「あなたが無駄口を叩くから行けないのです。さあ、手を動かす」
街の広場に面する教会の正面には、やはり見張りの兵が立っていた。
しかし、それでも一時期はトートが潜入していた街なのだ。ある程度、調べはついている。
裏の教会宿舎の方へ回ると、やはり見張りがいたが、その死角になる位置に鐘が吊るされた塔の様になっている鐘楼へと上る梯子があった。トートは素早い身のこなしでそれへ近寄ると、上りだす。そして、宿舎の屋根の高さまでくると、そちらの方へと飛び移っていた。屋根を歩いて行くと、張り出した屋根裏部屋の窓がある。
かんぬき程度の付いた古い窓なので、ナイフを指し込んで無理やりかんぬきを外すと、トートはそこから室内へと入り込んだ。屋根裏部屋は修道女などが使っているのか、小奇麗ではあるが、人の気配はなかった。
そのまま廊下へ出ると、そこは礼拝堂が見渡せるような天井近くを走る廊下であった。
やはり、ゴルシコフ達の言っていた様に、礼拝堂の中には何人もの街の人達が監禁されていた。毛布にくるまって椅子で眠っている人もいれば、心配そうに会話をしている人もいる。
トートは駆け足になって、階段を降りていった。
その足音に気がついて、一人の少女が振り返っていた。
「おねえちゃん!」
その少女はトートの姿にぱっと顔を輝かせると、トートに向けてかけ出していた。トートが階段から降りてくると、二人はひしっと抱き合っていた。
「ごめんね。助けに来るの、間に合わなかった・・・・・・っ」
トートがそう呟くと、彼女の中でその少女は泣いていた。
彼女はあのレストランにいた主人の娘である。彼女が無事だった事に、トートは心の底から胸をなでおろす。
すると、その様子を見て、他の街の人達も集まって来た。
「あんた何ものだい?」「レシアちゃんの知り合いって事は、ニールセンさんの知り合いなのか?」「しかし、どうやって入って来たんだ?」
人々の質問に、トートは順を追って応える。
「わ、私は公国の工作員、トートと言います。その、ニールセンさんには帝国軍の高官を暗殺するのを手伝ってもらって。ここの屋根裏部屋から入ってきました」
一通り説明を聞いた街の人々は、様々な表情をしていた。
「そうか。ニールセンさん達がそんな活動を」
「それであいつらに殺されたのか・・・・・・。そんな馬鹿げた事をしなければ助かったのに」
「残されちまったレシアちゃんが可哀想だね」
人々が口々に好き勝手な事を言う中、トートはレシアを抱きしめたまま、告げる。
「あの、早く逃げる準備を! 帝国兵はあなた方を殺すつもりです!」
しかし、その言葉に街の人達の反応は薄かった。
「俺達は何も悪い事はしていないぞ?」
「それに、帝国兵は集まっていれば危害を加えないと言っていた」
「何よりも逃げるってどこへだい?」
その言葉に、トートは言葉を詰まらせた。
ここにいるのは危険だと説得する事は出来るが、逃げ道を示す事はそう簡単ではない。しかし、このままでは彼らは殺されてしまう。泣き腫らして、呆然としているレシアの顔を見て、トートは焦りを感じた。
「あ、明日、・・・・・・私達の部隊が奇襲をかけます。その時に、私達があなた達を救出します。だから・・・・・・」
しかし、トートは迷った。
このまま、勝手に約束していいものか。
しかし、しなければ彼らが死ぬのは目に見えている。
そして、それを見殺しに出来るほどトートは人間として出来ていなかった。
心の中でシグ達に謝りながら、言葉を紡ぐ。
「準備をしてください。絶対、あなた達を救出に来ますから」
しかし、一人の街人がそれを否定する。
「それはたぶん無理だよ」
「む、無理じゃないです! 絶対、助けに来ますから!」
「・・・・・・敵に重戦車が五台いたとしても、そう言いきれるのかい?」
「重、戦車・・・・・・? ご、だい?」
その瞬間、トートは目の前が真っ暗になる感覚に襲われた。
体中から嫌な汗が吹き出し、レシアを抱きしめる手のひらはぐっしょりと濡れていた。
「そ、それでも・・・・・・」
それでも、トートは彼らにそう伝えるしかなかった。
「―――それでも、あなた達を助けに来ます!」
