執事と地雷
「ん……」
窓から射し込む柔らかい光が、窓際のベットで寝ていた少女を眠りから優しく起こしてくれた。少女はゆっくりと目を開けながら身体を起こし、それと同時に欠伸を一つ溢した。
「ふぁ~……良く寝たなぁ……」
寝癖でボサボサの頭をポリポリと掻きながら、少女こと桐畑瑠璃はポツリと呟いた。
瑠璃が兄の桐畑群青共々案乃条由利の元で働くこととなってから早一週間が過ぎた。
由利が二人を使用人として雇うと言ったのはいいが、あの乱闘騒ぎで群青がシャレにならないくらいの怪我を負っていてすぐに仕事を出来る様な風ではなかった。なので、二人の仕事は群青の回復を待ってから決めることとなり、その間二人は由利の食客扱いでお屋敷に住まわせてもらうこととなった。
が、この申し入れに異議を唱えたのが瑠璃である。
彼女は群青と違ってそこまで目立った怪我もなく軽く衰弱していただけなので、今からでも仕事をもらえる様お願いし、群青に先駆けて一足早く仕事をもらっていたのだ。
寝起きでイマイチ頭が働かない瑠璃は窓から見える鳥たちをのほほ~んと見つめている。すると、コンコン、とドアがノックされた。
「瑠璃さん? 起きてますか?」
「勇人くん? おはよ~うぅ……」
ノックをしたのはこの屋敷に執事として働く少年、勇人であった。瑠璃は彼の問いに欠伸を交えながら応えるが、すぐに首を傾げてドアに問いかける。
「あれ~? 何で勇人くんが呼びに来てるの? ハルさんは~?」
「今日群青さんが仕事に復帰する日なので、ハルさんはそっちに回ってます」
「……回復早すぎない?」
勇人の返答に瑠璃は思いっきり眉をひそめて問い掛ける。瑠璃の記憶が正しければ、尺骨に炎症、左腕の筋が切れかかっている、鎖骨も何本か折れている、右の上腕骨がヒビ、左手中指から小指まで完全に折れてるハズだったのだが……?
「そんな一週間で治るモノなの?」
「案乃条家の医療技術を舐めないでくれる? と、お嬢様が言ってましたからね。たぶん大丈夫かと」
瑠璃の問いに苦笑交じりにそう返した勇人。確かに今どきの医療は日々進歩し、まして案乃条グループは世界に名を轟かせるトップレベルの企業だ。骨折位力技で何とかするとか言われても納得してしまう。
「まぁ話はあっちで詳しく聞かせてもらいましょう。早く応接間まで来てくださいね」
「ラジャーで~す」
半分頭が働いてない瑠璃は目を擦りながら相づちを打ってベットから這い出すと、近くにあったクローゼットを開けた。
そこには、紺色のゆったりとした短めのスカートと同じく紺色のブラウズが一体となったワンピース、その上にフリルの付いた白のエプロンに、胸には赤のリボン、フリルの付いたカチューシャ―――所謂メイド服が一式全て綺麗に折り畳まれていた。
そう、瑠璃は一足先にメイドの仕事をもらっていたのだ。しかも晴子が来ている旧式のものではなく最新式のメイド服。値段は旧式よりもちょっと高いらしい。そんなちょっぴりお高いメイド服を手に取った瑠璃は不意に「あっ」と声を漏らした。
「そう言えば、あたしメイド服一人で着れないんだった」
いつもは晴子の手を借りて何とかメイド服を着ている瑠璃であったが、今晴子はこの場に居ない。居るとすればドアの向こうに立っている少年執事だけだ。それに時間が押している分晴子を呼んできて貰う余裕もない。
(これは……マズイね)
暫し頭を抱えながら考えに考え抜いた瑠璃は意を決したように手に持つメイド服を握りしめ、クローゼットを離れてドアの方へと近づいていき、軽くノックした。
「瑠璃さん? どうかしました?」
「あのさ……勇人くん。ちょっと手伝ってほしいんだけど?」
「え、何をですか?」
「……め、メイド服着るの」
「…………はい?」
◇◇◇
「遅くなりました!!」
「お、遅くなりました!!」
廊下を全力失走してきた勇人と瑠璃が応接間のドアをに開けながら同時に謝罪した。応接間にはすでに二人以外のメンバーが揃っており、今回の主役である群青も到着していた。
「お兄ちゃん!! 怪我はもういいの?」
「おう、この通りだぜ」
瑠璃の言葉に群青は腕を回したり足踏みをしたりして完治をアピールする。あれだけの大怪我を一週間で直したとかどんな治療したんだろう? と勇人は気になったが、今は気にしないことにしよう。
「さて、今日は群青の仕事の件なんだけど……ところで勇人と瑠璃。なんか顔赤いけどどうかしたの?」
「ふぇ!? いや、どうもしてませんよ!! ねぇ瑠璃さん?」
「そ、そうですよ!? べべべつにどうもしてませんから!!」
由利の問いかけに赤かった顔をさらに真っ赤にさせてあたふたと答える勇人と瑠璃。明らかに何かあったと見える。
「……そう言えば勇人くん」
満面の笑みを浮かべた晴子が不意に勇人に問いかけた。
「瑠璃ちゃんの着替え手伝ったんですか?」
「「っ!?」」
「「はぁ?」」
満面の笑みでそう問いかけた晴子の言葉に、勇人と瑠璃は顔をさらに赤くさせて狼狽え、由利と群青は同時に眉を潜めて晴子を見る。
「……ハル、それはどういうことかしら?」
「メイド服ってワンピースとかエプロンとかパーツに分かれている分着るのが大変なのよ。いつもは私が彼女の着付けをしているのだけど今日は行けなかったからね~……。どうしたのかな~って思って」
(は、嵌めやがったよこの人ォォォ!!!!)
