執事と悶絶
「今日もいい天気だなぁ~」
安乃条家の中庭にある巨大な花壇(由利からしてみれば、小さいらしい……)の手入れをしながら、勇人は照りつける太陽を仰ぎながらそんなことを呟いた。
まだ五月と言うのに、照りつける太陽はじわじわと彼の首筋を焼き、日焼け止めクリームが無かったらこれから毎晩風呂で絶叫を上げることになるだろうと勇人は人知れず苦笑いを溢していた。
「勇人く~ん」
そんな彼の後ろけら何処か間延びした声が飛んできて、彼が振り向く先に一人のメイドが台座を押しながら近づいてきていた。
「ハルさん、どうしたんですか?」
「今からレモンティーを淹れるんですが、いかがですか?」
「頂きます」
勇人の返答に、女性はニコッと微笑見ながらせっせとレモンティーの支度を始めた。
彼女の名前は特原晴子。
肩まで伸びる茶髪を後ろでアップさせ、頭には白いカチューシャを付けている。白い肌に若干青みがかった切れ目、スラリと伸びる鼻に上品な厚さの唇。どこからどう見ても二十代はいってると思われるが、本人は『十七歳です!!』といつも主張している模様。その真意は定かではない。
(彼女の言い分を本当だとすると)勇人と同じぐらいの年頃なのに、少し大人びていて、なんでも器用にこなすパーフェクトな人。本名は晴子だが、本人がそう呼ばれるのはイヤらしく、他の使用人たちには『ハルさん』と呼ばれている。なので、勇人も一応そう呼んでいる。
「どうです? このお屋敷に来ての一週間は?」
「ああ、まぁ~、なんですか。執事ってもっと派手な事かと……」
勇人がこのお屋敷に来て一週間ほど過ごした分かったこと。それは執事と言う仕事は案外地味なものであるということだ。
勇人が花壇の手入れをしているように、執事の仕事と言うのは、主に屋敷の掃除、食事の準備、主宛の郵便の受け取り、主の起床就寝、入浴の世話等と、晴子みたいなメイドとそう変わらないことであった。
勇人的な執事のイメージはどんな危険からも命を賭して主を守るというモノは大分屈折している。
基本的に執事と言うものは、食器・酒類を管理し、主人の給仕をするという本来の職務に加え、主人の代わりに男性使用人全体を統括し、その雇用と解雇に関する責任と権限を持つ役職の事であり、彼がやっているような事は普通やらないのだ。
「仕事ってそういうものですよ。想像してたのと違うのが普通ですからね」
「そう言うものですかね~? まぁ僕自身結構気に入ってますけど」
「一週間前に誘拐された人とは思えない言葉ですね?」
晴子の言葉に、勇人はふむっと考え込む
安乃条に誘拐され、いきなり執事になれなんて無茶苦茶なことを言われ、勇人はなし崩しに執事になった。しかし、退屈な日常に嫌気がさしていた彼にとっては願っても無いことであるのは事実だ。しかし、彼にはそれよりも気になるモノがあった。
「僕を連れてきたことって、正直犯罪じゃないですか?」
「これくらいのこと、簡単にもみ消しますよ~」
勇人の問いに、一寸の陰りのない笑顔で言ってのける春子。その口ぶりって過去にこんなことをしました、って言ってるようなものであった。
(もしかして……案乃条家っていろいろと裏があるんじゃ?)