「偵察に出ていたお方がお戻りになられました」
村人に借りた納屋で机を挟んでマリナと共に地図とにらめっこしていたシグは、そう言って入ってきたマリナの部下―――ヨーゼフの言葉に顔を上げていた。
「それで今は?」
「はい。現在、バイクを少尉さんの部下の方に渡して来ているようです」
ヨーゼフがそう応えていると、その後ろから扉を開けてトートが入って来た。
「おかえりトート」
シグがそう言って声をかけるものの、目があったトートは真っ青な顔をしている。
「何か、あったのか・・・・・・?」
ただならぬ気配を感じたシグがそう問うと、トートは強張った顔のまま、ただ一言問うていた。
「シグ。明日、街を助けるって、約束してくれる・・・・・・?」
怯えた様な彼女の言葉に、シグはマリナと視線を合わせる。
マリナの睨む様な視線に、シグはたじろいだ。
「約束は、出来ない・・・・・・。状況によっては俺達は手を引く」
すると、トートはシグへと詰め寄っていた。
「それじゃダメっ! 街の人達が殺されちゃう!」
涙を浮かべて襟首を掴んでくるトートの手を、シグは慌てて押さえた。
「お、落ちつけって。とりあえず偵察の内容を話してくれ! そうじゃないと俺達も判断できない!」
しかし、トートはそのまま倒れる様にしてシグの胸に顔をうずめていた。
「お願い! 約束してよ・・・・・・っ!」
トートが動揺する様子を見るのは、シグは初めてではない。自分に声をかけて来た時も、彼女は泣きそうになっていた。二度も泣かせてしまったなと、シグは目を伏せる。
「ごめんトート。君に助けたい人達がいる様に、俺達には助けたい部下がいる」
「・・・・・・ごめん。我がままだって分かってる。けど・・・・・・」
そう言うと、トートはシグから離れて涙を拭っていた。
「だって、もう、無理だよ・・・・・・」
その言葉に、シグとマリナはしばらく無言だった。
しかし、唐突にシグが口を開く。
「・・・・・・無理かどうかはわからない」
「シグは、見てないからそう言えるんだよ! ・・・・・・もう、本当は私だって街の人達が助からない事ぐらい、分かってる!」
「勝手にあきらめるなよ!」
そう声を荒げていたのは、シグだった。
「まだ俺達は何も聞いてないんだ! トートが勝手に無理かどうか決めないでくれ! 俺達は何のためにここまで来たんだ!」
シグの剣幕に、トートも涙を浮かべながら呆然とする。
「この世界に絶対なんてことはない! 少しでも助かる確率があるかもしれないだろ?」
そう言うと、シグは親指にコインを乗せて、トートへと差し出していた。
「賭けてみてもいい」
「・・・・・・そんなの、シグに都合のいいことしか出ないでしょ!」
トートがそう言い終わる前に、シグはコインを放っていた。
それを空中でキャッチして、腕へと叩きつける。
「表か裏か?」
「―――裏」
トートが不満そうに呟いて、シグが無表情で手を開く。
しかし、そこにコインの姿はなかった。
「・・・・・・え?」
「そう、絶対にコインがあるとは限らないんだ」
「そ、そんなのイカサマだよ!」
「確かにイカサマかもしれない。けど、トートにはこういう事があるって思いつかなかっただろ? それと同じで、トートの知らない方法で俺たちならどうにかできるかもしれない」
その言葉に、トートはきょとんとする。
「話すだけ話してくれ。そしたら、俺達がなんとかする」
シグの言葉に、またトートは顔を歪めて泣きそうになっていた。
シグが慌てて壊れものにでも触る様にトートの目元に手を伸ばそうとすると、彼女は自分で涙を拭って応えていた。
「わかった。シグの事、信じる」
ほっと胸をなでおろしつつ、シグが振り返ってみれば、そこではマリナがやれやれと肩をすくめていた。
「YA‐3重戦車が街のあちこちに四台。ここと、ここ。そして、ここと、ここ」
机の上に広げられた街の地図の上、トートが指差した所へシグが戦車の絵をかきこんでいく。
丁度、街を突っ切る街道の北と南に一大ずつ。そして、一台が中央の広場、もう一台が街の東の大きな建物の前へと居座っていた。
