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二人の死神

 戦車は森の中、道なき道を進む。

 木々を押し倒し、あるいは避けて、自ら道を作っていく。

 シグはハッチから上半身を出し、進む方向を操縦手のブラウナーへ随時指示していた。

 トートは砲塔の後ろ、車体の上に括りつけられた食料や弾薬の上に座っていた。

 すると、不意にシグが紙袋をトートへと差し出してきた。

「朝飯、まだだろう?」

 トートがそれを受け取って開けてみると、サンドイッチだった。

 しばらく缶詰ばかりの食事になるので、気を利かせてくれたのだろう。

「ありがとう」

 トートはサンドイッチをパクつきながら、空を見上げる。

木々の葉の間から木漏れ日が差し込んみ、鳥の鳴き声もどこからか聞こえてきた。

「のどかだな・・・・・・」

 戦争中とは思えないほど、穏やかな森。

 そんな中、戦車は小さな小川を越え、木々の間を抜け、森をひた走る。

 しばらくして、今度は昼食をとる為に森の開けた所で休憩をとった。

「この辺は穏やかなんだね」

 ビスケットをかじりながらトートが呟いた。

 それを聞いたシグが、缶詰の肉をパクつきながら応える。

「前線を大きく迂回してるから。それにこの辺はあんまり本格的な戦闘も起こってないし」

「じゃあ、安全なんだ」

「ああ。だから、うちらは良いけど、前線をいくマリナさん達は大変かもなぁ」

 食事を終えると、一同は戦車に乗りこみ、再び走り始める。

 何せ目的地までは三日もかかるのだ。気の長い話だとトートは荷物に寄りかかっているうちに、うたた寝してしまう。

 気付いた時には、辺りは真っ暗になっていた。

「ごめん・・・・・・。寝てた」

「いいよ。それだけ良い運転だったってことだ。な、ブラウナー」

「それで褒めてるつもりですか? 俺はずっと運転してて疲れてるんですからね。変わって欲しいぐらいですよ」

「そう僻むなよ。―――そこの木、右に避けてな」

「分かってます」

 そして、また開けた所に出ると、シグは戦車を止めさせる。

「じゃ、今日はここで野営だ」

 そう言って、シグは戦車を降りると、ランタンの明かりを頼りに、装填手のバルトと共に荷台にしまってあったテントを建てはじめた。

その間、トートは腰から拳銃を抜いて、懐中電灯を頼りに辺りを探索し始める。

「そんなに警戒しなくても、まだ安全な地帯だぞ」

 シグが声を張り上げて声をかけるも、トートはただ黙々と探索していた。

「もう半分近く来てるから、警戒しておいても損はないよ」

「そうだけど、そんなんじゃ着くまでに疲れ―――」

 シグがそう声をかけている最中だった。

 突如として、森の中に砲声が轟く。

 闇夜の中で鳥たちはいっせいに飛び立ち、一同には緊張が走った。

「前方からだな・・・・・・」

 シグが冷静に分析すると、バルトもふむと唸る。

「この音からすると、そう遠くありませんね」

「今日はゆっくり寝れそうもないなぁ」

 やれやれと言った具合でハッチから顔を出していたフィリップが肩をすくめていた。

「しょうがない。今日は二人づつ歩哨に立ってもらう。じゃあ、まずは―――」

 と、シグが話している間に、トートは戦車の後ろに括りつけていたバイクを下ろしていた。

「おい、トート。何するんだ?」

 シグが訊いた時にはもう遅い。トートはすでにバイクのエンジンをかけていた。

「偵察に出てくる」

 彼女がアクセルを吹かすと、走り出したバイクはあっという間に闇に紛れて行く。

 その背中を眺めつつ、シグは頭をかいていた。

「そんなの許可できる訳ないだろう!」


 トートがバイクをしばらく走らせると、森の奥にぼんやりとした光が見えてきた。

 間抜けな敵だなと思いながら、彼女はバイクを降りると、腰の拳銃を抜く。

 腰をかがめ、近くまで駆けて行くと、そこには一台の車両が止まっていた。

 小型の車両の上に大砲を積んだ四角い戦闘室が乗っているそれには、公国軍のマークがついている。

「味方・・・・・・?」

 彼女が身を乗り出して、明かりの照らしている辺りを見ると、三人の兵士がなにやら車両の後ろで動いている。確かに、公国軍の服装だ。

しかし、シグの話ではこの辺りに味方がいるはずはない。変装している帝国軍兵とも限らない。

「仕方ない。人質を取ろう」

 彼女はそう決断すると、作業を続けていた三人の後ろまで迫る。

 よほど集中して作業しているのか全く気が付かず、あっという間にその中の一人を捕まえていた。

「ひゃあっ!」

 左手で首を絞め、頭へと拳銃を突き付けると、叫び声の様なものが上がる。

すると、やっと気がついたのか、残りの二人が呆然とした様子でこちらを振り返っていた。

「だ、誰だっ?」

 やっと状況を理解したのか、表情を恐怖にひきつらせながら、一人が口を開いていた。

「殺すつもりはない。所属を名乗ってほしい」

 すると、捕まえていた兵士が、恐る恐る口を開いていた。

「・・・・・・じじじ、自分達は第8戦車駆逐大隊の所属ですすすす。て、敵の追撃を受け、ててて撤退中なんですすすすす」

「あなた名前は?」

「まままマグダ・フリッツ上等兵ですすすす。ご、ごめんなさいいいい。こここ、殺さないでくださいっ!」

 がたがたと震えながら、その兵はそう名乗った。

「殺すつもりはない。あなた達は何をしていたの?」

「し、車体が岩に乗り上げてしまったので、それを外していたんですっ! あうっ。あ、あのそろそろ放してもらわないと、あああっ。限界がぁっ!」

「・・・・・・限、界?」

 すると、マグダはお腹辺りを押さえてもじもじしていた。

「お、おしっこ我慢してたんです! けど、いま緊張したら、余計にっ! ひああっ」

 叫び声のよなものをマグダが上げると、びっくりしてトートは慌てて手を離していた。

 しかし、その途端後ろからめりめりと森を突き進んでくるエンジン音が聞こえてきた。

 驚いて振り返ると、その瞬間、勢い良く突っ込んできたヴォルフが気を押し倒しながら急停車していた。

 やれやれと言った様子で、シグがハッチからはい出て来る。

「女の子一人に偵察を任せられる訳ないだろう!」

 しかし、トートが改めてマグダに向き直ると、その場にへたり込んでいた。

「うぅ、びっくりしたから、間に合わなかったよぅ・・・・・・」

 情けない声を上げて俯くマグダを見て、悪い事をしてしまったとトートはばつが悪そうな顔をしていた。


「自分達の所属していた部隊は、前線で敗走したんです」

 予備のズボンに着替えたマグダは、俯きながらそう語っていた。

「それで、逃げてる途中にあった村に立ち寄ったんですけど」

「それって、この村か?」

 シグが地図をみせると、マグダはこくりとうなずいていた。

 その村はマリナとの合流地点にしていた村だった。

「前線から大きく離れているから安全だと思っていたんです。けど、夜のうちに敵に襲撃を受けて、自分達を残して全滅しました・・・・・・」

 それを聞いて、シグは深刻な表情をしていた。

「じゃあ、村は?」

「襲撃時に燃えた戦車の火が移って、何軒か家が焼けたかもしれません。しかし、それ以外の損害はないと思います。敵の戦車は四台とも全部が自分達を真っ直ぐ追って来ましたから」

「それでさっき砲撃をしたのか」

「はい。闇の中に動くものを見かけて。けど、敵ではなかったみたいで」

 その時、ガリガリと音を立てて、ヴォルフに牽引された対戦車自走砲は乗りあげた岩から降ろされていた。後進しながら逃げていた為に、後ろから乗りあげてしまっていたらしい。

 降ろされた対戦車自走砲を見て、マグダはぺこりと頭を下げていた。

「ありがとうございます。これで何とか帰れます」

「いや、それはどうだろうな」

 しかし、それにはシグが首をかしげていた。

「あんたの話からすると、夜のうちの襲撃を受けて、ここまで逃げてきたって事だろ? この対戦車自走砲〈ハーゼ〉の後進速度はたかが知れてる。真っ直ぐ敵が追ってきてるにしては時間がかかり過ぎてないか?」

「つまり、どう言う事ですか?」

「つまり、敵の戦車がハーゼの後進速度に追いつけないはずがない。それで、追いついてこないと言う事は、追うのを諦めたか、それともすでに回り込まれているか、どちらかだ。特にハーゼの主砲は対戦車用の7.5センチ長砲身砲だ。敵が用心して真っ直ぐ追って来ていない可能性は高い」

