執事と連行
「いや、いいです」
即答しながら、勇人は机に顔を埋めた。
あまりにも潔い斬り捨て方に、転校生、もとい安乃条由利は面を喰らったような顔で突っ立ち、その口角が吊り上がってヒクヒクしている。
周りの生徒も何が起こった、正確には彼女の目の前で眠る勇人が何を口走ったのか分からないと、いった感じで固まっている。
「……も、もう一度、言います」
顔を若干引き攣らせながら、案乃条は長い髪を手で持ち上げながらそう言った。金色に光る髪がサラサラと彼女の頬を伝って落ちていく。その光景は、一級品の絵画の様な雰囲気を醸し出していた。
「かはっ……」
すぐ側で、一人の男子が胸を固く握りしめ、座っていた椅子からずり落ちた。それに触発された様に、一人、また一人と椅子からずり落ち仰向けのまま恍惚の表情を浮かべた。
恐らく案乃条が彼らのハートを射抜いてしまったのだろう。
そんなことなど気にすることもなく、案乃条は『気を取り直してTake2!!』と言わんばかりにビシッと勇人を指して言い放つ。
「私の執事をしなさい」
「いやです」
またもや勇人は即答した。今度は机に顔を埋めたまま若干身を震わせて素っ気なく返した。
「……も、もう、一度、い、言い、ますわ……」
二度も誘い、もとい命令を無視された案乃条は勇人を指した指をプルプルと震わせ、さらに身も振るわせて声を絞り出している。そして、彼女の目からきらりと光る何かが見えた。
「おぉふ……」
また一人、犠牲者が増えたようだ。
そんなことなど微塵にも思っていない案乃条は、涙目で机にダラーッと身体を預けている勇人に笑顔を向ける。遠くの方で何人かが倒れたようだが、彼女は気にすることなく、『三度目の正直!!』というように勇人に言い放った。
「私のしつ……」
「無理れふ……」
安乃条が言い終わる前に勇人は斬り捨てた。そりゃもう、もの見事に斬り捨てた。
「………………」
指を指したまま固まる案乃条は、一度身を震わせて唇をかみ締めたままその場で俯いた。時折、思わず零れた涙を拭うために何度か袖を顔に近づけると、何人かの男子がその場で音もなく崩れ去った。
「と、取りあえず……安乃条さんはあそこの席だからね?」
この教室内の不穏な空気を悟った担任(鼻血を流している)が大人な対応で案乃条に助け舟を出した。
「…………はい」
安乃条が小さく返事をしたがその場から離れることはなかった。
顔は涙で赤く腫れ、口から洩れるのは泣きそうな自分を奮い立たせるために呟いている言葉だけであった。そんな姿にまたもや何人かが倒れた時、不意に勇人が呟いた。
「無理ですって……。そんなに食べれない……だか……」
「「「「「「寝てるんかい!!?」」」」」」
勇人の呟きに、隼人や春乃、もっと言えば担任や安乃条、クラス中が突っ込んだ。突っ込まれた勇人は「ふぇ!?」と間抜けな声を上げて飛び上がり周りを見た後、何処で安心したのか安堵の息を漏らして再び顔を埋めた。
「ちょっと待てぃ!!!」
隼人がそう叫ぶと勇人の机に近づき、その上で気持ちよさそうに寝息を立てている勇人の首根っこを引っ掴み無理やり持ち上げる。
「うぁ……」
「うぁ……じゃねぇよ!! さっさと目を覚まして周りの状況を理解しろ!!」
「周りの……状況?」
寝惚け眼を擦りながら勇人はダルそうに辺りを見回す。
自分の首根っこを掴む隼人、顔を真っ赤にさせて拳を握りしめている春乃、目の前で腕時計を確認している案乃条、自分の周りを取り囲むクラスの男子と少し離れたところで額を寄せあう女子たち。何故か男子どもは般若でも尻尾を巻いて逃げだすくらいの形相を向けてきている。しかし、勇人は周りを見渡した後、何故か二パーッと笑った。
「お祭り?」
「これのどこが祭りに見える!? お前の頭がお祭りか!!」
「お! 今のツッコミなかなかじゃね?」
「そいつはどうもありがとよ!! てか起きてんじゃねェか!?」
この場の空気に似つかわしくない会話とじゃれあいをしている二人を見て、案乃条がクスクスと笑いを溢した。
「何笑ってんの?」
「ん? いや、ちょっと……」
クスクスと笑う案乃条を不審に思た春野が問い掛けると、彼女は目の前でじゃれあっている二人を静かに見据えて答えた。
「変わらないな……って」
そう漏らす案乃条の横顔が何処か寂しげだったので、春乃はそれ以上の追及を拒んだ。
「で、さっきの話って何だっけ?」
冷たい床の上で勇人を正座させながら隼人が思い出したように問いかける。案乃条は正座させられる勇人をチラリと見るが、柔和な笑みを浮かべるだけであった。
「確か執事になれって……。急に言われてもバカもあたし達も意味分かんないんだけど?」
隼人の問いかけに春乃は今もなお正座させられている勇人を指さしながら案乃条に歩み寄った。
「この変態に何かされたの?」
「変態とはしんが……」と言いかけた勇人は、隼人の蹴りを喰らって押し黙る。案乃条は暫し首を傾げて春乃の顔を見つめる。そして、何処か小生意気な笑顔を浮かべてこう言った。
「ええ、彼には私の大事なものを奪われたわ」
案乃条の一言により教室内の時間が止まった。クラス全員の顔が勇人に向けられる。
「へぇ?」
