過去の記憶
頭がボーっとする。体が妙に軽い。薄く目を開けると、目の前に広大な草原が幾重にも続いていた。
何故自分がここにいるのか、今まで何をしていたのか、なんにも分からない。ただ目の前に広がる景色には見覚えがあった。
「ここは……」
勇人は未だにぼ~ッとしている頭を無理やり起こして考えるが、何故か頭が上手く働かない上に、身体がうまく動かない。それよりか、意識がフワフワした感じが強くなってきた。
その時―――
「いたぞ!! 捕まえろ!!!」
突然後ろから罵声が飛んできた際、鉛のように重かった体が軽くなり、勇人は思わず声の方を向いた。
そこには黒スーツに身を包んだ三、四人の男たちが、その数m先に息も絶え絶えで走っている少女を追いかけていた。少女は一度ちらりと後ろを見て、諦めたような表情をしていた。その姿を見た時、すでに勇人の体が動いていた。
勇人は右こぶしを固く握りしめ、男たちに勢いよく突進していった。案の定、男たちはこちらに全力で走ってくる勇人を警戒し、其々がいつでも飛び掛かれるように身構えた。勇人は少女が横を通り過ぎるのを確認すると、その場で一旦急停止する。
男達との距離は三m。男達ほどの大人が一気に踏み込めばすぐに縮まりそうな距離だが、踏み込んだ瞬間返り討ちに可能性が高い、そんな絶妙な間合いを勇人は保っている。勇人が身構える後ろで、かなり離れたところへと向かってい少女の姿を、歯がゆそうに見つめる男たち。その姿を見つめ、勇人は小さく笑みを溢す。
その時、しびれを切らして一人が身を屈めて一気に踏み込んだ。そして片手を強く握りしめ、勇人に拳を放つ。そのスピードは並大抵のものではなく、プロのボクシングにでも通用するような鋭いパンチだった。しかし、勇人はその拳を意図も簡単に避けて、お返しとばかりにガラ空きの男の腹に蹴りを打ち込み、後ろに吹っ飛ばした。打ち込まれた男が苦痛に歪んだ顔で後ろに転がっていくと同時に、残りの男たちが一斉に飛び掛ってきた。
勇人は落ち着いていた。間を置かずに繰り出される男たちの拳の軌道をすべて見切り、紙一重に近い感じで男たちの攻撃を避けた。そして、それぞれの腹と足にカウンターブロウをお見舞いし、それぞれ地面に叩き付けた。勇人の攻撃で伸びてしまったものもいれば、その場に倒れて痛みに顔を顰めながらも立ち上がろうとしている者もいる。
そんな男たちをしり目に、勇人は上がった息を整えることなくクルリと後ろを振り返り、少女の元へと走っていった。
「あなたは……、誰?」
少女が不思議そうな、怪訝そうな顔で勇人を見つめそう声を漏らした。
「ごめん。説明してる暇ない……」
勇人は少しめんどくさそうに言った。勇人がそういう後ろで、一人の男がフラフラになりながらも何とか立ち上がったのが見えたからだ。
「取り敢えず、ちょっとごめんね?」
「え? きゃ!?」
勇人は謝りながらも少女の体を山賊みたいに抱える。肩の上でジタバタともがく少女を無視して、勇人は風のようにこの場から走り去った。
◇◇◇
「ここまでくれば大丈夫だろ……」
勇人達は無我夢中で走りまくり、気が着いたら大きな湖のほとりで乱れに乱れまくった呼吸を必死に整えていた。勇人は側の樹に手をついて、上がった息を整えるため何度も大きく息を吸う。しかし、心臓は狂ったように跳ね回り、収まる気配がしない。
「……あなたは誰なんですの?」
金髪の髪を二つに分けて結び、外人のような白い肌にブラウンの瞳を怪訝そうに向ける、見た目七歳ぐらいの少女が岩にちょこんと座っていた。
「はぁ、はぁ、……う~ん、取りあえず正義のヒーロー、って所かな……?」
勇人は大きく息を吸い込んで心臓を黙らせると、袖で汗を拭いながら小さく笑いかけた。冗談交じりに言ったつもりだったが、この子にはそれが通用しなかったのだろう。