「えええっ! じゃあ、自分達はすでに囲まれていると言うんですかっ?」

「そうだ。仕掛けてくるとしたら、視界の確保できる明け方だろう」

「じゃあ、早く逃げないと!」

 慌てて対戦車自走砲―――ハーゼへと戻ろうとするマグダの襟首を、シグは咄嗟に掴んでいた。

「馬鹿! 夜間にライトなんかつけながら走ったらそれこそ的なんだよ! 夜は大人しくしてろ」

 特に森の中は月明かりも差し込まない為、ランタンの光でさえ目立つのだ。

「今日は数名で歩哨をしながら休息をとる。太陽が上る前に敵の襲撃に備えるぞ」

 その指示に、シグの部下である三人はすぐに銃を取り出し始めるなど行動を始めていた。

 しかし打って変わって、マグダ達三人は学徒兵らしく、おろおろとしている。

 その様子を見て、シグは冷静に告げていた。

「マグダ達は休んでくれて良い。歩哨は俺達でやる」

「い、いえ! 自分もお手伝いします」

「いや、昨日の夜からずっと逃げ通しだったなら、俺達なんかよりずっと疲れているだろ? 明日の戦闘に備えてゆっくり休んで欲しい」

「けど・・・・・・」

「ここでは俺が一番階級が上なんだ。お前達は命令に逆らうつもりなのか?」

「・・・・・・す、すみません。ありがとうございます!」

 マグダはぺこりと頭を下げると、仲間たちのいるハーゼへと戻って行った。

「じゃあ、まずは俺とブラウナーで見張る。食事をしてから、二時間ずつで交代しよう」

「えー。俺、運転で疲れてるのに・・・・・・」

 やれやれと言った様子のブラウナーから軽機関銃を受け取って、シグと共に歩哨へと向かう。

しかし、それに何気なくついて来たトートを、シグは呼び止めていた。

「なんでついて来るんだ? トートも休む班だろう?」

「え? だって、私はこういうのが専門で・・・・・・」

「専門だとしても休憩は必要だろ? せっかくだし交代まではゆっくり休んでくれ」

 トートは少し戸惑った様だったが、ぽんっとシグに頭へと手を乗せられる。

「しっかり休むのも、兵士の仕事の一つだ」

 そう諭されると、トートは黙ってこくりとうなずいていた。


「なんか、シグといると変」

 唐突に、トートがそう口を開いていた。

 隣で缶詰の肉をつついていたバルトとフィリップが、思わず視線を向ける。

「なんか、変。なんか一緒にいると、調子が狂う・・・・・・」

 眉をへの字にして、缶詰の中身をため息交じりに見つめるトートを見て、バルトとフィリップは顔を見合わせていた。

「まさか、こちらがそうだったとは思いませんでしたね」

「だな。ま、車長は女子供には優しいからなぁ」

 そんな二人に、トートは思わず問うていた。

「なんで、シグは優しいの?」

 その言葉にしばし考え込む二人だったが、おもむろにフィリップが応えていた。

「俺達は優しいなんて感じた事はないぜ。車長が優しいのは、女や子供相手限定だ」

 それには、バルトもうなずいていた。

「そうですね。べつにいやらしい考えとかではなく、車長は女性や子供は守るべきものだと考えている節がありますから。自然と優しくなるんでしょう」

 その言葉に、トートは少し不満そうに肉を口の中へと放り込みながら、呟く。

「別に、守って欲しくなんてないのに・・・・・・」

 そう言って、彼女はシグに諭された時に手を載せられた頭を触ってみる。

「なんで、ちょっと嬉しい、って思うの?」

 物憂げにため息をつくと、まるで小説などに出てくる恋する乙女の様だと、自分でも嫌気がさした。

「しかし、車長なんかに恋しない方がいいと思うぜ」

 しかし、そうフィリップに思っていた事を言い当てられ、トートは慌てたように声を上げる。

「べ、別に恋なんかじゃない!」

「そうかい? ならいいんだけど」

「そうですねぇ。うちの車長は近くにいる人間を不幸にしますから・・・・・・」

「不幸に・・・・・・?」

 その言葉にトートが首をかしげると、バルトは余計な事を口走ってしまったとばかりに顔をしかめていた。

「いえ、忘れてください。余計な事を言ってしまいました」

 それ以上、彼らがシグの事について語る事はなかった。


「ふあぁー」

 大きなあくびを噛み殺しながら、シグは軽機関銃を片手に森の中へと視線を走らせていた。

 森の中に月明かりは少なく、目を凝らしていないといろいろ見逃してしまいそうだ。

「長い夜になりそうだなぁ・・・・・・」

 やれやれとシグが肩をすくめていると、背後に気配がした。

 振り返ってみれば、トートがビスケットと缶詰を持って立っている。ただ、トートはシグの一歩手前まで近づいており、それまで気がつかせなかったのは、さすが工作員と言ったところか。

「交代の時間だよ。これ夕飯」

「ありがとう。じゃあ、頂くとしようかな」

夕飯を受け取って、シグはその場に腰掛ける。交代にきたトートが、今まで立っていたシグと同じ所に立つと、辺りへ視線を走らせていた。

しばらくシグは無言で食事を取る。