「YA‐3か・・・・・・。多砲塔の多い帝国軍でも珍しい単砲塔の重戦車。最大装甲圧は75ミリの重装甲であるが、ある程度の機動力が確保されてるバランスの良い重戦車だな」
「やっぱり・・・・・・、強い?」
不安そうに上目遣いで問うてくるトートに、シグは頭をかきながら応える。
「重戦車な分、装甲面は特にな。ただ、あくまで機動力は重戦車にしてはマシって感じだけだし。火砲も中戦車のT‐20と同じ76ミリ砲しか搭載してない」
「じゃあ、もしかして・・・・・・?」
「いや、こっちの戦車は旧式のヴォルフだ。やっぱりまともに戦う事は出来ないな」
すると、目に見えてトートは意気消沈した様に俯いてしまった。
「まぁ、最初からまともに戦おうなんて思ってないから問題ないよ。それに、確かにヴォルフの主砲じゃなかなか貫通出来ないが、ハーゼの主砲なら問題なく貫通出来るから倒せない訳じゃない。マグダ達がついて来てくれた事を感謝しなきゃな。―――さて、次は敵の配置だ」
そう言ってシグが促すと、トートは気を取り直すようにうなずいていた。
「中央の広場に面する教会、ここに街の人達が囚われてるの。それで、こっちの戦車が前にとまってる建物が市役所なんだけど、今は帝国軍の司令部や上級将校の宿舎として使ってる。それで、西の方にある学校の校舎なんだけど、ここが兵隊達の宿舎みたい。校庭は集積所なのか、物資を積んだトラックが十台近く止まってた」
シグが全て書き終えると、だいたい街の様子が明らかになった。
「機銃座や見張り台、塹壕や鉄条網は?」
トートがその問いに、何カ所か指を指し、シグがかきこんでいく。塹壕など大掛かりなものはなかったものの、土嚢などを積んだ障害物や鉄条網が大通りには何重にもしかれている。さらに、それを見下ろせる屋根と言う屋根には機銃座があった。そして、街の東西南北の高い屋根の上に見張り台が設置させられているようだ。
「これは一種の要塞だな・・・・・・」
シグがやれやれと言った様子で呟くと、やはりトートは落ち込んだ様に肩を落としていた。
それを見て、シグは苦笑していた。
「まぁ、いろいろ考えてみるさ。明日には戦車の整備も終わるし、戦力も整う。トートは今のうちにゆっくり休んでおけよ?」
「ごめんねシグ・・・・・・。けど、お願い」
頭を下げるトートの前で、シグは深刻な表情をしていた。
しばしの沈黙。
やれやれと言った様子で、マリナが口を開いていた。
「じゃあ、温泉にでも行くとするか」
そう言って、唐突にトートの腕を引く。
「え? ええっ?」
「この村には温泉が湧いてるらしいんだ。私達は前線を突っ切って来たんで汚れてしまったからな。せっかくだし、拝借しよう」
「え? わ、私も?」
「そうだ。温泉は身体を休めるのにも良いんだぞ。ほらほら」
「ああっ! ま、待って!」
半ば強引に、マリナはトートを連れて納屋を出て行ってしまった。そして、残されたシグは神妙な面持ちのまま、地図を睨んで動かない。
そこへ、ヨーゼフが声をかけていた。
「やれやれ、貧乏くじですな」
「お互い様ですよ。しかし、これはどうにも・・・・・・」
シグが押し黙るも、ヨーゼフは容赦なく言葉を紡ぐ。
「この様な無謀な戦い、本当におやりになるのでございますか?」
「トートの力になってあげたいですから。それに、街の人達が虐殺されるなんて、納得がいかない」
「しかし、それで我々が全滅したらどうされるのです?」
容赦のないヨーゼフの問いに、シグは表情を強張らせた。
「確かに、強運体質のあなたさまは助かるかもしれません。しかし、我々はこの様な無謀な戦いを挑めば、間違いなく死ぬでしょう。そして、その責任をあなたは取るのですか?」
「・・・・・・いや、とらないでしょう」
正直なシグの答えに、ヨーゼフは静かにうなずいていた。
「そうです。そして最悪、全滅したとしても、わたくし達の様な雑兵は構いません。しかし、お嬢様は雑兵ではありません。れっきとした貴族なのでございます。もし、お嬢様の身に危険が及ぶ様な作戦ならば、我々は手を引かせていただきます。お忘れ無きよう」
ヨーゼフの言葉は、嫌みでもなんでもない。ただ、彼らの正直な都合を話しただけだ。そして、それは恐らくヨーゼフの本音でもない。
