執事と激昂
「な、何で……」
群青が目を見開いて枯れた声を漏らす。その反面、勇人はニッコリと笑ったまま群青のもとへ近づいていく。
その光景に右腕を抑えてうずくまっていた華原がうめき声を漏らしながら体を起こし勇人を睨みつける。
「何やってる!? 止まれェ!!」
華原の精いっぱいの怒号を吐き出すが当の勇人は全く反応せずに静かに群青の元へと歩みを進める。
「どうしてココがわかった?みたいな顔ですね?」
勇人が冗談を言うような軽い口調で群青に問いかけるが、当の群青はまだ状況が理解できていないのか口をパクパクするだけで反応しなかった。
「群青さんが出て行った時、すぐ近くにあの石を投げ込んだやつが潜んでいたんですよ」
勇人の言葉に、あの脅迫文とともに転がっていた石が群青の頭を過ぎった。
「そいつとっ捕まえて身ぐるみ剥がしたらここの地図がありましてね? それを頼りにここまで来たんですよ」
そういうと勇人はポケットから小さく折り畳まれた紙を取り出し、顔の前でヒラヒラさせた。
「そして工場に着いたんですけど、案の定群青さんの姿が見えなくて合流しようと待っていたんですよ。そしたら……」
地図をポケットに押し込みながら勇人は苦笑いを浮かべ、手を顔に持っていき頬を軽くさする。
「いきなり飛び出してきた人影に身構える間もなくストレートを食らいましてね? そのまま気絶していたわけですよ」
そこで話が終わったとばかりに手を軽くたたく勇人。その後誰も声をあげる者もおらずしばし、沈黙が走った。
不意に勇人が右手を横に突き出した。
「……何のまねだ」
硬直していた口が動くようになり、群青が勇人を睨みつけながら問いかける。その対応に嫌な顔一つせず勇人は再度ニコッ、と笑って呟いた。
「バトンタッチ」
「っ!? ッふざけんな!!!!」
勇人が言った瞬間、群青が突然叫ぶように勇人に噛み付いた。
「なんで赤の他人のお前なんかに任せなきゃなんねぇんだ!! これは俺の問題だ!! 部外者がしゃしゃり出てくんじゃねェよ!!」
喉が避けんばかりの群青の怒号に勇人は眉ひとつ動かさずにまた一歩足を踏み出した。
「だいたい何でそこまでして首突っ込もうとすんだよ!? 別に俺がどうなったってお前には関係ないだろうが!!」
勇人はいつしか笑顔を崩し、真顔でまた一歩踏み出す。その歩みは段々早くなっていった。
「テメェが来る意味なんてねぇんだよ!! さっさと帰れよ!! それとも何か? 俺の邪魔をしたいのか!? だったらてめぇですら容赦しねガァ!?」
そこで群青の声が途切れた。
群青の顔に勇人の拳が突き刺さったからだ。
「どっせェェェェいィィィイイ!!!!」
勇人の叫びとともに群青は勢いよくコンクリートの上を転がり近くの段ボールの山に突っ込んだ。空の段ボールが雨が落ちるように頭に幾つも降って来るの。段ボールの軽い音が響き渡った後、唖然とした空気がこの場を満たした。
勇人は固く握りしめた拳を解き、段ボールの中でうめき声をあげる群青を見据えニコッと笑みを溢した。
「これで、バトンタッチですね?」
そう言うと勇人は右手をヒラヒラとさせながら小さく笑った。
「なッ!?」
群青は叫ぼうとした途端転がった衝撃で全身に刺すような痛みが再びぶり返してきた。そのせいで口から零れたのは苦痛に耐えるうめき声だけであった。
「安心してください。別に邪魔しようなんてことは思ってませんから…だから……」
勇人はここで口を噤み首を傾げて見せた。
「僕をしん……」
「何をやってんだてめぇら!!!!!!!」
勇人の言葉は途中で割り込んできた華原の怒号によって掻き消された。声の方を無理変える際、ばつの悪そうな勇人の顔がチラリと映る。それと同時に、強烈な光が目に突き刺さった。思わず顔の前に手をかざし、顔をしかめ目を閉じる。
「テメェら自分の状況分かってんのか!? あ゛ぁ!!!?」
真っ白な視界の中、華原の甲高い声が鼓膜を震えさせる。
「やっぱ、まだ居たか……」
側で聞こえる勇人の静かな声と一緒に目に突き刺さる光に慣れてきた。ぼやけてよく見えないが、スポットライトらしきものの横に同じくぼんやりとした無数の人影のようなものが次々と姿を現していた。
数は分かる範囲で五、六〇つほど。
一つ一つの影の大きさからして、先ほど群青が倒した不良よりも一回り身体がでかい。
「俺に失敗は許されないィィィンだよォォォオオ!!!! 邪魔する奴は抹殺のみだァ!!!」
「用意周到なことですね……」
華原の奇声に全く動じることなく勇人が溜め息混じりに声を漏らして肩を竦める。そんな勇人の表情と言葉に、群青は思わず目を見開いた。
この少年が今からやろうとすることが読めたからだ。