辺りには虫の鳴き声だけが響いており、やはり戦争中とは思えないほどのどかだ。

「―――シグも、死神なんだよね」

 しかし、そんな唐突な問いかけに、シグは食べていた肉の欠片を噴きだしていた。

「ごほっ、こほっ」

「ご、ごめんね」

 トートが慌ててその背をさするも、シグはいいからとジェスチャーして見張りに戻るようにと指示していた。

「あー、びっくりした・・・・・・」

「ごめん」

「いや、いいんだ」

 そう言って、シグは食べ終わった缶詰を置いていた。

「やっぱり、中尉殿やマリナさんが言ってたの聞いてたよな」

「うん・・・・・・。それに、シグが誤魔化そうとしてたのも」

 すると、シグはちょっとばつが悪そうに頭をかいていた。

「俺の所属してた部隊は、二つとも全部全滅してるんだ」

 シグは遠くを見つめながら、そうゆっくりと語りだしていた。

「そして、二つとも俺の乗る戦車だけが生き残ったんだ。それで、ついたあだ名が〈死神〉って訳さ」

「・・・・・・なんで、死神なの?」

 良くわからないと言った様子で、トートは首をかしげていた。

「俺の所属する部隊は、必ず全滅するって噂が立ったんだ。だから死を運んでくる〈死神〉ってね。まぁ、あくまでも噂だから信じていない指揮官も多かったけど、そう言うのは部隊全体の士気に関わるから。俺達の所属が決まらなかったのもそのせいなんだ」

「生き残るのも、強運体質のおかげなの?」

「たぶんな。本当は俺も含めて全滅する作戦でも、俺だけは強運のおかげで生き残るんだと思う。しかし、あっという間に出世させてくれた運が、ここで俺の脚を引っ張るとは思わなかった・・・・・・」

 そう言って、やれやれとシグは肩をすくめていた。

 しかし、そこへトートは思い出したように告げる。

「けど、バルトさん達は、シグといると不幸になるって」

 すると、シグは完全に黙りこんでいた。

 怒らせてしまったかと、トートは慌てて言葉を紡ぐ。

「ご、ごめん。そんなつもりじゃ―――」

「―――俺の両親は、俺が小さい頃に亡くなったんだ」

 しかし、トートが言い終わる前に、唐突にシグの方が再び喋り出していた。

「その後、俺が一人前になるまで面倒を見てくれた人も、早くに亡くなった。俺の恩師も、友達も、戦友も、みんな死んでいった。事故や病気、戦争で次々と」

「ごめん。そんなのシグのせいじゃないよね・・・・・・」

 トートは慌ててそう謝っていたが、シグは首を振っていた。

「違う! 俺にも分からないんだっ!」

 その言葉に驚いてトートが振り向くと、彼はその場でうずくまっていた。

「俺はついこの間まで、自分はただ強運なだけだと思ってた! けど、さすがに部隊が二つも全滅すれば、俺は本当に周りの人間から運を吸い取ってるんじゃないかって、怖くなってきたんだ・・・・・・」

 そう言って、シグは頭を抱える。

 それはまるで、苦痛に苦しんでいるように見えた。

「悪いトート。こんな奴だと知っていたら、連れてなんてこなかったよな・・・・・・」

「そんなことないよ。シグが手伝ってくれなきゃ、マリナさん達にも出合えなかった」

 しかし、トートがそう言っても、シグは顔を上げる事はなった。

 彼は痛みに耐える様に、うずくまったまま動かない。

 やはり悪い事をしてしまったと、トートは後悔した。

「・・・・・・けど、シグはどうして私を手伝ってくれようと思ったの?」

 不意に彼女がそう訊くと、シグは少し顔を上げる。

「最初は、関わるつもりなんかなかった。けど、もしかしたらって思って・・・・・・」

「もしかしたら・・・・・・?」

「そう。このコインがトートの足元に転がった瞬間に、もしかしたら俺は他人を不幸にせずになにか出来るんじゃないかって、・・・・・・ちょっと思ったんだ」

 そう言って、シグはいつも投げているコインを空へとかざしていた。

「シグがそう思っているなら、きっとうまくいくよ」

「・・・・・・気を使わせて悪かったな。いいんだ。俺が死神なのは変わらない」

 そう言って、シグは脱力したようにため息をついていた。

 それを見て、思わずトートも口を開いていた。

「私も〈死神〉だから」

 その言葉に、シグは驚いた様に彼女を見上げていた。

「まさかトートも?」

 しかし、それにトートは見張りを続けながら、首を振っていた。

「私の場合は、シグと違うけど」

 そう言って彼女はシグと視線を合わせると、自虐的に笑っていた。

「〈トート〉ってコードネームは〈死〉って意味以外にも、辞書によっては〈死神〉って意味があったから、そう呼ばれ始めたの」

「なんだ。俺なんかより、ずっとカッコいいじゃないか」

 そう言って、シグは笑っていた。

 やっと見れた彼の笑顔に、トートはほっと一安心しながら、言葉を続ける。

「けど、違うの。私の〈死神〉ってコードネームが敵に知れ渡っちゃったから、情報部はこれを撹乱工作として使ったの。そういう怖い奴に狙われてるぞって、噂を流したりすることで」

