執事と発端
北方勇人は極々普通の高校に通う高校生であった。
「なんか起こらないかなぁ~……」
今日もまた窓から垣間見える空を眺めながら彼はぼんやりと呟いた。昨日、夜遅くまでゲームをしていた勇人は現在眠気と血みどろの戦いに身を投じている。
朝のSHRが始まるまであと少し。その間、教室は生徒たちが思い思いの場所を陣取っては昨日のドラマやバライティーの話に花を咲かせていた。そんな姿を眺め欠伸をかみ殺しながら、勇人は再度空を仰いだ。
「例えば隼人が車に轢かれて死んだり、隼人が暴漢に襲われて死んだり、隼人がいでぇ!?」
「お前は俺に何か恨みでもあんのか?」
色々と危険な発言をぽつぽつと呟いていた勇人の後頭部に手刀を入れた少年が呆れたような声色で言う。
彼の名は西沖隼人。
短い髪にパーマを当てたみたいにフンワリとした茶色髪(本人曰く、セットに小一時間は要する)に、男にしては幾分か白過ぎる肌、日本人らしい低い鼻の周りに雀斑が点々としている。身長は勇人より少し高いくらいでヒョロッとした体格なので、周りからは『白い牛蒡』と呼ばれていたりいなかったり。
まぁ、見ての通りクラス(主に勇人)の愛される弄られキャラだ。
「てか勇人、お前朝からそんなセミの抜け殻みたいな顔してんじゃねェよ」
「誰がセミの抜け殻だ。俺の脳みそは男子高校生の妄想と妄想と妄想でパンパンなんだぞ」
「頼むから妄想以外のことも詰め込んでくれ。てかそんなことどうでもいい」
自分から振っておいてどうでもいいとは何だ、と勇人は思ったが、その言葉はズィッと顔を近づけてくる隼人の顔面によって強制的に喉の奥に引っ込み、代わりに勇人の拳がその顔面にめり込んだ。
「んで、何かあんのか?」
「謝ろうって言う気はないのかよ。まぁいつものことだが……っと、本題だったな」
悪びれもせず本題に行けと催促する勇人に諦めた様にため息を溢した隼人は、再度、勇人に顔を近づける。もちろん、飛んできた拳はちゃんと回避してだ。
「何でも、今日うちの学校に転校生が来るらしいんだ」
「転校生? こんな時期にか?」
勇人の問いかけに、隼人は何度も頷きながらその詳細を話し始めた。
隼人の話によると、今日の朝、クラスの女子が校門前で見たこともない制服に身を包んだ生徒が学校に入っていくのを目撃したのだ。
当時、その生徒は日傘を差していたため顔は一切分からないが、服装から察するに女子であることが分かっているぐらい。しかもその女子生徒が差していた傘が、(勇人は知らないが)海外の超有名傘メーカーが販売している中でもっとも高いものだったらしく、うちのクラス内では転校生は超お金持ちの令嬢ではないかという意見が上がっているのだ。
「てなわけだ。分かったか? って寝るなよ」
「あぐぅ!? ちゃ、ちゃんとき聞いてるよ~ぉぅぅ……」
長々とした説明の間に睡魔に負けた勇人に隼人は呆れながら再び手刀を入れる。隼人の手刀に勇人は抗議の声を上げるも、その身体は机にピッタリ張り付いていて説得力に欠けていた。
「さっきからうるさいわね……。何話してんの?」
不意に頭上から呆れたような声がして、側でガタゴトと椅子が動く音がした。おそらく隼人がその声に反応したんだろう。
「おっす! 勇人のよ……」
隼人が(多分)ニヤケながらそう言い終わる前にその顔面に(多分)鋭い手刀が叩き込まれた。
「ごふぁ!?」
「次言ったら~? これだけじゃすまないわよ~?」
椅子から転げ落ちて顔面を押さえてもがき苦しむ隼人を(多分)見据える一人の女子生徒が(多分)不気味なほど完璧な笑顔をして語りかける声は、温もりと言うものが感じられなかった。
頭上の声に勇人は眠い目を擦りながら見上げた。
そこには一人の女子生徒が不敵な笑いを浮かべて立っていた。
彼女の名前は東春乃。
黒髪のロングヘアーに少し吊り上った目、シミやニキビが一切ない白い肌に高い鼻と妙に端正な顔立ちで、小さい頃から空手を習っていたというスポーツウーマンらしく、引き締まって無駄なものが無い体にスラリとした長い脚など、女子の理想NO.1のモデル体型だ。
「しかし、スポーツウーマンらしくないデカイ胸はどうか――」
「セクハラ発言してんじゃないわよ」
氷点下零度を軽く下回った声と共に勇人の頭に容赦ない拳骨が降ってきた。痛みに椅子から転げ落ちた隼人までとはいかないが、流石空手三段と言うべきか、その拳骨は人がもっともの痛みを伴う箇所を正確に射抜いていた。
「次は何処がいいかな~?」
「おまっ!? これ以上なにす――」
心底楽しそうな声で恐ろしいことを口走る春乃に噛み付くべく口を開いた勇人の言葉が不意に途中で詰まった。
「どうした? 顔、赤いぞ?」
「っ!? うるさい!!」
勇人の指摘に春乃はさらに顔を真っ赤にさせて勇人の後頭部に手刀を叩き込む。再び襲われた激痛にもがき苦しむ勇人に、春乃は顔を真っ赤にさせながらふんと鼻を鳴らした。
「……な、何で殴られないといけないんだよ!! 俺は『顔が赤い』って事実を言おうとし――」