勝手に被害妄想する勇人を尻目に、晴子はお湯を注いだティーポットを軽くまわし始める。そこに、黒スーツ姿の男がのしのしと歩いてきた。
「おはようございます、勇人君、ハルさん」
「あ、おはようございますゲルマンさん」
勇人たちに流暢な日本語で話しかけてきたのはゲルマン=クロスフォード。勇人をここに連れて来た(むしろ拉致した)黒スーツ男の一人だ。彼は日本に来たのは十年前で、六年前からココで安乃条のボディーガードとして働いているそうだ。
ゴツイ体に似合わず、辛いものが苦手という可愛い一面を持ち、とても明るい性格で勇人もここ一週間で仲良くなった。
「ゲルマンさんもどうですか?」
「あ、これはどうも」
晴子がレモンティーが注がれたティーカップを差し出すと、ゲルマンはぺこりと頭を下げてそれを受け取り、一口飲んだ。
「勇人君も」
「ありがとうございます」
勇人も晴子からレモンティーを受け取り、一口飲んだ。
始めはレモンの酸味がキツイと思ったが、ほのかにあまい砂糖が徐々にレモンの酸味を和らげていく。そこに深いコクが現れ、さらに酸味と甘味を包み込んでいく。
「どうですか?」
晴子が二人を覗き込むように問いかけると、二人はもう一口飲みながら彼女に笑いかける。
「本当に美味しいですよ」
「いつも通り、美味しいですよ」
「そうですか、良かったぁ~」
二人の言葉に、安堵の息を溢しながら晴子はこう続けた。
「じつはそれ、試作品だったんですよ」
「え!? こんな美味しいのに……」
「はい。実はそれ、ちょっと特殊な調味料が入って言いまして……」
「!?」
晴子の言葉に過敏に反応したのはゲルマンだ。不思議そうに首をかしげる勇人を尻目に、彼は手に持つカップに目を落としている。
勇人も自らの手に収まるカップを見てみるが、何の変哲もない普通のレモンティーが静かに波打っている。考えすぎかな? と苦笑いを溢す勇人の横で、黒い影がぐらりと揺れた。
「くはぁっ」
「ゲ、ゲルマンさん!?」
すぐ横でゲルマンが倒れたのだ。突然の事に動けずにいる勇人のめには、口から泡を噴き出しながらピクピクと手足を痙攣させているゲルマンが映っていた。
ようやく硬直が解けた勇人がゲルマンに駆け寄ろうとした瞬間、彼の視界が奇妙に歪んだ。それと同時に手足の力が抜け、糸が切れた操り人形のようにクシャリと芝生に倒れた。
「ち、ちなみに……何を、入れた、ん……です、か?」
薄れゆく意識の中勇人が問いかけると、晴子は完璧な笑顔を向けた。
「ご想像にお任せします」
意識が闇に落ちる瞬間、勇人は心の中で思った。
『ハルさんを信用してはいけない』
◇◇◇
晴子のレモンティーのおかげで花壇の手入れが終わらなくて夕食の時間が遅くなってしまい、腹痛で苦しみ悶える勇人は由利に十分間ほど説教を喰らった。
「まったく、あんたは執事としての自覚が足りないわね!!」
由利がご立腹とでもいうかのように頬を膨らませた。そんな彼女に苦笑いを向けながら、勇人はまだ違和感が残る胃を世話しなく擦っていた。
「だとしてもこんな時間……」
(まさかハルさんにあんな一面があるなんて……、今後気をつけない……)
顔を青くした勇人の顔にぺチリとスリッパで叩かれる。
「聞いてるの……?」
「ふぁい!? 聞いてます!!」
腹と頬の痛みに顔を顰めながら答えた勇人に由利は更に説教を続ける。
おもむろに、今回の失態の原因をもたらした晴子に目を向けるが、ニコッ、と笑顔で返されてしまったその清々しいまでの笑顔に軽く殺意を感じた勇人―――
「き・い・て・る・の?」
の顔に先ほどよりも勢いのあるスリッパが叩き込まれた。
「あぐぅ……。き、聞いてます……」
「……まぁ、いいわ」
涙目で悶える勇人を見ながら、由利は椅子にふんぞり返りながら溜め息をつく。そんな姿を指の隙間から見つめた勇人は、思い出してように問いかけた
。