「お、おい……、まさか…」
群青がか細い声を漏らして傍らの少年を見上げる。
目の前の少年は、たった一人で男たちに立ち向かおうとしているのだ。自分よりも何倍もデカイ図体の男たち、五、六〇人に。
「倒れている奴には構うなァ!!あのクソガキを殺れェェェエエエ!!」
華原の怒号に無数の人影たちが叫び声をあげて走り出した。
「や、やめろ………」
群青の言葉を無視するかのように勇人はフラリと立ち上がり、向かってくる男たちのほうに身体を向ける。
しかし、勇人はそのまま突っ立っているだけで身構えようともしなかった。
「な、何やってんだよ……。早く逃げろよ……」
血を吐き出す思いで群青が必死に勇人に投げかけ血だらけの手で勇人の身体を押す。勇人は一度振り返り、群青の血まみれの手を一瞥すると静かに微笑んだ。
『安心してください』と言わんばかりに。
その瞬間、勇人の後ろに鉄パイプが現れた。鉄パイプは一直線に勇人の頭めがけ振り下ろされる。
「やめろォォォォォォォオオオオオオオオ!!!!」
群青の絶叫と、鉄と肉がぶつかる鋭い音が重なった。
その瞬間、勇人の体が左右にぶれた。それと同時に勇人の足元に真っ赤な血がコンクリートいっぱいに飛び散った。体が大きく揺れ、膝がガクン、と支えを失った積み木のように足元から崩れた。
真っ二つに折れた鉄パイプを両手に握り締めた男が音もなく勇人の傍らに倒れたのだ。
「……あ?」
華原が間の抜けた声を出して目の前の光景を見つめる。その場にいる全員が唖然としていただろう。
(何だ……何があった……?)
群青は顔の血を袖で拭ってもう一度勇人を見た。見た限り、勇人は今の状態から全く動いていない。男が勇人の身体に触れた瞬間、見えない何かに吹き飛ばされたように見えた。
群青はわけがわからないといった顔で勇人を見つめる。
当の本人は何故か屈伸したり足首を回したりと、念入りに身体をほぐしている。まるで恐怖を微塵にも感じていない。
しかし、ただ一つだけ言えることは、その顔に、無理矢理張り付けた笑顔さえ無かったことだ。
「さ、て、と! そんじゃま、行きますか!」
一通りストレッチを終えた勇人がまるである種のスポーツに参加するかのような気軽な口調で声を漏らした。
「な、何してんだァ!!さっさと片付けろォ!!!!」
華原の言葉に、我に返った男たちの中の一人が、勇人に向かって猛然とダッシュした。
八、七mあった距離が瞬く間に縮まっていく。
その男の懐には刃わたり三十cmはあろうサバイバルナイフが殺気に満ちた光を放っていた。
しかし、またもや勇人は少しも身構えない。表情一つ変えず、ただ平然とした顔で立っているだけだ。
(駄目だ……! 今度こそ…!?)
ナイフの刃が、勇人の胸につきたたろうとした瞬間、
「ぐあっ!?」
今度は飛びかかった男が短い子悲鳴を上げて先程同様に跳ね返るように後ろに吹き飛んだ。飛ばされた男は壁に激突すると、ズルズルと床に落ちてピクリとも動かなくなった。
工場中に再び沈黙が走る。
走っていた男たちはいつの間にか足を止め、その瞳に恐怖の色を浮かべて突っ立っていた。中には足がすくんでその場で座り込んでいる者もいる。
華原、群青も言葉が出なかった。
声を出そうとしても、声帯がとられたかのように、喉が小さく動くだけでだ。
まるで、肉食動物に睨まれた草食動物のように、足が、身体がコンクリートに張り付いたように全く動かない。
「さて、あの二人の邪魔をするもんじゃないですよ」
静寂の中、一人場違いなほど優しい口調で勇人が語りかけた。しかし、男たちにとってそれはまるで死刑宣告の様なものに聞こえたのは気のせいだろうか?
事実、その声に感情はなかった。
「みなさん……いや………」
再び勇人が静かにつぶやくと、一歩一歩踏みしめるように歩を進めた。
「てめぇら……」
勇人の言葉に、男達いやその場にいた群青ですらその背筋が一気に凍りついた。
(誰だ……あいつ……)
群青は唖然とした表情で勇人を見つめる。
いつもの勇人じゃない、そう頭が、いや体中全ての器官がそう言っている。
まるで猛獣だ……。
「覚悟は………できてんだろうな?」
勇人が顔を上げた。
その目には、『哀』なんてちっぽけなものはない。
あるのは、純粋な『怒』の感情だけであった。
「ッ!? 殺せェェェェェェ!!!」
華原が裏返った声で叫んだ瞬間、男たちが一斉に咆哮を上げ、五、六人単位の集団で勇人に向かって猛然と突っ込んでいった。
殺気に満ちた男たちが、まるで一つの弾丸のように一直線に向かってくる。
しかし、勇人は避ける素振りすら見せることは無かった。
ただ先ほどと同じように、向かってくる男たちを静かに見据えていた。