清々しい笑顔で勇人を死地へと追い込む晴子を見た勇人は、今更ながら晴子の阿策略に嵌ったことを悟った。晴子の話に耳を傾ける由利の顔は見る見るうちに真っ赤に染まっていき、傍らの群青は勇人をゴミを見るような目で見つめてくる。
「で、勇人。今の話は本当なの?」
「へぇ!? いや、その……」
「…………まぁいいわ。詳しいことはあとで聞く。それよりも早く本題に移りましょうか」
今『あとで』の所がスゴイ強調されて聞こえたのは気のせいか? と勇人は内心冷や汗を流しながら由利に頭を下げておく。そして晴子に視線を向けると、先ほどよりも清々しい笑顔で笑い返された。
「で、早速仕事なんだけど……群青って何かやりたいものってある? ……って群青?」
「え……あ、すいません。ちょっと今あのクズをどう料理しようかと考えていて聞いてませんでした」
「その考えあとで教えて。私も参加するから」
「目の前で恐ろしいこと話さないでください!!」
開口一番恐ろしいこと言いだす二人に勇人が突っ込むが、当の二人は耳に入っていないのか小声でこそこそと相談し始めた。何を言っているのか分からないが、取り敢えず言えることは『絶対ロクなことじゃない』ってことだ。
「……まぁ勇人シバき回すのはあとに置いといて、何か希望の職とかあるかしら?」
「今サラッと恐ろしいこと言いましたよね? ねぇ言いましたよね?」
「そうですね……」
勇人のツッコミを無視した群青は何かないかと考え込む。とは言っても、ココでの選べる職業なんて多くはない。瑠璃がお屋敷で働くメイドになったということは、おそらく群青も同じ場所で働くのを望むと勇人は予想していた。
(中学生のころからアルバイトに走り回っていたらしいので、大概の仕事は粗相なくこなせるでしょうね。取り敢えず、あの職業さえ選ばなければ大丈夫だろ――)
「料理人が良いです」
「ピシッ」
「ん? なに勇人どうしたの? わざわざ効果音出して」
「えっと……どうしました?」
「え!? いや、べ、別に何でもないですよ? なんでも……ねぇ」
二人の問いに勇人は言葉を濁しながら瑠璃を見る。瑠璃も勇人同様顔を引き攣らせている。恐らく、勇人が何を言おうとしているのかが分かっているのだろう。
勇人が先ほど語ったあの職業とは、『料理人』だ。
(ヤヤヤヤ、ヤバいよ勇人君!! こここ、このままじゃみんながあれの餌食に!!)
(そそそそ、そんなことは分かってますよ!! でもこの空気を打開する方法が……)
この状況の打開案を考えようとした勇人の頭にあの劇物が浮かび上がり、お腹が疼き始めた。あんなものを由利たちに食べさせてはいけない。
「何お前ら二人で黙り込んでるの?」
「い、いや!! なんでもないですよ!! ね、ねぇ瑠璃さん!!」
「そ、そうだよね、勇人君!!」
二人で顔を見合わせ、仲良しの女子がやるような『ねぇ~!』的なポーズでその場をごまかそうとする。
「……ならいいけど。それで群青、勇人をシバくには先ず……」
二人の姿に由利は少し頬を膨らませながら呟き、改めて群青に向き直り勇人シバき回す計画を練り始めた。後ろで自らの制裁が計画されているが、今はこっちの方が大事だ。
「ちょ、ちょっとまってください」
ここで切り出したのは瑠璃だ。勇人シバき計画をしていた由利は話をいったん中断して瑠璃に向き直る。
「うちのお兄ちゃんって家で料理とかしないんで、ちょっと荷が重すぎるんじゃないんですかね? 高級なものとか使ったことありませんし、それなりの技術も必要になってくるでしょうし。あたしとしては料理人じゃなくて違うもののほうがいいかな? みたいな風に思うんですが……」
瑠璃はわざと言葉を濁らせながら、群青は料理が下手だから止めたほうがいいと遠まわしに言う作戦のようだ。
(瑠璃さんナイス!!!)