「確か、何か御用があるんでしたっけ?」
「あ! そうだったわ」
由利はスリッパをしまいながら思い出したようにそう言うと、勇人に向き直りこう命令した。
「明日、私の幼馴染がこの屋敷に来ることになってるの。なので、そいつを追い払って欲しいのよ」
「……はい?」
由利の突然の言葉に勇人はフリーズする。しかし、周りの使用人たちは残念そうな顔でため息をついた。
「……はぁ、またそんなこと言って」
「だってあいつ、苦手なんだもん……」
晴子のあきれたような声に、由利は不満そうに頬を膨らませた。
「そんなこと言ってはいけませんよ、由利」
「なによ!! ハルだってあいつは苦手だって言ってたじゃない!!」
「そうは言いましたけど……。だからといって追い返すことはないんじゃないんですか?」
「いや!! あいつと同じ空間にいること自体が不快なんですわ!!」
「あ、あの~、その幼馴染って誰ですか?」
由利と晴子の言い争い(由利の一方的はわがままだが)が終わらなさそうなので、勇人が仲裁に入った。
「……ふんっ」
由利はバツの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。その姿に溜め息を溢した晴子が代わりに説明始めた。
「明日いらっしゃる方は由利の幼馴染の北条 孝章様で、安乃条家とは明治維新前から交流がある北条家の次期十二代目当主にして北条グループの次期取締役になられる方です。たまに安乃条家に顔を出すんですけれど……」
北条グループなら勇人も知っている。工業品から衣料、食品、雑貨、交易等のあらゆる市場で常にトップを走りつつける企業の総称で、今最も勢いのある企業としてニュースで取り上げられていた。
そんな大企業の御曹司の方となればこれ以上立派な人が居ないと世間から言われているだろう。
しかし、由利の反応を見る限り、北条孝章と言う人物に問題があるように見えた。
「お嬢様にここまで嫌われるとは……そんなにアレなんですか?」
「アレの基準が分かりませんが……どうも由利とは反りが合わないみたいで……」
終始苦笑いを浮かべていた晴子が耐えきれなくなったのか、そっぽを向いた。こりゃ相当アレなんだ、と勇人は心のなかで解釈した。
「誰がヤバいって!!」
突然、聞き慣れない声が広間中に響いた。
突然のことに驚く勇人であるが、周りの使用人たち全員が頭を抱えていた。周りに使用人さんたちの行動に首をかしげていると……。
「僕はここだぁー!!」
そんな声と共に、勇人の頭上の窓ガラスが割れ、何者かが乗り込んできた。
窓を突き破ってきたのは、十六歳ぐらいの男の子。
白のタキシードに身を包み、髪型は中央に髪を集めワックスか何かで固めている。その風貌と口調から、勇人は晴子の言っていた北条孝章だと見当が付いた。
「はぁ~い!! 我が愛しのフィアンセ~!! 今日こそはあなたのハートをこの北条孝章が射抜いて差し上げま……」
孝章が華麗に着地したのとほぼ同時に、由利が放ったスリッパが北条の顔にめり込んだ。広間に響き渡る絶叫を上げながら、孝章は顔を抑えながら転げまわった。
「なぜ貴様がここにいる? 明日来るはずではなかったのか?」
その体のどこからそんな声出せるの? と疑問に思うほどどすの利いた声で由利が問いかけた。
「そ、それは君が僕に会いたがっていると思ってい……」
「誰が貴様なんぞに会いたいと思うか!!? 私の一番の願いは貴様をこの世から消し去ることだ!!」
「て、照れなくてもいいん……」
「それ以上喋ってみろ、その減らず口を二度と喋れない様にしてくれる……」
「お嬢様、いつものキャラを忘れないでください」
これ以上放って置くと、間違いなく孝章が消されると察した勇人が二人の仲裁に入った。
「お、君が僕のフィアンセが新しく雇った執事くんかね?」
「え? ええ、そうです」
