執事と親友
「うーーーっ、今日も終わったか……」
自動販売機の前でスポーツドリンクを飲み干した隼人は大きく伸びをしていた。時間は七時。もうとっくに日が沈み、時折吹き風が隼人の体をチクリと刺した。
「……そういえば、勇人のやつ、何処でなにしてるんだろ……?」
飲み干したドリンクをバックに入れて、少し壁に寄りかかりながら隼人は一週間前に謎の転校生、安乃条 由利に連れてかれた親友のことを思い出していた。
あの日、寝ぼけている勇人をたたき起こそうとした時に轟音とともに教室が揺れ、彼はパニックに陥っていた。しかし、黒ずくめの大男が勇人を連れ去っていくのは確かに見て、今でも脳裏に焼き付いている。その後、安乃条 由利が当たり前のように窓に近づき、不思議な笑顔を残して飛び去ったことも鮮明に覚えている。
あの後、すぐに先生が職員室に飛んで行き、このことを校長に報告したらしいが、校長は勇人が学校を辞めたと言い、これ以上の追求を拒んだ。
隼人以下クラスのみんなは、勇人を探すよう何度も頼んだがすべて跳ね除けられてしまった。裏でなにか得体の知れない力が働いたのかもしれない。そんな見えないものに立ち向かう勇気も次第に薄れてきて、一人、また一人と勇人を探すことを諦めていった。
今では隼人を含め、二人しか残っていない。
「ったく、あのヤローいったいどこほっつき歩いてるんだか……。あいつの嫁も心配してるっていう……」
そんな軽口を叩いていると、不意に後ろから手刀が振り下ろされた。しかし、手刀は隼人の頭で軽くバウンドして、そのまま力なく下に垂れ下がった。
「誰が……嫁だって……」
「…………」
後ろから声が聞こえて隼人が振り返ると、そこには明らかに元気がない春乃が俯いたまま空虚の目で隼人を見つめていた。
このところ、春乃の元気がまったくない。普段はあんなに明るくて、もっと暴力的だったのに。今では話しかけられても、「ああ」とか「うん」しか言わなくなった。ツッコミも今までよりも力が無い。「空手初段の名が泣くぞ」とからかったが、「うん……そうだね」と苦笑いで返された時の春乃の顔は、隼人が一生忘れることのできないものだった。
そんな春乃のためにも一刻も早く勇人を見つけ出して連れて帰らなければいけないと固く決意したのが三日前。そのために、今も情報収集を続けているがまったく成果が出ない。
安乃条と口にするとほとんどの人が一度驚いたような顔をしてから人が変わったかのように隼人たちを追い出す。
「うちは何も知らん!! もう来ないでくれ!!」
こんな感じで厄介者のように追い出される。こんなことを何回も経験して、正直もう精神的に疲れていた。隼人自身、もう諦めようかと多々思った。おそらく春乃も同じことを考えていただろう。
しかし、心のどこかで諦めきれない自分がいる。『なんとかしてあいつに会って、顔を思いっきりぶん殴る!!』今はそれだけが隼人を動かす原動力となっていた。
そんな感じで一週間が過ぎた。
まだ一向に情報を掴めていないことに、隼人は苛立ちを感じていた。隼人はその苛立ちを部活にぶつけていた。バスケをしているとほんの少しの間だけだが、忘れられることが出来たからだ。
そして今日もまったく当ての無い情報収集に向かおうとした時、マナーモードにしていた隼人の携帯が突然震えだした。
「誰からだ? こんな時に……」
隼人は少し不機嫌な顔で携帯を取り出し画面を見た。非通知の電話番号からであった。知らない電話からの通話はしない隼人であったが、何故かその時は疑いもせずに通話ボタンを押していた。
「もしもし……?」
「もしもし……隼人か?」
「!?」
携帯から聞こえ来るのは聞きなれた声であった。
「ま、まさか……」
隼人は耳を疑った。春乃はそんな隼人の表情が気になり、隼人の携帯に耳を傾けた。
「ゆ、勇人……か?」
隼人の言葉に春乃が息を呑んだ。
「ああ、勇人だよ」
電話の主は照れくさそうに答えた。
「……ゆ、勇人。お前今どこにいる!?」
「今、お嬢様のお屋敷だ」
「お嬢様?」
「安乃条由利だよ。今俺執事として仕えているんだ」
拉致した女の執事だと聞かされた時、隼人の脳裏に強制的に執事にさせられた勇人の姿が浮かんだが、今はこの際どうでもいいと割り切った。
「……いろいろ聞きたいことはこの際どうでもいい。……場所は? 場所は分かるか?」
「あぁ……すまん。あの後気が付いたのがお屋敷の中なんだ。だからココがどこかさっぱり……」
「そう……か……」
隼人の顔から笑顔が消えた。ようやく勇人を助けられると期待したが、その夢は梅雨へと消えていた。しかし、まだここで諦めることはない。
「勇人、取り敢えずそこから見えるものを教えてくれ。山でも気でも鳥でも何でもいい。目印になりそうなものは片っ端から――」
「あ、あのさ!」
早との声を掻き消すように発せられた勇人の声に、隼人は言葉を切って受話器の向こうに耳を澄ませる。
「もう、俺のことは忘れてくれないか?」
「はっ?」
勇人の突然の言葉に、隼人は言葉を詰まらせる。
「いや。ちょっ、おま、それどういう――」
