執事と珍敵
「ここが……北条家のお屋敷ですか……」
案乃条家のヘリで四十分ほど揺られてたどり着いた場所に、勇人は驚きのあまり声を漏らした。
そこに広がっていたのは、安乃条家以上の広さを持つお屋敷であった。
豪華な大理石の像が並び、その中央に大きな噴水が存在感を放っていた。また、その近くには色とりどりの花が綺麗に咲き誇っている。しかし、それらよりも存在感を放っていたのはお屋敷だ。
大理石で作られた柱には、まるで中世ヨーロッパ風の装飾が施してあり、壁には白をバックに金箔で絵が描かれてある。ルーブル美術館にでも普通に在りそうなとてもすばらしいものばかりであった。
そして勇人たちの視線の先、安乃条家の噴水よりの一回りぐらいでかい噴水の前、何十人もの使用人たちが安乃条家の到着を待っていた。
「待っていたよぉ~~~ハニィ~~~~!!!」
使用人たちの真ん中からこちらに大きく手を振る孝章が見える。
「さぁ、僕の胸にとび……」
両手を多く広げ、満面の笑みをしていた孝章の顔面に、由利が強肩で放ったスリッパがめり込む。
「いぎァァァァアアアアアアア!!!」
盛大に叫び声を上げながら倒れていく孝章を、使用人たちは冷静に受け止め、素早く鼻栓を孝章に差し出した。
「慣れてる……」
勇人がぼそりと呟く。
「相変わらずですね」
「まぁ、いつものことですけど……」
晴子とゲルマンがそれぞれため息混じりに答えた。毎度毎度こんな感じで迎えるんだ、と勇人は珍しく孝章に同情の念を向けた。
「……ぁぐ、よ、ようこそ……、みなさん……」
孝章は鼻栓をグリグリと鼻の穴に押し込みながら改めて挨拶した。勇人たちはその言葉に頭を下げようとしたとき、横から声が飛んできた。
「ええ、お久しぶりです」
高級ホテルの受付嬢でも出せないであろう透き通った声でそう述べたのは懐にスリッパをしまっている由利であった。先ほど北条の顔面にスリッパを叩き込んだくせに、何事も無かったかのように満面の笑みで微笑んでいる。
「…………」
由利の笑顔に見惚れていたのだろうか、孝章はすこし由利の顔をボケっと見尽くしていた。
「……!? さ、さぁどうぞ!!」
我に返り、孝章は顔を赤面させながら由利の手を取って、グイグイと引っ張っていった。その姿にゲルマンは苦笑いを浮かべ、勇人と晴子は互いに顔を見合わせ少し笑うと由利たちの後に続くように中に入っていった。
◇◇◇
「ホント凄いですね……」
勇人はバルコニーを歩きながら驚きの声を上げた。
外装も凄いが内装もまた外装以上にすばらしかった。
金色に光り輝く大きなシャンデリアが四つほど天井からぶら下がっており、お庭同様に大理石で作られた像がいくつも飾られていた。床は大理石で作られており、シャンデリアの光が反射しそうなほど光り輝いていた。
さらに目を見張るのが玄関から入ってすぐ目の前に現れた。
其処には、縦横幅五mはありそうな肖像画がバルコニーを見守るように立てかけられてある。それには立派な顎鬚を蓄えた男性が描かれている。おそらく、北条家の何代目かの当主の方だろう。
「どうかされましたか?」
横から不意に声をかけられ、横を向くと一人のメイドが立っていた。
「いや、り、立派な肖像画だなって……」
勇人の言葉にメイドは小さく笑みを溢しながら肖像画に書かれている顎鬚の人物を指さした。
「この方は北条家十一代目当主、北条氏康様ですよ」
「十一代目? ということは孝章さんの?」
勇人が訪ねると、メイドは何故か嬉しそうに頷いた。
「そうです。この方は孝章様のお父様です。わが北条家では当主になられるとここの肖像画が飾られるんですよ?」
「そう……なんですか……」
勇人はまじまじと肖像画を見つめた。
とても厳格そうで、礼儀正しい感じがプンプンと伝わってくる。綺麗に切り揃えられた立派な顎鬚が、威厳たっぷりの雰囲気を醸し出している。そして、最も目を見張るのがその頬に刻まれた大きな傷だ。ライオンか何かと戦ったんじゃない? と思いたくなるほど、その傷は良く目立っていた。
(……どうしてこんな出来る人から孝章が生まれてしまったんだろ……?)
勇人は苦笑交じりにため息を着いた。
「……ちょっといいですか?」
「はい?」
不意に横のメイドから声を掛けられて、勇人はメイドの方を向く。
今更ながらメイドさんの姿を見ると、勇人とそう歳の変わらない子であった。
セミロングほどの茶髪を紐で結んでだ団子状にして、少し長い前髪をピンで留めている。薄い小麦色の肌に細い眉毛、細い目に高い鼻。顔は小さく、とても端正な顔立ちをしている。服は秋葉原でティッシュを配っている偽物メイドと同じような格好をしている。今更だが、晴子や彼女が来ているメイド服と、秋葉原などにいるメイドたちの格好はそう大差ない。
「初めまして、私ここでメイドをさせて貰っています、真張郁美と申します。どうぞよろしくです」
「ああ、どうも、北方 勇人です」
マニュアルにでも書いてあるかのような自己紹介と絶妙な角度で下げられた頭に、勇人も戸惑いながらも軽く頭を下げた。しかし、真張はそのまま口をつぐんで、もの珍しそうな目で勇人を見つめていた。勇人は妙な空気を感じ取り、真張にあいまいに笑って見せた。
「あの……どうかされましたか?」
「……こいつが」
「……え?」
真張がボソリと呟いた言葉が聞こえなかったので勇人は聞き返した。が、真張がその質問を無視して逆に質問してきた。
「先日、我が主である孝章様を漏らさせたのは貴方ですか?」
「え!? あ……、ま、まぁ……」
およそ五日前、孝章が安乃条家に乗り込んできた時、勇人は孝章の言動にキレて威圧感だけで孝章を漏らさせてしまった事は記憶に新しい所。恐らくそのことを言っているのだろうと勇人も容易に合点が付いた。勇人のあいまいな返答に真張は再び黙り込んでしまった。
少しの間、沈黙が流れた。
「…………ない」
「えっ?」
真張が何かを呟いたようだが、勇人には聞こえなかった。
「……さない」
「?」
「許さない!!!!」
突然真張が叫んだ。驚きのあまり二、三歩後ろに下がった。
「貴方が……我が主を……」
「えっ? えっ?」
真張の突然の変わりように困惑する勇人。
「いつも可憐で健やかで勇ましい孝章様……。私の孝章様に……、あわや安乃条の小娘の前で惨めなお姿をさらけ出させるなんて……」
真張は歯を喰いしばりながらギラリと敵意むき出しの眼を勇人に向けた。
「許さない!! 必ずや、私が貴方をギッタンギッタンにして恥さらしにしてやるわ!!!!」
真張は三下のヤクザが吐き捨てるであろう言葉を吐き捨て、ツカツカと階段を上がっていってしまった。あまりの出来事に呆然とする勇人は、その姿をポカンと見つめることしかできなかった。
そのまま数分が過ぎた。勇人は未だにボーっと立っている。そして、不意に勇人の口が動いた。
「みんながココを嫌う理由の一つが分かったかもしれないな……」
勇人は引き攣る顔を無理やり笑顔に戻しながら、先ほど由利たちが向かった通路へと急いで向かっていった。