「誰がフィアンセだ……」と孝章に飛びかかろうとする由利を押さえながら勇人は答えた。その姿を舐めるように見回した孝章は、食卓に足を乗せて高らかに話始めた。
「僕の名前は知っていると思うが、北条 孝章。由緒正しき北条家の十一代目当主である北条 氏康の長男にして、北条家次期十二代目当主である。幼いころから英才教育を受け、頭脳明晰、容姿端麗(この時、誰もが耳を疑った)無病息災、エリートコースまっしぐらで……」
「なんか、独特の方ですね」
「ええ、ものすごく……」
孝章の自慢話を軽く受け流しながら、晴子が苦笑した。
勇人のイメージではもっとこう謙虚と言うか、落ち着いていると言うか、品があるイメージだった。決して人様の窓をけ破って突入しない、開口一番に『フィアンセ』なんて単語を発しない、そして顔面にスリッパ痕なんか付いていない(原因は由利にあるけど)。
「し、かーーーーし!! こんな完璧な僕のフィアンセの執事が、こ~んな貧乏くさい男とはね?」
今まで(多分)自慢話をしていた孝章が突然勇人に話題を振った。その時、微かに勇人の眉が動いたのを晴子は見逃さなかった。
「勇人くん堪えてください。悪気はないんです」
「え? ええ、分かってますよ? これぐらいどうってことないですよ」
「額に血管浮き出させながら言われても説得力ないですよ」
明らかに怒りを抑え込んでいる執事を諌めながら晴子がため息をつく。
「な、勇人は関係ないだろ!!」
勇人の代わりに由利が噛み付いた。しかし、孝章は変な前髪を指でクルしながらニカッと金歯を見せる。
「いいや、関係あるね 僕のフィアンセならすべてにおいて完璧でなくてはいけないんだ!! もちろん、使用人たちにも当てはまる!!! それがど~だ~い? こ~んな貧乏くさくて、金に縁の無さそうで、顔も僕に比べたら下の下じゃないか!!」
「き、貴様ぁ~……。それ以上言ったら本……」
プチッ。
「「プチッ?」」
突如なった音に、由利と孝章が間抜けな声を出した。
「へ、へぇ~、私って、そんなに貧乏くさくて、金に縁が無さそうで、顔も下の下ですかぁ~……」
「ゆ、勇人?」
「勇人くん!?」
俯きながら身を震わせる勇人に由利は心配そうに、晴子は冷や汗を流しながら声をかける。しかし、其処に孝章が更なる追い打ちをかける。
「そ、そうだ!! 君は貧乏くさくて、金に縁が無さそうで、顔も下の下で……」
「お嬢様」
「は、はい!?」
いつもの声とは少し違うトーンで話しかけられ、由利は変な声を上げて身を縮こませた。
「おい、人のはな――」
「執事は主の命令には絶対従わなければいけないんですよね?」
「そ、そうです……」
いつもと違う勇人の声色に、由利は思わず敬語になってしまう。
「……では願いも、命令として受け取っていいんですね?」
「っ!」
勇人の言葉に由利は何かに気づいた。一瞬考えた後、由利は何故か孝章を指差した。
「……いいわよ!! ただし、ほどほどにね」
由利の言葉に、勇人は踵を返して孝章を向き、ユラリ、ユラリと近づいていく。
「ね、願いって何のことだ!!」
孝章が勇人の威圧感に負けじと吠えた。しかし、勇人は顔を上げずに近づいていく。
「先ほど、お嬢様が言っておられました……」
勇人は俯きながら口を開いた。
『私の一番の願いは、貴様をこの世から消し去ることだ』と……」
勇人の言葉を聞いたとき、その真意を理解した孝章の背筋が凍りついた。
「え……え? あ、あれは……じ、冗談……だろ?」
そう声を漏らしながら孝章はじりじりと後ずさる。しかし、すぐに壁に行き着いてしまった。そこにユラリ、ユラリとだんだん勇人が近づいて来る。
「い、いや……く、来る……」
「北条様」
勇人は孝章の顔すれすれの壁に思いっきり手を叩きつけ、そして優しげな表情でこう、告げた。
「これも主の命令なので」
その夜、一人の少年の断末魔が屋敷中に響き渡ったのは言うまでもない。