執事と開催
『それではこれより! 北条家執事決定戦を行います!!』
オオオーーーーーーーー!!!
北条家の唐松執事長の開会宣言に会場中がどよめいた。
ここは北条家の敷地内に設置された執事決定戦の会場。コロッセオを連想させる巨大な円状のスタジアムの中央に設けられた特設ステージに何万人の観客を収容できる大型の観客席が軒を連ねる。
その中で一際目を引くのが、観客席に堂々と鎮座する巨大なバックスクリーンだ。その脇に報道陣まで大型のスペースを占領して中継をしているようだ。
「テレビの前のみなさん!! このどよめきが伝わってくるのでしょうか!! ついに先ほど、北条家執事長兼大会委員長の唐松執事長の開会宣言がされ、いよいよ、北条家執事決定戦の幕が上がります!!!」
バックモニターに映し出されたリポーターが興奮気味にカメラに向かって実況している。
「今回は北条家次期当主、北条孝章さんの執事を決めるとのこと。更に、今大会は応募数が一万を超え過去最高の応募総数をたたき出したとのこと。この結果に対し、私たちはとても興味深く、そしてとても興奮しております!!!」
マイクを握り締め、興奮したように話す女性レポーターは、自分がスクリーンに映っていることに気が付いてない様子。髪を振り乱し、汗が飛び散るほど暑く語っているその姿を、勇人は圧倒されて眺めていた。
「この大会、結構知名度が高いんだ……」
まぁ、世界トップクラスの企業である北条カンパニーの総本山、北条本家の跡取りが決まる式典なのだ。嫌でも人の目が集まるのだろう。と言うか、個人としてはこの番組を放送して視聴率が取れるのかが疑問なのだが……?
「勇人くん」
不意に後ろから声をかけられ、振り返ると晴子が渋い顔で立っていた。
「ハルさん、どうかしましたか? と言うか、ここ選手と関係者以外入っちゃ行けないハズでは……?」
「ちょっとコネを使って入らせていただきました。」
そう言って拳を握る晴子。何したかは聞かない方が良いと、勇人は本能的に悟った。
「それよりも、勇人くんに伝えなければいけないことがあります」
「……はい、何でしょう?」
不敵な笑顔から改まって真剣な顔付きになる晴子に、勇人の姿勢は自然とピンとなる。
「これは由利からの伝言です。『もし、この大会で優勝したら、何でも一つだけお願いを叶えてあげる。だから、頑張りなさいよ』」
「えっ……」
晴子の言葉に勇人は思わず耳を疑った。今、晴子の口から発せられた言葉の意味が分からなかったからだ。
「ハルさん、それは……どういう意味で?」
「勇人くん、この大会で優勝するメリットが無いでしょ? 別に孝章様の執事になりたいわけでもないし、かと言って負けるのも孝章様に負けるみたいで癪に障るでしょ? だから、頑張れるようにとあの子が配慮してくれたんですよ。ホント、珍しいことです」
「そう……ですか」
晴子の淡々とした説明を、勇人は何度も頷きながら聞いていた。そして、晴子の説明が終わると、そう呟き口に手を当てて考え始める。
今、勇人は元の場所に戻れるというまたとないチャンスを手にした。
あの場所に帰れる。また隼人や春乃とバカ騒ぎをしながら平穏な日常を取り戻せる。今の自分が一番望むもの全てが手に入るチャンスである。しかし―――、
「勇人くん。一応聞きますが、君はもしこの大会で優勝したら何をお願いしますか?」
勇人の思考を見透かしたのか、晴子が唐突に質問を投げかける。その問いかけに、勇人はじっと晴子の顔を見る。そこには、何か言いたげな、そしてそれを表に出さない様にしよう、というのが混ざり合った表情が浮かんでいる。
その表情に応えられる様な答えは、今の勇人は思いつくことが出来なかった。いや、思いついてはいた。だが、何故かそれを口に出そうとするのを邪魔する何かがいたのだ。
「……すいません。まだ、分からないです」
「そうですか……分かりました。じゃあ試合、頑張ってくださいね」
晴子はそう言うと何処か悲しげな笑顔を溢し、手を振りながら観客席のほうへと駆けていった。その姿を一瞥した勇人は、自分の胸に手を当てて小さくため息を溢した。
「北方勇人!!」
不意に自分の名前が呼ばれ考え込んだまま視線を送ると、遠くの方で茶髪を靡かせながら近づいてくるの真張が見えた。
「どうしたんですか?」
「いえ仕事がひと段落したのでぶらぶら歩いてたら姿が見えたものですから。華々しく散っていくあなたに慈悲と同情をこめた激励の言葉でも述べようかと思って……」
嫌味ったらしくそう言う真張であったが、不意に目が合うと顔を逸らしてしまった。
昨日自分の泣き顔をあったばかりの男に見せてしまった手前、顔を合わせづらいのだろう。勇人はそのことには触れない様に何気なく話題を振る。
「というか真張さんは何か準備とかはいいんですか?」
「心配ないですよ。今大会の進行はあそこで開会宣言をした唐松執事長がおやりになるので私が手伝うことなんてほとんどありません。強いて言えば、審査中の実況と孝章様の暴走を止まることですかね?」
そう語る真張の手には数枚の紙とマジックハンドが握られていた。
マジックハンドの用途は容易に想像つくだろう。数枚の紙は、おそらく今大会のルールだとか、選手の名簿とかだろう。そんなことを思っていると真張がズイッと顔を近づけながら聞いてきた。
「そんなことより貴方の準備は万全なんですか?」
「え!? ま、まぁ一応と言ったところですかね……?」
真張の後退りしながら勇人は曖昧に答える。真張は少しだけ勇人を睨み、小さくため息を溢して視線を逸らしてしまった。恐らく何も対策してないことを早々に見抜かれたのだろう。いや見抜く以前に勇人の行動を見れば予想はつくか……?
