お坊ちゃまと憤怒
「……うん、ここの料理は美味いな、まぁ、僕ん家には劣るけど」
「……何故貴様がここにいる?」
ここは案乃条家の食事の間。目の前に出されたコース料理に舌鼓を打つ北条を由利はいつものキャラを全力で忘れながら忌々しいように問い掛ける。
「何故って……そんなの決っているではないかハニーィィ!! 僕のフィアンセと共に食事を――」
「いつから私が貴様のフィアンセなんぞになったか!!」
「生まれた時からだよハニー、忘れてしまったのかい? ああ、恥ずかしくて忘れたフ――」
「それ以上何か言ってみろ。その舌引っこ抜いてやる」
「お嬢様、食事中なので一先ず火鋏を捩じ込むのは止めてください」
何処からか取り出した火バサミを北条の口にねじ込もうとしている由利を押さえつけながら、勇人が呆れた声でため息をつく。
「それにお嬢様。いくら相手がチャランポランで嫌悪感バリバリで近付きたくなくても、北条様は貴女の言い名付け。ちゃんと社交辞令ぐらいはしないとダメですからね?」
「勇人も何気酷いこと言うわね……」
由利のジト目に、事実ですから、と言いたげに笑った勇人は、少し離れたところで息も絶え絶えに北条に近付き、その肩に触れた。
「時に北条様。何か僕にご用件があったのではないですか?」
「!!?」
勇人が話しかけると、北条はそこから二、三メートルほど飛びのいてカーテンの裏に隠れた。その姿に、勇人は何が起こったか分からなくて目を丸くし、由利は呆れたように溜め息を溢した。
昨日、ブチギレた勇人の威圧感に押されて思わず漏らしてしまったトラウマが残っているようだ。
「そそそ、そう……、だ、だった、な……」
北条はカーテンから顔を出して震えた声で答えた。そんなヘタレ丸出しの北条を、由利は何故か楽しそうに見ていた。
「そういえば孝章、二日前にお前が割った窓ガラスだが……」
「任せておけハニー!! 窓は僕が全額負担しよう」
カーテンから飛び出して駆け寄ってきた北条を、当たり前だ、と由利がツッコみながら落ち着かせる。
(ハニーって言ったのに怒らないんだ……)
いつもなら、『ハニー』の言葉を聞いた瞬間阿修羅の如く激昂するのに、今の由利はそのような素振りを一切見せない。と言うかこれは……。
「しかし、前と同じような窓では……」
「まっかせてくれぇぇぇ!!! ハニーぃぃぃぃぃぃ!! この僕が直すんだからすべてにおいて完璧にする!!! まず、窓を世界最高ランクの防弾ガラスにして、窓枠も最高級の檜を用いた……」
「なんかお嬢様、北条様を上手く使いこなしてません?」
ペラペラと話し出す北条を見て、勇人は心の中の確信を晴子に問いかけた。案の定、晴子は苦笑いを溢した
「そうなんですよ、何分由利に頼られる(命令されているの間違いですが)のが、何よりもうれしいことらしいので……、あまり無碍にも出来ないんですよ……」
晴子の言葉を聞き、勇人は改めて北条を見据えた。其処には、今まで見た中で一番楽しそうな顔を浮かべた北条が、あれやこれやと由利に話していた。
しかし、勇人はその笑顔になぜか違和感を感じた。
今目の前でペラペラと説明しまくる北条が、この状況に似つかわしく無い表情をしていたからだ。
それは『必死』――由利に気に入られようと躍起になっていると言うよりも、自分を見限ってくれ、と言ってるような、そんな表情であった。
そんな北条を不思議そうに見つめる勇人。そして、その横顔を晴子が不思議そうに見ていた。
「そういえば、なにか御用があるんでしたっけ?」
「むぅ……? おお~、そうだったそうだった」
勇人がここにいるのは、もちろん由利の執事であることもそうだが、朝、北条家の使用人さんに「北条様があなたに用があるそうです いらしてください」と言われたからである。
先ほど由利を止めたのも、北条に命の危機を感じたのと、なかなか話を切り出せなくて困っていたからであった。
「実はな、今度我が屋敷である催しが行われるのだ。それにぜひ君も参加してもらいたい」
「ある催し……? ですか?」
相変わらず勇人からは距離を置いて話す彼に、勇人は敢えてツッコまず話を続ける。
「そうだ……それは代々我が北条家が行う『北条式』と呼ばれるもので、(この時、勇人以外の安乃条家の者は聞くことを止めた)北条家がこれからの長い繁栄と一族の幸せを望む、いわば由緒正しい式なのだ。だから君にもさ(カチャ)してもら(カチャ)とおも(カチャカチャ)……って聞いているのかぁぁぁぁぁぁぁあああ!!?」
北条の雄たけびに案乃条家の使用人の一部ビクッ、とするも、そのまま何事もなかったかのように後片付けを再開する。
「うぉい!! 無視するな!? 僕がせっかく説明してるのに」
「うるさいぞ、孝章……」
北条の言葉に由利が鬱陶しそうに睨みながら静かに言った。
「だけど君た――」
「聞こえなかったか? うるさい」
由利に怒りのこもった言葉と物凄い剣幕をぶつけられ、しょぼくれる北条。そんな姿に勇人は苦笑いを浮かべながら周りを見回す。
「は、話ぐらいは聞きましょうよ? 北条様、話を続けてください」
安乃条家の使用人による公開北条いじめがあまりにも自然な様子だったので、勇人は苦笑いを浮かべながら北条に助け船を出す。
その姿に北条はパァッと表情を明るくさせるも、直ぐはっ、と何かに気づいたように顔を赤くさせてそっぽを向いた。
「で、であるからして!! 君に来てもらいたい 日付は今日から三日後だ。ではさらば!!」
孝章が言い終わらないうちに梯子が彼のそばに降りてきて、北条はそれにひらりと飛び乗りどんどん上に上がっていった。
「じゃあまたね、ぼくのフィアン――」
孝章に言葉を遮るがごとく、由利の超人的なコントロールでスリッパは孝章の顔面にクリティカルヒットした。
「ぐぉ……あぐぅ……。で、ではさらばだ!!」
顔面の激痛に耐えながら、決め台詞(捨て台詞)を言って、彼は飛び去って行った。
「ホント、独特なひとでしたねぇ~」
「ええ、ほんとに……」
敢えて北条孝章という人物を再確認した勇人であった。
◇◇◇
「だ、だいじょうぶですか!?」
はしごから孝章を機内に移したボディガードの一人が顔面に真っ赤なスリッパ痕の孝章を見て、悲鳴みたいな声で言った。
「案ずるな、これも僕の愛しのフィアンセからのものだ。僕は紳士だからコレくらいのことで怒るほど器は狭くはない」
いや、コレくらいじゃすまない傷ですけど? と言いたくなるのボディーガードはなんとか抑えた。
「それと、今度の『北条式』にはうんと手だれのものを集めろ。職種はとはない。分かったか?」
孝章の言葉に困惑するボディガードだったが、彼の異様な圧に押され、すぐに屋敷に連絡を取りに行った。
「ハニーの前であんな仕打ちを受けたのは貴様が初めてだ……。あいつは許せない……」
そう漏らす彼の心の中に煮えたぎる憎しみは、一人の執事に向けられていた。