「お互い辛い仕事ですね」
シグがそう呟くと、ヨーゼフは片メガネの奥の目をへの字にしながら応えていた。
「お察しして頂けると、幸いです。本当は我々もお手伝いしたいのは山々でございます。しかし、現実はそうもいかないのでございます」
だから、シグは完璧な作戦を立てなければいけない。
街人達を助け、マリナが安全で、出来れば部下たちへの被害も最小限の。
一介の戦車長でしかないシグだったが、今はどんな参謀たちよりも、脳細胞をフル回転させていた。
そして、何気なくペンを胸ポケットにしまおうとした瞬間だった。
ふと、胸ポケットに一枚の紙切れが入っている事に気がつく。
取りだしてみれば、それは簡単な地図の描かれたメモ用紙だった。
「これって・・・・・・」
そして、何気なくひっくり返してみると、そこには数字が書かれていた。最後にkHzと書かれているので、恐らく周波数だろう。
はっとしたシグは、慌ててヨーゼフに声をかける。
「・・・・・・む、無線機! 無線機はありますかっ?」
温泉は、村から少し離れた小屋に引かれていた。
聞いた話によると井戸を掘っていて偶然出たものらしく、あまり整備もされていないらしい。
だからなのか、小屋の中には脱衣所と湯船があるだけで、マリナは服を脱ぎ捨てると、あっという間に湯船につかっていた。
「ふう・・・・・・」
それに続いて、来る時についでに声をかけていたマグダも恐る恐ると言った様子で湯船に入る。
そして、最後に体中の武器を脱衣所に置き終えたトートが、遅れて湯船につかっていた。
お湯は少し熱めで、ぞくぞくと背筋を寒気が突き抜ける。
「あったかい・・・・・・」
「うむ。たまには湯につかるのも良いもんだろう? 私は好きで良くつかるんだ」
「へえ、自分達はだいたいシャワーで済ませますからね。自分はこうやってお湯に浸かるのは初めてです」
「私も温泉は初めて」
「それはいい機会だな。ゆっくり体を休めると良い」
マリナがそう言うと、しばらく無言で浸かっていたが、唐突にトートが呟く。
「お風呂って何をすればいいの?」
「うん? 何もしなくて良いんだぞ?」
「・・・・・・けど、落ち着かない」
「うーん、そうですね。なんかじっとしていると言うのは・・・・・・」
トートが不思議そうな顔をするのと同じ様に、マグダも首をかしげていた。
その様子を見て、マリナは苦笑を浮かべる。
「慣れないとそう言う物なのかもな。じゃあ、何かおしゃべりでもするとしようか」
すると、マリナは片目を閉じて少し考えてから、唐突に口を開いていた。
「―――やはりトートはシグのことが好きなのか?」
あまりにも率直な言葉に、お湯に口元まで沈んでいたトートはお湯を噴きだしていた。
「ぶふっ! ―――そ、そう言うんじゃないよ!」
「そうか? 私はてっきり気があるのかと思っていたが」
「確かにシグに優しくされると調子は狂うけど、そう言う感情じゃないよ」
「しかし、調子狂うって事は、意識してるって事ではないのか?」
すると、困り果てたにトートはお湯に再び口元まで沈んでいた。
その様子を見て、やれやれと言った様子でマリナは口を開く。
「私達は今回、街を救う為だけに集まった、言わば寄せ集めだ。いつまでも一緒にいれる訳じゃない。そう言う気持ちは、ちゃんと伝えた方が良いぞ。ここは戦場なんだからな」
「それは経験談ですか?」
マグダが興味を惹かれた様に問うと、マリナはふふっと笑っていた。
「戦場に長くいると、いろいろあるからな。まぁ、私の場合、結婚は親が決めてるから、どちらにしろ別れるしかないんだが。だから、君が羨ましい」
マリナにそう言われると、トートは困った様に眉をひそめたまま、再び口を開く。
「・・・・・・本当は、自分の気持ちが良くわからないの。だから、どうしたらいいか・・・・・・」
「あれですね! 小説や映画でよく見る『何だろうこの気持ち』って奴ですよね!」
「ふむ。とりあえずマグダは黙っていような」
目を輝かせてトートに迫るマグダを、すかさずマリナが押さえつける。
「気持ちに整理がつかないってとこだろう? けど、嫌いではないんだろう?」
「うん。嫌いじゃないよ」