「あ、そういえば」
そんな中、真張が何か思い出したかのように声を上げたので勇人は思わず飛び上がった。
「ど、どうしたんですか?」
勇人がそう問いかけるが、真張は「いやでも……」と呟くと手を口に当てて考え込んでしまった。再び、その場は沈黙が支配した。
「……これ、言ってもいいのか分かりませんが……?」
そう念を押すように言った真張の言葉に勇人は少し真剣な表情になる。
「実は今回から種目が変わったんですよ。前回までは一回戦から選手同士の戦いだったんですけど、さすがに血なまぐさすぎるって言われて……」
「そうなんですか? てか血なまぐさいって……」
「昔は北条家専用の救護班が全員出動で怪我した選手の治療を行うんです。確か一昨年あたりテレビの移る中で緊急手術をしてましたね……?」
「たかが執事決定戦で緊急手術が必要になるんですか? てかよくその様子テレビで放送してましたね!!」
「まぁ外見がコロッセオですからそういう血なまぐさいこともオッケーになったんでしょ。テレビ局は数字させ取れれば文句ないですから」
「全ては数字を取るためってことか……えげつない」
勇人のボヤキに真張は小さく苦笑しながら話を本題へと戻す。
「まず予戦は洗濯対決になりました」
「洗濯……ですか?」
真張の言葉にあまりピンと来ない勇人を見て、真張は念を押すようにそうですと告げる。
「執事たるものやはり家のことは完璧に出来なければなりませんし、『これからの執事は強さだけじゃ足りない』って意見が出て、それをそのまま採用したって感じですね」
「な、なるほど……」
「そして次は料理です。これも先ほどと同様に意見を採用した形です」
「……想像だともっとえげつないことされるかと思ってましたけど、聞いた感じ簡単そうですね~」
勇人は種目が変わったことに少し安堵の気持ちになった。しかしその言葉を口にした瞬間、真張の眉間に深いしわが刻みこまれた。
「そういっても審査員は北条家の執事長である唐松執事長ですよ? 北条家始まって以来の天才と呼ばれた人で、すべてにおいて完璧かつ丁寧で迅速な仕事で第十一代目当主氏康様も大変気に入っている方です。今回の種目変更も唐松執事長の意見だって話ですし、審査員を自ら買って出たらしいですよ。『洗濯なんて楽勝だ!!』なんてナメてかかると即刻失格で……聞いてますぅ!!!」
「ふぎゃ!?」
真張の流れるような説明に着いていけずただ虚空を見つめながらボケっとしている勇人を彼女は渾身の平手打ちで覚醒させる。
「……始めから聞いていたんですか? せっかく貴方ののために時間を割いて話してあげたのに……」
真張は笑顔で指を鳴らして勇人を見下してくる。当の勇人は叩かれた頬を擦りながら悶えていた。
暫くして痛みが引いた勇人はある違和感に気付いた。
「……どうかしました?」
「あ! いえ。ちょっと気になることが……」
勇人は少し真剣な顔つきで声を潜めた。
「僕たちって……どこかでお会いしたことあります?」
勇人の言葉に真張は一瞬面を喰らったような顔になった。しかしその顔はすぐに笑顔へと変わった。
「……いえ、私は昨日始めてあなたにお会いしましたけど?」
「そ、そうですか……」
「お~い真張ちゃ~ん」
勇人が頭を抱えた時、遠くの方で真張を呼ぶ声が聞こえた。声の方を見ると何人かの使用人たちが彼女に大きく手を振っているのが見えた。その足元にはもの凄い量の段ボールが山積みにされていた。
「これ運ぶの手伝ってくれ~!!」
「あ、は~い!」
真張は大きく手を振るとクルリと勇人を振り返ってこう言った。
「一回戦はあと三十分ぐらいで始まります。無様な姿を全世界に晒さない様にしっかり準備しておいてくださいね?」
意地悪っぽく笑った真張は勇人の返答も聞かずに小走りでいってしまった。
一人残された勇人は頭をポリポリと掻きながら真張の言葉を考えていた。
『審査員は唐松執事長です』『北条家始まって以来の天才、完璧かつ丁寧で迅速』『少しの隙も見逃さない』
審査員は超一流の執事。対して自分は元庶民の執事、と言うか執事見習い。明らかに、どう考えても勝算のない戦いにしか思えないのだが……。
しかし、先程晴子から聞かされた由利からの伝言がある。一応『優勝』と言う目標も出来た。出来る限りやってみる価値はある。
「まぁ、頑張ってみますか……」
そうため息混じりに言うと、勇人はクルリと後ろを向いて控え室の方に歩いていった。
「…………」
勇人が控え室に向かって行く姿を遠目から見ている者が居た。
金髪の髪を短く刈り、小麦色の肌に、褐色の瞳と高い鼻と、端正な顔立ちに、赤と黄色の布を巻きつけたような、いわゆるサリーを身にまとっている少年が、黙って勇人の後姿を見つめていた。少年は、勇人の姿が完全に見えなくなると、すぐ手元の古びた手紙に目を落とす。
『兄ちゃん頑張れ!』
読み慣れた人でしか分からないであろうその手紙を強く握り締め、何かつぶやきながら手紙を大事そうにポケットに押し込んだ。
「待ってろ……必ず……」
少年は流暢な日本語でそう呟くと、勇人が消えていった控え室へと向かっていった。
2/22 修正しました。