「ふん、そんなわけないでしょ、この低脳」
少女に、まるで可哀想な、近づいたらいけない人を見るような目と言葉の刀で勇人を真っ向からバッサリ斬り捨てた。勇人は笑顔を若干顔を強張らせ、あいまいに笑って見せた。というか、今の自分がうまく笑えているのかすら不安になってくる。
正直このチビッ子にに可哀想な人って思われるのは、大人の階段を上り始めた勇人としてはもの凄く辛いって言うか寧ろ痛い。大人に近い子供として、人として、何かプライド的なものを粉々にぶち壊されたようだ。
「……」
勇人は言い返すことなくその場で俯いた。目から溢れ出てくる液体を何とか抑えようとするが、一向に止まらない。そんな姿に、少女は苦笑しながら笑いかけてきた。
「何で泣いてるのか分からないけど、取りあえず、礼は言っておきますわ。ありがとう」
泣かしたのは君だよ、と言おうとした勇人の口が強張った。少女は、先ほどの可哀想な人を見る目から打って変わって、普通の人ではできないような満面の笑みを井壁ていた。その不思議と引き込まれる笑顔に、勇人はある違和感を覚えた。
(あれ、この顔どこかで……)
この少女の笑顔がどこかで見たことがあるのだ。確信はないが、何故か心のどこかに引っかかっているみたいな、そんな感じだ。
「しかし、よく逃げ切りましたね……。子供のあなたにしては大したことですよ?」
少女は勇人の体を舐める様に見回しながら感嘆の声を漏らした。その言葉に、勇人は小さく噴き出した。
「こ、子供って……。僕はもう君に言われるほど子供じゃなんだけどな?」
事実、勇人は十六歳で、目の前の少女はおそらく七歳。どう見ても、少女が勇人を子供と呼ぶにはおかしなことだ。しかし、少女は顔を真っ赤にさせながら反論してきた。
「何よ!! その人を小ばかにしたような笑いは!! 年齢的にもあまり変わらないと思いますわよ!!!」
「だから、僕は君が言うほ……ど……?」
勇人は先ほどと同じことを言おうとした口を無理やり閉じ、少女の言葉を思い浮かべた。
『年齢的にはあまり変わらないと思いますわよ!!!』
(年齢的……?)
少女の言葉に勇人は首を捻った。もう一度言うと、自分は十六歳、対して目の前不機嫌そうに顔を膨らませている少女は七歳ぐらい。何処をどう見ても、勇人と少女が同い年には見えないだろ?いや見えるはずが無い。もし見たとしても、仲の良い兄弟ですね、って言われるぐらいが関の山だ。だが、少女が言った言葉は……。
勇人は手をついている樹を下から上へとじっくりと見まわした。勇人が手をついている場所は、地面から生えた樹の背丈1/8ぐらいの所だ。因みにいうと、勇人の身長は百七十cmを少し超えるくらい。勇人の身長を百七十cmと仮定した場合、樹の背丈は十三mとちょっと、となる。しかし、上を見上げた限り、十mを超える木ではないようだ。
今度は、樹の背丈を八mとしよう。そうすると、勇人の身長は一mとなる。
(……は? 一m?)
もう一度言うと、勇人の身長は百七十mちょいである。勇人は吸い込まれるように湖の岸に近づいて行った。そして湖を覗き込む。
鏡のように反射する水面には、先ほどの少女と同じ年頃の少年が覗き込んでいた。勇人はこの少年を知っている。よく、小学校のアルバムで見ていた自分の顔なのだから。
「えっ、えっ、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
地声よりもずっと高い声で勇人が絶叫する。
(と、とにかくだ 一旦落ち着こう)
一通り叫んだ勇人は近くの岩に腰を降ろして頭を抱えた。
「…………のぉ」
横で少女の声が聞こえたが、気にしている暇がない。
(ここはなんだ、何で俺は子供なんだ、そしてこの子はなんだ)
「……あのぉ」
雑音が聞こえたが気にしない。
(いやいやまて、これは夢なのか?)