「じゃあ、好きってことでいいんじゃないのか?」
「・・・・・・これは、好きって気持ちじゃないと思う」
「ふむ。しかし、じゃあなんだって言うんだ?」
「もっと、こう、一緒にいたいとか、そういう・・・・・・」
顔を真っ赤にしてそう呟くトートの言葉に、マリナとマグダは顔を見合わせていた。
「それが好きって気持ちじゃないのか?」
「ち、違うよ! い、いやらしい事まで考えてないもの!」
どうやら、トートの中では〈好き=いやらしい事をする〉のようだ。
「思った以上にトートさんってピュアみたいですね・・・・・・」
「うーん、ピュアと言うか、歪んでいると言うか・・・・・・。情報部はいったいどういう教育をしてるんだろうな」
二人が再びトートに視線を戻すと、彼女はいじけた様に真っ赤な顔を口までお湯につけ、ぶくぶくと泡を出していた。
「好きって気持ちじゃなくても、その思いぐらいは伝えた方がいいかもな」
マリナはそうアドバイスするが、トートはうつむいたまま口を開いていた。
「考えとく・・・・・・。けど、もうこの話題はいいよ!」
そうギブアップした様に呟くので、マリナも苦笑を浮かべていた。
「じゃあ、話題を変えるか・・・・・・」
彼女はそう言うと、今度はいたって真剣な表情でトートへと向き直る。
「―――では聞くが、君は街を救えると思うか?」
その言葉に、今まで真っ赤になっていたトートは、冷や水をぶっかけられたかのように青くなっていた。
「・・・・・・・・・」
「正直な意見を聞かせて欲しい」
黙りこくっていたトートだったが、じっとマリナに見つめられて、観念した様に口を開く。
「無理、だと思う・・・・・・。私達とは部隊の規模が違うから。正面から挑めば全滅する」
「見てきた君が言うんだから、そうなんだろうな」
そう言って、マリナは天井を見上げていた。
「・・・・・・どんな立派な作戦を立てたとしても、たくさん兵を失うだろうな」
「ごめんなさい・・・・・・。自分でもこの作戦は我がままだったって分かってる」
「いや、我がままを責めるつもりはない。私がこうやって軍人をやっているのも、我がままだしな」
「・・・・・・そう、なの?」
トートがマリナへ視線を向けると、彼女はおどける様な表情をしていた。
「貴族が軍人をやる事は多いが、多くは家を継ぐ男子が名前に箔をつけるためのものなんだ。しかし、私は女だろう。だから、そもそも軍人になる必要性はなかったんだ」
「じゃあ、どうして?」
トートが不思議そうに首をかしげると、マリナは苦笑を浮かべる。
「単純に家を出てみたかったんだ。嫁ぐ前に外の世界が見てみたくてな。けど、貴族だから家を出る口実は限られてる。だから、私は軍人になる事を選んだんだ」
そうして、マリナは肩をすくめてみせた。
「だから、私が君の我がままを責める事は出来ない」
「それが、例え無謀な事でも?」
「私も昔は華奢でな。軍人になるのは無謀だと言われていたんだ」
そう言って、マリナは豪快に笑って見せていた。
「そうだ。マグダはどう思う? 街は救えると思うか?」
すると、マグダは何を訊かれているかわからないと言った様に首をかしげていた。
「救えるも何も、自分達が街を救うんじゃないんですか?」
一瞬、マグダが何を言っているのか分からず、トートとマリナは顔を見合わせてしまった。しかし、ただ純粋にマグダは答えていた。
「だって、自分達がやるしかないんですよね?」
確かに、街が救えるかどうかは分からない。しかし、救おうとしなければ、そもそも街は救えない。何を論じた所で、それは決して変わらないのだ。
「・・・・・・そうだな。救えるかどうか論じる所で意味はないか。考えるべきは、どうやったら街が救えるのか、だな」
片目を閉じて、再びマリナは考える仕草をする。
「戦車全てをシグに任せる訳にはいかないだろうな。私達も何両か相手をせねば・・・・・・」
「そんなことできるの?」
「うむ。一応、対戦車ロケット弾を持ってきているからな。しかし、こっちは生身の人間、向こうは装甲を施した車両だ。正面から戦える訳じゃない」
「自分のハーゼの前に引きずり出してもらえれば、なんとかなりますよ」