「いいじゃないか。実態のない暗殺者みたいで」

「ううん。けど、実際には噂だけじゃないの。今や同じ噂を流して、別の人がいっぱい行動してる。ただ、私だけが〈死神〉ってコードネームで呼ばれてるだけで、死神役はいっぱいいるの」

「・・・・・・トートは、それが嫌なのか?」

 すると、トートは少し照れた様に笑っていた。

「嫌だよ。トートって言うのは私の名前のはずなのに、撹乱工作に使われるなんて。私はそんなものの為に工作員をやってる訳じゃないのに」

「そうか・・・・・・。お互い〈死神〉としてツイてないんだな」

「うん。一緒」

 すると、トートは思い出したように告げていた。

「私はね、それでも工作員である事は間違いないから。だから、シグに守られてばっかりじゃ私らしくない。今度はもっといっぱい仕事をさせて欲しいの」

「え? いや、そんなに守ってるつもりはなかったけど。女の子に矢面に立たせて、俺ら兵隊が後ろに下がっている訳にはいかないから・・・・・・」

 そのシグの言葉に、トートは複雑な表情をしていた。

「それはシグの信条なの?」

「え? 信条って言うか、当然の事の様な気がするけど・・・・・・」

「けど、私に任せて欲しいの。守られてばかりじゃ、私らしくないから」

 その言葉に、シグは頭をかいていた。

「そうは言っても。女の子に任せるって言うのは・・・・・・」

 しかし、シグは思い出したように呟く。

「けど、そうだなぁ。結局マグダにも休むよう言っちゃったし。俺って相当女の子に過保護なのかな」

「そうだよマグダにも・・・・・・。え? マグダにも?」

 自分で言って首をかしげたトートに、もしやとシグは驚いていた。

「もしかして、トートはマグダが女の子だって気がついてなかったのか? マグダって言うのは、れっきとした女の子の名前だぞ?」

「し、知らなかった・・・・・・」

 この歳で工作員として働いている少女なのだ。もしかしたら、トートはそう言う当たり前の事を知らないのかもしれない。しかし、いつも張りつめている気配があっただけに、こうして抜けている所をみると、申し訳ないがシグは笑ってしまっていた。

「お嫁にいけないって嘆いてたから、ちゃんと謝っとけよ」

「うん・・・・・・。けど、わざとじゃないんだよ?」

 そして、しょげた表情をするトートを笑いながら、シグは呟く。

「そうだな。じゃあ、お言葉に甘えて、トートとマグダにも明日は協力してもらうか」


翌日。

 朝日が昇り、ぼんやりと明るくなった森の中から、一筋の煙が上がる。

 それを遠くから双眼鏡で確認した男は、にやりと笑っていた。

「公国軍め、我々が追ってきてないと思って、火を焚いてやがる。呑気なもんだな」

 男は後ろに止めてあった戦車へと戻る。

 それは帝国軍で一般的な多砲塔戦車で、車体中央の主砲塔以外にも、車体前方の右寄りに小型の砲塔を持つT‐16と言われる戦車だった。装甲が薄いため、すでに第一線を退いているが、公国軍のヴォルフと同じ様に前線では常に戦車が不足するため現在でも使われているのだ。

「車長、どうされますか?」

 副砲塔から顔を出す兵士が聞くと、車長を呼ばれたその男は、主砲塔のハッチに潜りこみながら応える。

「味方には朝日が昇り次第、後方に回り込んでいるこちらが奇襲をかけると伝えてあるんだ。生憎と煙のおかげで敵の位置ははっきりしてる。手筈通りいくぞ!」

 T‐16はエンジンをかけると、唸り声を上げて、森の中を進み始めていた。


「敵、二両確認・・・・・・」

 そう呟いたのは、倒したバイクに伏せて身を隠す様に双眼鏡を覗くトートだった。

「位置、たき火より南南西。距離、1000。真っ直ぐたき火へと向かう」

 彼女はバイクの荷台へと括りつけられていた無線機の受話器へとそう報告する。

『やっぱり後ろから来たか。マグダ、トートの言った位置を狙える場所まで移動できるか?』

『大丈夫です。シグさんの言った通り、すでに近くまで移動してましたから』

 二人の会話が聞こえると、すぐにトートにもシグから指示がくる。

『トートはそのまま敵の観測を続けてくれ。方向転換などをした場合にはすぐ報告』

「了解」

 そう言うと、トートはバイクへとまたがって、二両のT‐16を追い始めた。

 木の枝などを括りつけて偽装を済ませたハーゼは、狙撃地点へと移動を開始した。

 狙撃と言っても森の中に見晴らしの良い丘などがある訳ではないので、敵の側面へと回り込むだけだ。

 マグダが降りてハーゼの進む先を先導し、手で指示しながら操縦手に伝える。

 そして、ハーゼはマグダの指示で少し窪地になった地形へ降りると、砲身だけを地上に出す様に停車していた。

 マグダも車両へ乗り込むと、戦闘室からカニの目の様になっている望遠鏡を覗きこむ。

 しばらくすると、前方の右の方から走ってくる二両の戦車の姿を見つけた。

 距離は500と離れていない。

「こちらハーゼ。敵車両発見!」

『よし、一両は仕留めてくれ』

「はい、任せてください。―――徹甲弾装填!」

 マグダの指示で装填手兼砲手が初弾を装填する。

「徹甲弾装填完了!」

 その間も、マグダは望遠鏡でT‐16を睨み続けていた。

「じゃあ、先行するT‐16の方を狙います」

「了解」

 砲手は座席に着くと、素早くハンドルを操作して砲をT‐16へと向ける。

 しかし―――。

「・・・・・・ダメだ。近過ぎて敵の動きに正確な狙いが付けられない!」

 T‐16の最高速度は40キロ以上だ。不整地であるため全速でないが、それでも横切ろうとするそれを正確に追尾し続けるのは難しい。

「なら、偏差射撃は?」

「やれるが、俺の腕じゃ自信はないぞ・・・・・・」

 頼りない砲手の言葉に、マグダは冷や汗をかいた。もし、初弾を外せば、狙撃したこちらの位置がばれてしまい、マグダ達は二両に追い立てられる羽目になる。火力は高いが装甲の薄いハーゼに乗る身からすれば、それは何としても避けたい。

