執事と哀愁
「どうだい、ハニ~? 僕の家の料理は?」
厚切りステーキを頬張りながら孝章が由利に聞いてきた。言葉を発するごとに、肉の破片が飛び散っている。
「……ええ、お、美味しいわ」
由利は顔にベッタリついている肉片を剥がしながら無理やり笑顔を作っていた。
「だろ~!! 僕んちの食事は断然違うからね~!! まずこの肉は国産黒毛和牛だし、それにこのスープは最高級フカヒレを……」
「相変わらずの人ですね」
子供のような目で料理を紹介していく孝章を尻目に、勇人はコソっと晴子に言った。勇人の言葉に、彼女は苦笑いを浮かべた。
「ええ……。まぁ、いつも通りと言うか、あのキャラしかないんでしょうね」
「何気痛いこと言わないでくださいよ」
「あの姿があの人の素なんでしょうし……。こちらがとやかく言うことではないと思いますよ?」
「さっき酷いこと言った人の言葉とは思――」
「何か言いました?」
勇人が言葉を発しようとした瞬間晴子の身体から不気味な黒いオーラが垣間見えた。勇人は冷や汗を流しながらブンブン首を振ると目をそらせた。
どす黒いものを抱えての笑顔は、この人が一番怖い。
「それはそうと……」
勇人は話題転換のためにそう言うと、由利を心配そうに見つめて続ける。
「お嬢様……なにか変なものでも食べました?」
「君も結構酷いこと言いますよね?」
「なんでしょう……何処か元気ないようですけど……?」
晴子の突っ込みを軽くスルーして、勇人は心配そうに由利を見つめる。その姿を、何処か複雑な表情で見つめる晴子は小さくため息を漏らした。
「まぁ……案乃条家でのあの子の接し方以外を見たことのないんですから無理もないですね」
「え、いつもスリッパブチ当ててるんじゃないんですか?」
「勇人くんって意外と毒舌?」
「僕は至って普通ですよ?」
晴子の言葉に薄っぺらい笑顔で勇人は何の悪びれも無く答える。その顔に白けた視線を送っていた晴子は観念したように大きなため息を着き、続けた。
「安乃条家ではあんな風ですけど、流石に人様の家ではあそこまでは出来ません。もしやろうものなら案乃条家の評判がダダ下がりですからね?」
晴子の言葉に、お金持ち内で陰口をたたかれる由利の姿を想像して少し胸が痛くなった。
「それに、北条家には色々と助けられてますからあの子にしても孝章様を無下にはできないんですよ。もしやろうものなら、北条家との全面戦争になりかねないですし、逆に二人の縁談が纏まれば、両家は更に発展しますし。両家としては、どうにかして二人はくっついて欲しいんです。それが二人の意向を無視したものでもね」
そう言い切った晴子は目の前で食事をする二人を寂しそう見つめたので、勇人も同じように二人を見つめる。
ペラペラと説明しまくる孝章に、それを見ながら微妙な顔で耳を傾けているフリをする由利。そして、この前見た孝章の必死そうな顔。一見平気そうな顔をしているが、二人とそれなりの苦労があるのだ。
「それにあの子、極力ここには来ないように合作するのに命をかけてますから、余計そう見えるんでしょうね」
「だからヘリの中で凄い落ち込んでいたんですか?」
勇人はヘリの中で膝に手を置きがっくりと頭を垂れていた由利の姿を思い出した。
「そうなんですよ。いつも帰ってくると七、八歳ぐらい老けこんだようになるんですよ」
「マジですか!? 帰ってくる時に注意しないと……」
晴子の言葉に目を輝かせる勇人。そんな姿を、困ったように晴子は見つめる。
「まぁ……いっか(個人的はよくないけど……)」
「何か言いました?」
「いえ!? 何も言ってませんよ!!」
「えっ、でも何か言ってい……」
「何も言ってません!! もう変なこと言わないでくださいよ!!」
勇人が再度聞き直すと、晴子は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。勇人は『?』と頭を傾げながら改めて由利を見た。
張りつけた笑顔を浮かべる由利の袖口からスリッパの先っぽが見える。そのスリッパを、由利は穴が開くほど強く握り締めていた。
相変わらず自慢話ばかりする孝章に、由利はスリッパをぶつけたい衝動に駆られているのだろう。そんなことはお構い無しに、孝章は話を続けていた。
「それでね、ぼくはマイクにこう言ってやったんだよ。『やあマイク、相変わらずだね。いつも思うけど君って毛が濃いね(笑)』って」
いつも間にやらクソつまらないアメリカンジョークに変わっている。その横で、孝章をウットリと見つめる真張が居る。
孝章のどこに魅力があるんだろ? と疑問に思ってしまうほど、真張は孝章の話に聞き入っていた。
真張は孝章がオチを言った際、首を振ったり、手を小さく叩いたりして盛り上げようとしている。
笑いのセンスというよりも、人を見るセンスが常人よりもバレーボール三個分ぐらいずれているのだろうか? 勇人は本気で彼女の思考回路が気になりだした。
「ち、ちょっと失礼するわ……」
由利は突然作り笑いを浮かべながら席を立ち上がる。
「ハニーっ、何処に行くんだ?」
間が悪いことに孝章は由利を引き留める。
「ちょ!? ちょっとお花を摘みに……」
顔は笑っているが、スリッパを顔面に叩きつけてやりたい衝動を無理やり押さえつけて答える。因みにお花を摘むとは、といれに行くことだ。
「そう言えばハニー、トイレの位置分かるかい? 何なら僕がついていこうか?」
彼は由利を気遣っていった言葉なのだろう。しかし、選んだ言葉が悪かった。
敢えて遠回しにトイレに行くと言ったの周りに暴露し、あまつさえ女子トイレについていこうとする暴挙。
孝章の言葉にその場が一気に凍りつく。勇人、その他大勢の使用人たちが思わず身構えた。どす黒いオーラをかもし出している由利が何時飛び掛ってもいいように構えたのだ。
ちなみに、この状況を作り出した孝章は人事のように話を続けた。真張も、孝章の話を聞きながら時折由利の姿を見ていた。
「…………」
由利はひたすら沈黙を守っている。その姿を見つめる勇人の耳に小さく、ホント小さく鳴り響く歯軋りの音が聞こえてきた。おそらく由利が怒りを抑え込むあまり、自身にぶつけて解消しているのだ。
「由利? 行きましょ」
そう声を掛けたのは晴子だ。由利が答える暇も与えず、晴子はさっさと由利を部屋から連れ出していった。
その直後、勇人以下その場に居た使用人たちは、一斉にため息を漏らした。
「おっ? どうしたお前ら? ため息なんか着いて……?」
孝章は状況が掴めない様子。
「……いえ、なんでもないですよ」
頭の毛がアウトラインを過ぎてしまっている使用人が、孝章に向かって弱弱しく答えた。
「そうか、ならいい。それでさ、今度はケビンが……」
またもやアメリカンジョークをし続ける孝章を見つめ、更に北条家の使用人たちを見て勇人は思った。
(大変だな……安乃条家でよかった気がするよ……)
この時、勇人の耳にずっと勤め上げた会社を突然首になったサラリーマン並みのため息が廊下から聞こえてきたが、敢えて考えないようにした。