「うるさい!! 黙れ!! 鈍いのよ!!」
最後の一言関係なくね? という暇も与えることなく春乃は次々と勇人の後頭部に手刀を叩き込んだ。
一通り勇人を殴ってスッキリした春乃はいろんな悪態をつきながら自分の席へと帰っていく。その際、若干緩んで真っ赤になった顔を勇人に見せないよう努めていたことを、後頭部から煙を上げて机に倒れている勇人が気付くはずもなかった。
「ったく……」
春乃に殴られた後頭部、及び顔面を擦りながら勇人は再び机にダラリと体を預ける。暫くボーっとしているとキーン、コーン、カーン、コーン、とSHR開始を告げるチャイムが鳴った。
今まで好き勝手やっていた生徒たちも大急ぎで席に着く。側でもがいていた隼人も、目を向けると顔を抑えながらであるが席に着いたところであった。それからしばらくして、教室のドアが開いて四十代後半ぐらいのオッサン、もとい担任教師がのっそのっそと入ってきた。
「みんないるか~? 出席取るぞ~?」
そんな感じで淡々とSHRを進めていく担任を見ながら勇人は大きくため息をついた。
(ホント、なんか起きないかなぁ~……。)
勇人は窓から見える空を眺めながら思う。その姿を春乃がチラチラ見ていたことは知るはずもない。
「……だな。あとお前らに嬉しいお知らせだ。なんと、今日から新しい仲間が増えるぞ!!」
担任の一言に、クラス中が急にザワザワと騒ぎ出した。
女子たちは「朝話してた子だよー!!」と自慢げに、男子たちは「可愛いかな?」等と呟きながら鼻息を荒げて扉の向こうに熱い視線を送っていた。勇人もその視線を追って扉を見る。曇りガラスのためぼやけているが、そこには小柄な人影が映っていた。
扉に見入っていた時、勇人はふと何処からか視線が飛んでくるのを感じた。目を向けると、両手を交互に振り上げながら拍手をしている隼人がいた。どうやらジェスチャーでその興奮を伝えてようとしているみたいだ。
(いや、何でチンパンジー?)
そう勇人が突っ込もうとするが、その声を発する前に「少し黙れお前ら。あと西沖、何でチンパンジー?」と担任がクラスに呼びかけたことで、クラスは沈黙に包まれる。
「じゃあ、入って」
静まったクラスのメンツを確認した担任が廊下に呼びかけると、クラス中の視線が扉に降りかかった。期待と妄想に胸を膨らませたクラスメイトが一斉にドアを見ている。勇人も少なからずの期待感を胸にドアを見つめる。その瞬間、教室に緊張が走った。
ガラッ 教室の戸が勢いよく開いた。
「失礼します」
入ってきたのは一人の女子生徒であった。恐らく、クラスで話題になっていた女子生徒だろう。
髪型は緩い感じの金色のハーフアップ、真っ白で透き通るような肌にパッチリした瞳が特徴の、小さい上にすべてのパーツが完璧なまでに整った顔立ち。華奢な体に、勇人達の高校の制服。彼の周りの女子も同じデザインのものを着ているが、彼らとは何処か違う雰囲気を漂わせていた。
勇人が転校生を見つめていると不意に彼女と目が合った。その瞬間、転校生の表情が少しだけ緩んだ。
「えっ~と、名前は安乃条由利さんです」
担任がおもむろに自己紹介すると転校生はぺこりと頭を下げた。するど、クラスの男子どもが関を切った様に騒ぎ始めた。
「案乃条さん、ご趣味は?」「好きな食べ物は!?」「好きな音楽は!?」「もしくはアーティスト!?」「バンド組んでる奴ってどう思います!?」「休日は何してます!?」「映画とか見ますか!?」「今度俺とデートしましょう!!」「寧ろ付き合ってください!!」「いや、結婚してください!!」「俺の味噌汁を作ってください!!」「お風呂で背中を洗ってください!!」「いやもう踏んで頂けるだけで結構です!!」「靴の裏舐めさせてください!!」「鞭でシバイてください!!」
「うちのクラスって、こうも変態が多いのか……?」
目の前で暴走する男子どもを見つめながら、勇人は小さく呟いた。
その中で転校生こと、案乃条由利は苦笑いを浮かべたまま男子どもの求愛を受けていた。そしてまた、勇人の方へと視線を飛ばしてきた。取り敢えず話が進まないと担任が案乃条に言い寄る男子どもを引き剥がして席に座らせる。
「ったくおまえらは……。え~、案乃条さんの出身校は~……って!? ちょっと!?」
担任が補足説明をしようとした時、今度は転校生が担任を無視して勝手に歩き出した。異様な目を向けてくる、その中に変な視線が混じっていたのは言うまでもないが、そんな中をを颯爽と歩き、彼女はある生徒の机の前でピタリと止まった。
「ねぇ? ちょっと?」
「ふぇ!?」
ボーっとしていた勇人は突然声をかけられびっくりし、目の前に彼女が居ることにもう一度びっくりした。転校生は二度驚いている勇人を見据えて小さく笑みを溢した。
「変わらない……」
「え? 何て?」
勇人の問いかけに転校生は答えることなく、少し目を鋭くさせてこう言い放った。
「私の執事をしなさい」