執事と影
「おつかれさまでしたね、勇人君」
控室で目を覚ました勇人に、晴子が苦笑いを浮かべながら声を掛けてきた。
「あ、はい。ありがとうございます」
勇人は選手用のスポーツドリンクで喉を潤しながら、ぎこちなく笑みをこぼした。
「あの時はびっくりしましたよ~。勇人君たら急に変な叫び声を上げてぶっ倒れたんですから」
「あ~……」
晴子の言葉に、勇人は会場でぶっ倒れた時のことを思い出す。
「あ、ははっ。なんかみっともない所見せてしまいましたね……」
「そんなことは……無いですよ?」
晴子は小さくそういうと、勇人の手を取った。ほんの僅かだが、握る力を込めて。
「ありがとうございます、フォローしてもらって」
勇人は力なく笑うと、握りしめてくる晴子の手からスルリと離れ、伸びをするように立ち上がり扉の方へと歩を進めた。
「……行くんですか?」
「……はい。そろそろ時間ですし」
晴子が尋ねると、勇人は振り返らずにそう答え、控え室から出て行った。一人残された晴子は、何処か悲しげに勇人の手を握っていた手に目を落とした。
◇◇◇
「勇人、大丈夫なの?」
「心配要りませんよ、お嬢様」
心配そうな由利の言葉に、勇人は腕や足を無駄に動かして大丈夫なことを見せた。そして、由利から「よかったぁ~」と安堵の声が漏れた時、不意に後ろから声をかけられた。
「hey、hey!! そこのboy&garl!!」
二人が振り返ると、一人の外国人が立っていた。
身長は勇人よりも一回り大きく、体格もがっちりしている。黒い執事服ではなく、色とりどりの模様が入った派手なスーツを着ている。歯を出して笑う顔には、金色に輝く金歯がいやらしく光っていた。
「え~っと……僕ですか?」
「yes、yes、youでぇす!!」
男は高らかに笑うとこちらに近づいてきて、勇人と向き合った。間近で見るとスゴイデカくて威圧感が半端ない。勇人は取り敢えず由利を自分の後ろに隠れさせて対峙した。
「hey! boy! 初めまシテ、ワタシは……」
「来るな……」
男が言う前に、押し殺したような声が背後から聞こえた。
「what?」
「お、お嬢様」
勇人と男は不思議そうな顔で、勇人の後ろに隠れる由利を見る。由利は何故か男の顔を凝視しながらブルブルと体を震わせていた。顔色が蒼白で。今にも倒れてしまいそうであった。
「来るな……来るな……。来るな来るな来るな来るな来るなぁ!!!」
突然のことに戸惑う男に、何度も同じ言葉を叫ぶ由利。その声がだんだん荒くなっていくのを勇人は見逃さなかった。咄嗟に由利の手を握り、同じような目線になるよう腰を低くして、その目を見据えた。
しかし、由利と目線が合うことはなかった。由利はあちこちに視線を飛ばしながら、同じことを呟き続けている。
「お、お嬢様? どうかなさいま―――」
「来るなぁーー!!!!」
勇人の問いかけを掻き消すようそう叫んだ由利は、勇人の手を無理やり払って一目散に走っていってしまった。あまりのことに呆然とする二人。
「な、なんかすいません」
そのまま二分くらいが過ぎた時、勇人は男に頭を下げながら言った。
「no thank youデスよ。meの肩に毛虫が居たんデショウ?」
男はそう言いながら笑うと、手を差し出してきた。
「お互い、頑張りまショウ!!」
握手を求めてきていると認識するまでに数秒掛かり、気付いた勇人は慌てて手を伸ばした。
「ああっ……。が、頑張りましょう……」
「んん~ん、カタイ、カタイデスよ!!」
男は勇人の手をガッチリ掴んだまま引き寄せ、空いた手で勇人の背中をバシバシ叩いてきた。大柄な男の手も大きく、一叩きごとに肺の中の空気が持っていかれる勢いで叩かれ、勇人は涙目で男を見る。
「あ、ありがとう……」
「HAHAHA!! 気にする事ないデスヨ!! では、see you next time……」
男は高らかな笑いとともにそういうと、向こうの方へと行ってしまった。
叩かれた背中をさすりながら、勇人はポツリと呟いた。
「……あんな人のこと、なんて言うんだっけ?」
勇人は首を捻るが一向に出てくる気配が無かったので、考えるのを止めて、何処かへ走っていった由利を探しに動き出した。
◇◇◇
照明の電気が切れかかっていて薄暗い廊下に、壁にもたれる人影が一つ。
「あぁ僕だ。あぁ、あぁ、そうか。こちらも予定通りだよ。じゃあ頼むぞ」
人影はそう言うと通話を切り、急ぎ足で歩き出す。カツ、カツ、と革靴の音が長い廊下に響き渡る。
「まさかこんなところで再開できるとはねぇ……」
暗い廊下を歩きながら、人影がポツリと呟く。
「懐かしいなぁ……何年ぶりだろ? ね、由利さん」