「……あのぉ!!」
蝉が逆境に鳴く声が、聞こえたが気にしない。
(だとしたら……、これはなん……)
そう考え込む勇人の顔面に、スリッパが勢いよくめり込んだ。
「アアアアアアアアアアアアァァァァアアァァァ!!!」
「聞いていますの!!?」
後ろから憤慨するような声が聞こえたが、勇人には全く聞こえていない。
「ぁぁぁぁぁぁっ、おぉぉぉぉぉぉっ……」と顔を押さえながら体をくねらせてもがき苦しんでいる。
「何なんですの!! 人が声をかけているのに全く反応しなくて!! そしてなんか私の扱い酷くなってるし!! 何なの、蝉が逆境に鳴く声って!! そんな表現聞いたこともないわ!!」
少女は仁王立ちして勇人を見据えた。
「あっ、居たんだ」
そう言った瞬間、またもや顔面にスリッパが叩き込まれる。
「蝉が逆境に鳴く声、を出させてあげましょうか?」
「す、すいませんでした……」
顔の痛みをがまんして言い放ったボケが仇となった。と勇人は声を漏らしながら再び土の上を転がり痛みに悶える。
少女はふん、と鼻息を漏らし、服の中にスリッパをしまった。勇人はまだ身もだえしている。
「……何しているんですの?」
「君がやったんだろ!!」
少女の言葉に、勇人は精一杯の声を出してツッコむ。
「それだけ元気があれば十分ですわ。さ、立ち上がって?」
少女はニコリと笑うと、勇人に向かって手を差し出す。勇人は顔面を押さえながらその手を取り、立ち上がった。少女はその姿に笑みを溢し、彼女もまたもそばにあった岩に腰を降ろす
「で、疑問に思っていたんだけど、なんで私を助けたの?」
「えっ? なんでって……」
まだ激痛が走る顔を抑えながら、勇人は考える。
「見た感じが追われていたから……、かな?」
素直に答える、見た感じがそうだったから仕方が無い。
「ふ~ん、そうなんですか……」
「?」
少女が意味ありげな顔でそういうと、勇人にジト目を向けながらこう言った。
「…………あれ、うちのSPですわよ」
「…………はっ?」
少女の言葉に、勇人の顔が強張った。
(は? SP? どゆこと……?)
「だから、さっきあなたが殴り倒したのは、私の警護をしてくれるSPですわ。凄腕の……」
少女はどうでもよさげにそういうと、最後に付け加える様に言った。
「おそらく、向こうでは私が誘拐されたと思っているでしょう……」
「…………マジ?」
「マジですわ」
少女の言葉に、勇人のリミッターがついに振り切れた。
「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
湖にの水を揺らすほどの勇人の声が幾重にもこだました。
「うるさいで……」
「えっ、えっ、なんで、なんで、嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ!!!」
少女のクレームも耳に入らない、それほど勇人はテンパっていた。
「嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だろ!!! 嘘だ……」
そう連呼する勇人の顔面にスリッパがめり込んだ。
「あからさまな行数稼ぎしてんじゃないですわよ……」
「……っあ!? ふぐぅ!? ……ご、ごめんなさい」
涙目になりながら謝罪する勇人。しかし、不意に後ろを振り向きこう言った。
「ちなみに『嘘だろ!!!』の中に一つだけ違っているのがあるから探してみてね」
「何その無駄にめんどくさいの!! 誰も探しませんわよそんなの!!!」
「まぁ、作者が最近書いてないから少しガンバロってことで……」
「そんな裏話聞きたくありませんわ!! だいたいあ……」
ザッザッザッザッ……。
「!?」
微かに遠くの方で音が聞こえた。その方から誰かこっちに向かっている。
「あなたは隠れた方がいいわね……」
「えっ、でも……」
「大丈夫ですわ、この足音はうちのSPですわ」
「わ、分かるの!?」
勇人の驚きに、少女は少しうんざりした顔になる。
「四六時中ずっと離れないんですもん、イヤでも分かるわ」
「そ、そうなんだ……」
彼女の何処か寂しそうな顔を横目で見つめる。
「……ま、貴方との一緒にいて、結構楽しかったですわ」
少女はこちらに微笑みかけるように言った。しかし、その笑顔は、心からの笑顔ではないような気がした。
「少し寂しいですけど……」
少女がボソリと呟いたその時。
(!?)
勇人の体が意思とは全く関係ない動きをはじめた。体は少女の方を向いて、口が勝手に動いた。
「寂しい思いなんかさせないよ」
「えっ?」
少女も驚いたようにこちらを振り向いた。しかし、彼女以上に驚いているのは勇人だった。
自分の体なのに、自分のじゃないみたい。不思議な感覚だった 自分の意思では動かせない。まるで見えない糸で動かされているようだ。
体はポケットに手を入れ、入れた覚えも無い紙切れを取り出した。その紙切れを少女に差し出すと、また口が勝手に動いた。
「今度は、僕が君を守ってあげる」
少女は勇人から紙切れを受け取ると、その中に目を通した。その時、勇人はその紙切れに字が書いてあることに気づいた。
『ゆりちゃんへ』
「ゆり……」
勇人がボソリと呟くと、体が動くようになった。
「あ、あの!」
「?」
勇人に声をかけられ、少女は紙切れから目を離し、こちらを見た。
「君の名前は……」
「ああ、私の名前は……」
その時、不意に意識が薄れていく。
「……」
少女が何かを言ったようだが、勇人には聞こえなかった。そして周りが暗くなり、ついには意識が途切れた。