勇人がそう声を漏らすと、案乃条はクスクスと笑いながら続ける。
「まさか忘れたわけじゃないんでしょうね? あの日、一夜を一緒に過ごしたじゃない?」
案乃条がそう言った瞬間、勇人の耳にピシリ、と音が聞こえたような気がした。周りのメンツ、おもに男子が黒いオーラを全身から解き放ち、ユラユラと体を揺らして近づいてくる。近づいてきた男子の一人が、人間では出せないような悪魔の声で囁いてきた。
「どういうことかな~……ええ? 勇人? こんな可愛い子と? 一夜を?」
「え!? ち、ちょっと待って!! 俺は何にもしてないし記憶にない!! 信じてくれ!?」
「おおそうか。なら信じ…………ると思ってんのかァァァァァ!!! 野郎ども!! やっちまえ!!!」
男子の声と共に、ユラユラと近づいてきた奴らが一斉に飛び掛かってきた。勇人は逃げる間もなくその怒涛の黒い波に飲まれた。
「ふざけんな!!!」「死んで詫びろ!!!」「処刑だ処刑!!!!」「この腐れプレイボーイが!!!!」「羨ましすぎンだよコンチクショー!!!!」「何でいつもテメェばっかり何だよ!!!」「そうだ!!! 何でいつもお前がモテんだよ!!!!」「理不尽だろうが!!!!」「少しは俺たちに回せやコラァァァ!!!」「ちょっと待て!!! 最初はともかく、最後のはお前らの問題だろうが!!」
「「「「「黙れ腐れ外道がァァァァァ!!!!!!!」」」」」
たちまち教室内は罵詈雑言、阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れる。男子のほとんどは勇人の袋叩きに参加し、女子は離れたところでその様子を見守りながらヒソヒソと声を忍ばせている。
「隼人!! 春乃!! 助けてくれェェェ!!!!」
「お? おお。行く……、ぞ?」
血祭りにあげられる勇人はその側で呆然とした顔で突っ立っている隼人と俯いている春乃に助けを求めた。その言葉に隼人が駈け出そうとしたが、過ぎに足を止め、後ろに佇むものを振り返った。
「一晩一緒だったんだ~……」
何処かの魔王でも出せないような声が春乃の口から漏れた。その瞬間、教室の空気が凍り、同時に勇人の背筋が凍った。
今まで勇人を散々ボコしていた男子の動きがピタリと止み、春乃から勇人までの一本道を造るために横にはけた。
「い、いや春乃……さん? それは身に覚えが全くないと……」
「一晩一緒って何? 二人は何したのよ? 学校では言えないこと? 不純異性交遊? 真夜中の密室でいけないこと?」
「いやいや、なんか話がどんどん危ない方向へねつ造されてるからきているから!! そんなことなんかしてないよな転校生!?」
勇人はボコボコにされた顔を案乃条に向け助けを乞う。すると、案乃条は急に顔を真っ赤にさせてそっぽを向いた。
その行動は、まるで春乃の言葉を肯定するかのようであった。
「ゆぅぅぅぅぅぅとぉぉぉぉぉおおお?」
先ほどよりもさらに低い声を上げる春乃。そう化け物しか見えない。
「いや、待てって!? これには深いわけが……」
「深いわけってなんじゃァァアアアアアアアア!!!! ていうかわけがある時点で確定じゃねェかァァァァァ!!!!」
真っ赤に染まった眼を見開き、そう絶叫を上げながら春乃が勇人に突進していったとき―――――。
突如、耳を劈く様な轟音と共に教室が大きく揺れた。何事かと外を見ると、窓の外に下から巨大なヘリが教室を覗き込むように現れたのだ。ヘリはバラバラと轟音と強烈な突風を巻き起こしながら少しずつ上に上がっていき、轟音と突風を残して消えてしまった。
何人かの生徒が悲鳴を上げ腰を抜かしていたり、わけのわからない言葉を喚き散らしたりと、この場にいるほとんどの生徒がパニックに堕ちていた。
パニックになっていないと言えば、勇人の机の前に静かにたたずんでいる安乃条だけだった。彼女の様子を不審に思う生徒は残っておらず、クラス中がパニックに陥った。
突如、窓の近くにはしごが降ってきた。おそらく先ほど上に上がっていったヘリからだろう。そう思っているうちに、吊るされた梯子から黒スーツにサングラスと結構ヤバそうな恰好の男たちがスルスルと降りてきて教室に侵入した。
彼らは教室に足を付けると真っ直ぐ勇人の席に向かい、ボケっと男たちを見ている勇人に近づく。
「うっ!?」
勇人の首筋に手刀が入り、そのまま体勢を崩して差し出された男の腕に寄りかかった。男は勇人をを担ぎ、何事もなかったかのように窓へと向かっていく。
「……く! その子をどうするつもりだ!!?」
担任が精一杯声を張り上げ、男たちに怒鳴る。男たちは一度担任を見たが、すぐ前に向き直り、目の前にぶら下がる梯子を勇人を抱えながら器用に上っていった。先生はその光景に思わず唇を噛み締めた。
「大丈夫です。彼は私が見ますから」
そう言ったのは、担任の横をするりと通り過ぎていく安乃条であった。彼女は当たり前のように窓に向かい、轟音と風に触れる梯子にいとも簡単に乗り移った。
「き、君は……一体?」
担任が問いかけるが、案乃条は何処か不思議な笑みを残し、梯子を上っていた。
そして、ばらばらと鳴り響いていた音はだんだんと小さくなっていき、ついには聞こえなくなってしまった。