「どうせお前のことだから今も俺を探そうとしてるんだろ? 多分春乃も巻き込んで。でも、俺たぶんもうお前たちのところへは戻れないと思うんだ。だから探しても無駄だと思う。あきらめてくれ。」
受話器からそのような言葉が聞こえてきたが、今の隼人にはこれっぽっちも聞こえていなかった。この男は何を言っているんだ? と言う言葉が頭の中を駆け巡っていた。勇人の言葉に脳の処理が追いつかない内に、隼人は動いていた。
「……っざけんなよ……」
「えっ?」
「ふっざけんな!!!!」
隼人は携帯に向かってそう怒鳴った。横の春乃は突然の行動にビクッと身を震わせて隼人を見る。
「お前が……お前がいない間俺たちがどれほど心配したと思っていやがる!!! お前を探すためにここ一週間どれほど苦労したと思ってやがる!!! それが急に連絡よこして『もう忘れてくれ』だぁ……。自分勝手もいい加減にしろ!!!」
隼人の怒りが爆発した。怒りが後から後からとめどなくあふれ出てくるのを、隼人は止めようとしなかった。
「お前がいなくなったらアイツは……春乃はどうする!?」
隼人はガリッと音が鳴るほど歯を食いしばった。
「春乃はお前のことが好きなんだぞ!!」
隼人の言葉に携帯の向こうからと傍らの春乃から息を呑む声が聞こえた。しかし、隼人は畳み掛ける様に叫ぶ。
「俺言ったよな? 俺が玉砕したら頼むって!? あの約束忘れたとは言わせねぇぞ!! それに!! ……それにどれほど春乃が苦しんだか、悲しんだか……分かってんのか!!」
「…………」
「おいっ……何とか言ったらどうなんだ!? おぃ」
ピッ、ツー、ツー。
急に通話が切れた。おそらく勇人が切ったのだろう。
「くそ!!」
隼人は携帯を乱暴にしまって今の状況の打開策を考え始める。
(どうする? 勇人自身はどこにいるか分からない。それに有力な情報もない。今の俺たちに何ができる? どうする、どうする!!)
焦れば焦るほど思考回路が回らない。怒りが収まらない頭で必死に考える。
「もう……いいよ……」
隼人の後ろで、春乃が静かに言った。
「でも……」
「もう…いいの……」
「……でも!!」
「もういいの!!」
そう叫んだ春乃は顔を上げてはるか遠くに浮かぶ月を見つめた。その先に、もう二度と会えないと言われた人を見ようとしていたのかもしれない。
「どのみち、もう勇人には会えないんだし……」
「…………」
春乃の寂しげな後姿を見つめる隼人。その時、ふと隼人はおもむろに携帯電話に取り出した。その行動の意味が分からない春乃は首をかしげた。
隼人は携帯電話をちょっと操作してふと止めると、こうつぶやいた。
「勇人に会えるかもしれない」
◇◇◇
勇人は携帯電話を閉じて、近くの机に適当に放ってベットに倒れこんだ。
「ふっざけんな!!!!」と言う親友の言葉が胸に突き刺さった。
北条 孝章を威圧感で漏らさしてから仕事を終え、布団に入ろうとと思ったら、ふと隼人たちに連絡をしてないことに気づいた。一応心配しているだろうと軽い気持ちで電話したら、隼人から本気の説教を受けた。それは心の底か心配してくれていたやつの、心の底からの怒りだった。
自分がどれほど人様に迷惑を掛けたかを思い知らされて、勇人はそっと息を吐いた。さらに隼人のあの言葉。
『お前がいなくなったらアイツは……春乃はどうする!!」
「春乃はお前のことが好きなんだぞ!!』
その言葉に一番ショックを受けていたのは、何を隠そう隼人本人だっただろう。アイツがそう叫んだ時、声が震えていたからな……。
『勇人、もし俺が玉砕したら、お前が仇取ってくれよな?』
中学校の頃、隼人が照れながら言った言葉を思い出す。なぜなら……、
「あいつは春乃のこと……」
勇人が奥歯を噛み締めながらぽつりとつぶやいた。
自分の好きな人が違う人を好きだと分かっていて、それを応援するのにどれほどの苦しみを味わったのか、勇人には全く分からない。少なくとも、隼人は勇人たちの中で一番傷付いて、一番頑張っているんだと分かった。そんなやつに自分はは……。
『もう、俺のこと忘れてくれないか?』
一番傷ついて、一番頑張っていて、一番泣きたいのを我慢しているやつに。勇人はとても残酷な言葉を言ってしまった。
「最低だ……俺って」
勇人が静かにつぶやき、月明かりが照らす湖を見ていた。その目から、一筋の雫が零れたことは言うまでもない。
◇◇◇
勇人の部屋の扉の前、由利は俯いて立っていた。本当は勇人に明日のことについて相談しようとしていたが、偶然彼の会話を聞いてしまったのだ。
由利は俯きながら僅かに拳を震わせた。自分のせいで、三人を離れ離れにしてしまったことへの申し訳なさと、勇人がこのままどこかに行ってしまうかもしれないという恐怖がぐるぐると頭の中を回っていた。
彼女はおもむろにポケットからボロボロで黄色く変色した一枚の手紙を取り出した。
その表には『ユリちゃんへ』とクレヨンで書かれ、さらに裏には『ゆうとより』とこれもまたクレヨンで書かれていた。
由利はその手紙を強く握り締め、そっとつぶやいた。
「勇人がまたいなくなるのは……、いやだ……」
唇をかみ締めながら手紙をポケットにしまい、由利はトボトボと自分の部屋へと戻っていった。