勇人は見えないところで小さくガッツポーズをする。すると、由利はちょっと苦笑いを浮かべながら群青を見据える。
「だけどせっかく自分からやりたいと志望してきたわけだし、今はダメでも少しずつ扱えるようになればいいじゃないの? 家にはプロの料理人が居るんだし、私も群青の技量向上のためなら喜んで協力するつもりよ」
(いや無理だから!! 扱えるようになるが先か、お嬢様が壊れるのが先か目に見えてるから!! すぐ目の前に大きな鎌持った奴がニタニタ笑ってるからァァ!!)
ニコリ、と笑いながらそう言い切る由利に、勇人は決して聞こえることのないツッコミを心の中で爆発させる。自分の作戦が失敗した瑠璃は「や、あの」と口ごもる。おそらく次の作戦を考えているのだろう。
「別に不満はないでしょ?」
「や、でも……。さ、流石に今からだと包丁すら握れないんじゃないですか? 今いる人たちが許すわけないと思うんですが……?」
「そう?」
「確証はないですが、一応聞いてみたらどうですか?」
「まぁ、それもそうね。ハル」
「了解しました」
瑠璃の説得に納得した由利は傍らの晴子にそう告げると、晴子はクルリと向き直り、スタスタと応接間を後にした。おそらく厨房にいる料理人たちを呼びに行ったのだろう。
(これで……何とかなりそうか……?)
アイコンタクトでそう語ってきた瑠璃に小さく頷いた勇人は取り敢えず安堵の息を漏らし、扉を見つめた。
「ああ、別に問題ないですよ」
「ホント!! 良かっ……って何であんたたち転んでるのよ?」
「い、いえ。ちょっと虫が居たもんで……」
「お、同じく……」
料理長の言葉を聞いてその場でズッコケる二人を見つめ怪訝な顔で睨みつける由利に、冷や汗を掻きながらそう応える勇人と瑠璃。
「ちょうど人手が足りなかったんですよ。それに私ももうすぐ引退ですから、あと一人ぐらいに私のすべてを叩き込もうかと思っていましてね」
(いやまだイケるよ!! だってシワほとんどないじゃん!! めっちゃ若々しいじゃん!! 藤〇隊長を見習え!!!!)
勇人が心の中でそう絶叫しているのもつゆ知らず、料理長の返事に由利は何度も頷きながら勇人たちを見た。
「これであのバカたちも文句ないわね? さぁ、改めて群じょ――」
「いえ……ちょっと待ってください」
由利の言葉を遮るように群青が呟いた。周りにいた全員が群青に注目する。その顔は先ほどよりも暗い表情であった。
「やっぱり、自分なんかがおこがましいこと言ってしまったんでしょうね」
「な、何言ってんの群青? 選ぶ権利はアンタにあるのよ?」
先ほどよりもネガティブになっている群青。やり過ぎたか……? と勇人が人知れず後悔していると、由利から非難の視線が飛んできた。
「いや、いいです。他の方の迷惑になるので辞退させて下さい。子供のころの夢って結構叶わないんですよね。瑠璃やクズが言うとおり、俺には荷が重すぎます。自分なんかがお金持ちの料理人にな―――」
「そう言うのはまだ早いですよ」
突然群青の言葉が途絶えた。それと同時に新たな声が聞こえる。
「ハル……さん?」
勇人の呟きを無視して、いつの間にか群青に詰め寄りその口をふさいだ晴子はキィッと目つきを鋭くして群青を見据える。その視線にジタバタもがいていた群青はピタリと動くのをやめて晴子を見つめた。
「群青君の選択は私や勇人くんではなく、君自身が自らの意志で決めるものなんです。それを他人の意見に押されて望みもしない選択肢を選ぶ、なんてこと止めてください」
晴子の言葉に群青は黙ってその話に耳を傾けていた。が、その目付きが段々と変わっていくのを勇人は見逃さなかった。
「君は自分で選択できる人生を持っているんです。ですから、自分で自由に選択していって下さい。そうでないと、自由な人生もったいないですよ?」
最後にそう言ってニコッと笑いかけた晴子。それを一瞬呆けた顔で見た群青。そして一抹の静寂が過ぎた。
「わ、分かりましたハルさん!! 俺、自分の人生を決めてきます!! 料理長、厨房へ案内してください!!」
そう言いながら群青が軽く(熱く)晴子の手を握ると、隣に立っていた料理長の襟を掴んで応接間から走り去っていった。
「楽しみね」
「ええ、ほんとに……」
その姿に、由利と晴子はまるで迷える子羊を救ったような清々しい顔で扉を見つめていた。その横で、執事とメイドは床に手を付きこの世の終わりみたいな表情でボソリと呟いた。
「「終わった」」
「何がですか?」
「「いえ、何でもです」」
「??」
二人の落胆する姿を見ても、ちびっこお嬢様と完璧メイドさんは、今自分がとんでもない地雷を踏んだことに気付くことはなかった。




