07
「高貴な身をやつして敵国に降り立つなんて、わざわざご苦労様、と言うべきかしら。その努力と根気は褒めてあげたいところだけど……、まあ、世間を知らなすぎるわよね。私のような武器商人にあっという間に捕まってしまうんだもの」
「……言いたいことはそれだけか。卑しい武器商人が」
「あら、もっと言ってほしいのかしら。口の悪さだけなら自信があるのだけれども」
艶やかな唇に嫣然とした笑みをたたえ、ユリアナは愉快そうに言った。
綺麗なものには棘があるというかその棘がいっとう際立っているというか、性格の悪そうな女だなあ、と私は素直な感想を抱く。ちらりと横のアンヘルを一瞥すると、彼はあどけなさの残る顔を強張らせ、必死にユリアナを睨みつけていた。
「御託はいい! お前たちの望みはどうせ“漆黒のマリア”だろうが……、私に貴様ら帝国人の思惑に乗る意思はない! たとえどんな……」
「自分に選択の余地があると思っているなら、それはとんだ思い上がりね。床に這い蹲ってお願いするっていうのなら、こんなに可愛い男の子なんだもの、私だって少しは心が揺れ動くかもしれないのに」
濡れたように光る睫を伏せ、ユリアナが首を傾げる。
アンヘルがなおも彼女に食いつこうと口を開いたその瞬間、鈍い音が響いた。ユリアナが持つ灯明に照らされ、何かがきらりと輝く。それが小銃だと気付いた時、アンヘルの姿は私の視界の中から忽然と消え失せていた――いつのまにか彼の背後に回っていたクラエスが、銃床で彼の頭を殴りつけたのだ。アンヘルは衝撃のあまり床上に膝を折って倒れ、その背中と首をクラエスの長い手足が押えつける。
「っ、……くそ、この……っ、」
私は狼狽し、目を見開いてその光景を眺めるしかなかった。
アンヘルは低い呻き声を漏らしながらも、黒褐色の前髪の隙間からユリアナを強く睨みつける。必死にもがいて抵抗しようとする彼をしかしユリアナは冷ややかに見下ろし、一層笑みを深めるばかりだ。長衣の裾を捌き歩み寄ったかと思えば、その靴先でアンヘルの頭を踏みつけさえする。
「悪いことは言わないわ、アンヘル・デル・カスティージャ。“漆黒のマリア”がその腕に抱いているものは、分かっての通り、古代兵器の“鍵”よ。あれは確かに貴方たちの物かもしれないけれども、貴方たちの手には余る代物」
「知ったことではない、私は……っ、」
「あれが悪用されないように、私たちは貴方をここに留め置かなければいけないの。そう……イベリアが敗北する、その時までね」
青い瞳を獰猛に煌かせ、ユリアナは甘美な囁き声を鳴らす。
――敗北。
その言葉が耳朶を打った瞬間、私の頭に漠然としたイメージが膨れ上がった。荒廃した大地に吹きつける風、丘の上に積みあがる骸の山、燃え盛る火の勢い……。
どきどきと鼓動を強める心臓を押えつけ、私は目を伏せた。……イベリア。私の愛する大地。敗北とはつまり、私の故郷が蹂躙されつづけた挙句、決定的に異なるなにか別の物に変わってしまうことだ。
「……何を、言っているの……?」
漆黒のマリアだとか古代兵器だとか……アンヘルとユリアナの話す内容なんて、私にはまったく理解ができない。けれどもユリアナの口にした言葉のひとつは、思わぬ棘となって私の胸に刺さった。
そして、それはアンヘルも同様――むしろ彼は私以上に、その言葉に強い屈辱を感じ取ったらしかった。激昂に眼球を見開き、アンヘルは激しくばたついてクラエスの拘束に抵抗する。拘束の隙を見出した彼の手は宙をもがき、執念を剥き出しにして、ユリアナのほっそりとした白い片脚を掴んだ。
「ふざけたことを言うな! イベリアは敗北などしない! 戦闘でしか能のないような貴様ら帝国に、誇り高き民族が、イベリアが負けるものか……! 貴様らに何も奪わせはしない、何も、民も、土地も、誇りも、何ひとつとして! だからこそ、私はそのために……っ、義兄さんに……!」
慟哭にも似たアンヘルの叫びは、激情に打ち震えてさえいた。
しかし彼はその胸の内をすべて吐き出してしまう前に、再びクラエスに殴られ、あっけなく昏倒させられてしまった。中庭じゅうに反響した彼の怒声は跡形もなく消え去り、夜の静寂が何事もなかったように戻ってくる。
「……適当に部屋に放り込んでおきなさい」
そう溜息交じりで吐かれたユリアナの声に、私は全身の硬直を解かれた。
慌ててアンヘルに走り寄る。恐る恐る彼の顔に触れれば、ぬるりとした体液が指先を汚す。闇の中で判別はつかなかったが、血であることは何となく察しがついた。床に倒れ込んだ際にでも額を切ってしまったのだろう。
ユリアナは先程の指示を出しただけで、いつのまにかこの場を後にしてしまっていた。混乱にいつもの冷静さを失っていた私は、冷淡にこちらを見下ろすクラエスが最後の頼みの綱だった。
「運べますか」
ぐっと唇を引き結び、私は無言で首を振った。
クラエスは小さく溜め息をこぼすと、アンヘルを粗雑に肩に担ぐ。そして抑揚のない声で、ついてきなさい、と私に告げた。
彼は中庭を囲む建物に付属する外階段を登り、立ち並ぶ扉のうちの一つを無造作に蹴った。彼は担いでいたアンヘルを中に放り投げると、部屋の隅にあるランプに明かりをつけてくれる。明瞭さを取り戻した視界に安堵し、長椅子の上に放置されたアンヘルを確認すると、私は知らず詰めていた息をようやく吐き出した。
「……不都合はないですね。ここにある物は自由に使いなさい。では、私はこれで」
クラエスはそう無表情に言って、その場を後にしようとした。
しかしその後姿を視界に収めたところで、私は思わず彼を引き止めてしまう。
「どっ、どうなっちゃうの……? 私たち……」
胸の中でもやもやと膨らむ不安感を上手く形にできず、私は拙く問うた。
クラエスは絹糸のような白金色の髪を揺らし、ちらりとこちらを一瞥する。淡青色の眸は硝子玉のように、相変わらず無機質に私を見るだけだった。
「さて、私には分かりかねますね。それに、それを教えて差し上げるほど私は親切ではない」
私はぐっと拳を握り、今度こそクラエスの背を見送った。
……ああ、本当になんてことだろう。私は一体どんな厄介ごとに巻き込まれてしまったというのか。こんな干乾びた土地で、私はこのまま死にたくはないというのに。
扉の向こうで鍵のかけられる無情な音が響き、私は脱力して絨毯の上に膝を折った。長い髪が肩を滑り、視界で束になった銀色の髪が煌く。イベリアでは私を生かしてくれたこの髪は、ここではまるで役に立ちそうではなかった。