そうマグダはガッツポーズで応えるも、マリナは難しい表情をする。
「私達がするのは市街戦だろう。ハーゼの様に装甲の弱いオープントップの車両は向いてない。恐らく援護に来るのは無理だろう」
「そうですか・・・・・・」
「ふむ。せめて相手の動向がつかめれば、戦況は楽になるんだが・・・・・・」
「相手の動きが分かればいいの?」
「ああ。そうすれば我々歩兵は戦車を避けて戦ったり、戦車の見てない所からロケット弾を撃てるからな」
すると、少し悩んだ様にトートはお湯の中に口まで沈む。
そして、不意に浮かびあがって口を開いていた。
「教会の鐘楼とかどうかな?」
「教会? ああ、街の人が閉じ込められている所だな」
「今回、街の人達にあう為に途中まで上ったけど。あそこの鐘楼なら、街の全てが見渡せると思う。ただ、逃げにくいし危ないかも」
「まぁ、高い所の弱点はそうだろうな・・・・・・。しかし、悪くない。それで敵戦車の動きがつかめるのであれば、むしろ利点の方が大きい。しかも、全てが見渡せるとなれば・・・・・・」
しばし、片目を閉じてマリナは考えると、不意に湯船から立ち上がっていた。
「よし、作戦を練るとしよう! 君のおかげで希望が見えて来たぞ!」
「ヤッホォォオオォォォ――――! 最高だぁぁああぁぁぁ―――っ!」
遠くから、そんな野太い歓喜の声が聞こえる。
サマーベッドに寝転び、ワインを片手に月を眺めていた飛行中尉―――マルクはやれやれと眉をひそめていた。
「どこの誰だか知らないけど無粋だね。せっかく人が美しい月とワインを楽しんでいると言うのに・・・・・・」
そう言いながら、彼はテーブルからチーズの欠片をつまんで口に放り込む。
そしてワインを口に含んで、明るい月を見上げていた。
「これで傍に女性がいれば、なお素晴らしいんだが。しかし、この前の事件もあるから少し自粛しなければ」
そう言いながら、中尉はその時に殴られた頬を悔やむようにさすっていた。
「そう言えば、あの時助けてくれた彼女はなかなか可愛かったなぁ。あの子にもどさくさに紛れて連絡先を渡しておくべきだった。もったいない事をしたよ・・・・・・」
すると、そこへ同じ様に飛行服であるツナギを着た兵士が走ってきた。
「機長、無線入ってますよ」
「おや、女の子からのお誘いかな。今日は自粛しようと思ったが止めだ止めだ」
嬉々としてマルクは立ち上がると、ただの平原に火をたいたドラム缶を並べただけの滑走路の脇へと向かった。そこに止めてある大型の航空機こそ、マルクの愛機である爆撃機〈クレーエ〉だった。
彼はその搭乗口から飛び込むと、すぐに通信室に収まっている兵士へと声をかける。
「どうだい? 今日は誰からのお誘いかな?」
「いい加減、通信機の私的利用は止めてくださいよ・・・・・・。けど、今回はちょっと様子がおかしいですよ?」
「様子が?」
「ええ。平文じゃなく、暗号通信なんです。復号したものがこちらに」
兵士から差し出されたメモを、マルクは受け取って目を通す。
しかし、そこには女の子のお誘いどころか、一定の間隔で区切られた数字の羅列が書かれているだけだった。だが、マルクはその並び方に見覚えがあった。
「これは座標だな。それで、こっちは時間・・・・・・」
「この通信はそれを何度も繰り返していて。・・・・・・あ、今、符号が変わりました! ちょっと待っててください。すぐ復号します」
通信士が新しく受信したモールス信号を文字列へ置き換え、暗号機へ叩きこむ。そして、そこから導き出された文章を書いたメモを、マルクへと渡していた。
それに目を通したマルクは、やれやれと肩をすくめる。
「なるほど。・・・・・・〈借りを返せ〉か」
「お知り合いですか?」
通信士の言葉に、マルクは小さく微笑む。
「いやぁ、さっきまで考えていた女性の事でね。これは運命かなぁ」
「本当に誰かれ構わず手を出しますね・・・・・・。けど、この通信ってもしかして―――」
「ああ。彼らは何か企んでいた様だからね。援護してくれって事なんだろうけど。まあ、無理だろうね」
そう冷たく言いきってしまうマルクだが、それが事実だ。