『・・・・・・なら、私が何とかする』

 しかし、そう突然ヘッドフォンから響いたのは、トートの声だった。

「ど、どうするんですか?」

『足を止める。狙っていて』

 有無を言わせぬその言葉に、マグダが黙って望遠鏡でT‐16を覗きこんでいると、不意にT‐16のハッチから上半身を出していた車長の身体から、何かが身体から生えていた。

 その車長がぐったりと倒れると、そのT‐16は足を止めていた。

「な、なにが、起きたんだ・・・・・・?」

『良いから撃って』

「そ、そうだった! ね、狙いは?」

「ばっちり」

「よし、撃てぇッ!」

 砲手が引き金を引くと、7.5センチ砲が轟音と共に火を噴いた。

 砲弾は真っ直ぐ飛翔し、T‐16のエンジンを射抜く。たちまち炎が上がると、乗員が慌てて脱出して行くのが見えた。

 しかし、もう一両のT‐16はこちらに気がついた様だった。すぐに、こちらに主砲を向け、発砲していた。

 飛んできた砲弾が、窪地の周りに着弾し、土をまき上げる。

 その土を被りながらも、マグダは指示を出していた。

「逃げるよ! 全速後退!」


「すぐあの対戦車自走砲に向けて方向転換しろ。味方にも連絡!」

そう指示を出してから車長がハッチより身を乗り出すと、隣で炎上するT‐16の姿が見えた。搭乗員達はすでに爆発に備えて逃げてしまった様で、姿はない。

ただ、炎上するT‐16のハッチからは、ぐったりと倒れた車長の姿があった。

その体からは、なにか細い棒の様なものが生えている。

「なんだあれは?」

 車長が目を凝らすと、その棒の先には羽が生えていた。

「まさか、弓矢か?」

 はっとした車長が、慌ててハッチに入ろうとした瞬間だった。

 左肩に衝撃と共に激痛が走る。

「ぐっ!」

 見てみれば、そこには背中から漆黒の弓矢がささっていた。

 そして、車長が後ろを振り返ると、戦車の後方に弓矢を構える黒い服装の少女の姿がある。

「斥候兵がいたか・・・・・・」

 車長は忌々し気に呟くと、肩から弓矢を引き抜いて、ハッチへと潜り込む。

「大丈夫ですかっ?」

 驚いた装填手がそう問うてくるが、車長は手持ちの包帯で止血をしながら言う。

「大丈夫だ。とにかく今は、対戦車自走砲の方を潰す。ただ、車体から体を出すのは厳禁だ。他の戦車にもそう伝えろ」

「しかし、そうなると視界がだいぶ限られますが・・・・・・」

「死ぬよりはマシだろう。それにどうせ敵は一台だ。視界がないからと言って変に奇襲を受けたりする事もあるまい」


「外した・・・・・・」

 トートは弓矢を下ろしながら、そう呟いた。

『無理しなくて良い。後はこっちでやる。適当に合流してくれ』

「わかった」

 トートは弓矢を背負い直すと、バイクを起こして跨った。

「そっちはどうシグ?」


「丁度、敵を発見した所だ。トートのおかげで、ハッチから不用意に顔を出せなくなって、こっちの存在には気付いてないらしい」

 シグが発見したのは、正面から向かって来ていた別の二両のT‐16だった。

 ハーゼと同じ様に木の枝などで偽装を完全に施したヴォルフは、草むらの中で待ちうけ、その前を通過した二両の後をついていっていた。

 普通気づきそうなものだが、実はエンジン音などの騒音は自車の方が大きいため聞こえず、戦車の視界も非常にせまいため、意外と気がつかないものだ。

特に帝国製の戦車はキューポラと言われる覗き窓のあるハッチがなく、ペリスコープしかない上、さらにそのガラスの質も悪いので非常に視界が悪い。

キューポラからT‐16の後ろ姿を見つめながら、シグは喉元のマイクへと口を開く。

「マグダ。そっちはどうだ?」

『そちらに向かっています。もうちょっとで見えると思います』

「よし。射撃準備しとけよ?」

 そして、シグは改めて指示を出す。

「停車! 徹甲弾装填! 目標、遅い方のT‐16!」

「停車します!」ブラウナーがブレーキを踏みこんで、ヴォルフは急停車。

「装填完了!」バルトが弾頭を薬室内に押し込み、尾栓が閉まる。

「狙いよし!」フィリップが操縦桿を操作し、砲口の向きを微調整した。

 そして、T‐16を睨んだまま、シグは怒鳴る。

「撃てぇぇ―――っ!」

 爆炎と共に、ヴォルフの5センチ砲が吼えた。

 長砲身で貫通力の高い弾頭が、T‐16のエンジンを射抜く。炎上はしなかったものの、T‐16は力が抜けたように停止していた。

 しかし、その砲声に気がついたらしく、もう一台のT‐16も停車し、こちらへ左旋回を始めていた。

「徹甲弾装填! 突っ込めブラウナーッ!」

 咄嗟にブラウナーはアクセルを踏み込むと、一気に旋回を始めたT‐16との距離を詰める。

 T‐16はこちらに右側面を向けた状態で停止すると、すでに旋回していた主砲が火を吹いていた。

 砲弾はヴォルフの砲塔へと命中する。

 だが、T‐16の主砲は貫通力の低い短砲身。そしてシグの乗るヴォルフの砲塔の防盾は装甲を強化しているため、いとも簡単に跳ね返していた。

 ただ、衝撃だけは受けるため、シグはその衝撃を天井の取ってを握りしめて耐えた。

 そして、改めてキューポラからT‐16を見据えると、指示を出す。

「このままぶつけろッ!」

 すると、ヴォルフは側面を向けたT‐16へと勢い良く衝突する。

 高速回転するキャタピラが接触し、ギャリギャリと嫌な音を立てた。

T‐16は多砲塔戦車だが、対戦車砲を持つ副砲塔は衝突した側面と反対側にあるので、これで完全に封じた事になる。

その間に、ヴォルフの主砲はエンジンをやられて停車していた方のT‐16へと向く。

そちらの方はエンジンがやられているだけで、砲塔は問題なく動いており、ヴォルフが砲塔を向ける頃にはこちらへと発砲していた。しかし、ヴォルフは同じ様に防盾へと砲弾を受けていた為、問題なく受け止めてしまう。