シグやトートと違って、マルクにはちゃんとした指揮系統がある。さらに、飛行機を飛ばすには弾薬や補給があるのだ。そう簡単に飛ばせるものではない。
「ま、期待にはこたえたいけど、明日は明日で我々も任務があるしね」
「ああ。・・・・・・それなんですが、無くなった様ですよ」
そう言った通信士が壁に貼ってあったメモを渡してきた。
マルクは驚いた様にそれを受け取って、目を通す。
「どう言う事だ?」
「なんでも緊急で、明日丸一日は輸送機を飛ばすらしいですよ。だから我々を飛ばす暇はないそうです。だから、明日は待機になったんですよ」
「丸一日輸送機を飛ばすだと? 夜逃げならぬ、昼逃げでもするつもりか?」
すると、そこへ先程の叫び声が遠くから飛んできた。
「最高だぁ――――っ! キスしてやりたいぜぇディートリッヒ!」
「夜中にうるさいなぁ。酔っ払いですかねぇ・・・・・・」
通信士は渋い顔をしていたが、遠くから聞こえてくるその名前にマルクは聞き覚えがあった。確か、彼女と一緒にいた青年が、そんな名前だったはずだ。
「ちょっと出てくる」
マルクは機体から降りると、一目散へ歓喜の声のする方へと駆けだして行った。
トート達三人が風呂から上がって、作戦会議室として使ってる納屋へ戻る途中、煌々と火を焚く傍へ置かれていた戦車を見つけた。
それは改造を終えたT‐16であった。
しかし、いつの間にか砲塔はなくなり、そこには馬車を改造した大きな荷台が乗っている。
それを見に来ていたらしいシグは、湯上りのマリナの姿を見つけると、声をかけてきた。
「お帰りなさいマリナさん。ところで、これどうしたんですか? 歩兵運搬用にしたんですか?」
「うむ。我々は歩兵部隊だからな。必要なのは戦車じゃなく、戦車に同伴して歩兵を運べる車両だ」
「それで、単純に荷台をつけた訳ですか」
シグはしばらく感心した様に戦車を眺めていたが、不意に眉をひそめる。
「けど、T‐16の主砲の部分に荷台をつけたんで、トラックなどに比べると、歩兵を守る壁も無ければ車高も高すぎる。その上、T‐16はヴォルフよりも装甲が薄い。確かに数多くの戦車と行動するような電撃戦ならトラックと同じ様に使えますが、今回みたいにほぼ単機で動く事になりそうだと、危険なんじゃありませんか?」
シグがそう欠点を指摘するも、マリナは少し得意げに口元に笑みを浮かべていた。
「ふふんっ、私を甘く見てもらっては困るな。当然、私だって歩兵を運ぶだけでは、今回こいつを有効に使えるとは思っていない」
そう言うと、マリナはその戦車へと歩み寄っていく。
すると、周りで整備を行っていた歩兵がすかさず立ちあがって敬礼し、同じ様に戦車の改造を手伝っていたバルトやフィリップも軽く敬礼を返していた。
「どうだ? 出来てるか?」
「はい。一人でも多く運べるよう、村で一番大きな馬車を徴用して取り付けましたから」
「ふむ。それであれはどうだ? 取り付けられそうか?」
「ああ、そうでしたね。それも大丈夫です。それに合わせて荷台に回転盤も取り付けました。―――誰かあれを」
バルトが兵士達に声をかけると、兵士の一人がすぐに迫撃砲をもって戦車の上へと上っていた。そして、車輪を流用して作られた回転盤の上へ設置していた。
「いかがですか?」
「うむ。完璧だ」
「なるほど。自走迫撃砲にもなるんですか」
再び感心した様にシグはその車両を見上げていた。
「歩兵用の80ミリ榴弾砲だから、車両には効果ないかもしれないがな。歩兵の援護ぐらいは出来るだろう?」
「良いですね。迫撃砲ならある程度遠くから障害物を挟んで攻撃ができますから、装甲が薄くても安全です。しかも、これで歩兵も迅速に運べるんですから、悪くないですね」
単純に納得した様子のシグに褒められて、マリナは余計に得意そうにしていた。
しかし、同じ様に話を聞いていたトートには、いまいちシグやマリナが何を言っているか良く分からなかった。
なんとなく取り残され、改造されたT‐16をただ眺めているしかなかったが、不意に視線をシグへと向けると、彼は確かに笑っていた。
「―――よし、これで戦力が整ったな」
そう言って彼に見つめられて、トートは胸の奥がキュンっとした気がした。