偶然の様だが、実はそうではない。

もともと戦車の砲塔と言うのは、非常に撃たれやすい。一説には、生き物の様に動く為、撃つ側が自然と狙ってしまうものらしいのだ。しかし、だからこそ、シグはその撃たれやすい防盾ばかり装甲を強化していたのだった。

そして、その間にヴォルフの5センチ砲は停止したT‐16の砲塔へと撃ち返す。

貫通力の高い砲弾は、T‐16の砲塔をいとも簡単に貫通し、それが弾薬庫へと引火でもしたのか、T‐16は呆気ない程に砲塔ごと吹き飛んでいた。

だが、ヴォルフの砲塔の側面を狙う様に、今度は接触していたT‐16の砲口がこちらを向いている。

「くっ、間に合え!」

 ヴォルフの砲塔はすぐに旋回を始めていたが、間に合わないのは目に見えている。

そして、まさにT‐16の主砲が火を拭こうとした瞬間。

突如として、轟音と共にT‐16のエンジンが吹き飛び、炎上していた。

「・・・・・・間に合ったか」

 シグがキューポラのハッチから上半身を乗り出すと、炎上するT‐16の向こう側に、ハーゼが見えた。

その砲口からは煙が立ち上っており、戦闘室からは手を振るマグダの様子も窺える。

「よし、最後の仕上げと行くか」

 ヴォルフは一度バックすると、接触していたT‐16を迂回し、ハーゼへと向かう。

 そして、シグが礼を言う代わりに敬礼しながら向かってきたハーゼとすれ違うと、マグダも敬礼しているのが見えた。

 シグは改めて、キューポラへと潜り込むと、前方を睨む。

 ハーゼの後ろには、その後を追ってきた最後のT‐16がいるはずだ。

「一線を退いた、旧式同士の一騎打ちになるとはな・・・・・・」

 シグはそう言うと、少し楽し気ににやりと笑って見せていた。


「くっ、ハーゼを見失ったか」

「申し訳ありません。視界がなく、足場の悪い所ばかり走ってしまったせいで・・・・・・」

「いや、敵もそれを見こして逃げていたんだろう。ただ、最高速はこちらの方が速い。このまま行けば、いずれ追い付くだろう」

「はっ」

 車長は走り続けるT‐16のペリスコープから前方を覗きこむ。

 しかし、気泡が浮いているガラスは見づらく、視界はほぼない。

「くっ。たかが一人の歩兵のせいで、こうも行動を制限されるとは・・・・・・」

 車長がそううそぶくと、正面に何やら動くものが見えた。

 ハーゼかと思って目を凝らすも、その木々の間には、こちらを向く砲口の姿がある。

 車長は咄嗟に怒鳴っていた。

「左に切れっ!」

 T‐16は指示通り、突然左に曲がる。

 刹那、正面から飛んできた砲弾は、車体の側面を掠めていた。

「・・・・・・戦車と合流していたか」

 車長が舌打ちしつつ、砲弾の飛んできた正面を睨むと、そこには偽装はされているものの、はっきりと無骨な形状をした中戦車の姿があった。

 すると、車長は躊躇なくハッチから上半身を出す。

 再び側面を向けて走り出した向こうの戦車―――ヴォルフのハッチにも、車長らしき人間が上半身を乗り出していた。

「車長! いいのですかっ?」

「視界がない状態で敵の戦車とやり合うのは無謀だ。動きを止めなければ問題ない!」

 走りながら、T‐16の左側につく副砲塔の対戦車砲が火を吹く。

 副砲塔は小口径だが、貫通力では主砲より高く精度もいい。しかし、走りながらであるため、ヴォルフの手前へと砂を巻き上げただけだった。


「ちっ、初弾を外したのが痛かったな・・・・・・」

 シグの乗るヴォルフはT‐16と間をあけて、お互い相対した状態で周回する。

 どちらも主砲を発砲するが、不整地を走りながら、さらに近距離で動く目標に当てるのは至難の技で、良くても手前に着弾する程度であった。

「我々はまだ先があるのですから、無駄弾もあまり撃てませんよ!」

 揺れる車内で次弾を装填しながら、バルトがそう口を開く。

「一気に決めるしかないか」

 シグはそう小さく呟くと、素早く指示を出していた。

「一気に近づき、すれ違いながらぶち込む! ブラウナーッ!」

「はいはいっ。ツイてないですよっ、まったく!」

 ブラウナーがギアを入れ替えてハンドルを切ると、走りながらヴォルフは急旋回してT‐16へと向きなおる。

「フィリップ、砲塔を左へ!」

 砲塔が真横へ向くと、ヴォルフは一気に距離を詰めた。

 そして、すれ違う一瞬でシグは怒鳴る。

「撃てぇ――ッ!」

 ほぼ密着した状態でヴォルフは発砲。

 砲口から煙をたなびかせながら、T‐16の後方へとすれ違う。

 しかし、シグが後方のT‐16を確認すると、平然と動いていた。

 砲塔に弾痕があるので命中はしていた様だが、致命傷を与えることなく反対側まで貫通してしまったらしい。

 慌ててヴォルフが敵に向き直す為に旋回していると、先にT‐16の副砲塔が吼えていた。

 ヴォルフは側面を向けていた為、履帯を射抜かれる。

 シグは戦車の上から、転輪の一つと履帯の破片が砕け散るのが見えた。

「やばいっ!」

 言うが早いか、ヴォルフの左側の履帯は空回りを始める。慌てて停車するも、これで身動きがとれなくなってしまっていた。

 そうこうしている間に、T‐16もこちらへ向き直っており、主砲塔の75mm短身砲がこちらへとピタリと向く。

 シグには、そのハッチから上半身を覗かせる車長が、にやりと笑うのがしっかりと見えた。

「総員脱出っ!」


「副砲塔を甘く見ていたな」

 わらわらとヴォルフから搭乗員が逃げだすのを見ながら、T‐16の車長は笑った。

 そして、発砲の指示を出そうとした瞬間だった。

 背後から、エンジン音が飛んでくる。

 彼が驚いて振り返って見れば、そこにはタイヤの溝が見えた。

「ぎゃっ」

 バイクは車長の顔面を駆け抜けると、重力に任せてT‐16から落ちて行った。

 そして、代わりにそのハッチへと降り立ったのは、黒い人影。

「なっ?」

 車長は顔面を押さえながらも慌てて腰の拳銃を抜いていたが、それよりも早く刃が光る。

 その瞬間、辺りへと飛び散った赤い液体が、自分の血だと気づく間もなく、車長は絶命していた。

「・・・・・・ひ、ひぃっ」

 そんな車長の様子に気がついたのか、砲塔の中から悲鳴が響く。

 そして、間もなく副砲塔のハッチから、慌てた様子で機関銃を手にした兵士が顔を出していた。しかし、トートは彼が銃を構える前に、持っていた拳銃で容赦なく頭を打ち抜く。その兵士は撃たれた衝撃で仰向けに倒れていた。

 そして、トートは容赦なく腰からぶら下げていた手榴弾の安全ピンに手をかける。

 しかし、その手は突如として掴まれる。

 驚いてそちらへと視線を上げれば、そこにはシグの姿があった。

「もういいっ! もういいから・・・・・・」

 戦車から走って来たのか、息を切らしながら、シグはそう懇願していた。

 トートが言われた通り手榴弾を腰へと戻すと、シグは少し悲しそうな瞳をしていた。

 トートとて、無知ではない。

 その瞳がどういうものであるかわかるから、とても悪い事をしたかのような罪悪感に苛まれてしまった。


 敵の戦車隊を殲滅した事を無線で伝えられると、ハーゼは身動きの取れないヴォルフの所まで戻って来ていた。

 停車したハーゼからマグダは降りて、転輪を修理するバルトやフィリップの元へと駆け寄る。

「直りそうですか?」

 マグダが声をかけると、新しい転輪をはめていたフィリップは顔を上げて応える。

「おう、こっちの方は何とかな」

「ええ。あっちの方が厄介そうですよ」

 バルトがそう言ってレンチで指したのは、少し離れた所で停車しているT‐16だった。

 そこには二人の帝国軍兵士が穴を掘っており、その前に拳銃を持つトートとシグの姿がある。

 マグダが近づくと、真っ先にトートに拳銃を向けられた。

「ひゃぁっ!」

「あ、ごめん・・・・・・」

 すぐにトートは帝国兵に銃を向け直していた。それでシグもマグダの姿に気がついたらしい。

「さっきは助かったよマグダ」

「いえ、自分はシグさんの言った通りに動いただけですから。それより、この人達は?」

「いや、トートがT‐16を制圧したんで、生き残りの搭乗員が降伏したんだ。けど・・・・・・」

 シグは再び困った様に頭をかく。

 その様子にマグダも合点がいった。

「自分達には捕虜をとる余裕がないですからね」

「そうなんだ。けど、戦車も一台ほとんど無傷で手に入れちゃったしなぁ」

「大戦果が仇になりましたね・・・・・・」

 しかし、マグダはすぐに対してない胸を張って言う。

「けど、自分の戦車にも分けて載せれば、問題ないですよ。ハーゼは戦闘室が広いですし。戦車はとりあえず置いといて、拠点に戻ってから味方に教えて回収させるとか」

「いや、それは出来ないんだよ。実は俺達、用があって拠点には戻れないんだ」

 すると、マグダも気がついた様だった。

「そういえば、どうしてシグさん達はこんなとこに? この辺は主戦場から離れているはずですけど」

「それは、私から説明する」

 そう言って口を開いたのは、銃を構えたままのトートだった。

 彼女はシグたちの一通りの事情を話す。すると、マグダは難しい顔をしていた。

「そうですか。シグさん達は自分達の逃げて来た道をまた戻って行く事になる訳ですね・・・・・・」

「そうなんだ。だから、拠点に戻るマグダ達と一緒には行動できない」

 すると、マグダは何か決心したように、再び口を開いていた。

「―――なら、自分達も同行させてください」

 その言葉に、シグとトートは一瞬呆気にとられる。

「い、いやいや、マグダ達は逃げてきたんだろ! それをまた戻るんだぞ!」

「そうだよ。私達は任務じゃなくて、帝国軍と戦おうとしてるの。マグダ達には関係ないよ」

「そんなことありません。関係ありますよ。だって、自分の大隊を襲ったのは、恐らくその人達でしょう?」

 その言葉に、シグも思い当たる節があった。

 マグダ達の大隊は敗走して、前線から離れた村で野営していた。それなのに敵の戦車隊に奇襲を受けてしまっていた。だとしたら、恐らくその戦車隊はシグ達の向かっている街に展開していたゴルシコフの部隊の一部なのだろう。

 ゴルシコフが街を焼き払う様な作戦を立てなければ、そもそもマグダの大隊も壊滅するような事はなかった。マグダにとっても、ゴルシコフは仇なのだ。

「自分達も仲間を殺されて、ただ逃げるなんて嫌です。お手伝いさせてください」

「気持ちはわかるけど、疲れてるマグダ達に手伝わせる訳にはいかないよ」

「―――いや、手伝ってもらおう」

 そうはっきり言ったのは、シグだった。

「けど、シグ・・・・・・」

 トートに見つめられ、彼は困った様に笑っていた。

「昨日、トートも言ってただろ。守られてばかりじゃ嫌だって。今のマグダだって同じ気持ちだと思うんだ。俺達の定規で勝手に測っちゃ、失礼かなって」

 そう言われると、トートも困った様に眉を下げていた。なにせ、自分で言った事なのだから。

「それに、俺達にはマグダの戦力が、必要かもしれない」

 唐突に真剣な顔をしたシグに、トートは首をかしげる。

「どう言う事?」

「いや、ほらマグダ達を襲った戦車隊は、街に展開してる部隊の一部である事は間違いないだろ? それが戦車四両ってことは、街にはそれ以上の戦車が展開してるのは間違いない。歩兵ばっかりだったら、ヴォルフが一両でもいれば充分だと思ってたけど。戦車が相手となると、対戦車能力の低いヴォルフじゃ無謀だ。だったら、対戦車能力の高いハーゼがいてくれた方がいい」