「戦車とは、何のために生まれてきたものか知っていますか?」
納屋に戻ってきたシグは、集まった一同にいきなりそう問いかけていた。
「はぁ、車長もついに絶望でそんな事まで分からなくなった・・・・・・」
「うるさいぞブラウナー。お前は黙ってろ!」
シグはそう言って口を尖らせると、今度はトートへと視線を向けていた。
「トートはわかるか?」
その言葉に、トートはただ首をかしげていた。仕方ないので、シグは自分で解説する。
「戦車ってのは、もともと塹壕戦でこう着しやすい状況を打破するために生まれたものなんだ。だから、初期の戦車は塹壕の突破がメインで、特徴としては車体が前後に長く、砲塔も付いてなかった」
シグの説明にブラウナーやバルトなどの戦車兵は当然のことのように聞いていたが、トートやマリナは初耳らしく、しきりに感嘆の声を上げていた。
「ふむ。それが時代と共に、今の姿に変わったと言うことか」
「ええ。つまり、使い方が変化したんです」
「ほう、使い方が。しかし、塹壕戦は未だにあるぞ?」
「しかし、マリナさんはそれが戦争のメインでなくなった事はよくご存じのはずです。戦争の主役は歩兵からすでに移りつつある。いわゆる、我が軍が発明した電撃戦と言うものによって」
そこで、こほんとシグは咳払いする。
「今の戦争は航空機と戦車がその機動力を生かし、三次元的に敵の要所を叩いていく形になりました。よって、戦車の役割は〈塹壕を突破し歩兵を蹂躙する履帯〉ではなく、〈高い機動力と重装甲をもつ火砲〉になった訳です」
「ふむ。戦車の歴史に関する講義は良く分かった。しかし、その話が今回の作戦とどう言う関係があるんだするんだ?」
すると、そこでシグはちょっと得意げに胸を張って見せる。
「つまり、戦車と言うものの使い方は、一つではないと言う事です。そして、今言った以外の使い方もできる」
「なるほど。シグは今回、戦車を正攻法で使うつもりはないと言うのだな?」
「ええ。俺達の戦車、ヴォルフは敵の重戦車に対して明らかな火力不足です。しかし、機動力は未だ主力戦車にも劣りません。だから今回、俺達の戦車は囮として使おうと思います」
「戦車をまるまる一台か?」
「ええ。もったいない気もしますが、敵もまさか戦車一台がまるまる囮とは思わないでしょう。例え思ったとしても、歩兵の脅威になる戦車を放っておく訳にはいかない。戦車には戦車をぶつけざる負えないでしょう。そうすれば、戦車を引きつける囮としては充分です」
その言葉を聞いた所で、マリナはいつものように片目を閉じて考える仕草をする。
「で、囮にしたヴォルフをどう使おうというのだ?」
「はい。戦車を街から外へ誘導します。そこをハーゼに仕留めてもらおうと思います」
「しかし、それで倒したとしても一両だろう? 二両も上手く引っかかるとは思えん」
「まぁ、そうかもしれませんが・・・・・・」
マリナの鋭い指摘に、シグは頭をかく。
すると、今度はマリナが悪戯を思いついた子供の様に笑っていた。
「そこで、私にも考えがある」
「歩兵部隊の作戦ですか?」
「うむ。トートから聞いた話だと、どうやら教会の鐘楼が非常に見晴らしが良いらしい。だから、まずトートを含めた街人達の救助部隊を送り込む。そうすれば、敵の配置や動きが把握できるはずだ」
「しかし、危険なのでは?」
「それは承知の上だ。だから、少数精鋭を送り出す。それの準備は出来てるから、心配しなくてもいい。それが上手くいって敵の戦車の動きが分かれば、我々がロケット弾で戦車も撃破出来るだろう」
「うーん。あまり無理はさせたくないですが、そうしていただけると助かります」
そう言って、シグは改めて机の上の地図を見下ろしていた。
「・・・・・・けど、これで駒は全て揃った訳ですね」
静かに呟くシグの姿に、トートは心配そうに問う。
「大丈夫、シグ?」
すると、顔を上げたシグの表情は思ったより明るい。
「・・・・・・表が出るか、裏が出るかってところだな。けど、裏が出ないと俺は確信してるよ」
そう言ってシグはコインを放ってキャッチする。
「俺は強運体質だからな」
シグの腕に乗ったコインは、案の定、表をみせていた。