「けど、シグは女の子に戦争して欲しくないんじゃ・・・・・・」

「して欲しくない訳じゃないさ。ただ、女の子に全部任せるのはどうかなって思ってただけで。けど、トートを見て思ったんだ。勝手に俺の定規で測るのは良くないかなって。だったら、本人の好きなようにさせてやればいい。そして、危ない時だけ俺らが守れれば、それで充分なんじゃないかなって」

 その言葉に、ちょっとトートは複雑だった。優しいシグを少し変えてしまったんじゃないかと言う不安が膨らむ。

「あ、ありがとうございます!」

 しかし、一方でマグダは満足そうに敬礼して見せる。

 これでよかったのだろうかと、ちょっとだけトートは後悔していた。

「じゃあ、捕虜はハーゼの方に乗せますね」

 意気揚々と飛び出して行こうとしたマグダだったが、唐突にシグに呼びとめられる。

「いや、せっかくなら自分達の戦車に乗ってもらおう」

「え?」

 すると、シグは掘った穴に仲間の遺体を埋めていた帝国兵に声をかける。

「あんたら、戦車は動かせるよな」

 すると、彼らはシグに向けて怪訝そうな顔を上げていた。

「私は操縦手だ。一応、運転は出来るが・・・・・・」

「そうか。ならT‐16を運転して、俺達について来て欲しいんだけど」

「い、幾ら捕虜とは言え、そちらの戦闘に協力する訳にはいかない!」

「ああいや、そういう事じゃないんだ。なにぶん今の俺達には人手がない。だから目的地までT‐16を運んでくれるだけで良いんだ。そしたら、そこであんた達は捕虜としてちゃんと引き渡す」

「しかし、我々捕虜だけに任せる気なのか?」

 そう言って顔を見合わせる帝国兵に、シグはトートを親指で指しながら言う。

「当然、見張りは付ける。変な気を起こさなければあんた達の安全は保障する」

「ふむ・・・・・・。捕虜としての待遇を約束してくれるのなら、動かそう」

 強張った表情だったが、帝国兵はそう言って頷いていた。

「・・・・・・どうするつもりですか?」

 その様子を怪訝そうに見守っていたマグダの問いに、シグは答える。

「少しでも戦力は欲しいからな。トートがせっかくほぼ無傷で確保してくれたんだし、使わなきゃもったいない。本格的な運用はマリナさん達に任せるつもりだけど」

「うーん、けど歩兵の人達が戦車を動かせますかね?」

「まぁ、主砲は無事だし。砲台にぐらい使えるだろう。その時はその時さ」

 そうこうしているうちに、履帯の修理を終えたバルトとフィリップがやって来た。

「終わりましたよ車長」

「そろそろ出発しないと、明日までにつかないぜ?」

 それを聞いて、シグは穴を埋め終え、祈りをささげる帝国兵を一瞥する。

「そうだな。じゃあ、ヴォルフを先頭にT‐16、ハーゼの順で行こう。トートはT‐16に乗ってくれ。何かあって、手に負えない様だったらすぐに俺達を呼ぶように」

「うん。わかった」

 やはり、あまりシグは変わってないのかもしれないと、ちょっとトートは安堵する。

 そしてシグ、バルト、フィリップの三人は、ブラウナーがエンジンをかけたヴォルフへと戻り、マグダも仲間の待つハーゼの元へと戻って行く。そして、トートが銃を突きつけると帝国軍兵士達も自分達のT‐16へと乗り込んでいった。

 本来一緒に行動する事のない三両は、一列に並ぶと森の中を走りだしていた。


「失礼します!」

 そう慌てた様子でテントの中へやってきたのは、通信士官だった。

「司令、緊急事態です!」

 彼はそう言って、司令の執務机に地図を広げる。

「前回、敵の中隊が前線より西の街へ侵攻したのはお話ししたと思います」

「ああ。レジスタンス鎮圧の為だろう? しかし、そのおかげでこちらが戦力を整えるまで時間が稼げそうだ」

「それが、そうでもなさそうなのです」

 彼はそう言って、胸に差していたペンを引き抜いて、街の位置を指す。

「確かに、前線から展開したのは中隊規模の部隊だけでした。しかし、我が軍の偵察機の情報によりますと、さらに後方から重戦車を含む部隊が街へ向かっているのが確認されました」

「なに? 重戦車部隊?」

 司令は即座に地図を覗きこむと、その街の周辺を睨む。

「しかし、この街に戦力を整えてどうするつもりだ。確かに前線の側面だが、大して奇襲にはならないはずだぞ」

「確かに奇襲にはなり得ません。しかし、こちらの森を抜ければ・・・・・・」

 そう言って士官がペンで差したのは、街の南に広がる森林だった。

 彼がペンでなぞる様に大きくカーブを描いて森の中を東に向かうと、そこには拠点の印として赤く印が付けてある。

「―――ここ、か」

「そうです。我々の拠点は前線への補給拠点でもありますが、補給機、偵察機、爆撃機などの航空機を飛ばす為の拠点でもあります。ここに奇襲を受ければ、現在反攻作戦の為に前線に集結しつつある味方部隊は救援に嫌でも戻って来なければならなくなる・・・・・・」

「・・・・・・くっ、なんと言う事だ! この程度の部隊相手に一大反攻作戦が失敗すると言うのかっ? 今、展開できる部隊は?」

「機動歩兵連隊が二つ、と言ったところでしょうか」

「仕方あるまい。とりあえずはその戦力をすぐ街に派遣したまえ。前線からも戦力を割けるかどうか問い合わせを」

「はっ」

 敬礼を返すと、情報士官はテントを飛び出して行った。

 残された司令は、執務机の上、そっと顔の前で手を組む。

「ふむ。・・・・・・彼女たちは援軍の到着まで、無事でいてくれるだろうか?」

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